第 5話 はじまり
その日は朝から小雨が降り続いていた。
3軒隣の家の高齢者の男性が、昨夜亡くなったそうだ。
この地域では、誰かが亡くなった時には、その親族だけでなく、周りの住民達も総出で葬式を執り行う。
人同士の繋がりが深い田舎町ならではの風習と言える。訪れる弔問客のために、料理を振舞うのは主に女性達の仕事であり、中々に慌しい。
故に、ある程度の人手の確保は必須事項となる。
誰でもいつかは亡くなる運命。喪主の家の事情は誰もが理解しているため、葬式の手伝いは皆率先しておこなうのが自然の流れだった。
この地域に流れ着き、住み始めてから日が浅い春樹と沙羅であったが、葬式の手伝いの要請が来た。
周りの住民が自分達を頼ってくれた。
人が亡くなったというのにいささか不謹慎ではあるが、少なくとも、コミュニティの一員として受け入れられている事を実感した2人は、少しだけ嬉しかった。
それだけでなく、亡くなった老人は、2人の店の常連客の1人だった。朝早くから散歩に出掛け、毎日のように『パーラーはるら』を訪れる。
好々爺として知られる彼は、2人に色々な話をしてくれた。
新参者の若者2人が見知らぬ土地で不安を感じぬ様、彼なりの気遣いだったのだろう。
沙羅の作る料理を最初に褒めてくれたのも彼だった。その上で、地域の住民の舌に合う様、味付けのアドバイスまでしてくれた。
付き合いの時間は浅いものの、彼には多大な恩と、深い親しみを感じている。
最後に役に立てるのなら、たとえ請われなくても葬式の手伝いには参加するつもりだった。
老人が最後に2人の元を訪れたのは3日前。
どうやら風邪をこじらせたとの事で、ひどく辛そうな様子だった。
発熱と咳、悪寒に加え、軽い頭痛があったらしい。食欲も無いと言っていたが、わざわざ来てくれた彼のために、沙羅はお粥を作った。
急ごしらえで申し訳無いと謝ったが、彼は喜んで小さな鍋に入ったそれを受け取り帰っていった。元気になったらまた来ると言い残して。
その日、春樹は仕入れ損ねた食材を揃える為、朝から外出していた。
「おじいちゃん、ハルキに会いたがってたよ」
帰宅した折、沙羅から言われた春樹は、今度の定休日に見舞いに行こうと思っていた。その矢先の訃報である。
老人は、木でできた棺の中で、静かに横たわっていた。
たくさんの花に囲まれ、穏やかに眠っている様だった。
故人との別れを惜しむ人々によって、今もその花は数を増していく。
家族や親しい間柄であった者達は、安らかに目を閉じている老人の顔に触れ、涙を流し別れの言葉をささやいている。
春樹と沙羅も花を持ってその棺の前に立った。
「……白い」
隣りに立つ春樹が呟いた。思わず彼を見上げる沙羅。久しく見たことの無い困惑した表情を見せている。
「うん、白装束だよね。棺の内装も白だし……」
周りに聞かれていないか気にしつつ、春樹の独白に応える沙羅。
「いや、違うんだ。そういう事じゃなくて」
春樹の顔色が優れない。蒼白と言っても良い。
今、春樹の目には、見た事も無い光景が映し出されていた。
棺の中に冷たく収められている老人の頭上に、『球』が浮かんでいる。
死亡した人間からは、頭上の『球』は消失する。つまり、死体には『球』が無いのだ。
無い筈なのに、目の前の死体には『球』がある。生きているのか?眠る彼に触れてみる。
冷たい。体温がまるで感じられない。死後硬直のためか、その体に弾力は無く、どう見ても生命の痕跡は消えうせている。
ならば何故、『球』があるのか。そして、この『球』は何故、真っ白なのか。
こんなのは見た事が無い。こんなことは初めてだ。
自分の能力(?)のことは大体把握している。
友人を亡くした時に、『赤球』の意味を知った。
両親を失った時に、『点滅球』の時間制限を知った。
沙羅を救った時に、運命に抗う意義と自身の持つアドバンテージに対する喜びを知った。
しかし、目の前の『白球』は自分のデータベースには無い。
死体に『球』がある事。その『球』が白い事。どちらも経験の無い事態に、春樹の体は文字通り硬直してしまった。
固まって動かない春樹を、沙羅はじっと見つめていた。
このような状態の彼を、彼女は知っている。自分にとりついた死神を見つけた時だ。
