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第31話 寄生虫

 白髪交じりの茶髪は、整髪料をふんだんに使ったのか、ガチガチのオールバックに固められている。

黒縁の眼鏡は端正な顔によく似合っていたが、同時にどこか神経質な性格をイメージさせる。

「失礼。医師をしております、レイモンド・フレーザーと申します」

軽く頭を下げて会釈すると、医師は質問を投げ掛けた花梨に向かって微笑んだ。

「皆さんには、これから血液検査を受けて頂きます」

「つまり、そのー……あんた達の『安全』を確認してからでないと、だな」

言い淀みつつも、バックナーが付け加える。

「なるほどー。じゃあ、皆きちんと検査してもらわなくちゃ。ですよね? 能山さんも」

満面の笑顔を見せる茜をよそに、春樹の表情は凍りついた。

「血液検査で、感染の有無が解るのか……?」

「ええ。今回の騒動は、あくまでもオカルトなどではなく、伝染病の爆発的感染パンデミックなので」

「つまり、血液中にばい菌なりウイルスが含まれる、という事ですか?」

沙羅も静かに疑問を口にする。

「……正確に言えば、細菌やウイルスの類ではありません。我々は、『それ』を寄生虫に分類しています」

「寄生虫!?」

「ええ。人類が今まで見た事も無い新種の、というキャッチフレーズが頭に付きますがね」


 どうやら、このフレーザーという医師は、物を知らない素人に説明をおこなう事をとりわけ好んでいる様で、饒舌に語りだした。

「宿主の行動を支配する寄生虫、というのはご存知ですか?」

「カタツムリに寄生して、鳥にわざと自身を食わせるヤツとかの事か?」

春樹の返事に、フレーザーは満足そうに目を細めた。

「そうです。彼らの場合、それは自身が寄生する宿主を変える為におこなう行為ですが、コイツは違います。単純に、自身の増殖の為に宿主を支配し、別の人間を襲わせるのです」

「ちょっと待って下さい! それだとおかしな事があります」

叫ぶ様に食って掛かる花梨。話の腰を折られてもフレーザーは表情を曇らせる事も無く、静かに花梨の言葉の続きを待った。

「死んでから起き上がった人が大半なんですよ? 先生の理屈だと感染者は『生きてる』って事になりますよね?」

「その通りです。でもね、お嬢さん。生物の『死』とは、何をもって定義するのですか?」

「……定義?」

「呼吸・心拍の停止、体温の低下、瞳孔の散大。これらはあくまで我々の判断材料に過ぎません。

現に、これらの条件の下、『死亡した』と診断されたにも関わらず、その人が蘇生した事例も少ないながら実在します。

もしかすると、我々が思う『死』という概念は、生物の真実の『死』よりも大分手前にあるのかも知れませんね。

我々から見れば『死体』でも、彼らから見ればまだ動かせる『筐体』なのですよ」


「……」

沈黙が訪れ、再びフレーザーによる講義が始まる。

「ともかく、体内に侵入した寄生虫は脳へと到達し、やがて宿主を支配します。ですが、ここで問題が起きました」

「……問題?」

「人の身体が、あまりにも複雑過ぎたのです。我々の意識の外でも、人は生きる為に様々な機能を行使しています。

呼吸や心臓の拍動によって血液・酸素を全身に供給したり、各種臓器にはそれぞれ無くてはならない役目があります。

寄生し、乗っ取ったまでは良かったものの、それを維持し、生きていく事が彼らには出来なかった。それほど長くない内に、宿主諸共死んでしまうのですよ。

当初、この寄生虫による症状は、感染すると多臓器不全に陥り死に至る。それだけでした。

他人への伝染も、偶発的によってのみ起こりました。何しろ、患者の血液・体液を体内に取り込まない限り、感染しないのですから」

「それが何故、ここまでの大災害に発展したのですか?」

桐子の問いは、フレーザーにとって待ち望んだものであったらしい。嬉しそうに表情を綻ばせ、ますます語る口は饒舌さを増していくのだった。

「彼らは、『学習』する寄生虫だったのですよ!」

「……学習?」

「ええ! 彼らは運命共同体とも言える宿主の肉体の構造を、1つ1つ理解していったのです。

最初に心肺機能を。次に代謝機能を。五感による情報感知機能を。運動機能を!」

(こいつ……何か、おかしい……)

