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第 6話 病院

 広範囲に渡る感染拡大によって、大規模な被害を出す疫病というものは、人類の歴史上幾度と無く出現してきた。

黒死病、チフス、肺結核……。近年においてはSARSもあったか。いずれも多大な混乱と恐怖を引き起こし、しばしば人々は不安に苛まれる日々を強いられる。

今日において、人類が根絶に成功したとされる感染症は天然痘ただひとつだけであり、それ以外のものに対しては、未だ多くの医療機関とそれに属する優秀な専門家達が時間と労力を費やし続けている。

エボラ出血熱など、有効な治療手段の確立されていない恐るべき病も少なくない。


 蔵田春樹の懸念のひとつに、未知の感染症によるパンデミックという事態も勿論あった。


 しかし、人類の医療技術は日々その頂を高く伸ばし続けている。病理解剖を経て原因となる病原菌なりウイルスの発見。患者の分布から逆算を行い発生源の特定。モルモットを用いての臨床実験、ワクチン、または抗ウイルス薬の開発。

数知れない犠牲の上に成り立った対疫病のノウハウ。それがきちんと機能すれば、人類の絶滅など起こりうるはずも無い。


 どこぞの核ミサイルの誤射から始まる世界大戦の方が可能性としては高いとさえ思っていた。

朝起きて、ニュース番組を見るまでは。

画面の向こうでは、日本全国のあちらこちらで暴動が起きているらしい事が伝えられていた。

詳細な経緯はどれも不明で、日頃お茶の間を賑わせるコメンテーター達も困惑しているようだ。

専門家による見解の発表も無いまま、ニュースキャスターは用の無い外出は控えるようにと少々無責任にも思える注意事項を繰り返す。


 前日の葬式での異様な光景を目の当たりにしている2人は、暴動の内容はある程度予想出来ていた。

恐らく、死んだと思っていた人間が動き出して歩き回っているのだろう。

生きている人間に噛み付いたりしながら。


 テレビからのアドバイスに従うならば、家の中で大人しくしているべきなのかも知れない。

だが、春樹にはどうしても確かめなければならない事があった。

病院に行かなければならない。噛まれた遺族の人達はどうなったのだろうか。

確か、病院で怪我の具合を診てもらった後、軽症の2人は家に帰されたが、重傷を負ったあとの2人、肩口を噛みちぎられた男性と、とりわけひどい状態の娘の方はそのまま入院する事になったはずだ。

あの老人に触れた人間は自分を含め他にも多く居たが、血を流すほど深く接触した者、いや、『噛まれた』者はどうなるのだろうか。

脳裏に死者の徘徊する有名なホラー映画が浮かぶ。

とにかく、これで手掛かりを得る事が出来れば、1年前からの『赤球』に答えが出るかも知れない。少なくとも、多少のリスクを負う価値はあるだろう。


 そう考えて家を出発したのが約1時間前。どうしても一緒に行くと言い張る沙羅に根負けし、2人は今、病院にいる。

暴動のニュースは相変わらずテレビを賑わせているものの、南の島はいたって平和そのものだ。いつもの顔見知りに挨拶を交わしながら、時には足を止めて世間話。

2人の家から病院までは、徒歩で10分ほどの距離にあるが、物騒な話題がそこかしこで上るため、病院に到着するのに30分近くかかってしまった。


 総合病院とはいえ、ここは人口が数万人規模の小さな地方都市である。

病院と言っても診療所を少し大掛かりにしたものでしかない。

どこぞの大学病院のような広大な敷地面積を誇るべくも無く、せいぜい小学校の校舎ひとつ分くらいのものだ。

総合受付で見舞いに来た旨を説明し、病室を教えてもらう。

303号室。噛まれた2人はそこに入院しているらしい。

娘の方は出血がひどく、一時は集中治療室に居たらしいが、処置を終えた後は一般病棟に移され、様子を見る事になったとのことだ。

エレベーターに案内され、春樹と沙羅は乗り込む。そのまま2人は3階へと運ばれ、目的の病室を目指して歩き出した。


 病室の番号を確認しつつ奥へと進んでいくが、ふと違和感を感じた。ナースステーションに誰もいないのである。

事務の人が書類の整理くらいはしていてもよさそうなものだが、いくつかの席は全て空席になっていた。

人手が足りないのかも知れない。地方の病院では医者どころか看護師さえ不足しているという話も聞いた覚えがあるし、もしかしたらここもそういった事情を抱えているのだろうか。

