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第42話 ノアの箱舟

 甲板の上では、強い風が吹き荒れていた。

10メートル近くあるそこから海上を見下ろすと、大小様々な無数の船が浮かんでいる。

絶海に浮かぶ巨大な孤島を離れようとする船団だ。空には大型の輸送機が次々と飛び立っていく。

「……お待ちしていました。こちらです」

不意に声を掛けられ、そこに視線をやると、メイリンが立っていた。その背後には、春樹らを連れて空母ここにやってきたV-22型飛行機の姿があった。


 艦橋にあるこの艦の戦略司令塔。そこでは、艦長のチャールズ・マッカーサーが項垂れたまま眼下の海を見下ろしている。彼が最後の使命を果たす時が近付いている。

「……艦長。船内における『生存者』の避難は、あと1時間ほどで完了する見込みです。後は……勇気ある決断を」

「ああ、ありがとう。難しい状況の中で、よく被害を最小限に抑えてくれた」

「いえ。ただ、残念であります。あなたとこの艦と、もっと旅を続けたかった」

「……私もだよ。準備の方は、出来ているんだな?」

「はい。護衛にあたっていた駆逐艦に続き、終結させた潜水艦も、それぞれ配置につきました」

「わかった。……やってくれ」

「了解しました」

短く返答すると、向き合っていた副官は無線を取り出し、各所へと指示をを送り始めた。

彼の後姿からは何の感情も読み取れない。ただ、その背中は、泣いている様にも見えた。

「プレジデントは沈まない。どんな敵が相手でも、どんな攻撃に晒されても、その全てを跳ね返して見せよう。

命令があれば、たとえ国家が相手でもそれを蒸発せしめるだけの実力を有している。

不沈空母とも評された本艦は、紛れも無く我々の誇りであった。

……まさかそれを、我々自身が『沈めてくれ』と懇願する日が来ようとは……」

双眸から流れ落ちる滴を拭う事もせず、艦長と呼ばれた男は拳を震わせていた。


 感染者が蔓延るこの艦を、放置する事は出来なかった。

全ての生存者が避難すれば、当然この船の舵を取る人間は居なくなる。巨大な幽霊船である。

そんなものが宛ても無く航海を続ければ、何処に流れ着くか分かったものではない。

人の住む島や大陸に乗り上げれば、それは感染者の上陸とイコールで結ばれる。感染の拡大は懸念ではなく実情へと移り変わってしまう。

長い時間と労力と、多大な犠牲を払った上でようやく整備されつつある防疫態勢を、ここで崩す訳にはいかなかった。


 また、何よりも彼らの母国が恐れる事態は、第三国による空母の鹵獲であった。軍事技術の結晶体とも言える航空母艦が無傷で他国に渡り、これを研究されれば、太平洋上における海洋戦力の均衡が崩れる事にも直結する。

故に、現状の報告を受けた軍上層部は、即座にプレジデントの雷撃処分を決定した。

海底に沈める事で、艦の構造、保有戦力といった機密情報を封印する。辱められる事を良しとせず、誇りを守る事を選んだのである。


 既に多くの船や飛行機が空母を離れていった。しかし、依然として甲板上に残された避難民の数は多く、彼らは複雑な表情を浮かべつつも、秩序を保って脱出の順番を待っていた。

「貴方達は、行く先をいくつか選ぶ事が出来ます」

そう言ったメイリンは、避難民が列を成す先にあるそれぞれの船や飛行機を指差しながら説明を続ける。

「まず、一番奥にある大きな船は列島本土に向かいます。貴国は甚大な被害を受けましたが、各国の支援や自衛隊の懸命な活動の甲斐もあり、復興の目処は立ちつつあります。

しばらく不便な生活が続くと思われますが、新しい土地でやり直すという希望は、そう薄いものではありません。

次に、あの輸送ヘリは、本艦とは別の船へ飛びます。最終的に、合衆国へと向かう予定です。

我が国には、難民として皆さんを受け入れる用意があります。親族や身寄りを亡くして、自力で生きていく事が困難な方には、国籍の変更や市民権の付与といった特例の措置を条件付きで受ける事も可能です。

