アレ
「……で、あの後どうなったのよ」
いつものようにマジック・ジャンクに来て物色をしていると、アニマが急に話しかけてきた。
「え? ああ。セピアのことか?」
「セピア……名前、付けてあげたの?」
「まぁな。いちいち精霊って呼ぶのも面倒だし……なんだよ、その目は」
アニマはなぜか俺のことを攻めるような目つきで見ていた。
「……名前まで付けて、随分と御執心なのね」
「はぁ? 別にいいだろ……あれだろ。拾ってきた犬に名前付けるとか、そういうのだって。ま、アイツには基本的に家の留守番を任せることにするよ」
犬と同等の扱いをするのはさすがにセピアに酷いと思ったが、俺は思わずそう言ってしまった。それでもアニマはなぜか不機嫌そうだった。
「……まぁ、いいわ。名前で思い出したけど、丁度『アレ』が手に入ったのよ。あなたにも見せてあげるわ」
「……アレ?」
そういうとアニマは懐から小瓶を取り出した。そして、小瓶の蓋を開けると、そのまま机の上に中身を取り出す。
取り出した中身はなんだかよくわからないものだった。不定形で、いうなれば半固体かつ半液体の不思議な物体だった。
「……なんだこれ?」
「これじゃないわ。『アレ』よ」
「アレって……なんだよ。アレって」
「『アレ』は『アレ』以外の何物でもないわよ。何を言っているの?」
アニマはなぜか少し怒り気味に俺にそう言った。俺としてもアニマが何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「……えっと、これはどういう魔宝具なんだ?」
「簡単に言うと、そうねぇ……例えば、金塊だとするわ」
そういいながらアニマは「アレ」を指さしてそう言った。すると、おどろくべきことに「アレ」はあっという間に金塊そのものになったのだ。
「は……はぁ? な、なんだよこれ?」
「何って……金塊よ」
「違う! そうじゃなくて、今までなんかこう……ドロっとした液体のような感じのものだったじゃないか」
「ああ、『アレ』ね」
アニマがそう言った瞬間、金塊は瞬く間に先ほどの半液体状のものへと変化した。
「……戻った」
「ええ。『アレ』と言ったからよ」
「……つまり、これは、何にでも変化する物体なのか?」
「だから、これじゃないわ。『アレ』よ」
アニマは呆れ気味にそう言った。といっても、目の前の物体に対して俺は興味を惹かれた。
「……なぁ、これ……じゃなくて、『アレ』って何にでも変化できるのか?」
「ええ。アナタが名前を付けてやれば何にでも変化するわ」
「そうか……じゃあ、大金、とかでもいいのか?」
すると、目の前の『アレ』はあっという間に大量の金貨に早変わりした。俺は思わず声を失ってしまった。
「……なるほど。コイツは素晴らしいな」
「気に入ってくれたみたいね。ああ、でも、完璧な変化じゃないわよ。それに制限だった存在する……だから、あまり、これを考えなしに使おうとしないで――あら? タイラー?」
アニマが何かを言っていたような気がするが、俺には関係なかった。俺は大金を持ってそのまま賭場へと向かった。
その日、俺はいつもと違って気前よく賭けをすることができた。なにせ、大金はいくら使っても無くならなかったからである。
どうやら、大金と名付けた以上、あくまで「アレ」は大金の状態であろうとするために、無限に金として増え続けていたらしい。
よって、俺はその日、かなりの金額を設けることが出来た。
無論、儲けた金がどこまでが実際の金貨で、どこまでが元々「アレ」であったかはわからなかった。
俺はその儲けた金を袋に詰めてアニマに見せびらかすためにマジック・ジャンクに依ることにした。
「おい、アニマ。見ろ! すごい儲けたぞ!」
店の奥から出てきたアニマは特に驚いた顔をすることもなく、金貨が大量に入った袋を見た。
「へぇ、あの大量の金貨を元手したわけ?」
「ああ、そうさ。いやぁ、『アレ』のおかげだよ! はっはっは!」
「あ」
と、なぜか急にアニマが悲しそうな顔をした。
「ん? どうした? アニマ?」
「アナタ、今、『アレ』って……」
「え? ああ、『アレ』って言ったな。それがどうかしたか?」
その時だった。金貨の入った袋の中で何かがグニャグニャと動く気配があった。俺とアニマは顔を見合わせる。
俺は慌てて袋の口を開ける。すると、中からグニャリとした物体が出てきた。
「え……あれ? 金貨は?」
「……アナタ、今『アレ』って言ったわよね」
「え……あ……で、でも、金貨は確かに本物だったはずじゃ……」
「だから……最後まで話を聞きなさいな。『アレ』は完璧な変化をすることができないの。特に『アレ』と他の物体をごちゃ混ぜにした場合、間違って他の物体も自分の一部だと勘違いしちゃうのよ」
「……それってつまり?」
「つまり……この半液体半固体の物質は、本物の金貨も自分の一部だと思って、取り込んだままに、元の状態に戻っちゃったってわけね」
俺は唖然としてしまった。思わず俺は「アレ」を掴む。
「か、返せ! 俺の金貨を! そ、そうだ! お前は金貨だ! 金貨に戻れ!」
「あ」
アニマが声を漏らした後にはもう遅かった。「アレ」は今度は金貨に変化した。
たった一枚の金貨に。
「あ……金貨になった……えっと……大金に戻れってことだったんだけど……」
「あー……タイラー。言いにくいんだけれど、『アレ』は一度別のものに変化したら、それよりも前に変化したものには変化できないわ。残念だけど、もう大金に戻ることはできないわね」
「はぁ? な、なんだそりゃ……」
全身の力が抜けて、俺はそこに座り込んでしまった。
そして、ただ呆然として、今日の儲けとなった、一枚の金貨を見つめていたのだった。