もしこのタイミングでナースコールでも鳴ったら問題になるのでは……

そんな事を考えつつ歩いていると、目的の病室が見えてきた。


 ノックをしてみるが、返事が返って来ない。

しばらく待ってみたが、何の反応も無いのでゆっくりとスライド式の扉を開けてみる。

入院しているはずの2人の姿はどこにも無かった。

点滴の途中だったのか、リンゲル液をぶら下げた器具はあるものの、何故か無造作に針が投げ出されている。

どうやら、ここの入院患者達は点滴を中断してどこかへ出掛けてしまったらしい。

明らかにおかしい。怪我を負っている2人は、程度の差こそあれ、すぐに動けるほど軽いものでは無かったはずだ。

不審に思って病室の中へ足を踏み入れると、春樹の背筋に冷たいものが走った。


 303号室は4人部屋である。病室前に掲示されていたプレートには4人の名前が書かれていたので、先客が居た事になる。

しかし、部屋のベッドには彼らの姿は無く、代わりにおびただしい血糊が付着していた。

思わず沙羅を伴って後ろに半歩ほど下がる春樹。

開いたままの病室の窓から、そよそよと風が吹き込んで来た。ひどく生臭い。

あまり考えたくはないが、昨夜の続きがここであったらしい。

噛まれてしまっていたあの2人は、死亡していたはずのあの老人のように動き出し、同室の患者に襲い掛かったのだろうか。

いずれにしても、誰か人に会う必要がある。ここで一体何があったのか。

今、この現場においては、起こった事のおおよその仮説を立てるのは可能だが、確認出来る証人がいない。

後ろでいつの間にか勝手に閉まっていた病室の扉に手を掛ける。


 何気なく扉を開く。そこには人が立っていた。

ここの入院患者だろうか。病院着に身を包んだ彼女は、可愛らしいウサギのぬいぐるみを左腕に抱いていた。

130cmにも満たないであろう小柄で華奢な女の子。

普段は人当たりの良い春樹。自然に「こんにちは」の一言が出るはずであった。

この子の様子が尋常なものであったならば。

少女の首は右側の半分ほどが喰いちぎられている。頚椎の一部がむき出しになっており、露出した頚動脈と思われる太い血管からは、今も止め処なく赤黒い血液が滴り落ちている。

