第十六話 文化
十数分かそこいら歩いたところで、遠目に街を望むことが出来た。どうやら俺達は本当に無事生還を果たしたのだという実感がようやく俺の中に生まれ始めてくる。
街の出入り口である門の目と鼻の先までやってきた時、わずかながらに俺は警戒したものの、門番に制止させられというような事態は起こらず堂々と中に戻ることを達成。
まあ、これが本来の姿のはずなので喜ぶような事柄でもないんだが……まあ、杞憂で済んでよかったよ。
何せあんまりにも前回はしつこくストップをかけられた……なんてことがあったので、門を二人揃って通過できた瞬間にはちょっとした感動が胸に込み上げてきたくらいだ。
「ただいま! お母さん……」
キュットはなんだか恥ずかしそうに照れつつも、それでもやっぱり嬉しさの方が増さるようで、はにかみながらも宿屋の床を掃除をしていたカペさんに開口一番そう告げた。
カペさんは、まるで幽霊でも目撃してしまったかのように目を丸くする。そりゃあ一度入ったら、誰も戻ってこない……なんて森からひょっこり娘が帰宅してきたのだ、カペさんのこの驚愕の反応はたいそう当然の結果であろうさ。
「…………キュット。それに……ヤスト。本当にアンタ達なのかい?」
「もちろんだよお母さん!」
母と娘はお互いに抱き合う。まるで何かの映画のワンシーンを切り取ったかのような、母娘の感動的な光景だな…………なんてことを、こんな時にもよらずぼんやり考えてしまうのは、やっぱりゲームの中のような世界観ということがきっと大いに関係しているのだろうよ。
「ヤスト。キュットを助けてくれてありがとね」
目の前にすっと差し出された右手を俺も握り返す。堅く握手を交わした俺とカペさんは、やがてどちらともなく手を離すと、俺とキュットの二人をあらためてまじまじ見比べるようにしてゆっくり眺めた。
「あーあーアンタ達、二人してそんなにどろどろに汚れてきて……。さっさと風呂に入ってきな。服は洗濯しといてあげるから……」
「風呂?」
俺の疑問にすかさずキュットが答えをくれる。
「そうですよ。街に何箇所もお風呂があって……ええと、温かい水に浸かるんですけど……」
いや、それは知っている。……そうではなく、この世界にも風呂というものが存在する上、それに浸かるという習慣がある――ということに対して驚いているのだ。
「聞いた話ですけど、昔の王が大層な綺麗好きだったみたいで、国民が汚いことを無視していることが出来なかったそうです。それでついに我慢ならなくなった王が命じて、国民が自由にいつでも使える風呂をたくさん作ったそうです。まあ、無理矢理にでも入らせたそうですけど……」
なるほどな。この世界にも脈々と続く歴史あり……ってところか。
案内された風呂と呼ばれるものは、俺の思い描くような風呂のイメージとさほど隔たりはなく、ただどこかの宿にでもあるような露天風呂みたいな作りになっていた。
江戸時代の風呂は確か混浴だったらしい……という俺にとっては雑学的なジャンルに分類される知識をいつか俺はテレビか何かで見た。
だが、ここは男女しっかりと入るスペースが別れていて、なおかつ男湯の方には偶然にも誰もいなかったので、俺としては他人に気を遣わずにすんで、正直めちゃくちゃくつろぐことができた。疲れきった体に染み渡るな……特に右腕は重点的に温めておこう。それにしても、ここにあるお湯は一体どこから引っ張ってきているのだろうかね。うーんまあ、そんなこと些末な問題か……どうでもいいや……。
その後風呂上りに入口で合流したキュットは、濡れた髪の毛がしっとりと肌に張り付いていて、ほんのり頬が上気していた。そこで風呂に行ったついでだと俺はキュットに連れられ変な場所にある店に案内される。
そこで俺にとってどうにも見覚えがないこともないような棒をキュットが購入すると、これは俺のだと渡された。
宿屋に戻った俺達は、カペさんが用意してくれていた久しぶりの食事にありつく。こんなに上手いもの今まで食ったことがないというぐらい、それこそ涙が出るくらいにという表現が似つかわしいほど美味しかったと思えるくらいで、空腹は最高のスパイス、という言葉を一番最初に考えたやつはまったく言いえて妙だと感心するにまで、俺の思考は羽ばたいたのだった。