狂科学者マッドサイエンティストという言葉が、春樹の脳裏に浮かぶ。

紳士的な態度を崩さないものの、どこか常軌を逸した雰囲気を持つこの男を、バックナーも苦手としていた。


「失礼、話を続けましょう。そうして宿主の肉体を操作する術を手に入れた彼らは、他ならぬ自身の手によって感染を拡大させるべく、他の人間に襲い掛かっていたのです。

彼らは、感染者の体内のあらゆる箇所に存在しています。例えば、噛み付いて負傷させてしまえば、傷口に付着した唾液を通して対象に侵入する事が出来ます。

ひとたび侵入を許せば、血流を利用し脳に到達した彼らは宿主を支配し、肉体の主導権を奪ってしまいます。

感染者は新たな感染者を生み出し、被害は鼠算式に拡大していった。これが、今回の災害の大まかな経緯です」

「でも、感染者の動きってかなり鈍重でしたよ? 目の前を通っても、音を出さない限り寄って来ないし」

「ええ。つまり、彼らの『学習』はまだ発展途上なのですよ。聴覚・触覚以外の五感は未熟と言わざるを得ません。

身体の動かし方もぎこちないでしょう? もっとも、彼らは宿主の肉体への損傷など全く考慮しないので、人間の本来持つ膂力を惜しみなく使っているみたいですね。

彼らの『学習』がこのまま進めば、人類にとって大きな脅威となるでしょう。現に、皆さんの祖国は壊滅的な被害を受けています」

「もしかして、世界中でこんな事が起こってるんですか?」

「……正確に言いますと、日本中、という事になります。パンデミックはまだこの島国を出ていない。

とは言っても、感染源を特定出来た訳でもありません。広い日本列島のあちこちで、同時多発的に今回の災害は起こりました。

皆さんにとっては不幸な事ですが、今のところ人類にとって最悪の状況ではない。

これが世界中に拡散する前に、何としても研究を進め、事態を収束する必要がある」

「話は大体分かりました。で、治療法は?」

「現在のところはまだありません。何しろ、電子顕微鏡を用いて初めてその姿を確認出来るほどの、極小の生物です。それが、体内の余すところ無く隅々にまで分布しているのです。

