第四話 買い物
いくつもの石が平らに整備されている石畳の道を踏みしめ、辺りにある雑多な店が並ぶ通りを興味深そうにきょろきょろ観察しながら歩く。
「おっ……キュットちゃん、今日もかわいいね!」
ふと、ある店先のオヤジがキュットへ気軽に声をかけてきた。キュットも別段動揺することなく「ありがとうございます!」とニコニコ笑顔を浮かべながら、小さく片手を振って対応している。これはきっと彼女にとって日常の一部分なのだろう。その後も道を進むたびに定期的に老若男女関係なしに声をかけられるキュット。
まさに宿屋の看板娘、といった感じだな。実際キュットは贔屓目なしに充分可愛い――男受けしそうな容姿にスタイルをしていると思うし、あまり驚きはない。
「ああっ! コーションさん!」
俺よりは年下だろう見た目に背格好をした、まるでちょうど高校に入学したばかりの一年生みたいな顔をした男子が、電気をつけたみたいにぱあっと顔を明るく輝かしながら、反対方向からキュットの下へウキウキと足取り軽く駆け寄ってきた。
「ショート君。こんにちは」
すると、突然きっ、と俺を睨み付けてくる。まるでキュットとは正反対の、非歓迎ムードの対応だ。
「コーションさん、この男、いったい誰だったんですか? というかどうして一緒に歩いているんです?」
不満な感情を絶妙に顔へと貼り付けて、それを俺にまるで隠そうとしないショートとかいう名前の男子が、キュットに何の遠慮もなく語気を荒げながら質問を投げかける。だがキュットは、宿屋で客の対応に慣れているからか、嫌そうな顔一つせずショートに答えてやる。
「この人はヤストさん。今は私の買い物に手伝ってもらっているの」
「なっっ! この男が……コーションさんの手伝い……だと……」
衝撃走る、といった表情を即座に形作ってみせたショートは、すぐに悔しそうに唇をきつく嚙み締めだした。
「……いいかお前! 本当は今すぐにでも僕が手伝ってあげたいところだけど…………残念なことに母さんから頼まれた用事がある。今回は見逃すけど……だが、ちょっとでもコーションさんに何かしてみろ。僕がただじゃおかないからな!」
俺に何度も指をさして、「わかったな!」と執拗に念をいれると、恨めしそうに何度も振り返りながらこの場を去っていった。
「すみませんヤストさん。本当はやさしい子なんですけど……」
「俺は気にしてないから」
そうでしたか……よかった。とほっと胸を撫で下ろしたキュット。正直言って俺の心情的には、他人のことにも関わらず俺に謝罪をする彼女の方が、俺にはよっぽど優しさを感じる。
「君はいいやつだな。気配りも出来るし」
思わず本音を洩らしてしまう俺。それを聞いたキュットは恥ずかしそうに頬を少し赤らめ、身体をくねくねとさせると「そ……そんなことないですぅー」とぶんぶん顔の前で手を振ってから、「さ、さあいきましょう!」と前方をよく見もしないまま一歩踏み出したところで、地面に何もなかったのに躓いた。
「きゃあ!」
しかしキュットの身体が地面と激突するという事故が発生することはなかった。直前、俺がすばやく彼女と地面の間へと滑り込ますように割り込んで抱きとめたからだ。むにゅんという擬音を彷彿とさせる心地良いやわらかさのするキュットから、何かの花からでも発せられていそうな甘ったるい香りが仄かに漂い、俺の鼻孔をくすぐる。
「あ、ありがとうございます……」
恥ずかしそうに頬をにわかに赤く染め、いそいそとお礼の言葉を述べつつ体勢を立て直すと、キュットはバツの悪そうに微笑みつつ、再び――今度はちょっと慎重さを含めた足取りで進みだした。
「ここです」
それから何人もの人々――色々な髪型、服装、性別、顔の色、背丈、大人と子ども……が、都会のスクランブル交差点……とまではいかないか。……とにかく、たくさんの人間でひしめきあっている大通りを縫うように前進、それからいくつか路地を曲がったり曲がらなかったりした先にある、大通りとは違って活気の乏しいといった様子をした、人の量が減少した上に建物の陰で若干薄暗くなっている道の端に、隠れ家的雰囲気を醸し出しているこじんまりした小さな建物があった。
キュットは薄汚れた木製のドアをなんらためらいなく開いていくと「こんにちわ!」と元気に室内へと入っていった。その後に俺は続く。
「おお、キュットちゃんじゃないか!」
おじいちゃん――というほどでは無いだろうが、それでも随分歳を感じさせる風貌――白髪交じりの髪、痩せている体……のおじさんが一人そこにいて、椅子に座りながら金槌でトントンと金属音を奏でながら何かを叩いていた。しかし、キュットが来るやすぐさま作業を停止するとそれらを机に置いた。
