第十一話 逃走
おかしい。
もういつ襲い掛かられてもいいはずなのに、いっこうに何かが起こる気配がない。一度俺は幕を閉じると、中にいるキュットへ手招きして自分の隣につかせる。
それから心を落ち着かせるように深呼吸をすると、俺は再び幕をめくって外を拝んでみた。
「キリリリィィィ……」
やはりいる。確かにいる。後方にいた二匹はいつの間にやらその姿を消しているが、残りの二匹はしつこく、かつしっかりこちらをその目……らしき部位で見据えている。だが、どういうことだろうか、一メートル半程の距離をどういうことか詰めてこないのだ。まるで透明なバリアーでも張ってあるみたいに。
それから俺とやつらの睨めっこがしばらく続くが、やはりやつらは横には移動するが縦にはどうしても移動しようとしなかった。
これは……いったい……?
俺は隣にいる、俺と同じく不思議そう魔物の挙動を監視しているキュットに聞いてみた。
「あいつら……あのカマキリとクモの遺伝子を混ぜた合成獣みたいなやつ。名前でも何でもいい、知っていることはないか……?」
「は、はい……。あれは《カラド》という魔物……だと思います。基本数匹で群れをなして行動して、氷の魔法を駆使して獲物を狩る……と宿に泊まった人から聞いたことがあります。本でも見たことあります」
俺はちょっと意外に思った。この世界の住人も魔法のことを認識し、理解していることだ。
「どういう理屈であいつらは近づいてこないんだと思う?」
「? どういうことでしょう……」
キュットもこれにはお手上げらしく、素直に首を捻る。
「……まあとにかく、襲ってこないに越したことはないな。しばらくここで様子を見よう」
できればこのまま諦めてくれれば行幸だが……。
「きゃっ! 痛たた……」
キュットの声につられて彼女を見やると、腰付近を手でさすっていた。どうやら立ち上がろうとして転んだらしい。足が痺れたのだろうか?
再び俺は魔物の監視に戻ろうとした…………だが。
いない…………?
予想外の事態が発生した。周囲をすばやく警戒する。だが、やはり影も形もないし、やつら――カラドとか言ったか、あいつらの気味の悪い叫びだか威嚇だかの鳴き声もいつの間にやら止んでいる。
第一に、俺は罠の可能性を考慮する。もし、カラドが俺たちを油断させて、出てきたところを狙おうとしているとしたら?
だが、疑問が生まれる。
どうしてそんなまどろっこしいことをするんだ。すぐにでも襲えばいいのに。
! そこで俺は、ある可能性を閃いた。
……もしかしたら、この馬車の外装にカラドの苦手な何か……物だったり、匂いだったりが付着しているのか?
すんすんと犬のように荷台内の匂いを嗅ぐ、が、特にこれといった特長がある芳香は感じ取ることが出来ない。
「キュット、何か変な匂いとか、するか……?」
「におい……ですか……」
キュットも俺同様に鼻をひくひくとさせるが、これといって気になる点はなかったらしい。それから、はっと何かに気付いてしまったかのような表情をすると、どういうわけか自分の匂いを嗅ぎ始めた。そうして、頬を少し赤く染めると、
「もしかして私……汗臭かったですか……」
「えっ! い、いや…………」
一日キュットと暮らしてわかったが、キュットから一度たりとも爽やかな花の香りみたいないい匂い以外が漂った例はない。
俺が否定すると、ほっと胸を撫で下ろしたキュット。
その後、俺はどうしてこんなことを口にしたかという意図を伝えた、キュットは顎に手を当て目を瞑る。それからしばらくすると、あっ! と急に声を出した。
「もしかして……ですけど、灯りのおかげ……ということはないでしょうか?」
「灯り、か。確かに俺もその可能性は……」
いや……待てよ。俺はもしかすると今まで勘違いをしていたんじゃ……。
カラドは俺とキュット、二人まとめて襲うために俺のここまでの道中襲い掛かってこなかったと……そう考えていた。いや、実際その理由も含まれているのかもしれない。だがもしかすると、灯りが苦手だったから――という理由だってあったんじゃないか……。
結構ありえるそこれ。そもそもよく考えてみろ俺。最初に俺が森の中で目覚めた時、外は朝だった。それも絶好の遠足日よりみたいな快晴。……にも関わらず、森全体が雨雲で一面覆われているように薄暗かった。つまりだ……この森に住むカラドは、光には不慣れなんじゃないだろうか……それも警戒して近づかない程度に。
まず、馬車を引く馬が狙われた。次に、灯りを持っていた馬車の操縦者だった男だ。
この森の中を徒歩ならまだしも、馬車であるなら灯りの存在が必要不可欠なはずだ。もちろん男も持っていたはずだ。しかし倒れていたところには落ちていなかった。
そこから推理するに、馬がやられたので男は提灯もどきを手に調べにいった。そこですぐに魔物を発見して慌てた男は、荷台部分に提灯もどきをかけて代わりに剣を握ったのだ。
だが、その後きっと光からわずかでも離れすぎたんだ。そのせいで魔法を足元に食らってしまい、動きが鈍くなってしまったその隙に……。
もしこの仮説が正しかったら、キュットがなぜ無事だったのかもわかる。男がたまたま荷台部に灯りを置いていってくれたからだ。
「どうだろうな……これ」
しかし、今のはあくまで全て俺の想像上のこと。もし光が苦手――と俺に誤解させるためのカラドの罠だったら? ……いや、そこまでいくと何もかも疑わしくなる。
くそ、早く決断しなくては。時間は無限ではないのだから。この瞬間だって、蝋燭の火は確実に燃えているのだ、いつ火が消えるかわからない……。