何より、情報が致命的に不足している。彼らの生態すら私達は満足に解っていないのです。

解っている事は、感染し発症した者が、人を襲うという事実だけ。検査を、受けて頂けますね……?」


 14名の生存者が1人ずつ採血をおこなう。検査の結果が出るのは、明朝になるという。

彼らは、提供された宿泊設備で一泊する事になった。肩にライフルを提げた米兵が包囲する多目的ホールの中で。

かすかに血の臭いの残るそこは、お世辞にも快適なホテルとは言い難く、安眠は期待出来そうもない。

それでも、1時間もしない内にあちこちから寝息が聞こえてくる様になったという事は、皆の疲労が相当なものであったからに他ならない。

だが、そんな中にあっても、春樹に睡魔は襲って来なかった。これから、どうしてもやらなければならない事がある。

「欺瞞、だな」

「……春兄?」

小さな呟きは、花梨によって目敏く拾われてしまった様だ。

「ごめんな。ここでお別れだ」

「……どうして」

「血液検査の結果なんて、待つ必要は無い。わかるだろう?」

「分からないよ。春兄は諦めたの? だから2人とも出ていくの? ウチと真人を置いて?」

「そうはならないよ」

そう言って花梨の頭を優しく撫でるのは沙羅だ。その微笑はどこまでも穏やかなものだった。

「これから、ハルキとわたしは本気の勝負をするの。負けた方は勝った方の言う事を何でも聞く。

で、わたしが勝つの。だから、ハルキだけは戻ってくる」

「お、おい」

「いいから。ちょっと外に出てくるね? もう遅いから、花梨はしっかり寝ておくように。明日は早いよ?」

戸惑う春樹の背中をぐいぐいと押して、そのまま沙羅はホールの入り口へと消えていった。何も言い返せなかった花梨は、静寂の中で1人声を押し殺して泣いた。


 ホールを出て、2人は楽園病院の正門へと向かう。すぐに米兵の歩哨に見付かり、中へ戻る様に促されるが、それに従うつもりはなかった。

春樹よりも少しだけ小柄な米兵は、経験の浅い若い新兵だった。困惑した彼は無線で何かを伝えるが、早口の上英語だった事もあり、春樹には何を言っているのか解らなかった。

ほどなくして、バックナーがこちらに向かって歩いて来る。当然の流れだろう。

「何をしている。勝手な行動は取るな」

厳しい口調でバックナーは日本語を投げ掛けてきた。緊張状態が長く続いているのは米軍も例外では無いのだろう。

疲れた表情が中尉である彼にも余裕が無い事を窺わせるが、春樹達も同様だ。むしろ、2人には余裕どころか猶予すら無い。

「彼女は感染している。だから、俺達はここを出て行く」

包帯の巻かれた沙羅の右腕を持ち上げ、バックナーの視界に入れる。

ある程度答えを予想していたのか、大げさに溜息を吐き、金の短髪を掻き毟るバックナー。

「あのな。潔いのは良い事かも知れんが、お前達が今やろうとしている事はとても愚かな行為だ。まだ結果は出ていない。そうだろう?」

「朝が来る前に変異するかも知れません。せっかく生き残った皆を、危険に晒したくないんです」

「なら、彼女だけを別の場所に移して……」

「変異したら『処分』するのか?」

「……」

「それはさせない。俺達の末路は、俺達が決める」

「お前に、恋人の彼女の人生を終わらせる覚悟はあるのか?」

「無いだろうね、そんなものは。でも、一緒に終わる勇気なら、俺にだってある。

これから俺達は、あんたらとは関係無い場所に行く。

その後は、あんたらの好きにすれば良い。毒ガスで燻し殺すか、機関銃でバラバラに吹き飛ばすか。あんたらのお好みの方法で『処分』してくれ」

「……お前、今まで見てきた奴らの中で一番のクソッタレだぜ」

吐き捨てる様に言い放った言葉に、春樹が答える事は無かった。そのままバックナーの横を通り過ぎ、正門を抜ける。

門扉は既に感染者によって破壊されてしまった為、随分風通しの良い入り口になっていた。見張りの兵士は、黙って彼らを見送る。

バックナーが黙認した以上、兵士達にこれ以上2人を制止する意思も義務も無かった。

「中尉、よろしいので?」

そんな中、新米の兵士がちゃっかり保険を掛けた。自らが業務を放棄したという形を避けたかったのだろう。バックナーは小柄な彼を一瞥すると、その場に居る兵士達に向かって言う。

「要救助者は、全部で12人だった。いいな?」

「いいえ、13人です」

春樹の後を遅れて歩き出した沙羅が、すれ違う際に小さく呟く。バックナーだけがそれを捉えた。

「何だと?」

思わず聞き返したが、沙羅は何も答えなかった。代わりに返ってきたのは、真っ直ぐな眼差し。

「……チッ」

バックナーの小さな舌打ちは、誰にも拾われる事無く宵闇に消えていった。


 潮騒が聞こえる。厚い雲に覆われた空は、星の瞬きはもちろん、月の光すら漏らさない。

真の暗闇と言っても過言ではないのかも知れない。だが、砂浜を歩く頼りない足場の感触と、波の音、風に乗って運ばれて来る潮の香りが2人に今居る場所を教えてくれる。

右手で握る沙羅の左手が、悲しいほどに冷たい。彼女は、先程から浅い呼吸を繰り返すようになり、時折話し掛けても上の空だった。

真っ暗闇の中では確認出来ないが、恐らくその顔は蒼白になっている事だろう。

(……いよいよ、か)

彼女の状態は、発症の兆候なのだろうか。フレーザーは、寄生虫の生態は未だ解明されていないと言っていた。

花梨は、感染してから発症までの時間には個人差があると言っていた。

春樹にも伝染病の事など全く解らないし、沙羅の体質がどんなものなのかもよく知らない。

しかし、彼女の『球』は白かった。


 陸と良太が溺れたのは、この辺りだっただろうか。そんな事を考えていると、沙羅が足を止めた。

手を引かれて彼女に向き直ると、何も言わないまま小さなその身体を抱き締める。

「……ごめん。ごめんな」

「そう、言うと……思った。ハルキって、ホントに……」

最後まで言わせまいと、腕に力を込める。だが、抱き返す沙羅の力はそれを遥かに上回るほど、強いものだった。

「……っ!」

春樹の脳裏に、感染者の姿がよぎる。尋常ならざる腕力に、一体どれほどの数の人間が捕らえられ、引き裂かれていったのか。

「わかってない」

その言葉を聞き取った。春樹が覚えていたのは、ここまでだった。


 楽園病院から少し離れた軍のテント。名目上は簡易診療所であった筈だが、様々な機器が揃ったそこは、まさに彼の為だけの研究ラボだった。

電子顕微鏡を覗くレイモンド・フレーザーは凄絶な笑みを浮かべていた。

「見付けた……! ようやく、ようやく辿り着いた……!! ははははっ!」


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