第43話 Determination①(父の手記)
こんばんは(_ _)
またしても、久しぶりの更新になってしまいました……
それでもお読み頂ければ、とても嬉しいです。
非常に多岐にわたり、同時にそのひとつひとつが深遠なる生物学の中でも、寄生虫学と聞くと、多くの人は眉をひそめる。
彼らの生態を知ろうともせず、外見、イメージ、言葉の響きといった表面に現れるファクターだけで否定し、嫌悪し、自身から遠ざけようとする。
だが、私はこの学問のそんなところが好きだった。
私は天邪鬼だった。多くの者が追い求める流行の服装や遊びに興味を持てなかった。かと言って、それそのものが嫌いという訳ではない。
つまり、時を経て誰も見向きもしなくなれば、それが私の琴線に触れる事もおおいに有り得るのだ。
要は、多数派への迎合に耐えられないひねくれ者。それが私だ。
究める学問を決めた時、周囲の人間のほとんどがそれに反対した。
大学内でも極めて優秀な成績を収めていた私が、なぜそんな奇怪な学問に傾倒するのかと。
しかし、その反応は、歪な私をますます増長させる拍車にしか成り得なかった。
およそ知の探求者としての姿勢とはかけ離れていたが、元々要領の良かった私は、それなりに無難な成果を積み重ねていく。
折角選んだ寄生虫学。だが、ひねくれた私の関心を奪う様なものはそこには無かった。ただ1人の女性を除いて。
彼女もまた、変人と言って差し支えない人間だった。『微生物の持つ社会性』とやらの研究に没頭するその姿は、天性の美貌をもってしても、彼女から周囲の人間を遠ざけた。
燃える炎の様な赤い髪は手入れもされずぼさぼさで、漆黒の瞳の周りはいつも充血していた。いかにも、不健康なマッドサイエンティストといった風貌だ。
食事を摂る事も忘れて何日も平気で徹夜をする為、確かに健全な女性とは言い難い。
そんな彼女が、私にはたまらなく魅力的に見えた。当時の私は、確かに彼女に惹かれていたのだ。
私とは違い、寄生虫に真摯に向き合っていた彼女に、私の様なまがいものが相手にされなかったのは語るまでも無い。
彼女は私の本質に気付いていた。だから、私は彼女に嫌われていた。軽蔑もされていた。
「あなたには中身が無い」
はっきりと、そう言われた事もある。だから何だと言うのだ。そのような事、私自身が誰よりもよく分かっている。
「それならば、君が中身になってくれ」
そう返したところ、彼女は突然吹き出した。そのまま、長い間笑っていた。品性の欠片も感じられない、無遠慮な振る舞いだった。
「あなた、面白い人ね」
彼女、マリアとのつながりは、そこから始まった。
結婚し、子どもが生まれる頃になると、私も寄生虫学に没頭する様になっていた。
マリアの『それ』に対する情熱に、私もあてられてしまったらしい。
ひねくれ者に訪れた幸福。戸惑いつつも、良いものだと笑っていた。やがて、あの子が生まれた。
難産だった。へその緒が胎児の身体に巻き付き、産道の通過を阻害していた。
一晩中苦しんだ後、ようやく彼女はその子を産み落とした。その際に、弱々しい声で私に言ったのだ。
「ああ、この子は……既に死んでいるわ、レイモンド……」
私の中で、何かが弾けた。
この子は生きている。心拍もあるし、呼吸もしている。それなのに、何を根拠に……!
「出産時のトラブルで、酸素供給が長い間おこなわれなかったせいでしょう。ほぼ、脳死状態です」
担当の医師の話だ。
馬鹿な。こいつは、一体何を言っている?
