第 4話 逃避行
『死神の神託』を受けてから、半年が経った。
状況は春樹達が予想していた以上に悪い。2人の探索行が逃避行への変更を余儀なくされるまで、それほど時間は掛からなかった。
日本人は全国規模で死神にとりつかれている。1年後には絶滅の危機に瀕していると言って良い。
どこへ行っても、誰に会っても、頭上の『球』は赤・赤・赤……
人々の生活にいつもと違った様子は見られない。春樹にはそれが尚更不気味に思えてならなかった。
2人は今、南にいる。太平洋と東シナ海に囲まれ、常夏の島として親しまれるこの地は、10月も半ばを過ぎた現在も海で泳げるほどの暖かさ、否、暑さである。
全国を巡った2人が選んだ決戦の地。透き通る様な青い空と厚い入道雲。水平線を境に果てしなく広がるエメラルドグリーン。楽園とも揶揄されるここは、今日も平和そのものである。
事の重大性を認識した2人は、すぐに行動を開始した。
勤めていた会社に別れを告げ、慣れ親しんだホームを引き払い、そのまま空港へ。
主導権を握っていたのは主に沙羅。いざという時の決断の速さとその行動力に、春樹は改めて恋人の逞しさと自分の不甲斐なさを思い知らされることになった。
新天地での食い扶持を早々に確保して見せたのも、他ならぬ沙羅であった。
2人の新居(1軒家の借り家)にあまり多くも無い荷物を運び込んだ後、敷地内にあった物置小屋を整理したかと思うと、予め決めてあったかの様に素早く各種手続きを済ませ、あっという間に軽食の店を開業した。
『パーラーはるら』。2人で考えた店の名前だ。手作りの看板が、物置だった小屋の上部に誇らしげに設置されている。
海の家に近い雰囲気だが、海岸や浜辺での屋台営業でもなく、定休日以外年中無休のこういった小規模の店は、この地方では『パーラー』と呼ばれ、あちこちでよく見る事が出来る。客層は学校帰りの学生をはじめ、買い物途中の主婦、散歩がてらのおじいちゃん、おばあちゃんまで幅広く、地域に根ざした自営業のひとつの在り方と言えよう。
扱う商品も、夏祭りの屋台で並ぶような手軽なおやつのようなものだ。焼きそばやホットドッグ、簡単な揚げ物を提供する。
営業許可証の発行や衛生審査などの最低限踏まえる必要のある行程はあるものの、本格的な飲食店や雑貨店を経営するよりも元手が少なくて済む。
さらに、一品あたりのメニューも安価な小銭商売であるため、収入・支出の経済規模も小さく、リスクをコンパクトにコントロールすることが出来る。
何より、彼女の料理における手際の良さ・味の良さは春樹自身が最もよく知るところである。
沙羅はいつの間にか調理師免許まで取得していた。彼女曰く、全てはこの時のため。備えあれば憂い無し。
開店当初は沙羅の経営手腕に翻弄されるがまま、指示の通りに動くだけの助手に回っていた春樹であったが、環境に順応し始めると、徐々に営業職で培った本領を発揮。
愛想の良い挨拶に始まり、的確な受注処理。他愛の無い世間話から、店周辺の住民の家族構成や生活パターンの把握、地域行事への参加といった事まで、たった1人でこなしていく。
閃きと行動力に優れ、美味しい物を手早く大量に作り出せる沙羅、客の心理を読み取り、購買意欲を刺激し、アフターフォローまで抜かりの無い春樹。この2人が経営する『パーラーはるら』は、まるで最初からそう決められていたかの様に順調に軌道に乗った。
新天地への適応は大成功と言っても過言では無い。
春樹と沙羅が最果ての南の地を選んだのは思いつきでは無い。ここが最適な場所であったからだ。
慣れ親しんだかの地での生活を諦め、まだ見ぬ土地への移住をするからには、移住先に求めるクリアするべき条件があった。それを全て満たすのがここであった、というだけの話だ。
条件とは以下の通り。
①人口があまり多過ぎない場所であること
②それほどのリスクを伴わず冬を越せる場所であること
③軍隊規模による救助活動の速やかな展開が期待出来る場所であること
④安全な拠点を確保しやすい場所であること
⑤生活物資の確保が比較的容易に出来る場所であること
日本人の全滅が危惧されるような事態だ。人口密集地の大都市圏は避けるべきだ。多過ぎる人は避難活動の妨げになる。よって①は最初に挙げられた。
②に関して。ただ外に居るだけで死の危険があるような寒冷地に逃げる事は論外。 暖房設備が使用不能になる事態は容易に想像出来るためだ。
自衛隊と米軍の基地が両方揃っており、その規模も全国の他の都道府県に比べてこの島は桁違いだ。③・④の条件にも合致。
⑤に関して、当初はこの島に多少の不安を予想していたが、ここだって日本だ。コンビニやショッピングモールは一通り揃っているし、扱っている商品も日本全国で入手出来る様なしっかりした品質の物ばかりだった。よって、新天地はここ以外に有り得なかった。
避難候補地選びと全く関係無いが、実はここは、沙羅の生まれ故郷でもあったりする。『能山』と書いて『よしやま』と読むこの苗字は、ここではいくらか見かけることがある。
最も、沙羅は物心つくより前に両親と死別。たらい回しの結果、彼女は春樹の住む街にあった遠い親戚の家に預けられたため、そこで2人は出会う事になったのだが。
ちなみに、その家は能山姓では無い。そこで能山を名乗っていたのは彼女だけだ。
複雑な事情を抱える沙羅であったが、春樹と自身の生存に適したこの地に避難する事に、何のためらいも無かった。
むしろ、変に気を遣い、候補地から外そうとする春樹に沙羅が怒り出す場面すらあった。
かくして、この南の島は2人が暮らす楽園となったのであった。
この島で生活を始めてちょうど1年が経った頃。
いつもの様に最後の客を見送り、店を閉める2人。
この後夕飯の食材を買い求め、家路につくこともいつも通り。
だが、2人の幸せなこの日常は、もうすぐ崩壊しようとしていた。
皆さんは、もし大災害が起こる事を予め知っていたら、どこに逃げますか?
今回は、2人がそれを選んだお話です。