第二話 目覚めたら……
「……ぃ、ありがとうございます」
こ……え。
……声だ…………微かだが誰かの声が聞こえてくる……。
バサッ、俺は突然電流を流されたかのように、勢い良く上体を跳ね起こした。
それと同時に、木製のドアがわずかに軋む音と共に押し開かれ、誰かが部屋へと入ってくる。
「あっ……気付いたんですね!」
ぱたぱた、二メートルと離れてないだろうに、可愛らしく小走りで俺に近寄ってくる一人の女の子。
漆黒の艶やかな髪を肩ほどにまで伸ばしていて、下の方を赤いリボンでまとめていた。茶色いくりくりとしたつぶらな瞳が美しく輝き、それはまるで吸い込まれるかのような魅力を放っているかのように錯覚してしまうほどだった。実際俺は思わず一瞬見とれてしまう。整った顔立ちに綺麗な白い肌。背は少し低いものの、出るとこは出て引っ込むところはしっかり引っ込んでいたりとプロポーションも中々によく、もしこんな子が学校にいたら明らかにクラス中…
…いや学年中の男子の視線を一身に集めるだろうことは間違いないはずだ。白いワイシャツのような服に、黒いひらひらした裾に白い刺繍が施されたロングスカート。そしてシャツの上からは茶色いエプロンを着用していた。
そんな女の子が、ほっとしたような穏やかな笑みを浮かべながら俺の眼前まで接近してくると、まじまじ俺の顔を覗きこんでくる。さらさらとした黒髪が、窓から注がれる太陽光を反射させる。
「まだ……どこか痛みますか?」
痛む? その一言で俺は自分の頭に包帯のように白い布が巻かれていることに気付く。言われると確かにじんじんとした痛みがあるのを自覚してくるものの、耐えられない激痛をもたらす程ではなかったので、俺は首を横に振る。
「それより……ここは……」
目覚めたのは白くて、文句付けるわけではないがちょっと堅めのベッドの上だった。部屋はそんなに広くなく――一人部屋といったところだろうか。ベッド以外には四角い窓、それと茶色い正方形の……箱? と三角形の物体が無造作に部屋に配置されているだけだ。
「ここは城下町にある宿屋の一つ《コーション》です」
「宿屋?」
そうですよ、と優しく微笑む女の子。
宿屋とは……随分とRPGみたいな呼称を使うんだな。よくわからないが、これがいわゆる《中二病》というやつなのだろうか……。
「それで……なんですけど」
女の子は、なんだか聞きづらそうに長い睫毛を伏せながらそう前置きして。
「どうして川で溺れていたんでしょうか?」
そうか。俺、得体のしれない変な生き物に襲われて、そのまま川に落ちたんだ……。
「君が助けてくれたのか?」
こくりと小さい動作で頷く女の子。ひとまず俺は助けてもらった礼と、この場に至るまでの俺の身に起きた世にも奇妙な出来事をありのまま女の子に伝えた。目覚めたら周りが森になっていたこと、何か状況を察するための手がかりがないかと水の音がする方向へ歩いていたら、一度たりとも会ったことも見たこともない《何か》と遭遇して、なおかつ襲われたこと。それから逃走していたら低い崖から落下して、おそらく頭を強く打ったことが原因だろう、意識を失ってしまったこと。
俺としてはもちろんふざけているつもりなど一かけらもなく、至極真剣に同い年くらいの命の恩人へ伝え聞かせたはずだ……実際、彼女は最後まで真面目な顔で相槌を打ちつつ耳を傾けてくれていた。だが、俺が全てを話し終え一息ついていると、
「うっ……ふふふ! すごいお話ですね!」
彼女のツボにでもはまったのか、どうしてだか不本意にも笑われてしまった。どうやら俺が彼女を楽しませるために口走った、一種の冗談として捉えられてしまっているらしい。ひとしきり満足するまで彼女は笑みを浮かべてから、俺にたずねてくる。
「はあー、ええと……お名前は……」
「ああ……。俺の名前は相反ヤスト。さっきの話は本当なんだけどな……」
と俺が少し眉をたらした困り顔で答えると、穢れの知らないような綺麗な双眸にわずかな困惑の色を宿しつつ、