私達の周りの人々は、無神経に慰めの言葉を口にする。いちいち癇に障る。
残念だの、気の毒だの……
終わった事の様に言うんじゃない。お前達の大多数が、諦めると言うのなら。
保育器で眠るこの子を連れ出した時。私にはもう、後戻りは出来なくなっていた。
『それ』の人間への投与。秘密裏におこなわれてきた臨床実験の結果は、散々なものだった。
化物しか生み出さない。『人喰屍』。それは、最早人と呼べるものではない。
ただ、彼らは我々がどう見ても死体としか言えない有様の身体で、どこまでも動き回る。
人の精神を破壊し、原始的な欲求のみで行動する化物に変えてしまう寄生虫。
だが、初めから脳が壊れている者が寄生の対象であったなら、今までとは違った結果になるのではないだろうか。
彼らは、壊した後に再生しようとして失敗しているとは考えられないか。それが『人喰屍』という物言わぬ出来そこないではないのか。
対象を壊す必要が無ければ。彼らに与えられた役割が、創造だけであったなら。
未だ成功例の無い試み。それでも良い。この子が、このまま冷たい土中に押し込められるよりは。
私の子だ。有象無象とは違う。絶対にうまくいく。他に方法が無い以上、そう考えるしかなかった。
この子には、生きて欲しい。
見るがいい。この子は、人間としての姿を取り戻した。他の赤ん坊より元気なくらいだ。
泣き、笑い、手足を忙しなくばたつかせる。『人喰屍』などでは断じてない。
驚きと喝采に包まれる周囲の中で、マリアだけが私を糾弾した。
「レイモンド! あの子に、何をしたの……!!」
おぞましいものでも見るかの様にあの子の前で取り乱す妻の姿は、見るに堪えない。あれほど恋焦がれた彼女への執着は、私の中からすっかり消失していた。
この女も周囲の有象無象と何ら変わらない事に、私は気付いてしまった。
以降も続けられた『それ』の生きた人間への投与。しかし、あの子以外に『それ』との共存に成功した人間は未だに現れない。『人喰屍』に成り果てた者達は、即座に処分された。
我が息子が魁だ。その道を作ったのは、他ならぬこの私だ。
何故、この子だけが『それ』との共存を成功させたのか。今は知る由も無い。
これからの研究で、いずれ明らかになっていくだろう。
『それ』を体内に取り込んだこの子が、『人間』として生きていく。
寄生虫との共生関係の実現。この研究における答えのひとつがここに現れた。
私の息子、レオナルドは順調に成長していった。
特に何かに優れている訳ではない。言葉を覚えた時期も、立ち上がって歩き始めた時期も、他の子達に比べても平均的なものだった。
定期検査は絶対に欠かせない。なにしろ初めてのケースだ。不測の事態にも備えておかなければならない。
その中で、あの子が特別な存在である事に気付いた。
あの子の細胞を顕微鏡で覗いてみた時の事だ。彼自身の遺伝子と、『それ』の遺伝子が別々に存在していた。
細胞内に存在するミトコンドリアの様に。もっとも、生物とミトコンドリアほどの緻密な共生関係は『それ』に見る事は出来ないが。
今までに寄生されてきた者達は、体内の細胞に『それ』が侵入すると遺伝子が取り込まれ、変異してしまった。
そうなると人としての活動に不具合が生じ、そのまま『人喰屍』へと変貌する。
レオナルドの場合、人間としての遺伝子を保ったまま『それ』の特性を持っている可能性が高い。
『それ』の生態には未だ解っていない部分が多い。レオナルドの脳の回復にも、その中のひとつが関与したのだろう。
10歳になる頃、レオナルドは妙な事を言い出した。
体の中に違和感があるのだと言う。詳しく検査をおこなった結果、すい臓に腫瘍が出来ている事が判明した。
「沈黙の臓器」とも呼ばれるすい臓。それも、極めて初期の段階である腫瘍に、あの子は自分で気付いたのだ。
すぐに治療を始める必要があった。不幸中の幸いか、腫瘍はごく小さな物だ。治療にあたって採れる選択肢も多い。
どうしたものかと頭を抱えていると、またしてもレオナルドが信じられない事を口にした。
「無い方が良い物なら、消してしまってもいい?」
この子が何を言っているのか、よく解らなかった。がんを、自力で治すと言ったのか。どうやって?
「そんな事が……出来るのか?」
「ん。……出来ると思う」
それから数日も経たない内に、レオナルドの体内から腫瘍は忽然と姿を消した。
「……まさか」
にわかには信じられない事だった。
レオナルドの受ける検査の項目が、次々と増えていく。世の中のありとあらゆる病原菌や微生物を受け入れ、この子の身体がそれにどう対処するか反応を見る。
レオナルドは、全てのものに完璧に対処してしまった。それも、自身の望む過程を伴って。
ある時は、かつて人類の4分の1を死に至らしめたウイルスを、自身の免疫のみで体内から根絶してみせた。
ある時は、病原性大腸菌を体内で培養し、全く未知の病原菌に作り変えてみせた。
ある時は、人体に有毒な化学物質を、体内を構成する物質を使って反応させ、無害な水と塩に分解してみせた。
これらの成果は、レオナルドの中の『それ』の遺伝子が変異する度に多く得られる様になっていった。
膨大な数の犠牲者も、『人喰屍』の山も、全てはこの子の為に。ひいては、人類の未来の為に。
人類が恐れるほぼ全ての脅威を、この子は単独で対応出来るのだ。
この子は、神が与えたヒトの理想の未来そのものではないか。
有頂天の私を冷ややかに見る視線を感じる。マリアだ。
彼女は、未だに私の妻だった。既に彼女に対する関心は、私にはない。にも関わらず、夫婦関係が解消されていないのは、単にその手続きが面倒であっただけだ。
以前の様に仲良く研究に没頭する事は無くなったが、『それ』の研究から彼女が手を引く事は無かった。
今日も、私と彼女は一言も言葉を交わす事無く淡々と研究をこなしていく。
彼女の方も、私に興味を無くしたらしい。今の私達は、昔から他人同士であった様にしか見えないだろう。
ただ、ひとつ気になる事があった。マリアは、レオナルドに対してもまるで関心を示さない。
話をする事もあるが、あくまでも研究者としての会話のみ。その際にも、いつも重厚なアクリルが2人を隔てていた。
それどころか、あの子が「お母さん」と呼ぶ事さえ拒絶するのだ。
自身のお腹を痛めて生んだ子だろうに。理解出来ない。産みの苦しみというものが男である私に理解出来ないのは当然だが、親である情さえも持ち得ないとは。
「レイモンド。くれぐれも気を付けなさい。あの子は、あくまでも感染者よ。必要以上に接触すれば、あなたも『人喰屍』に成り果てる」
「……解っている。あの子から取り出した『それ』を、他の人間に投与した時の事を言っているんだろう?」
「ええ。あの子は、進化生物ではない。突然変異体なのよ。
人類が歓迎するには、問題が多過ぎる」
あの子が持つ『それ』は、我々にとって致命的に有害なものである事に変わりはない。
だからこそ、私達の研究があるのではないのか?