彼は生まれながらの特異な体質を持っている。あまり自分からは話したがらないが、そのおかげで自分は2度に渡って命を救われている。
今、この状態の彼は、その体質が関係する事情によるものだと確信を持って言えるが、このままだと少しばかりまずい。
弔問客は自分達だけではないのだから。
「ハ、ハルキ、落ち着いて。今はとにかく下がろうよ。ね?」
後で事情は聞くから、と春樹の袖を引く。
「ああ。そうだな……」
我に返った春樹が沙羅の後に続く。
故人と別れを惜しむ列は、長く途絶えなかった。今は娘と思われる女性が嗚咽を漏らしながら老人の頭を優しく撫でている。
この街では見知らぬ顔であったため、普段は父と離れて暮らしていたのだろう。
老人の死を看取る事が叶わなかった彼女は、名残惜しいのか、その傍を離れようとしない。
その様子を春樹はじっと見ていた。彼女の頭上に『点滅球』が瞬いていたのも気にかかる。後を追って自殺でもするのではなかろうか。
異変が起きたのは、ちょうどそんな時。
突然、何の前触れも無く、眠っていた老人が起き上がった。
「……は?」
最初に気付いたのは、じっと彼らを見守っていた春樹。続いて手を合わせ、目を閉じていた娘が父の突然の目覚めに目を見開く。
あたりが騒然となった。死人が生き返ったのだから。
寝起きの老人はゆっくりと周りを見渡した。
目の輝きが不自然だ。瞳孔が開きっぱなしになっているせいだろうか。
あまりにも無表情。優しい好々爺の面影はどこにも見られない。
「……お父さん?」
あれほどに別れを惜しんでいた相手が、突然起き上がって見せたのなら、こういう反応になるのだろうか。娘はその場に立ち尽くし、動こうとしない。
春樹や沙羅も含めた周りの人々もまた、異様な雰囲気に娘と同様に身動きが取れないでいた。
まるで時間の流れが停止してしまったような世界で、黄泉の国から舞い戻った老人だけがゆっくりと動き出す。
長い間顔すら見せなかった愛娘の手を取り、そうする事が自然であるかのように、噛み付いた。
「いぎゃああああああああっ!」
凍りついた葬式の場で、その絶叫はけたたましく響いた。その場に居た全員の意識を覚醒させるほどに。
すぐ近くに居た男性が老人を引き離そうと試みる。春樹を含めた数人が取り押さえに加勢する。
80歳に届きそうな年齢の老人とは思えない程、凄まじい力だった。
どんなに呼びかけても、頭や体を殴りつけても、老人は食事を辞めようとしない。
そう、老人は娘の腕を『食べていた』。
左腕を半分ほど喰いちぎられた後、ようやく娘は開放された。
食事を邪魔された老人は恨めしそうにうめき声をあげつつ、手足をばたつかせる。
そうこうしている内に、今度は老人を羽交い絞めにしていた男性の腕が噛み付かれた。
しめやかな雰囲気に包まれていた老人の家は、阿鼻叫喚の地獄絵図に変わり果ててしまった。
さながら映画に出てくるような化け物になってしまった老人は、男達の手によってようやく床に組み伏せられた。
ほどなくして警察や救急車も到着し、事態の収拾が図られる。
その場での死者こそ出なかったものの、怪我人が4人。とりわけ娘の方は重傷だ。出血が止まらず、最早意識も朦朧としている。重体と言っても良い。
彼らはすぐに病院に搬送されることになった。
生き返った老人は、とりあえず手錠をかけられ、留置場に身柄を置く事になった。物凄い力で抵抗するため、警察が5人がかりという大仕事になった。
あちこちで叫び声をあげていた人々も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
解決したわけでは無い。あまりにも理解が及ばない出来事に、皆が困惑していた。
単に叫ぶ事も出来ぬほどに疲弊しきってしまっただけだとも言える。
死人による傷害事件という前代未聞の出来事が起こった現場。
だが、いつまでもそこに立ち尽くしているわけにもいかない。
警察官の指示で、ゆっくりと人々は帰路に着く。2人も、それに倣い家へと歩き出す。
しかし、春樹は体の震えを抑える事が出来ずにいた。
先ほどから、頭に『点滅球』を輝かせる人間の数が激増していたからだ。
自分の隣りに寄り添う恋人もまた、『球』を点滅させている。
……これから、一体、何が起ころうとしているのだろうか。
大変長らくお待たせ致しました。
ホラー展開への、第一歩でございます。