その時、俺の手に何かが触れる。
それは、キュットの手だった。すべすべして、暖かい手だ。キュットは俺のことを覗き込むような上目遣いで俺へ心配と不安が入り混じっているような目線を送ってくる。
……まあ……やるしかないか! 俺が迷っていては、キュットも不安にしてしまうしな。
「……キュット! 出発だ!」
「は……はい!」
結局進むしか選択肢がないのなら、答えは簡単じゃないか。そもそも昔からいつも俺はそうしてきただろ! なら今だってそうするだけだ。
「キュット、これを持つんだ。出来るだけ周りを照らすように持って」
「『コタン』ですね。わかりました」
今更になってだが、この提灯もどきの正式名称がわかったな。
さて……今カラドの気配は感じないが……。
俺はキュットにわかりやすいように指をさす。その示す先にはぼんやりとしたオレンジ色の光が木々の間からわずかに洩れでている。俺の置いてきたコタンだ。結果としてはあそこに放置してきて正解だった。俺がどこから来たか、方角がわかる。
俺を先頭に、周囲に耳をそばだてながら光の下へ向かうのだが……。
「待て!」
俺は小声でキュットを制する。
くそ……前にいるな……。都合よく待つのを諦めてくれた……わけじゃなかったようだ。
キュットもどうやら気付いたのだろう、はっ、と息を呑むが、健気にも悲鳴を上げないように口を押さえている。
「少し横に進んで様子をみよう」
それから進行方向を変えてカラドが追いかけてこないか試してみた。しかし、一定の間隔で俺達のちょうど行きたい方向を潰すように出現してくる。カラドはけっこう執念深いようだ。森には餌が不足しているかもしれない……まあ、それは俺が知る由はないが。
足元には木の根があって暗い夜道、その上二人組ということもあってそう進行速度が上げれない。
それでも馬車の姿も見えなくなってしばらくというくらいにまでくると、結局情勢は馬車の中にいた状態とさほど変わらない、膠着状態になってしまっていた。
――まずいな……これ以上歩くと、そろそろ方向感覚がわからなくなってしまう。いやもしかすると、馬車があった地点から右方向へと直進しているつもりだったが……実はルートが斜めに逸れていることだってありえる。
――だが、唯一良いことも判明した。カラド達は、俺たちにある程度の距離を保ったまま並行に着いてくるが、決して近づこうともしないし、どういうわけか魔法も発動しない。光が苦手という説は正しかったのだ。俺は生命線となったコタンをちらりと見る。
「ヤストさんどうしましょう……。まだいるみたいです……」
俺の腰辺りの服を摘みながら、低い腰できょろきょろと暗闇へと首を向けている。
「……今のところは何も。良いアイデアの一つくらい、すぐにぱっと浮かべばいいんだけどな……」
すると、俺の服にかかっていた圧力がふとなくなる。俺が振り向くと、そこには不安そうなキュットの姿はなく、どこか決意を固めたような表情をしていた。
「そ、それなら……ま、任せてください! ヤストさん…………」
そう宣言するや、今まで斜め後ろ辺りにいたのに、俺の前へと歩み出て自分の位置を変えてきたキュット。
「お、おい…………キュ、キュット?」
我ながらマヌケな声が出たが、今はまったく気にしていられない。
「カラドは光を嫌うみたいです。なので、私が先に走って追い払います。そしたらカラドの包囲が解けると思いますので、その隙に強行突破して先へ走ってください! 私もすぐに後を追いかけますので。では……!」
――待て!
すぐに彼女を静止させようと手を伸ばした。しかし、キュットはそれを聞く間もなく勢いよく駆け出していってしまう。俺の伸ばした腕が虚しく空を掴んだ。
すぐに後を追うべく、前方でゆらゆらと左右に大きく揺れるキュットの光を頼りに俺も駆け出す。意外にもキュットの足は速く、すぐさま彼女に追いつけない。
「きゃあっ…………!」
突如、短い悲鳴と共に目の前の光が失せてしまった。途端、周囲を完全な暗闇が覆い隠してしまう。
嘘だ…………!
心臓が跳ね上がる。まさかキュット……いや、でもどうして! 確かにコタンをその手に所持していたのに! 灯りには近づかなかったのは、やはりカラドの罠だったのか?
最悪の可能性が頭を過ぎりつつも、とにかく俺は慌てて光が消失した箇所に急行する。
「ううう……痛たたたぁ……!」
ある程度夜目が利くようになっている俺の両眼が、闇夜に紛れている彼女の姿を捉え瞬間、俺はほっと一息ついた。強張っていた頬の筋肉が弛緩する。
キュットは右腕をすりすりと擦りながら、その場に尻餅をついていた。どうやらカラドに集中させる意識の配分を多めにしていたせいで、地面の木の根に足が引っかかってしまったのだろう。俺はキュットの腕を掴むと引っ張り上げ、立たせてやる。
キュットは初め自分の身に何が起こったか、まるでわからないとばかりに茶色瞳をボールのように丸くしてぽかーんとしていたが、現在の光度でも判別出来るくらいに顔色をみるみると青ざめさせながら、両目をうるうると滲ませる。
「ご、ごごごごめんさなさいぃ! ヤストさぁん…………!」
何となくそうじゃないかな……と前々から予感めいた思いはあったが、それはおそらく間違いないだろうことをたった今、俺は確信した。
――彼女はドジっ子だ!
キリリリィィィ…………。
…………………………そう、だった……。
やばい、やばいぞ…………。来てる来てる来てる!




