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第36話 絶海の孤島②

明けましておめでとうございます。

更新が滞ってしまい、2ヶ月ぶりになってしまいました……

頑張って書き続けていきますので、今年もこの作品をお読み頂ければ幸いですm(_ _)m

 蛍光灯の無機質な光が眩しくて、蔵田春樹は顔をしかめた。

「……はっ!? こ、ここは……」

意識が途絶える直前の記憶が蘇り、慌てて上体を起こす。すぐ側に居たバックナーはやや疲れた顔をしていた。

「お目覚めですか、お客様? 随分長く寝ていたな。もしかして、本当に疲れていたか?」

読みかけの本を閉じ、椅子に座ったまま春樹に皮肉を飛ばす。

「どうだろうな。……あんたらの方は、何の対応もしてくれてないみたいだな」

「どうしてそんな事が言える?」

「わかるさ、バックナー。あんたの『球』は今も点滅したままだ」

「あ? 何だって?」

「俺に視える死相ってヤツは、そんな形をしている。

全ての人間には、『球』が浮かんでいる。ただ、人によってその『色』が違う。

『青』なら正常な人間。

『赤』なら1年以内に死ぬ人間。

『赤』が点滅していたら、そいつは24時間以内に死ぬ。

で、最近になって初めて分かったんだが、感染者の『球』の色は『白』だ」

金髪の米兵が、碧眼の両目を点にして固まっている。鳩が不意に豆鉄砲を喰らったら、こういう顔になるのだろうか。

「……待て。ちょっと、待ってくれ。現実から逃げ出したい時って、誰にでもあるよな? でも……」

「ああ、その反応だ。もうすっかり慣れたよ。信じられないだろう? だから、誰にも言わなかった。

この話をしたのは、ここ十数年の中では沙羅だけだ」

「……その彼女は、お前に死相が見えるのは本当だと言っていた」

「今の沙羅が?」

「? どういう事だ?」

「……感染してからの沙羅は、俺が知っている沙羅とは違う様な気がする。

何十年も連れ添った夫婦って訳じゃないが、俺達はそれなりに長い付き合いだ。具体的にどう違うのかを説明する事は出来ないけど、今の沙羅には、何か違和感がある」

「別人と入れ替わったってのか?」

「いや、そういう訳じゃない。ただ、沙羅の『球』の色が……」

「人間辞めちまった連中と同じ『白』なのが気に喰わないと?」

「……変人を見る様な目をしていたくせに、意外に人の話を聞いているんだな」

「茶化すなよ。今の彼女は感染しているんだろう? なら、『白』なのは当たり前じゃないか」

「ああ、そうだ。だけど、今の沙羅は、感染する前の沙羅じゃない」

「……」

面倒臭いという表情を隠そうともしないバックナー。ありったけの非日常が詰め込まれた戦場では、よくこういった手合いと相対する機会がある。

普段なら経験と軍に叩き込まれた簡易カウンセリングのノウハウを駆使して受け流すところだが、今回の非日常はバックナー自身にも経験が無い。

自らの引き出しに心当たりが無い以上、完全にお手上げだった。挙句の果てに、目の前の変人に危険視されている当の本人である女性が、それを支持するという有様だ。

一方で、何度となく向けられてきた奇異の目に辟易する春樹。

こういった場合、上手く説明が出来ない自分に非がある事はよく分かっている。理解される事よりも病人扱いされる事の方が圧倒的に多かった自身の特異体質。

積み重ねた経験からそれにある程度耐性はあるものの、今は理解を得られなければ自身の生命も危険に晒される。

懐疑的なイメージを植えつけてしまったバックナーを説得し、安全な場所へ移動しなければならない。

だが、具体的な論拠を形に出来ない春樹には、それは困難を極める命題だった。

そんな2人の会話に花など咲く筈も無く、狭い寝室には長い静寂の時間が訪れた。


 春樹が意識を取り戻す少し前、メイリンと沙羅は長く伸びる通路を走っていた。

300メートルを超える全長を誇る空母は、室内も相応に広く、目的地への移動も一苦労だ。

おまけに船室の造りはどこも似通っており、きちんと内部構造を把握していなければ辿り着く事は不可能とさえ言える。

優秀な軍人であるメイリンは、切迫した雰囲気の中でも正確に沙羅をそこまで導いていく。

そこ、とは茜が収容されている医務室である。


 「止まって!」

目的地まであと少しという所に差し掛かった時、沙羅は唐突に背後からメイリンの肩を掴んだ。

その刹那。反射的に肩に置かれた左手を取り、回転しつつ沙羅の背後に回りこみ、ハンマーロックへと移行するメイリン。感染している沙羅が正気を失い、食指を自らに向けた。彼女は咄嗟にそう判断した。

