第三話 母親と期間
窓から道を行き交う人々へと適当に視線を彷徨わせながら俺は考えていた。
落ち着け……冷静に記憶を辿っていくんだ。
このような状況になる前の出来事を思い出そうとしてみる。そこでは確かに俺は地球の、日本という国にいた。そこには車があり、電気が通って朝夕と関係無しにどこも常に明るく、ネットがあれば大体のことはすぐさま調べられて――そんな世界で暮らした記憶がしっかり今でも瞼の裏に浮かべられる。だが……。
「……くっそ……思い出せない……」
俺は頭を抱えて俯く。記憶の最後の方で、高校三年の俺は友達とあの目覚めた建物の内部にいたことは、ぼんやりとだが思い出すことが出来たのだが……それから先どうなったのかという、おそらく一番肝心な部分がであろう箇所が欠けていて、記憶の沼から何も浮上してこない。
その時、コンコンとドアがノックされる。「どうぞ」俺が扉越しに言うと、失礼しますとキュットが少し開いた扉の隙間から顔だけ覗かせた。
「ヤストさん。少し遅くなっちゃいましたけど、よかったら一緒にお昼ご飯どうですか?」
「あっ……」
その言葉で俺は自分の腹をさする。こんな状況だというのに体はなんと正直であろうか、俺の生命活動を維持させるために空腹であることをじわじわと訴えかけてくる。
「――ありがとう。ぜひいただくよ……」
腹が減ってはなんとやら。素直に従うことにした俺はキュットの案内で一階へと降りていく。そこで今更ながらこの建物がこげ茶と白をベースとした色調の、二階建建築物であることに気付く。
「ようやく起きてきたんだね!」
敵意――というほどのものではないが、怒りのニュアンスが多分に含まれているような若干の早口が出会いがしらに女性からいきなり叩き込まれる。
歳は……四十代くらいだろうか、言動にそぐわぬ気の強そうな顔をして、キュットと同じ服装を着込んでいる。体型は少し丸っこいが。
「もう、やめてよお母さん! もっと言い方ってものがあるでしょう!」
「別に私はいつも通りだよ。それに、こんな昼過ぎまで働きもせず眠りこけている男、私は見たことないよ! 赤ん坊じゃあるまいし」
どうやらこの人はキュットの母親らしい。キュットとは対照的になんというか……荒々しい、豪快、そんなイメージをひしひしと俺受けた。
「で、あんた……。あんたはどこから来たのさ?」
「それは……」
正直に答えようとして思わず言葉に詰まる。さきほどのキュットの反応からして、森から来たというのは到底信じてもらえないだろう。それなら……。
「実は……信じてもらえないかもしれないんですが……俺、思い出せないんです……。どうしてここにいるのか……」
すると、はあああー、と話し手の俺が目の前にいるというにも関わらず大げさにため息をかました母親は、キュットに向かって強い口調で告げる。
「こんなボケた男、さっさと追い出してきな!」
「お母さん!」
すぐさまキュットが母を嗜める。
「まったく……あんたはただでさえ変な男に声をかけられることが多いって言うのに……。まったく、わかったわよ」
じろりと、俺の頭からつま先まで品定めでもするみたくねめつけるように視線を這わすと、
「四日間は好きにしな。ただし――もちろんただでは泊まらせないからね、こっちだって商売でやってるんだから。私がアンタを着替えさせてやったけど……アンタ金持ってないでしょ? だから、この宿屋の手伝いしてもらうから。わかったね?」
「は、はい……」
半ば強引にことを押し込まれてしまった。なんとエネルギーに溢れる人なんだ。
《イナガ》みたいな色した服はさっさと引き取っていくように、と俺がもともと着ていた服を指さして、早足にずかずか去っていってしまった。ちなみにキュットに聞いたところ《イナガ》とは細長くて黒い光沢のある魚のことらしい。ウナギのようなものだろうか。
「ん? そういえば着替え……って」
そこで俺はようやく自分の服装に意識が向いた。ところどころ使い古したような感じの汚れや、ほつれのある白い、前をボタンで留めるシャツに、ご丁寧に茶色いベルトまでしてある黒いズボンという装いで、上下友にどうしてかやたらと丈夫な生地だった。靴は履いておらず、どうやらこの宿屋は土足厳禁らしい。西洋風かと思えば、ここは日本の慣習みたいものを採用しているのか。
ちなみに俺が川に水没した際に着用していて水浸しになってしまった元の服は、黒い半袖Tシャツにジーパンだった。自分で言うのもなんだがなんとも地味な組み合わせだな。
