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第40話 絶海の孤島⑥

 食堂の外からは断続的に銃声が響いてくる。3人の兵士が中に入って来る事は無い。感染者の群れの侵入を防ぐべく、戦線を維持するのが彼らの任務であるらしい。

事実、中に飛び込んでくるのは銃声だけだ。勝ち鬨も、悲鳴も。喧騒の中の、不気味な沈黙だった。


 「レオナルド。あの女性だ」

少年の隣りに並んだフレーザーは沙羅を指差して微笑む。同じ表情を浮かべる2人は、本当によく似ている。

「ここへ来る途中、サンプルは無くしてしまったんだが。まあ、問題無い。ここに本人が居るのだから」

「そうだね、父さん。この人がそう・・だったら、僕らの目的は達成される」


 少年が一歩目を踏み出したところで、食堂の中にも銃声が轟いた。

「止まれ」

有無を言わせぬ圧力で、その前進を阻むのはバックナーだった。

「……博士。これは一体どういう事だ? ヨシヤマは、あんたにとって何なんだ」

「彼女は、このパンデミックを沈静化させる鍵を握っている。その協力をしてもらうんですよ」

「それは前に聞いた。……が、解せない事が多過ぎる」

言いながら、視線は親子の間を交互に行き来する。

「ああ。僕は、レイモンド・フレーザーの息子、レオナルドです。そちらの方が言った通り、僕も感染者です」

何でもない事の様に、レオナルドは自身が感染者である事を認めた。

「まず、それだ。ヨシヤマの他にも、自我を保っている感染者が居る。しかも、それがあんたの息子だって?」

「ええ。この子は生まれて間もない頃に感染しました。私が自らの手で、例の寄生虫を寄生させました」

「……何が目的で?」

「それを語る気はありません。あなた方はここで居なくなる、不幸な犠牲者なので」

父の代わりに答えたレオナルドは、そのまま歩みを再開させる。

「チッ」

舌打ちと発砲は同時だった。銃弾は、レオナルドの頭の僅か右を掠めて後方へと消えていく。

「……あ?」

信じられないという表情のバックナー。続けて2度、3度とトリガーを絞る。

だが、1発もレオナルドに命中する事は無かった。3発目の銃弾に到っては、彼は右手で払い除けた。


 フレーザー親子を除くその場の全員が、目の前の光景を信じる事が出来ない。

感染者が攻撃に対して回避行動をとる事そのものは、初めてではなかった。春樹の射撃が上手くいかないのも、本人の未熟な技術の所為だけではない。

そもそも、沙羅が噛まれたあの楽園病院で、感染した良太は頭部への一撃を避けてみせた。

しかし、レオナルドは人が振り下ろす木刀の攻撃ではなく、火薬による圧倒的な推進力を得て、亜音速で飛来する拳銃の弾丸を回避している。


 それでも、取り乱す事無く発砲を続けるバックナー。腰を落とした重厚な構え。両腕はがっちりと固定され、拳銃が発砲の反動で僅かに上下するのみ。

弾丸の軌道にも全くブレは無く、1発1発が寸分違わず相対する敵の急所に向かって疾走する。

レオナルドはその全てを最小限の動きでかわしていた。彼自身が超音速で動ける訳ではない。

バックナーの発砲のタイミングに合わせて、半身に構えた体をそらせ、銃弾の軌道から外していく。

頭部への弾丸は首を左右にずらし、胸部や腹部への弾丸は右手で受け止める。

たかが拳銃の弾丸とはいえ、直撃すれば人間の手や指など簡単に吹き飛ばせる威力は十二分にある。

それなのに、レオナルドの手が裂傷程度の怪我で済んでいるのは、正面からではなく側面から軌道を逸らすアプローチに徹している為だ。

人間の身でおこなえる範疇の回避行動としては理に適っているが、言われて誰もが出来る業では決して有り得ない。


 「予め断っておきますが。こんなものが寄生虫の恩恵ではありませんよ。この程度であれば、薬物やマインドコントロールの類でも十分に代用が利く」

息子が銃撃されているというのに、フレーザーは他人事の様に静かに言い放った。

バックナーは弾倉を1つ空にした。銃身から引き抜かれ、放り投げられたそれをかろうじて受け止めた春樹は、それが冗談であって欲しいと心の底から思っていた。

空の弾倉に弾丸を込めていくが、そこで気付く。満タンにできた弾倉は全部で4つ。もう持ち出した弾丸に予備は無い。

銃によるアドバンテージが期待できない近距離にレオナルドが迫った事で、バックナーはナイフを取り出し近接戦闘に移行する。


 「レオナルドの右手を見なさい。あれだけの数の弾丸を素手で処理したのに、もう出血が止まっているでしょう?」

息子と軍人の死闘にも全く動揺する事無く、誇らしげにフレーザーは語る。

「あの子は、自分で体内のあらゆる活動を制御出来る。肉体の制限を任意に解除したり、痛覚をはじめとした感覚の遮断や、免疫の活動に至るまでね」

「それって、どういう事?」

他人事ではない沙羅が質問を挟む。

「例えば、癌細胞を自力で排除出来るんですよ。免疫細胞が攻撃する対象を、自分の意思で設定する事が可能なのだから」

「そんな、事が……」

「それは、人類の新たな可能性に他ならない。今でこそ『感染』という言葉を使っていますが、私はコレを新人類と定義しても差し支えないと考えています」

「……でも、わたしはそんなものにはなりたくない」

「貴女の意思に関係なく、体内に『それ』を宿した以上、貴女はもう、人間ではない」

「……」

「だが、レオナルドとて完全ではない。あの子は、重大な欠陥を抱えている。それは……」

フレーザーが次に続く言葉を紡ぎ出す前に、バックナーが地に倒れ伏す。趨勢が決した様だった。

「馬鹿な……」

 