しかし、沙羅はメイリンの行動に対して何の動揺も見せず、捻りあげられた左腕を強引に手繰り寄せ、拘束を解いてしまった。

「えっ!?」

素人が自力で脱出する事はほぼ不可能の筈だ。海兵隊員として訓練を重ねたメイリンの動きは非常に洗練されたものであり、肩と肘の関節も最適な角度での固定に成功していた。

それを、何事も無かったかの様に外して見せた沙羅に、メイリンは驚愕する。

技術をもって技を返したのではない。力任せに振りほどかれたのだ。鍛錬した様子も無い女性が、否、人間業で出来るものではない。

「落ち着いて下さいメイリンさん。この中はもう、手遅れみたいです」


 医務室は患者で溢れかえっていた。

患者が患者を生み、鼠算式に感染者が増えていく。中に居た50人ほどの医療スタッフは、既に大半が人間ではなくなっていた。

「馬鹿な! 噛まれてから発症までが早過ぎる!」

誰かが、そんな事を叫んでいた。感染爆発パンデミックの発生から数ヶ月。医療に携わる者達はそれなりの数の患者に関わってきた。

成れの果ても見てきたし、その症状についても熟知している。だからこそ、目の前の患者達の様子に驚愕する。

有り余る膂力に関してはこれまで見てきた者達と変わらないが、患者の増殖があまりにも早い。

絶命したと思われた者が、ものの数十秒で起き上がってくる。

感染者は同士討ちをしないため、人が人を喰らうという残酷な惨劇こそ発生する事は無かったが、人を襲った矢先にすぐに次の獲物を探し始めるため、その場に居合わせる生存者達はたまったものではない。

瞬く間に医務室は感染者で埋め尽くされ、行き場を失くした彼らは外へと続く扉に群がり始めた。


 荒々しく叩かれる扉から轟音と振動が伝わって来る。室内の様子を察知した沙羅は、メイリンの手を引きその場を後にする。

空母内の各船室は頑丈な鉄扉で隔てられているが、ヒトの制限を外れた感染者が何人も集まれば、破られるのも時間の問題だろう。

「ハルキと合流します。彼の部屋に案内して下さい」

来た道を真っ直ぐに戻ろうとする沙羅を、遅れて我に返ったメイリンが慌てて引き止める。

「ま、待って下さい! 茜さんもあの中に居るんですよ!?」

「……あの状況では救助なんて無駄でしょう? それより、ここに来る時に乗って来た飛行機を飛べる様にしておいてくれませんか?」

「……っ! ブリッジに状況を伝えます。少しだけ時間を下さい」

冷徹とも取れるほど落ち着いた様子の沙羅。メイリンは自らの背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。


 『……フレーザー博士。これは一体、どういう事だ? 厳重な防疫を施している筈の我が艦が、どうしてこのような状況に置かれている?』

『現時点では何とも。推測で語る言葉に、現状を解決する力があるとも思えません』

『最後に着艦したのは君達のミサゴだろう! 感染者をわざわざ招待したのかね!?』

『検疫はマニュアル通りに施してあります。それよりも、ですよ艦長。今は一刻も早くおこなうべき事があるでしょう?』

『わかっている! 他人事の様に言ってくれるがな。君にも追求は確実に及ぶぞ? 罷免は免れないと思え!』

『……ええ、そうでしょうね』

一言だけ残して、部屋から退出してしまうフレーザー。その表情に喜怒哀楽は感じられず、能面の様にさえ見えた。

無線を叩きつけ、苦虫を噛み潰した様な渋面をしているのがこの空母の艦長、チャールズ・マッカーサーである。


 第二次世界大戦以降、数十年に渡って穏やかな太平洋。彼もまた、訓練と自然災害への対応を主任務として職務を全うし、年老いて引退した暁には平穏な余生が約束されている筈だった。