その顔には何の表情も読み取れず、静かにこちらを見つめている。

「大丈夫?」と、改めて問うまでも無い。

こんな状態で生きていられるはずが無い。生きているはずが無いのに、この子は平然と立っている。

呆然と少女を見下ろす春樹に向かって、彼女はゆっくりと手を伸ばす。

大きく開かれた口からごぼりと血があふれ出た。同時に鉄臭い吐息が吐き出される。

もはや異形とも呼べるその口が春樹の脇腹に噛り付く、その直前。

少女のそれに点滴のスタンドが突き刺さる。

我に返った春樹が傍らに目を向けると、スタンドを槍のように突き出す沙羅の姿があった。

「ハルキ、このままここにいるのはあまり良くないみたい」

そう言いながら沙羅はそのままの姿勢で前進する。

身をよじってスタンドから逃れようとする少女を、勢いに任せて通路の壁まで後退させ、そのまま叩きつける。

ごん、と鈍い音をたてて少女の後頭部が白い壁にぶつかり、少しだけ痙攣した後、女の子は動かなくなった。

「サラ、この子、まだ小学生くらいなのに……」

「うん、反省してる。でも、今は早く家に帰りたい」

狼狽する春樹を連れて、沙羅は通路へと踏み出す。

慌てて春樹は彼女に並んで歩き出した。どうやら、自分の命の恩人はスタンドを持ち歩く事にしたらしい。

べったりと血の付いた槍が異様な圧力を放つ。

アレで叩かれたら、俺もあの子の様になるんだろうな。春樹は、自身の背中に冷たい汗が流れていくのを感じた。


 来た道を戻り、エレベーターホールを目指す。その途中で、2人は女の子の『仲間』に遭遇した。

「ここに来た時は見かけなかったのに……」

他人事の様に呟く沙羅。

最初に会った女の子と同じ病院着に身を包んだ老婆と、白衣を着た中年の男性、看護師の女性もいる。

どれも血まみれで生気の感じられない青白い顔色。何より、3人とも大怪我をしているのに平然と歩いてくるので、お近付きになりたい面々では無かった。

「この道はダメだ。反対側から行こう」

踵を返し、通路の反対側に向かう春樹と沙羅。

303号室の前に戻って来ると、先ほどの少女が全く同じ姿勢のまま倒れているのが見えた。

痛々しくて何度も見たい姿では無いので、足早にその横を通り過ぎる。

いくつかの病室の扉の向こうから悲鳴が聞こえてきた。

思わず足を止めようとした春樹だったが、

「多分、無理。もう助けられないと思う」

沙羅が難しい顔をしながらそう言うので、黙って進む事にした。

通路を足早に進んでいると、312号室のプレートが下がる部屋の扉が突然開かれ、中から若い看護師の女性が飛び出して来た。

「た、助けて……!」

こちらの姿を見つけると、足を引きずりながら駆け寄って来た。

すぐ後ろに病院着の老人を伴って。

沙羅が素早く動き出し、老人へ槍を突き出す。病室の向こう側へ押し戻すとすぐに扉を閉めた。

スライド式で簡単に開くはずの扉だったが、老人には中々開けられない様だった。

ぶつかっているような、ノックをしているような。不気味な音が扉から聞こえてくる。

春樹は看護師を助け起こすと、彼女に肩を貸しながら再び沙羅と通路を歩き出す。


 遠回りの末にナースステーションまでたどり着いた所で、看護師を休ませるべく、春樹は椅子に座らせた。

「……一体、何があったんですか?」

彼女はひどい怪我を負っていた。左の肩口には切り裂かれたように深い噛み傷があり、右足のかかと部分も欠損している。

「わ、わかりません。急に、ナースコールがあちこちの部屋から鳴り出して、様子を見に行ったら、いきなり、襲われて……」

ごほごほと看護師が咳き込む。それに併せて血も吐き出された。

怪我をした箇所からは今も止め処なく出血が続いている。

給湯室から救急箱を片手に戻ってきた沙羅が、手当てをするべく彼女の肩口の傷に手を伸ばそうとしたが、春樹によってその腕を掴まれる。

「……行こう、サラ」

そのまま立ち上がり、エレベーターホールに向かって歩き出す。

「え?ま、待って!助けて、助けてよ!」

動揺し叫び声をあげる看護師を無視し、なおも春樹は歩き続ける。

「は、ハルキ?あの人、怪我してるけど、助からない様な重傷じゃ無いよ?きちんと止血すれば……」