あの子を独りにしない為に、私達は一刻も早く次の段階へと進むべきではないのか?
やはり、彼女とは相容れない様だ。
「父さん。ねえ、父さん! 聞いて、聞いてよ!」
その日、レオナルドは珍しく取り乱した様子で私に縋りついてきた。
「どうした、レオナルド。何か、あったのかい?」
努めて優しく話し掛けて落ち着かせる。この子のこんな姿は初めて見る。深刻な状況である事は間違いない。
「……思い、出せないんだ。昨日、僕は何を食べた? 父さんと、何を話したの……?」
「レオナルド? 一体、何を言っているんだ?」
「頭の中に、モヤがかかってるんだ。うまく記憶を取り出せない。少しずつ、零れ落ちていくみたいな、感覚が……」
もういい、とレオナルドを抱き締めて、ベッドに寝かせる。
検査の結果を見て、私とマリアは絶句した。
「脳が……萎縮している?」
「若年性アルツハイマーとでも言うのか!? そんな馬鹿な!」
MRI等を用いて詳細な情報を集めていく内に、レオナルドの身に何が起こっているのか解ってきた。
「脳細胞の数の急激な減少に加え、細胞そのものにも異常をきたしている……」
「レイモンド、これはあくまでも私の仮説なのだけれど……」
顎に手を当て、考え込むマリア。少なくとも、彼女が『それ』に関わってきた年月は、私などとは比べるまでもない。
私は、辛抱強く続く言葉を待った。
「レオナルドは、体内で起きている全ての生命活動を把握出来るのよね?」
「ああ。本人がそう言っていた。それだけじゃなく、全ての活動に自分の意思で介入出来る、ともね」
「それは、私達が与り知らない情報や指令の類を、あの子は全て自分の脳だけで処理しているという事でしょう?」
「……つまり、尋常ならざる負担に、あの子の脳が限界を迎えつつある、と?」
「ええ」
「ならば、傷ついた脳細胞の再生や、新たな細胞の生産を……」
「試してはみたものの、うまくいかなかったんでしょうね。だから、あそこまで取り乱したんでしょう」
「このままでは、あの子は……」
「脳死。最悪の場合、『人喰屍』になって私達に襲い掛かって来るでしょうね。今の状態から予測すると、あと3年といったところかしら」
右手の親指の爪を噛みながら、忌々しそうにマリアが呟く。まさか、レオナルドを処分するつもりか……?
それから2年。その後もレオナルドの『それ』に供物は捧げられ続けたが、あの子が置かれた状況を改善するには至らなかった。
生贄の質に問題があるのか。普通の人間では、その役割をこなせない。
あの子の様な、突然変異体を作り出す事が出来れば。それを、あの子の体内に取り込む事が出来れば、或いは。
世界各地を巡り、あちこちに撒いた『種』のいくつかが、芽を出し始めた。
被検体が足りない。もっと、たくさんの数の感染者を生み出さなければならない。
私達がおこなうべき事は、選別だ。ひたすら感染者の細胞を集め、顕微鏡を覗けば良い。
『人喰屍』の細胞は、人と『それ』の遺伝子が混じってひとつになってしまう。それは凡百な量産品だ。
人間の遺伝子を保ちながら、『それ』の遺伝子を迎え入れた細胞の持ち主。それが、私達に希望をもたらす『イヴ』に他ならない。
明日には、極東の島国に向けて飛び立つ。あそこは、周りを海に囲まれている為に、比較的感染拡大の操作がおこない易かった。
さぞ、多くのサンプルが得られる事だろう。
レオナルドに残された時間も少ない。効率よく『イヴ』の探索にあたらなくては。
レオナルドが生きていけないのであれば。私はレオナルドを、「人間ではないもの」に作り変えてみせる。
その夜。私の部屋にマリアが訪ねて来た。珍しい事だ。
「あなたが発つ前に、言っておこうと思って。あなたと過ごした時間はね。色々あったけど、有意義で興味深いものだったわ」
「? 何を言っている?」
「あの国へ行くのなら、あなたと会うのはこれが最後になる。だから言うわ。今までありがとう。そして、さようなら」
それだけを言うと、呆気無く扉は閉じられた。