「ええと……シ……ヨウ、ハ、ヤスト? 初めて聞くような名前です……。私はコーション・キュットといいます」
コーション・キュット? とても流暢に日本語を使いこなしているし、風貌も日本人といった感じだが……。もしかしたら外国生まれとかなのかもしれない。
「それではシ、ヨウ、ハ……さん」
俺の名字を呼びにくそうに変な感じに区切りながら言う彼女を片手で制すると、ヤストでいいよと伝えてやる。
「――わかりました。でしたら私のことは気軽にキュットと呼んでください。では聞きますけど……」
ちょっと改まるように自分の服やエプロンを軽く伸ばして皺を整えたキュット。再び俺へと向き直ると、
「それではヤストさん。今度はちゃんと教えてくださいね、どうして川なんかに……?」
「別にふざけているわけではないんだ。確かにちょっと信じられない話かもしれないけど……さっきも言ったとおり――これは本当なんだ」
キュットは首をゆっくり横に振って、俺に否定の意志を示す。
「……そんなのありえません。あの森には魔法を扱える『魔物』がたくさん出るんですよ。特にここ十年以上あの森に入って、誰か戻ったという人はいないのですから…………」
表情をわずかに曇らせ、伏し目がちに暗いトーンでそう告げる彼女。
それにしても『魔物』――か。さきほど《中二病》では? と多少の疑いを抱いてしまったが、もしかしたら彼女の言葉は一切妄言、妄想の類は含まれていないのかもしれない。――なぜなら、この眼でしかとその『魔物』と思しき人外の生命体としっかりエンカウントしてしまったのだから。
気まずい沈黙が部屋を包む。もしかしたら彼女の知り合いが過去、森へ姿を消したまま帰らぬ身となってしまったなんて出来事があったのかもしれない。俺は何となくバツの悪い感じに小さな木の両扉が外へと押し開けられ、陽光差し込む窓へと視線を逸らす。
「………………っ!!」
そこで俺は思わず驚愕してしまった。急いで立ち上がると窓のすぐ側まで勢い良く飛びつく。そこから身を乗り出して、一心不乱に外の景色を眺める。
よく整備した石畳の道を通る馬車。洋風建築が立ち並ぶ中に、時々混じる和風建築という謎の和洋折衷をしている、基本的には背の低い建物の街並み。歩く人々の一見コスプレかという考えが浮かんだものの、しっかり馴染んでいて次第に違和感が消滅していく服装。
まるで、中世ヨーロッパをイメージして製作されたRPGの街のようだ。何より一番俺の眼を引いたのが、街の中央に存在するやけに背の高く幅もある建物――洋風の城。
顔からさっ、と血の気が引いていくのがわかる。俺はよろよろと交代すると、そのままベッドにへたり込んだ。
「大丈夫ですか?」
心配してくれるキュットが俺の近くによって背中をさすってくれる。しかし、そんなキュットに俺は感謝の一つも述べる余裕もなく、ただ愕然としていた。
「――――な、なあキュット……変なことを一つ、質問してみてもいいか?」
「は、はい。なんでしょうか」
俺は彼女の両肩を掴むと、顔を詰め寄る。そうして窓の外を指差しながら、
「ここは……日本……だよな?」
「ニ……ホン?」
嘘だ……冗談はやめてくれ。どうしてそんな不思議そうな、理解に苦しむ反応をするんだ……。素直に「当たり前だろう!」と断言してくれよ……。
「まだ混乱しているのですね……。もう少し寝ていてくださいヤストさん」
彼女は俺の両手に自分の手を添えてすりすりとさすったかと思うと、そっと俺をベッドへと押しやる。俺は抵抗する気力もないまま、大人しく重力に従ってベッドに倒れこんだ。
「…………キュット。今はいつだ? 西暦何年だ?」
「セイ……レキ? すみません、その言葉はどのような意味でしょうか?」
――悪い夢を見ているのだと思った。
その後、キュットにもう一度眠ると告げて部屋から立ち去ってもらい、一眠りしたものの世界に特筆して変化は生じていない。この事実が示すところはつまり――残酷にもこれは現実――ということだ。