「いや、あの人はもうダメだよ」

怯える様に硬直した表情で春樹が言う。

「ここにいる変になった人達な、みんな『球』が『白』だった。小さな女の子も、ふらふら歩いてた医者のおじさんも、患者のじいさんやばあさん達も」

「……それって、お葬式の日の、あのおじいちゃんと同じ?」

「ああ。で、あの怪我した看護師さんも『白』だったんだよ」

それで納得したのか、沙羅も春樹に並んで通路を進む。

後ろでは看護師が悲痛な声がなおも2人の背中に浴びせかけられ続けていたが、彼らが振り向く事はもう無かった。


 ナースステーションからそれほど離れていない場所にエレベーターホールはある。

後ろから聞こえ続けていた看護師の悲鳴が一際大きくなった。

どうやら、先に遭遇していた医者達が彼女のもとにたどり着いたらしい。

肉食動物に捕食される草食動物の様なおぞましい悲鳴を聞きながら、春樹はエレベーターのボタンを何度も押す。

エレベーターは2人を3階に運んだ後、1階に戻ってしまっている。

エレベーターが春樹の呼び出しに応じ、3階に戻って来るまでの十数秒間は恐ろしく長く感じられた。

看護師の悲鳴が唐突に途切れたため、春樹は警戒する様にナースステーションの方に3歩ほど近付く。通路の奥まで見通せる様にするためだ。

入れ替わる様に沙羅がエレベーターを出迎える。

チン、とそれの到着を告げる音が静かなフロア内に響き、春樹もエレベーターの方に目を向ける。

瞬間。今、3階に着いたエレベーターがその口を開けるまさにその直前。

まだ閉じられているエレベーターの扉から、白い『球』が半個分ほどちらりと見えた。見逃さなかった。

「うわああああっ!」

扉のすぐ傍にいた沙羅を抱き寄せ、力の限り横に跳ぶ。

勢い余って2人とも床に倒れ伏してしまう。そんな2人を、無表情な医者が冷たく見下ろしていた。

喉仏が無い。それ以前に、白い『球』が頭上に浮かんでいる以上、彼もまたあいつらの『仲間』に違いなかった。

素早く身を起こし、2人は走り出す。エレベーターホールを抜け、ナースステーションに戻って来ると、ちょうど先程の看護師が起き上がるところだった。

恨めしそうにこちらに向き直り、歩み寄って来る。

彼女に群がっていた者達もそれに倣って近付いて来た。

後ろからはエレベーターに乗ってやって来た、彼らの援軍がゆっくりと距離を詰めている。

まずい。逃げ場が無くなった。

この場をどう切り抜けるか。思わず立ち止まりかけた春樹に、沙羅が小さく叫ぶ。

「ハルキ、あそこ!」

その指で指し示すのは、一番手前、301号室というプレートの下がった部屋。

春樹の反応は早かった。すぐ側まで迫っていた看護師を蹴りつけ、後ろの医者達に押し付ける。

そうして出来た通路の隙間を沙羅と共に駆け抜ける。

病室の扉を躊躇することなく開け放ち、沙羅が入るのを確認しつつ自らも滑り込む。

力任せに扉を閉め、沙羅の持っていたスタンドをつっかえ棒にして開かない様に固定する。

幸い、病室の中には誰もいなかった。

安堵してその場に座り込む春樹を見て察したのか、沙羅がくすりと笑った。そして、春樹の隣りに腰を下ろし、事も無げに言う。

「大丈夫だよ。患者プレートがひとつも入ってなかったから」

適わないな、と春樹が苦笑すると、背後の扉がどんどんと叩かれ始めた。

危機は、未だ去っていない。


 今までの状況から推測すると、恐らく、未知の病原菌か何かによるバイオハザードが起こっているのだろう。

この病院だけでなく、全国規模で。いや、最悪、世界規模にまで発展するかも知れない。


 とにかく、家に戻らなければ。

1年前に異変に気付いた時から、水や食料の備蓄を少しずつ進めてきた。

こんな所で命運が尽きてしまっては、全く意味が無い。

まずはこの場を何とかする。必須事項だった。

この病院を無事脱出する事が出来れば、隣りに座る恋人の『球』が点滅からせめて赤に戻ってはくれないだろうか?

答えが返ってくる事など無いと知りつつも、春樹はそう思わずにはいられなかった。


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