 体格も、重さも。何よりも、戦闘の経験においてバックナーの方が優っている。

世界各地で様々な紛争に介入してきた。自分よりも大柄な相手を制圧した事も1度や2度ではない。

だが、バックナーは本能で理解してしまった。勝てない、と。

白兵戦に移行してそれほど時は経っていない。それでも、自分に勝機が無い事を彼は分かってしまっていた。

いくら攻撃を加えようと、目の前の少年にダメージを与えたという実感が無い。大小無数の傷を負わせてはいるものの、平然とした顔で向かってくる。

加えて、あれだけ鍛えてきたというのに、膂力では目の前の華奢な少年に遠く及ばないのだ。

捌き損ねた殴打を腹に喰らい、膝をつく。そこはタクティカルベストによって守られていたが、その衝撃は肋骨3本を粉砕した。床に向かって文字通り血反吐を吐き出す。

格闘技術はこちらの方が優れているが、このままではそう遠くない内にバックナーは殺されてしまうだろう。

「そろそろ、そこを退いてもらえませんか?」

「……おいおい。最近のガキはどうなってんだよ」

言葉は軽いが、状況はシビアだ。素早く立ち上がると、再びレオナルドに肉薄するバックナー。

左のジャブを2発、3発と顔面に放り込む。レオナルドは一切の防御行動を取らずに、その全てを受ける。

というよりも、全く意に介していなかった。風を切って迫り来る拳に対して、目を閉じる事すらしなかったのだから。

本命は右手に逆手で持ったナイフだ。少年の細い首に突き立てるべく、側面から刺突を繰り出す。

バックナーは右手に確かな手応えを得た。しかし、ナイフが貫いたのは致命傷を狙った首ではなく、レオナルドの右の掌だった。

貫通した刃をものともせず、レオナルドは血だらけの右手でバックナーの右手を握りつぶした。

間髪入れずにそのまま腕を引き寄せると、伸びきった右腕の肘関節に下方向から左の掌底を打ち込んで跳ね上げる。

「ガアッ!?」

鳥肌が立つ様な不快な音を響かせ、バックナーの右腕の肘は関節とは逆の方向に折れ曲がる。ほとんど同時に皮膚から肘の骨が飛び出し、辺りに血の飛沫を飛び散らせた。

手首から先も握撃により肉塊と化してしまっている。最早、彼の右腕は再起不能の状態だ。

そのままくるりと体を半回転させたレオナルドは、ナイフが刺さったままの右手を使い、バックナーの脇腹に裏拳を叩き込む。

そのまま食堂の壁に叩き付けられ、バックナーは力無く崩れ落ちていった。

レオナルドはもう相手を見ていなかった。掌を引き裂いて貫通していたナイフを事も無げに引き抜き、放り投げる。

血まみれのナイフは小さな放物線を描いた後、床に乾いた金属音を響かせた。



 「……さて」

ぱんぱんとホコリでも払うかの様な仕草の後、レオナルドは改めて沙羅に向き直った。相変わらず、不気味な微笑は崩さない。

「とりあえず、血液を少々、サンプルとして採取させて欲しいのですが」

「それは構わないけど。その後、わたし達をどうするの?」

「構うに決まってるだろ。これ以上、お前達に関わるつもりは無い」

遮る様に春樹が沙羅とレオナルドの間に立つ。拳銃を構えた手は震えている。

「そんなもので何が出来ますか? 中尉ですら、なす術も無く倒されたというのに」

やれやれ、と大仰に肩をすくめるフレーザー。だが、春樹の声は毅然としたものだった。

「新人類の研究とやらの為だけに、この騒ぎを引き起こしたのか? つくづく狂ってるよ、あんたら」

「まさか。私1人の手で、この様なパンデミックなど。買い被りが過ぎるというものです」

「今更白を切るのか?」

「私個人は何の力も持たない研究者の1人に過ぎませんので。まあ、資金提供を受けるために多少のプレゼンテーションはさせて頂きましたがね」

「だから、意図的に感染をばら撒いたんだろ?」

「いいえ。私は『きっかけ』を与えただけです。

肌の色の濃淡だけで、大真面目に人間の価値を語る者達に。

終末思想に取り憑かれた者達に。

神や悪魔。またはそれ以外の得体の知れぬ何かを信仰し、崇める者達に。

