第22話 楽園病院
ハンセン病。古くから様々な名称で呼ばれてきたこの病は、いつの時代でも差別と偏見の対象となった。
体表に現れる症状が目立ち過ぎたがために、必要以上に忌避されたのだ。
空気感染も無ければ接触感染もしない。ましてや、患者の前世のおこないなど全く関係無い。
未熟な医学では解明出来なかった不透明な感染経路・呪術信仰の深い風土・排他的、閉鎖的な村社会……
風評に敏く、風聞に左右されやすい民族的特徴のひとつひとつが、患者達を追い詰めていった。
対症療法・祈祷や呪いの類に十分な効果が見られないと悟ったこの国の人間達に、ただひとつ残された手段。それは『隔離』であった。
患者だけでなく、その家族までもが隔離の対象となった。
当初は、文字通り村八分という様な距離を置くための措置に留まっていたが、文明がある程度発達した後も、この病気への偏見・誤解は根強く、ついには国立の療養所までもが建設されるようになった。
法治国家であるこの国の法さえも悪しき風評に踊らされ、万人の味方となるべき法律によってさえ縛られてしまった。
隔離法案の成立である。強制連行や逮捕といった実力行使にまでは至らなかったものの、それに近い強い圧力によって、患者達は僻地に建てられた施設への入所を余儀なくされた。
東シナ海の果てにある小さなこの島の中でも、さらに人里から離れた所に建つ楽園病院もそのひとつである。いや、今においては、その名残と言っても良いだろうか。
患者やその家族、または善意ある人々の手によって、少しずつ世間に知らされていくハンセン病のすべて。
虐げられてきた患者達の実態。その中で生きる人々の逞しくも健気な姿。
訴訟にまで発展した彼らの悲痛な声は、やがて差別の象徴と言える隔離法案さえも揺るがし、ついには覆す事に成功する。
それがさらに多くの人々の共感を得、協力を得、今日では表立って患者達を攻撃する風評も偏見も皆無に等しい。
が、それはあくまでも表面的なものであって、全ての人達がこの病気の患者・元患者達と何の抵抗も無く近しく接する事が出来るかと問われれば、その答えは否となる。
残念ながら、人はそこまで強くはないし、割り切れる生き物でもない。
今まで散々攻撃を加えてきた自分達が、彼らに対してどう接すれば良いのか。
てのひらを返す事への罪悪感。心の奥底に刷り込まれてしまった忌避感情。周囲の人間の動向への警戒、気兼ね。
交流を阻害する要因はいくつもあり、また、そのひとつひとつの根も相応に深い。
それらの垣根が取り払われ、手と手が結ばれるその日まで、ここは『忘れられた病院』であり続けるのだろう。
病院の人間と接触する事が出来た春樹たちは、応接間で緑茶を飲んでいた。
ジャスミンの香りが色濃く現れたそれは、独特な苦味と清涼感があり、甘い菓子との相性が抜群に良い。
お茶請けに出された黒糖は、この島の特産品であるサトウキビから作られたものなのだそうだ。
「子ども達にはあまり人気が無いんですけどね。今の子達はチョコレートやクッキーの方が好きみたいで……」
病院の事務職に就いている饒平名桐子はそう言って苦笑するが、真人と花梨は夢中になって黒糖を口に運んでいる。
ショッピングモールにも菓子類はそれなりにあったのだが、2人には目の前の黒糖の方が美味しいらしい。
陸は黒糖と茜の顔を交互に見ていたが、茜がもそもそと黒糖を食べだすと、それに倣い、やがて真人達との争奪戦に加わるのであった。
ちなみに、沙羅はその黒糖はあまり好きではない。どうしてもエグみが気になり、中々喉を通らない。
恐らく、黒糖を固めるために使われている石灰のためであろう。
それを差し引いても、やはり桐子の言う様に、チョコレートやクッキーの方が好みだった。
病院内には、感染者は居なかった。体調が優れない者もなく、至って平穏な毎日だという。
僻地にあり、人との交流が少ない立地が、感染の流入を防いでいたのだろう。
病に侵され、隔離された者達が、病に侵され、崩壊した世界を隔離する事に成功した。
なんとも皮肉な話だが、ここに住む人々にそれほどの悲壮感は感じられない。
元々家族をはじめとした外の人間とのつながりも薄く、病院内だけの人間関係で世界が完結している者も多く、外で何が起ころうと楽園病院に大きな変化が訪れる事が無かったためである。
その多くが年寄りで構成されている入所者だが、少ないながらも子どもの姿も見受けられた。
春樹が気になって桐子に尋ねてみると、彼らはここの入所者ではないと言う。
そもそも、久我丹島は無人島ではない。楽園病院が目立つのであまり知られていないが、30戸ほどの集落もあり、100人あまりの人間が生活していた。
幸い、この島の住民達も感染とは無縁だったが、インフラが全滅し、本島への避難もままならない現状のため、病院に身を寄せているとの事だ。
中には、車を使い避難を強行した者もいたらしいが、そこの惨状を目の当たりにし、慌てて引き返してきた。
そのまま戻らなかった連中も少なからずいるが、彼らがどうなったかは誰にもわからない。
元からの入所者も含め、今の楽園病院は150人ほどの大所帯だ。そこへ春樹達が駆け込んできたという形になる。
そこまでの説明を聞いた後、春樹の胸中にはある懸念が生じていた。
それをそのまま桐子へぶつけてみると、案の定それは正解であった。
病院での生活が、困窮しているのだ。
元々が隔離施設であるため、この病院の自立性は高い。
敷地内には広大な畑があり、職員や入所者達の手によってイモや野菜をはじめとする様々な作物が作られている。
また、施設内の電力は風力・太陽光での自家発電でその大部分を賄っている。
そして、月に一度、本島から大型トラックに載せられて大量に届けられる支給物資。
つまり、買い物に出掛ける必要など、全く無かったのだ。世界がこうなるまでは。
最後にここに物資が届けられてから、既に3ヶ月以上が経過している。
それに加え、久我丹島の住民を受け入れたために、食い扶持が増えてしまった。
未だこの施設の電力が生きているとはいえ、多くの人間が長く生活していく上で、それだけではとても十分とは言えない。
自給自足で生産できる食べ物など高が知れており、日に日に枯渇していく食料に桐子をはじめ施設運営に携わる人間は焦燥を募らせていた。
楽園病院は数台の車両を所有しており、運転できるスタッフも居るのだが、外の惨状を知ると誰もが物資の調達に消極的になっていった。
調達に出たメンバーに死者が出た時、それは決定的なものとなる。
現時点で感染者の群れがこの病院に押し寄せてくる気配は無いが、内部の人間が物資の消費を続ける限り、いつか楽園は崩壊する。
そこに、それなりの物資を積載した車両に乗って春樹達がやって来た。
楽園病院における自分達の役割を悟り、春樹と沙羅は溜息を吐いた。
子ども達は今も夢中になって黒糖を食べ続けている。