「約束の品だね? もう完成しているよ。何せ、最近妻が死んでからというもの話し相手がいないもんで、毎日暇だったからね……キュットちゃんのために腕によりをかけて作ったよ」
部屋の奥に姿を消したかと思うと、二つの小さなナイフを持って現れた。
「わあ、ありがとうございます!」
嬉しそうにその二本のナイフを受け取ると白い布にくるんで、手提げのカバンに収めた。
「それで……なんだがな。キュットちゃん……前の話、答えを聞かせてくれんかね?」
「そ、それは……その……」
前の話。内容はわからないもののキュットの反応から推測するに、返答に困るようなあまり芳しくない問題なのだろうか……。
キュットは深々と頭を下げると、
「ごめんなさい! 私、そういうことはまだ……」
すると、おじさんは興奮したように座っている箇所から机に身を乗り出してキュットに近づける。
「いやいやそんなことはない。私がキュットちゃんくらいの時にはもう結婚していたし……いや、むしろ遅すぎるくらいだ! こういうことは早く済ましたほうがキュットちゃんも幸せになれる。……それとも、もしかして……」
茶色がかった乾燥した肌からぎょろりと飛び出している魚のような黒い両眼が、鋭く俺へと焦点を合わせてくる。
「この男……もしかしてキュットちゃんの……」
「へっ…………あああっ! ちっ、違いますから!」
顔面どころか耳の先までりんごのように真っ赤にして、ぶんぶん手を電動歯ブラシのごとく忙しなく動かして否定するキュット。そのあまりの必死さが真剣味という形になっておじさんにもしっかり伝わったのか、「そうかい」と一言述べるに留まり、これ以上深く追求してこようとは、しなかった。
「こほん――またよろしくしますね。それじゃあ私達はこれで……」
と、言い逃げするよう口早に告げ、すばやく俺の腕を掴むと、あれよと言う間に半ば強引に外へと連行されてしまった。扉を開け放った時、背後から「考えておいてくれよ!」というおじさんの八百屋宜しく威勢のいい声がこちらにはっきり届いた。
「申し訳ございませんヤストさん……」
「いや、俺は別に……それよりさっきの話は?」
それは……、と一瞬ためらう素振りを示したものの、ややするとキュットは深刻そうな面持ちで重々しく口をあけた。
「息子さんと結婚しないか……と提案されてしまって……それで……」
そういうことか。どおりでキュットが話しづらそうにしているわけだ。
「実は……今回に限ったことじゃないんです。今までも男の人に求婚をされたことが何回かあったりして……。でも私……ヤストさんはバカだと思うかもしれないですけど……結婚するなら本当に好きになった人がいいんです! お母さんも私の好きにしていいと言ってくれていますし……」
俺は首を横に振ってから、
「いや。俺はキュットの考え、別にいいと思うけどな。……というか、それって普通のことじゃないのか……?」
へっ? きらりと光を反射させる美しくも大きな瞳を通常時よりもまん丸にして、意外だとばかりに驚いた顔つきに彼女はなる。
「初めてそんなこと、言ってくれる人に会いました……私」
そういうキュットは、なんだか謎の感動がその身に宿ってしまったらしい様子だ。
……まあ確かに、現実はそう上手くいかないかもしれない。自分の好きな人と結婚できるならもちろんそれに越したことはないだろう……が、家の都合だったり、金銭面であったり、社会事情だったり……と、様々な条件がそれを拒む壁になるだろう。
……俺はもしかしたら、キュットへと安易に綺麗事を口にしてしまったのかもしれない……。
その後再び大通りに戻ると、キュットはナイフを仕入れた店同様に、行きつけの店があるとのことだったので、果物屋へ向かう。
色とりどりの果物が店先に所狭しと並んでおり、その中には俺の見たことのない形状、色をしているものもあった。どんな味がするかちょっとばかし興味が湧かないこともない……が、今はそれ以上に気にかかることがあった。
「なあキュット、これは何て書いてあるんだ?」
と、俺がおそらくオレンジだと思われる果物のすぐ近くにある、小さな木の板に殴り書きされたような荒々しい筆跡の文字を指さす。
「これは値段です。一つ43メルナだそうです」
そこで俺は重大なことに気がついた。……いや、今まで気付いてはいたのだ。ただ、気付いていたが無意識にそれを頭の中で排除していた。そういうことだろう。
それは文字だ。まるで読めない。何が書いてあるのかさっぱりわからない、まるで完全に自分とは縁もゆかりもない異国の地だ。
だが待て。ではどうして俺の言葉は通じる? なぜ町の人の言語はわかる?