貴方達もご存知の通り、合衆国ステイツは自由の象徴が具現化した国です。それこそ無数に正義えごが存在する。

この手のモノには需要がある。そのおかげで、我々は間もなく目的を達成させようとしている。

パンデミックが誰の手によるものなのかは、最初からどうでも良いのです。

だから貴方も、黙ってそこを退いてくれるだけでいい」

「ああ。俺も、あんたらの目的なんて、最初からどうでも良い。ただ、ちょっとだけ恋人の前で格好をつけたいだけだ」

そう言って、躊躇う事無く引き金を引く。

ただし、標的は目の前の少年ではなく、その父親であるレイモンド・フレーザーだ。

突然銃口を向けられたフレーザーは咄嗟に両手を前に突き出し、防御姿勢をとる。直後に銃声。


 だが、銃弾が彼に命中する事は無かった。

「……いつの間に」

数メートルは離れていた筈の親子の姿は、完全に重なっていた。父の前に立った息子は、拳銃の弾丸を受けたまま佇んでいる。

バックナーの時とは違い、レオナルドは銃弾を逸らすのではなく、受け止める事を選んでいた。

両腕を交差し、射線上に割り込んだのだ。外側にあった右腕からは、少なくない量の血が滴り落ちていた。

「……」

レオナルドが春樹を見る。その顔からは、いつの間にか微笑が取り払われていた。

「やってくれたね」

言うや否や、少年が迫る。出血を気にする事無く、右腕を突き出す。

「……!」

「ハルキ、ありがとね。でも、大丈夫だから」

その右腕は、目的を達する事無く宙を掻く。後ろから襟首を引っ張られた春樹は、抗議する暇も無く後退を強いられていた。

位置を入れ替わる様に前に出た沙羅は、バックナーの後詰が自分である事をアピールしている。

レオナルドも、その点は気にしない様子だった。

「どちらでも良いさ。どの道、君達はここから出られない」

目標を修正された右腕は、今度こそとばかりに獲物に襲い掛かる。


 「……昔、こんなカンジの映画、見た事ある気がする」

そんな感想を言ったのは、呆然と2人の感染者の戦いを見ていた真人だった。

殴り、蹴り、掴み、倒す。

2人の間で行われているのは、単純にこれだけである。だが、その力強さ、速度。どれをとっても常軌を逸したものだった。

ただ、その戦いは互角ではなかった。

「ねえ、春兄。沙羅姉は、何かやってたの?」

「分からない。大分前に、合気道やら空手の道場に通ってた事があるとは言ってたけれど……」

レオナルドの攻撃は、悉く沙羅には届かない。殴打の類は虚しく空を切り、掴みかかっても、沙羅はそれを強引に引き剥がしてしまう。

感染者同士である以上、2人の膂力は互角の性能を持っている。2人の差は、単純に格闘技術のみという事になる。

沙羅を優位に導いているものは、彼女自身が過去に積み重ねたものだけだった。


 「……っ」

劣勢の中でも無表情のままのレオナルド。右膝に痛打を浴び、体勢を崩したところに打ち下ろしの右掌打がモロに顎を捉える。一連の攻撃はほとんど同時におこなわれている。

痛みは感じないが、このままではまずい事は彼自身が一番よく分かっていた。

だから、起き上がる際に偶然見付けたそれを、彼は有効に活用しようと考えた。

床に落ちていたナイフを拾い上げ、春樹に向かって投げつける。

「っ!!」

反射的に叩き落とす沙羅。隙をつくるには十分だった。左胸に突き刺さるレオナルドの右手人差し指。

深々と肺にまで達したその指を引き抜くと、沙羅は血の混じった咳を零した。

「サラ!」

「……大丈夫。それよりも、あなた、その指」

「うん。セラミックが入ってるんだ。こういう時、便利でしょう?」

奇襲の手応えに満足したのか、再び微笑を取り戻したレオナルド。しかし、それも人差し指を口に含んだ途端、たちまち崩れ去ってしまう。

「……父さん。彼女も、違う。今までのサンプルとは確かに違う。でも、コレじゃあないんだ」









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