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第34話 空へ

 茜が感染した。頭の上に白い『球』が載っている。

今は眠っているが、目を覚ました時、彼女はどうなるのか。

人を襲うあの感染者になるのか。或いは、サラの様に普通の人間として目を覚ますのか。

いや、今のサラは、俺の知っているサラなのか……?


 蔵田春樹は混乱していた。楽園病院に居る生存者の中で、感染していたのは沙羅だけだった。

だが、朝になってみると新たに白い『球』が増えていた。

フレーザーの施した血液検査で、感染者が沙羅1人だけである事は証明されていたし、何より、白い『球』を持つのは沙羅だけだったのだ。

つまり、感染源は沙羅という事になる。

何らかの偶発的な接触があったのか。それとも、沙羅が意図的に感染させたのか。


 そして、ここへきて、春樹の中で確信に変わった事がある。

『球』が点滅する現象は、24時間以内に『死亡する』場合の他に、24時間以内に『感染する』という場合にも起こる。

沙羅の『球』の点滅がそうであったし、茜の『球』も昨日から点滅が続いていた。

あまり考えたくはないが、感染=死亡という図式が成立する可能性がある。

恋人である沙羅が死んで、別のものになってしまった可能性。

思考が凍る。それでも、確かめなくてはならない。でも、どうやって……?


 「皆さん、出発の準備が整いました。こちらへお集まり下さい」

やや大きな声でそう言ったのは、屈強な米兵達の中で異彩を放つ紅一点、メイリン・スティルウェル軍曹だ。

彼女の誘導に従い、生存者達はホールを出る。そのまま正門を抜けて病院の外へ出ると、やや開けた場所にV-22型軍用機が2機、停まっていた。

「おお! 確か、アルファにブラボー、でしたよね?」

好奇心に目を輝かせ、飛行機を順に指差しながら真人がメイリンに尋ねた。

「ふふっ。その呼び方は、互いを識別する為のコードネームの様なもので、機体の正式名称ではありませんよ」

「え、そうなんですか?」

「ああ。要はどっちも変わりゃしねえって事だ」

「へえ。ところで隊長、後ろについてる機関銃の他に、何か特殊装備とか積んでるんですか?」

「もちろんだ。チャフやフレアにミサイル警報装置といった自衛装備に、その気になりゃあミサイルランチャーだって……」

「……男の子っていうのは、どうして物騒なものにばかり興味を持つかな?」

「ええ、本当に。ウチの男連中も似た様なものですから」

桐子の呟きにメイリンが苦笑しつつ相槌を打つ。軍曹と呼ばれる彼女だが、見た目ほど冷たい性格ではないのかも知れない。

「饒平名さん、といいましたね。少し手伝って貰えますか? これから皆さんには手前のアルファに乗って頂きます。誘導を……」

「アルファは駄目だ」

「……は?」

突然口を挟んできたのは春樹だった。

「どういう意味ですか?」

メイリンが怪訝な顔をして問い掛ける。

「……俺たちは、向こう側のブラボーへの搭乗を希望します」

「春樹くん? 一体どうしたの?」

「すみません、桐子さん。これだけは譲れないんです」

「またお前か。日本人はコミュニティの和を重んじるって聞いてたんだが、話と随分違うじゃねえか」

「……すまないとは思ってる。けど、ついでに言わせて貰えるなら、あんたにとって大事な人間がこの中にいたら、ブラボーに移しておいた方が良い」

支離滅裂な春樹の言い分だが、当の本人は今までに無く真剣な表情だ。折れる気は無いと、その目が語っている。

「……チッ」

舌打ちと共に、唾を地面に吐き捨てる。上官の下品な行為に顔をしかめるメイリンだったが、バックナーの意図は理解した。

「生存者の皆さんはブラボーへ。アルファには私と博士が搭乗します」

『いや、メイリン。お前とフレーザー博士もブラボーに乗れ』

『……真に受けるんですか?』

『ああ。中東でもな、たまにこういう事を言い出すヤツがいたんだよ。ま、全部気のせいだったがな』

『では……』

『でも、オレの曽祖父はな。戦場で仲間の臆病風を笑い飛ばして、一歩足を踏み出した矢先に頭を吹き飛ばされた。以来、バックナー家の教訓さ。虫の知らせは極力信じろってな。