「やっぱりこれ、歯ブラシだったのか……」
食後、ここで先ほど買った棒の正体が無事明かされる運びになったのだが、それは予想通りというか案の定というか、歯を磨き汚れを落とすのに使用するとのことだ。
「まずこれを毛先につけます」
と、キュットは何やら怪しげな粉をちょっと指で摘んでから、黒い毛の歯ブラシの上にそっと乗せた。
この粉大丈夫かよ……体内に取り込んだら愉快な気分になったりしないだろうな……と若干疑心暗鬼に捕らわれながら、まあそんなものをキュットが俺に渡すわけないと思うので、素直に指先へとつけてちょっぴりなめてみた。
「ゲッホ、ゴッホ…………ゴホッ……」
「だ、大丈夫ですかヤストさん!」
うおっ……しょっぱぁ……! これ塩か! 塩なんか塗って歯磨くか普通? いやでも……以前歯磨き粉を買いにいったとき、確か塩が混ざっているとかなんとかと手書きのPOPに記述されていた商品が置いてあった覚えがある。
「こう……歯を擦って、汚れを落とすんです。これも風呂を強制したのと同様の王が広めたらしいですよ。特に昔は風呂と歯を磨くのは法律で義務付けられていたとか」
俺はさっそく歯を磨こうとしたのだが……硬ったいなぁこれ。やたら硬い毛だ。俺がかつて使っていたものとだいぶ勝手が違い、歯がぼろぼろになるんじゃないかと内心危惧しつつも手を動かし、どうにか一定の要領を得るところまでの領域に達することが出来た。
「どうして塩をつけるんだ?」
「塩? それが何かは分かりませんが、これは《ナドラル》の実を細かく砕いて、水で濾した後に熱したら出来るんですよ」
ああ、なるほど。俺が知らない、それか知っているけどこの世界独特の呼び名が付けられた植物が原材料ってパターンね。
……それにしてもしょっぱいな。ゆすいだがまだ口の中がしょっぱい気がするぞ。
その後、だいぶ日も暮れオレンジへと空色が変化していく頃に現在の仮の部屋に舞い戻った俺は、キュットがのど渇いているだろうと気を利かせて運んできてくれた水を、彼女が足を躓いてしまったせいで頭からぶっかけられたにも関わらず、あまりに疲れていたせいで適当に拭いただけでそのままベッドに直行。四肢を放り投げるやすぐさまぐっすり、それはもう深い、深い眠りについたのである。
――――――――――
「シパーソン様。お伝えしたいことが……」
自宅の個人専用風呂に浸かっていい気分になっていたシパーソンの下に、一人の配下の男が現れる。シパーソンは貴重な一人の癒し時間を妨害されたことに少し不満を抱きつつも、もし大事なことだったらどうしよう思い「なんだ?」と偉そうな口調で問いかける。
「本日報告があったのですが……男とコーション・キュットが街へと戻ってきているという情報を得ました」
「なぁ……なぁぁぁぁぁぁにぃぃぃぃぃ!」
多くの水を跳ね除け、ものすごい勢いで全裸のシパーソンは立ち上がる。
「そ、そうか…………コーション君は無事だったか……よかった…………じゃなああああああぁぁい! なんだと。なぜあの男まで無事なのだぁ!」
そうして、体中をそれはもう悔しそうにぷるぷると打ち震わせいたシパーソンだったが、ぴたり、と突然その振動は、何か機械の電源をオフにでもしたかのように静止した。そして……
「…………ふ、ふふっ、あっははははははは! わかったぁ、わかったぞぉ!」
自分の思いつきに興奮隠さずといったパーソンは、高らかに笑い出すと、そんなシパーソンのすぐ側にいるにも関わらずいっさい眉一つ動かさない配下の男に向かって指をさすと、
「紙とペンを用意するのだ!」
「かしこまりました」
シパーソンはどさりと腰を落ち着け再び肩まで湯につかると、片手で自分の頭を抱える。
(……ふふふ、我ながらなんという恐ろしいひらめきだ。自分の発想と、その素晴らしいひらめき生み出すことが出来る自分の才能に溢れまくっているな、僕は……)
「ふふっ……あっははははぁぁ!」
再び屋敷の使用人全員に丸聞こえするんじゃないか、というくらいに大きく高笑いをかまして、誰かと会話しているわけでもないのに無駄に自慢げにするのであった。