だが、そうはならなかった。ある日、突然始まったバイオハザード。

多くの民間人を抱えての放浪生活を余儀なくされ、今は自慢のプレジデントが前代未聞の危機的状況に晒されている。

対艦ミサイルでも魚雷でもなく、乗組員自らの手によってこの船は堕ちるかも知れないのだ。

本国に救援を要請し、避難艇の準備をし、乗客・乗員へ向けてのアナウンスを部下に指示する。

緊急避難訓練で何度も繰り返してきたルーチンワークだが、彼の気分はかつてないほど最悪なものだった。

『くそっ! どうしてこうなった!?』


 「避難されて来た方々は、落ち着いて最寄の乗組員の指示に従って下さい……」

スピーカーから何度も繰り返されるアナウンスに、船内は騒然となっていた。

軍人達の間にも少なからず動揺が見られたが、現在は粛々と避難誘導がおこなわれている。

食事を終えた後、それぞれの寝室へと散っていた人々は、促されるまま通路を歩いている。

「……父さん。これから、どうなるんだろうね?」

桐子の口から、一言だけ本音が零れ落ちた。楽園病院で陣頭指揮を執っていた頃と違い、父をはじめ家族が傍らに居る今となっては、彼女もまた民間人の1人だった。

「これは、明らかにおかしいぞ」

桐子の父、政憲は怪訝な顔をして言った。

「おかしいって?」

「被害があまりにも偏っている。本来なら、ここまで拡大する筈が無かったんだ」

「……どういう事?」

「ああ。感染騒動は世界のあちこちで起きたんだけどな。国家が崩壊するほど深刻な被害を受けたのは、この国だけなんだよ。

この感染症は確かに恐るべきものだ。だが、WHOがきちんと機能していれば、ここまでの事態にはならなかった筈なんだよ。

ましてや、先進国の1つである日本が、ここまで何も出来ない方がおかしい」

「そういう事だって、あるんじゃないの?」

桐子の母が思わず口を挟む。それでも、政憲は納得し難い様子だった。

「いや、まさかな……」


「……ここも、安全な所じゃなかったのかよ」

呆然と呟いたのは真人だった。隣りで彼の腕を胸に抱く花梨は、何も言わなかった。

食事を終えた2人も、寝室で睡魔に身を任せていたのだが、今は避難指示に従って大人達と一緒に避難中だ。

今、この集団が何処に向かっているのか、民間人達は誰も知らない。

「春兄達、どこに行っちゃったのかな……?」

「大丈夫だよ。これから飛行機に乗るのかボートに乗るのか分からないけど、多分そこで会えるんじゃないかな?」

真人は努めて明るく振舞っているつもりだったが、その声には微かな震えが混じっている。

花梨もそれはよく分かっていたが、何も言わなかった。

「そうだね! 春兄だけだったら危ないかもだけど、沙羅姉が居れば大丈夫だよね?」

「う、うん。あの人、よく分かんないけどすごく強いからな……」

2人がそんな雑談を交わしている間も、各部屋から合流する避難民の数は増え続けていく。

寝室を出た頃に比べると、倍以上の集団になっていた。

通路を歩いていると、突然扉が開かれる事もあるため、2人はなるべく扉から離れた端の方を歩くように心掛けた。


 集団の先頭は甲板を目指しているのかも知れない。階段をいくつか昇っていく内に、真人はそんな事を考えていた。

無言で歩いていると、不安や心細さが際限無く湧き出してくる。どうしても注意散漫な歩行になってしまう。

そうして歩いていると、またもや前方の扉が急に開かれる。

真人の隣りを歩いていた男性が直前でそれに気付き、真人を通路の奥へ引き寄せた。

「っとと。大丈夫か?」

「あ、す、すみません」

「怪我は無いみたいだな。あと、あんた! 確認もせずに急に扉を開けるなよ。危ないだろう?」

「……」

急に扉を開けて通路に出てきたのは、中学生くらいの女の子だった。


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