ま、アイツの言う通りにしたところで、だ。特に支障がある訳でもないし、付き合ってやろうぜ?』

『……』

メイリンはもうそれ何も言わなかった。指揮権はバックナーにある。下士官である彼女は、彼に従うだけだ。

『……あ、そうだ』

『……?』

『2機の稼動チェック、いつもより念入りに頼むな。それと、貨物運搬の指揮も任せるわ』

『……チッ』

「……うわあ」

去り行くバックナーの背中に、中指を立てつつ舌を打つ。そんな軍曹を目撃した花梨は、決して悟られない様にしようと決意した。

結局、機材・物資の大半をアルファに押し込み、逆にほとんどの人間がブラボーに乗り込む事になった。


 2機の持つ、合計4枚の回転翼が稼動を始め、巨大な軍用機がゆっくりと空へ向けて飛翔する準備に入る。

互いのダウンウォッシュが干渉しない様、2機は間隔を広めにとっており、同時に飛び立つ事もない。

けたたましい音と共に先に離陸したアルファは、そこからさらに離れた位置でホバリングを開始し、ブラボーが側に来るのを待つ。


 「うーん……出来ればサンプルや機材は手元にあった方が落ち着くのですが……」

もどかしそうにアルファを見上げるフレーザー。

「先生。外にあるテントは持って行かないのですか?」

花梨が尋ねると、フレーザーは笑顔を向けつつそれに答える。

「いくら軍の空輸機といっても、あんな大掛かりの物は運べませんよ。元々、アレはトラックを使って陸路で運んできた物ですしね」

「そうなんですか? あんな大きいの、一体どこから……」

「お忘れですか? 元々この島には、たくさんの基地があるでしょう?」

「ああ、そうでしたね」

「ここから一番近い所にあるのは、北部東海岸に最近建設されたメガフロートですね。幸い、あそこは被害が少なかったので、比較的容易に物資を運び出す事が出来ました」

「そういえば。この騒ぎが起きた時、米軍は何をやっていたんですか? 自衛隊の姿も、全く見かけませんでしたけど」

「……動かせる人員のほとんどは、中南部での作戦活動に従事していました。この島の人口の8割は南の方に集中しています。つまり、それだけ被害が大きかったのです」

「それで、ようやく北部にやってきた頃には、既に主だった街は壊滅済みだったと」

「……そうなります。本当に、残念な事です」

桐子の言った皮肉めいた一言に、フレーザーは微笑を浮かべるのをやめた。

桐子もまた複雑な表情を浮かべていた。助けてくれた事には素直に感謝しているが、遅過ぎたのだ。

米兵達が、あと1日早く病院に来てくれていたなら、病院に集まっていた生存者は全て助かっていた筈だ。

今更言っても仕方の無い事だったが、その一言で消化するには、今回の犠牲はあまりにも大きかった。


 『ブラボー、離陸します。シークエンス開始。離陸後、アルファと共に飛行機形態に。以降、巡航に移ります』

メイリンがキャビンから無線で指示を送る。

アルファの副操縦席がメイリンの専用席だったが、今回の彼女はブラボーのキャビンで貨客扱いだ。

もっとも、彼らは熟練の兵士達なので、急な配置変更があっても十分に対応出来る。

彼女に代わってアルファの副操縦席に座る男も、豊富な経験を積んだ専門家スペシャリストである。

2機の専属パイロットの配置はそのままなので、全く支障は考えられない。


 ブラボーが地面を離れる。地面効果を利用し、自身が発生させる莫大な下降気流を強力な揚力へと変換させていく。

凄まじい風の奔流の中、2トンを軽く超える自重をものともせず、V-22の巨体が空へと舞い上がる。

勢いよく空へと上るその姿は、この航空機の愛称でもあるミサゴそのものである。

エレベーターの比ではない強烈な浮遊感が乗員・乗客に襲い掛かる。

十分な訓練と豊富な経験を積んできた兵士達には何の苦にもならないが、生存者達への負担は相当なものだ。

先程まで楽しそうにバックナーにあれこれ質問を飛ばしていた真人も、今は苦々しい表情を浮かべて身を縮めている。

生存者達の中で楽しそうにしている者など皆無であった。

そんな機内の中で、バックナーだけが上機嫌に甲高い奇声をあげて騒いでいた。

遊園地の絶叫マシーンではしゃぐ子どもみたいな振る舞いも、隣りに座るメイリンの的確な肘打ちにより沈黙させられる。

「さあみんな、快適な空の旅へようこそ!」

『ブラボー離陸。これより飛行機形態へと移ります。ブラボー、アルファの縦列編隊で洋上へ』

つくづく、真逆な性格をしている。そんな2人だからこそ、この小隊はうまくまとまっているのだろうか? 飛行機酔いというものを実感しながら、真人はそんな事を考えていた。