「ごめんなさい……お母さん口が悪くって……。でも、けしてヤストさんが嫌いとかじゃないの。ただ……私のことを心配して……」
まあ、まったく見知らぬ男が来たら普通に警戒するだろうし。あの母親の対応は別に気に触ったりはしていない。
「いや、大丈夫。俺は気にしてない」
さて、気を取り直して昼食をいただく運びになり、食卓に出された温かみのある木製の器に入っている温かい野菜のスープにパンを食べた。スプーンを出されたときは、見慣れたものを確認出来て謎の安心感に包まれた。もし、電話の受話器の形をもした食器などを渡された暁には、俺は動揺を隠せないところだっただろう。味としては……別にマズイということはないが……なんというか……素材の味が強い、といった印象だ。
「ヤストさん……さきほどお母さんと話しているとき、記憶が……」
もじもじと人差し指をつんつんさせ聞きづらそうにしながらも、上目遣いで俺の瞳を見つめてくるキュット。
「ああそうなんだ。思い出そうとしたんだけど……」
俺が眉根をよせつつ、眉間に手を当てもう一度しっかり何があったのかを考えてみる。が、俺の脳は電池の切れたリモコンのように全くといっていいほど反応してくれない。
「無理しないでください。ゆっくりでいいんですよ」
キュットの白くて暖かい手が、俺の右手をそっと取って包みこむ。
「あ、ああ……」
キュットから一歩下がりながら、俺は曖昧な感じに返事をした。
というのもキュットは俺の身を案じて親切からの発言かもしれないが、俺にはここに残り四日しかいられないという制限――タイムリミットが存在しているのだ。もし、何もわからないまま宿屋を追い出され、この見知らぬ土地へと放りだされたら――。最悪の事態を想像すると悠長なことは言っていられない。
――やはり……もう一度あの建物へ行くしかないか。
俺がこの世界で目覚めた場所。あのプレハブ小屋のような、過去何度と通った建物。あの時どういうわけか意識がはっきりしておらず、ただ目の前のことを片付けるだけしか考えていなかった。その結果『魔物』とやらに出会い、命の危機に瀕してしまった。そういえばあの時身体が動かしづらかったが……今はもう問題ないようだな。
「私、これから食料と、注文しておいた新しいナイフ二本を受け取りに街へと行くんですけど……ヤストさんはどうします? もう少し寝てますか? 別にお母さんの言うことは真に受けなくていいんですよ」
「いや……よかったら俺も一緒に連れていってくれないか。街も見学してみたいし……それに、せいぜい荷物持ちぐらいだけど手伝うよ。やっぱり何もしないって訳にはいかないしな」
するとキュットは嬉しそうに自分の両手をすりすり擦り合わせたと思うと、「ちょっと待っていてくださいね」とどこかに去っていった。手持ち無沙汰になった俺は、食事の際に座っていた椅子に再び腰掛ける。
すぐさま戻ってきたキュットの手には、映画の西部劇でカウボーイが使用していそうなカウボーイブーツそっくりの見た目――つま先は尖っていて、足首はかなりのハイカットな茶色いブーツが二足。デザインはシンプルで無地、どちらも細かい傷や汚れが側面やつま先部、とついておりおそらく随分履きこまれているだろうことを想像させる。
「どちらの大きさが合うでしょうか……」
両方の靴をしっかり試し履きし、一応は自分に合っているサイズのものはあったのだが……これ、つま先が結構窮屈だな……。
「ヤストさん、その場で跳ねてみてください。靴があっていたら脱げないはずですので……」
と、キュット自らがジャンプして提案を体現しながら俺に理由を説明してくれるのだが……一体何が詰め込まれているのか、大層ふくよかなお胸をされているので、とにかく揺れる揺れる。
俺は視線を近くの棚に逸らしながら、言われた通り体育の準備運動のように軽く飛び跳ねてみた。結果、脱げることなく足へとしっかりフィットしてるようだが……ヒールが少し高い上、内側が堅くなっているので、慣れるにはしばらく時間を要しそうだ。
「キュット……俺が元々履いていた靴はないのか?」
「ありますよ。――でも、もしかしたらまだ乾いていないかもしれませんよ」
……こっちの方がいいな。
結局持ってきてもらったスポーツを取り扱う店で安売りしていたランニングシューズの方が履き慣れているし、こっちの方がいいかな。――しかもしっかりと乾いている。
かくして俺とキュットは街へと繰り出した。