最後に。我々バックナー小隊は、島にある基地に帰還します。定期連絡で、主要幹線道路の整備がほぼ完了した事が分かりました。

点在する各基地へ、トラックでの物資輸送が可能になった事で、我々も島の復興に携わる事になりました。

島への同行を希望されるならば、皆さんをお連れする事も出来ますが……貴方達は、どうされますか?」

言葉を切ったメイリン。3人も春樹の様子を窺っている。その間にも、生き残った避難民達は次々とそれぞれの行き先へ向かう船やヘリに乗り込んでいく。

その光景を一通り見渡した後、春樹はゆっくりと口を開いた。

「ああ、俺達は……あんた達と一緒に行く。島に帰ろう」


 「艦長、我々で最後です。脱出しましょう」

「ああ、故郷くにへ帰るとしよう。済まんな。至らない艦長の下で、多大な苦労を掛けた」

「いいえ。貴方と過ごした日々は、素晴らしい栄光に満ちていました」

固く握手を交わした後、2人の男は司令塔を降り、やや小型のヘリに乗り込んだ。甲板作業員を含め、全ての人間は先に避難を完了させている。

誰にも見送られる事無く、ゆっくりと上昇していく機体。あれほど巨大で豪壮だった不沈空母が、少しずつ小さくなっていく。

艦の機関は既に停止している。それでも尚、その姿は波を掻き分けて前へ前へと突き進んでいる様に見えた。


 「最期の時だ」

空母を離れる多くの船、ヘリ、飛行機の中で、艦に携わった者がその姿を注視する。

空母の周りには、多くの駆逐艦、潜水艦が配置され、命令を待っていた。

「……始めてくれ」

悲痛な通信が、それらの艦船に届けられた。それから間もなく、空母に向かって水中に無数の筋が伸びていく。

左舷艦尾部分に集中して放たれたそれらは、轟音と共に巨大な水柱を発生させた。船体には激しい衝撃が走り、水面には波紋の様に波が広がっていく。

危険域を脱して遠くを航行する船にまで、その波は届いた。大きく揺れる船の中で、押し込められた避難民達から悲鳴が上がった。

その後も、空母は無防備なまま、味方である艦船からの攻撃に晒され続ける。


 火災が発生したらしい。遥か後方から黒煙が立ち上っている。いずれ、あの巨大な艦は海上から姿を消すのだろう。

あそこにはまだ、彼らが居る。

厨房に残ったバックナー。変わり果てた姿で動かなくなった茜。人ではなくなってしまったフレーザー親子。

彼らを内包したまま、絶海の孤島は沈んでいく。

今後、この事態は収拾されるのだろうか。沙羅は、これからどうなるのか。抱えた問題を解決する為の情報も手段も、何も得る事が出来なかった。

今ここに居るメンバーがあそこから持ち帰ったものは、それぞれの命だけだ。


 既に空母を離れ、上空を高速で飛行するV-22の窓から、一行はぼんやりとそれを眺めていた。

「あんなに大きな船でも、沈む時は沈むんだな」

小さく呟いた真人に、メイリンは小さな声で答えた。

「……大砲の撃ち合いが主だった大戦の頃とは違って、今の軍艦の装甲はそれほど厚くないんです。

レーダー等の探知技術や、兵器の技術が進歩した現代においては、どれほど鉄板を重ねてもあまり意味は無いですから」

律儀に説明を返してくれる彼女だったが、その表情には憔悴が色濃く現れていた。

「バックナーは、俺達を守って、あそこに残ったんだ」

「ええ、知っています。無線での連絡は受けていました。まったく、最後まで面倒事を押し付けてくれましたよ」

「……済まないと思ってる」

「気にしないで下さい。私達の職場では、割とよくある事ですから」

哀しい笑顔に、4人は掛ける言葉を見付けられずにいた。気まずい沈黙がその場を支配する。


 「これから、どうするのですか?」

口を開いたのはメイリンだった。

「……分からない。今、島がどうなっているのかも、これからの事も。ただ、1つだけ確かな事がある」

「何でしょう?」

「俺達は、もう大丈夫って事。長い間纏わり付いていた『死神』が、ようやく居なくなった」

「ハルキ、それって……」

目を見開いて沙羅が問う。

「うん。……間違い無い」

真人の頭上にも、花梨の頭上にも。メイリンや、この機に乗る他の米兵達の頭上にも。

青い『球』。

それを最後に見たのは、もう何ヶ月前だっただろうか?

島への飛行機を選んだ事は、間違いでは無かった。

少なくとも1年の間は、真人や花梨の命は保障された。ひとまず、今はこれだけで良い。

深く溜息を吐き、春樹は目を閉じる。自分に出来る事は、ただ『視る』事だけ。

自身の不甲斐なさ、浅慮、非力。あらゆるものが、事態を深刻なものにしていく。

守ろうと、救いあげようと手を伸ばすものの、ひとつひとつ零れ落ちていく。

沙羅の『球』は相変わらず『白』。そして、レオナルドの言った事が真実なら、彼女には新しい命が宿っている。

これから、俺がやるべき事は……

窓に寄り掛かり、安らかに寝息を立て始めた春樹の前髪を、沙羅は慈しむ様に撫で続けていた。

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