 回転翼が角度を変えていく駆動音を耳にする。これからこの機体はヘリコプターから飛行機へとその性質を変え、人々が安全に暮らせる居住地へと高速で移動する。

生存者達が張り詰めていた緊張を緩め、歓談に興じようと笑顔を見せ始めた時。異変は訪れた。


 突如、後方から吹き荒れる暴風。

世界一大きなユーラシア大陸と、世界一広大な太平洋に挟まれたこの南西諸島は、強い季節風が吹きつける事で有名だ。

この風は強いものになると風速30メートルに達する事もあり、竜巻と見紛う様な猛烈な風が時折突然襲ってくる。

先行するブラボーを追い掛ける形で飛行していたアルファは、その突風を背後からまともに受けてしまった。

強烈な追い風により、急加速を余儀なくされるアルファ。

100メートル近く前を行っている筈のブラボーの背中が急速に近付いてくる。

『くそっ! 何でこんな時に……!』

慌てた操縦士は、咄嗟に機首を下げてアルファを降下させる。結果、ブラボーへの追突は避けられたが、アルファはブラボーの下に潜り込んでしまった。

そこは、最悪の位置だ。

真上から叩きつけてくるのは、ブラボーが生み出すダウンウォッシュ。

容赦の無い下降気流を受けて、ぐんぐんと下降していくアルファ。それに抗うかの様に、回転翼の出力を上げる操縦士。

だが、それはやってはいけない措置だった。

『マズい! VRSボルテックスリングステートだ!!』

『アルファ、聞こえますか!? オートローテーションへ切り替えて下さい! エンジンとの接続を切って!!』

バックナーとメイリンがほぼ同時に叫ぶ。兵士達のヘルメットに内蔵されている無線マイクは、アルファのコックピットの音を拾い上げていた。

「Sink rate!」

けたたましい警報音と、繰り返される無機質なコンピューター音声。

『くそっ! 高度が低過ぎる! オートローテーションへの移行、間に合いません!』

見る見るうちに遠ざかっていくアルファ。2人は必死にマイクに向かって声を荒げていたが、刻一刻とその瞬間は迫る。そして。

轟音と共に着地するアルファ。いや、それは墜落だった。

『ああっ! 聞こえますか、アルファ! 応答を、応答して下さいアルファ!!』

比較的低い高度からの墜落だったため、機体の原型は保たれている様に見える。が、アルファからの応答は無い。

無線は、何の音声もブラボーに届ける事は無かった。

『メイリン! 着地のシークエンスを開始しろ。救助に向かうぞ!』

『……いいえ、中尉。救助に向かう事は、出来ません』

バックナーの指示に答えたのは、メイリンではなくブラボーの副操縦席に座る兵士だった。

『あ? 何を言っている! 機体の損傷はそこまで深刻じゃあない。コナー達は生きているぞ!』

『アルファの周りに、感染者の群れが接近しています。何時の間に、これだけ集まったんだ……!』

『そんな馬鹿な……! 駆逐が、不十分だった!?』

それは、誰に向けてでもない、ただの独り言だった。毒ガスを用いての虐殺は、彼女の指揮の下でおこなわれた。

『落ち着け、メイリン! 今やこの島では、正常に人間やってる連中の方が少ないんだ。アレは何時何処から湧いて出てもおかしくない。付近の哨戒を怠ったオレの責任だ……!』


 もう、どうしようもなかった。おびただしい数の感染者達はたちまちアルファを取り囲み、変形した機体の中へ侵入を試みる。

まさしく、飢えた獣の集団だ。小さな窓を叩き割り、無造作に手を突っ込む者。

油圧でしか動かせない様な後部ランプを、素手でこじ開けようと躍起になる者。

転倒して地面に倒れ伏した仲間を、気にも留めずに踏み越えて進む者。

何の意味も無く回転翼に取り付き、力任せに引き千切ろうとする者。

ブラボーは長い間アルファの周りを旋回し、感染者の群れに銃弾を浴びせ続けた。

メイリンは半泣きになりながら応答の無い無線に向かって呼びかけを続けていた。

群れの数は増え続け、機関銃の弾薬の残数を上回ろうかという規模になった時。献身的なミサゴは、つがいの奪還を諦めた。

ゆっくりと上空へ昇っていくブラボー。少しずつ、アルファの姿が小さくなっていく。


 ヘリコプターは飛行機へとその姿を変え、今は海の上を飛んでいる。

少し前から陸の姿は見えなくなり、何処を見渡しても青い海が広がっている。

キャビンの中は静かだった。病院の屋上に追い詰められた時の様な、重苦しい雰囲気が支配していた。

「……おい」

ずっと黙っていたバックナーが、春樹に向かって声を掛けた。

「……何だ、隊長さん」

「オレはバックナーだ。お前、名前は?」

「蔵田、春樹」

「オーケー、クラタ。お前は、どうしてアルファに乗るのを拒んだ?」

「……俺には、近い内に死ぬ人間に死相が見えるんだ。ブラボーのパイロットにはそれが無くて、アルファのパイロットにはそれが有った」

「わかった、判断材料にしよう。次、誰かにそれが出たら、オレにも教えてくれ」

「……信じるのか?」

「ああ。仲間に死なれるのは、何年この仕事を続けても慣れるもんじゃあない。神頼みなんてガラじゃ無いんだが、予めヒントが貰えるなら、喜んで変人にでもなろう」

「わかった」

一般人と軍人が、空の上で初めて握手を交わした。


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