そう、俺はもはや『それ』が当たり前のことだと思っていた。目覚めた時、キュットが日本語を母国語のように淀みなくすらすらと話した。その後、母親も同じ言語を娘と同じように扱っていた。そこで、俺はなんの疑いもなく確信していたのだ。
《ここは日本である》
――しかし、それは間違っていたのかもしれない。……もちろんしっかり情報を集める前に決め付けるのは早計だろうが……。
「どうしたんですか? 具合が悪くなりました?」
すっかり黙り込んでしまった俺を不思議に思ったのか、心配そうにキュットが俺に声をかけてきたところで俺は我に返った。
「…………いや、なんでもない」
「そうですか……何かあったら遠慮せず言ってくださいね」
キュットに出会ってからそこまで時間が経ったわけではないが、これだけは確信を持って断言できることが一つある。――この娘は……いい子だ。
そりゃ結婚したくなる男が一人二人と現れてもおかしくはないだろう、そう思わず納得出来てしまうほどに……。
「あれ……! 私、お財布忘れ…………あっ、よかったぁ! ありました……」
そんな一人コントを済ましたキュットは果物屋で無事買い物を終えると、そのまま俺達は別の食料品を求め他店へと足を運んだ。途中約束通り、役立たずの付き添い人にならないようにすべく俺がキュットのカバンを持ってやったりして、そろそろ夕暮れ時を迎えそうな時刻になったところで、無事全ての用事が終了の運びになり、俺達は宿屋へとのんびり帰っていた。
「よく買い物はするのか?」
「はい、お母さんはお客様の対応をしなくてはいけないので、必然的に私が行く頻度が多くなったんです。あの宿屋は私とお母さんの二人で切り盛りしていますから……」
このカバン、現在俺が肩から提げているが……女子が持ったら結構重いだろうことが推測できる重量が俺の右肩でずっしりと感じられた。俺が昔、母と買い物に一緒にいったときに母手に握られていたスーパーの袋はこれくらい重かったのだろうか……。
「誰か雇ったりとかしないのか?」
「はい、本当はそうしたいんですけど……。あいにく誰かを雇えるほどのお金の余裕はありませんし、それに……」
キュットの話はそこで突然停止した。立ち止まった彼女は大層不安そうに目元を細めながら、宿屋の前付近に立っている男を見つめている。
男は目ざとくこちらを発見すると、すぐさまつかつかと靴音響かせ近寄ってきた。
すらりとして身長は俺より高い。年齢も俺よりは上だろうが――それでも二、三くらいの違いだろうように思える。短髪の髪型で、明らかに今日すれ違った人々とは異なった雰囲気を醸し出す黒主体のタイトな服を着こなしており、それはいくつもの銀色のボタンで首元まで前が止められていた。
胸元には金色の刺繍があり、肩には白い線、襟元は赤くて若干太めな線が入っており、なんだかヨーロッパとかの、カッコイイ軍服みたいなイメージだ。腰には美しい細工が施された鞘に、一振りの剣の柄が外へ顔を覗かせている。




