第二十三話 子供
「はあ、はあ、はあ……やった…………やったぞ……やった!」
クレイスは氷付けなっていた。ほぼ全身が凍り付いており、それはもはや顔以外は全く駆動することが不可能なレベルであった。しかもその辛うじて動く顔ですら、半分凍結されている。
クレイスのフェーズ2魔法を無効化するために抜刀していた剣を鞘へ納めると、俺は安心からか少しふらついた膝を手で叩いて活を入れると、慎重にクレイスに近づいていく。
建物に足を踏み入れると、瓦礫に足元を掬われないよう注意を払いつつ近づいていく。
――その時だ! 咄嗟に何かの気配を感じた俺は、ばっ、と小さな部屋の角へ体を向ける。
なんとそこには、姉妹だろうか……二人の小さな女の子がお互いに身を寄せ合って歯をカタカタとならしながら、隅へ固まっていた。
俺は街の住民がいないのを、てっきり全員避難したからだと思い込んでいた。……いや、実際それは的中していたのだろう。
だが、俺はそれを勝手にこの場から遠くへと離脱した、と――――そう思い込んでいた。しかし、充分にありえることじゃないか……遠くじゃなくて自宅に逃げ込むなんてことくらい。
ぴしっ……ぴしぴし……。
!! 強烈な不吉を伝達する音声が俺へと伝わってくる。
まじかよ…………いくらなんでも早すぎだろ……。
氷付けになっているクレイスへ視線を戻すと、クレイスをしっかりと封じ込めたはずの氷塊に……ヒビ、亀裂がすでにいくつも入っている。
逃がすかよ!
もう残り数メートルもない。あと数歩で俺はヤツを切り殺せるのだ。このチャンスをみすみす見逃するわけにいくものか。指を鞘の右スイッチ上へと置くと、姿勢を低くしていっきに距離を詰め寄る……が……。
パーンッ、という氷が砕ける破裂音が室内に鳴り響くと同時に、大量の氷の破片が周囲へまきびしのように無数にばら撒かれていった。
「ウガアアアアアア!」
そんな…………いや、まだだ!
もはや眼と鼻の先、ここで決めれば……。
しかし、俺は足をあと一歩踏み出せば勝利、という事実が焦りへと繋がったのが原因か、先ほど床に転がったが凍りの破片に注意及ばず、思いっきり少し大きめな破片を踏んでしまう。
そのまま、つるつるっと滑ってバランスを崩してしまった俺は、泥酔者のように足元おぼつなかいといった感じによろけてしまう。しかも近くの壁へとどうにか手をつき体勢を安定させようとしたのだが、その拍子に左手から剣をこぼしてしまうという何たる重大な失態を犯してしまった。
目の前が敵の影で暗くなる。
虚しい気持ちで地面へ自由落下していく剣を見つめる中、クレイスののそりとした歩行音だけが耳へと入ってくる。
終わり……かよ…………? それもこんなまぬけな失敗で……。
ぎゅっと、俺は固く目を瞑る。
……………………。
あれ……?
おそるおそるゆっくりと眼を開いていく。しかし、予想外なことに眼前にいたはずのクレイスの姿がなかった。
「グルルルルゥゥ……」
アイツ!
隅で怯えている女の子達へとターゲットを変更したらしく、歩み寄っていくクレイスの背中がそこにはあった。確かに賢くなったが、やはりクレイスは本能で動いている部分もまだ残っているのかもしれない。でないと、ここで俺にとどめを刺さない理由がわからない。
とにかく何がアイツの琴線に触れたかわからないが、他の人間へ興味が移ったということだけは揺らぎない事実である。
俺はガレキの上に落ちている『剣』を拾い上げると、すかさずクレイスの足に狙いを定めた――が、その瞬間俺はクレイスのモーションに気付いてしまった。子供二人を殴ろうとしている。
そして気付いてしまったが最後、足を切断するよりも助けることを自分でも無意識の内に優先していた俺は、気が付いた時には女の子と魔物の間に割って入っていた。間髪入れず叩き込まれる拳を鞘で受け止める。
先ほど受け止めた際には植木に突っ込めたおかげで、クッション代わりとなってくれてダメージを和らげることが運よくできた。しかし、今度は運は味方しなかったらしく、背中から体が部屋の石壁にめり込んだ。しかもそこで止まることなく、壁をぶちやぶって噴水広場を横切るように吹き飛ばされていき、反対にある別の民家の壁に激突してようやく俺は止まる。
「かはっ……」
肺から酸素がいっきに持っていかれる感覚が、着地衝撃時に襲いかかる。口から乾いた空気が漏れ出し、背中に全体に焼けるように猛烈な激痛が走る。そのせいで、一瞬意識を持っていかれそうになったものの、なんとか根性でかろうじて耐えきることができた分、ある意味まだ運があった表現出来なくもないかもしれない。
起き上がろうとするが、俺の意思をまるで脳が体へと伝達するのを拒んでいるかのようにまったく力が入らない。ただ、痛覚だけは正常に働いているので、体全身――特に背面部分が痛いという感覚だけはしっかり伝達されてくる。
突然、ひゅっ、と俺の目の前を弧を描くように何か鳥のような黒い影が飛び去っていく。どうにか首を重力に合わせてごろんと傾げさせると…………キュット!
なんてことだ。彼女はそこらへんにある瓦礫を拾い上げると、クレイスに投げつけているではないか。
「や、や、やめ……」
やめろ、キュット!
たった一言、すぐにでも腹の底から叫びだしたかったのだが、かすれた声が漏れるだけで、まるで自分の肉体ではないんじゃないかと疑問すら生まれる程まったく思い通りにいかない。
クレイスは相変わらずの跳躍力で数メートルの差を一跳びにていっきに詰め寄ると、キュットの目と鼻の先に軽い着地音と共に降り立つ。
まずい。キュットは棒立ちのままで、すぐに反応できずにいる。そこへ、両手を組んだクレイスが低く唸りながら腕を上げて振りかぶるモーションをとった。
そこから瞳に映るものがスローモーションのように感じられた。ゆっくりとゆっくりとまるで焦らそうと意図しているみたくキュットの頭上に振り上げられていく橙色の腕。キュットは先ほどの死を確信した俺同様に、目を瞑ってしまう。
……なんだ…………なんだこれ?
また俺は目の前で、身近な人が死ぬのを眺めているだけなのかよ……。
――――いや…………ふざけんな!
その瞬間、不思議現象が俺の身に訪れた。手の指の先から足のつま先に至るまで、全身石にでもなってしまったかのように、まったく駆動できないと思っていた俺の体。
しかし、気づけば自然と俺の左腕が動き出したのだ。
殺させて…………たまるか!
「ア……イス、ワン」
『Battery 5%』
俺の意志を察知したかのように掠れた声にもしっかり反応した籠手は俺の手のひらから魔方陣を生み出していく。そのまま放たれていった氷結魔法は、まるで見えざる何かに導かれているのか、吸い込まれるようクレイスの顔面に直撃した。その影響でわずかに前方へとつんのめったクレイスの身体が、右方向に引っ張られていくように捻られて、その両腕がキュットの脇の本当にすれすれを掠めていった。
「はっ……はは……はははっ………………」
ざまあみろってんだよ…………。
「ヤストさん!」
馬鹿! こっちに来るなキュット。せっかく助かったんだってのに――――そのまま逃げないでどうするんだ。
「しっかりしてください、ヤストさん」
「キュット……」
だが心の思いが通じるわけもなく、彼女は躊躇なく俺の元へ駆け寄ってくると、俺の背中に手を回しすと無理やり上半身を起こし上げられる。途端に鋭い痛みが襲いかかってくるものの、何とか歯を食いしばっていてこらえる。その間にも、キュットは俺の腕を掴みあげるとそのまま自分の肩に回して、強引に俺は立ち上がらせる。
「逃げましょう!」
そう言うや、俺の返事をまったく待つつもりなどないらしく、力強く俺を引っ張りながら歩き始めた、だが。
「グルルルルアアアアアアアアアアアァァァァァ!」
今日一番のものすがくけたたましい咆哮をがなり立てたクレイス。今日という一日……いや、半日で、俺はいったい何回ほどやつを怒らせてしまったのだろうか。
キュットは俺の顔を胸元へ抱き寄せると、盾代わりにでもするつもりか自分の背中をくるりと相手に向けて俺を庇おうとする。その小さな背中を、俺は例え吹き飛ばされても今度は二度と落とさないと、今でも決して掴んで離していなかった『銀の剣』でさらに守ろうとした。
「ガアアアアッッッ…………」
!!
突然、ヤツは威嚇とも怒っているともとれない、奇妙な声を発する。
それと同時にクレイスは、変な格好で右足をくの字に折り曲げたかと思うと、そのまま関節が切られてしまったみたいに力なく地面に肩膝をついてしまった。
さらに、そこで俺に畳み掛けるように重ねて驚きの事態が発生する。なんとクレイスは俺達の立っている方角から一切関係のない明後日なところへ首をぐるん動かしてしまったのだ。
一体どうなってる…………? クレイスの目線を追うように俺も顔を向けた。
「わっはははははは! やっぱりしっかり当たるではないか! あの時はちょぉぉっとだけ、油断してしまった…………というわけか」
クレイスの目線の先、そこにはシパーソンが《F332―ZR》を片手に悠然と立っていた。
「グガアアアア」
「ええい、うるさい声で鳴きおって…………毎度毎度、があああ! ぐがああああ! と……貴様はいびきみたいな声しか出せんのか?」
撃たれたクレイスだったが無理矢理に、力技で立ち上がろうとする。
すかさずシパーソンは両手でしっかりと構えると、一発目の着弾地点とほぼ同じ箇所へF332―ZRが放たれた。光線は一直線に宙を飛翔すると、クレイスの足首付近に小さく綺麗な穴を穿つ。
この一連の攻撃で、もはやクレイスはシパーソンへと完全にターゲットを変更したらしく、俺たちの存在を無視して左の手のひらをかざす。色々な幾何学模様をごちゃ混ぜに詰め込んだような見事な真円――魔方陣が生まれると、それはだんだん大きくなっていく。そしてそれと並行するよう、魔方陣の中心に小さな光が生み出されていったのだが……急速に光が消えていった。同時にクレイスの左腕先が変な方向に曲がっている。悠長に光弾が飛来するのをもちろん許すわけのないシパーソンが、再び引き金を引いたのだ。
「ガアアアアアアァァァァァ!」
クレイスは左手がダメになると、立て直すように今度は右手を上げた。すると、手のひらの先に魔方陣が瞬時に出現した。俺とは違って、別に右左関係ないらしい。だが、対するシパーソンはすでに三発撃ってしまっている。エネルギー切れ――残段ゼロだ。
「――――――――――おい」
「グルアァァァッ!」
俺に鞘で左頬をつんつん小突かれたクレイスは、首を九十度回転させた。俺とクレイスの目線が交差する。
「よそ見すんな」
正真正銘、文字通り俺に残された全ての気力を振り絞って抜き放たれた銀の閃光が、宙で幻想的に煌きを四方に放った。
クレイスの首に一筋の斜めの剣線が通る。そのままその細い線を始点としながら、次第に首と胴体がずれていく。やがて、どさり、と乾いたような音と共に、首が地面へと落下する。
……………………おわっ…………た?
ふっ、と――――気が緩んだ俺はそのまま意識を失った。




