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第21話 忘れられた病院

 「ここって、どんな施設なの?」

時は遡って茜ら家族がショッピングモールを訪れる直前。

沙羅は、地図上で現在地から北東にある小さな島を指して質問を投げ掛けた。他の3人の視線が指先に集まる。

「ここは……」

花梨が何かを思い出そうと思考の海に沈みかけた時、ショッピングモールの敷地内に自動車の音が響き渡り、脱出劇の騒動に至る。


 今は新たに2人を加え6人となった一行は、そこに向かっているところだ。

誰も何も喋らない。茜と陸は先程まで泣きじゃくっていたが、感情の波が落ち着いてくると、疲れたのか眠ってしまっている。


 国道に出てから30分余り。人の気配、否、正確には『人であった者達』の気配の一切が消失してから、静寂は一層その色を濃くしていた。


 モールを出た当初、辺りにはかなりの数の感染者が徘徊していた。

老若男女。子どもから大人まで、様々な年代の元人間達が、疾駆するワンボックスに関心を示し、群がってきた。

注意深くそれらを避ける春樹だが、小回りの利く軽自動車でも無ければ、重心の安定した乗用車でもないその車では、どうしても何人か跳ね飛ばす羽目になる。

正面から衝突してしまうとどうしても車体へのダメージが大きくなるので、人をはねる際には左右の隅で弾き飛ばす様に当てるのがコツである。

車の構造上、角の部分が剛性的に最も強く、走行中に衝撃を受けてもコントロールを失いにくい。

それでも速度は控えめに。ワンボックスの車がそれほど頑丈に出来ているとは思えないし、フロントガラスにヒビでも入ると途端に視界が悪くなる。

かと言って、あまり速度を落とし過ぎてぶつかったまま車にしがみつかれても厄介なので、そこのさじ加減も大切だが、どのみちあまり良い気分でない事は否めない。

苦い表情のまま淡々と人身事故をくり返す春樹。よほど古い車なのか、エアバッグが搭載されていない事も幸いだった。

人をはね飛ばす度に車内にはそれなりに強い衝撃と振動が走ったが、運転席にも助手席にも丈夫な風船が膨らむ事は無かった。

そんな事態に陥るととても運転どころではなくなってしまう。

はね飛ばした感染者を、タイヤで踏みつける事もなるべく避けるべきだ。

人の血脂はタイヤから思いの外グリップを奪う。無闇に何人も踏み潰してしまうと、急ブレーキをかけた際に事故につながりかねない。安全運転を心掛けながら、春樹は人をはね続けるのであった。


 それが落ち着いてくると、ようやく気が抜けたのか、ぼそりと呟きが春樹の口から漏れた。

「はあ、無事故無違反の優良ドライバーだったんだがな……」

「奇遇ね。わたしもゴールド免許だよ」

沙羅がそれに答えたところで、真人はふと思った疑問を口にする。

「あの、2人とも最後に運転したのって、いつ、どこでですか?」

「「免許を取った時に、教習所で」」

寸分違わず声を重ねる運転席と助手席の2人。溜息を吐く真人、吹き出す花梨。

どれほど緊迫した状況の中にあっても、人に笑いのツボは存在するらしい。


 今走っている国道は海沿いに差し掛かっていた。

人様の都合に関わらず、この島は今日も良い天気だ。南の青空を映す南の蒼い海も、変わらずに美しい。

右手に山。左手に海。目の前に広がるのは東シナ海。冬のこの海は、基本的に機嫌が悪い。

波が高く、風も強い。波飛沫がテトラポットを越えて国道を洗う光景もそう珍しいものではないのだが、時折大人しい顔も見せる。

今日はちょうどそんな日だった。少しだけ窓を開けてみると、潮の香りを含んだ海風が髪を洗う。

正にドライブ日和と言えるだろう。


 「思い出した。思い出したよ、沙羅姉」

ワンボックスの走りが安定し、車酔いの心配が無くなってから、花梨と真人はずっと地図を眺めていた。

とりあえずの目的地と定め、丸で囲ったその場所に、花梨の記憶の糸がようやく辿り着いた。

『楽園病院』

やや大きめのその施設は、地図によるとそう書かれている。真人も思い出した様だ。

「……ここは、ハンセン病の患者さん達の為の、療養施設、です」

「ハンセン病?」

「……そっか。患者さんを隔離するために、こんな人里から離れた所にあるんだな?」

聞き慣れない単語に素直に疑問を口にする沙羅。少しだけ考えて、事情を何となく察した春樹。

「でもね? 普通の人達なんだよ? ウチら、学校の課外活動で見学に行った事あるけど、皆良い人達だったの」

「ああ、わかってるよ。HIVや黒死病と同じだ。無知がもたらす偏見と差別が、いつだって人を苦しめる」

「……なるほど。そこまで分かった風な口をきくのに、私の父を見捨てたんですか? その偏見と差別とやらで」

「……茜」

いつの間に目を覚ましたのか、後部座席の方からひどく冷たい声が投げ掛けられた。

花梨は、こうまで憎しみに満ちた友人の瞳を、今まで見た事が無い。

茜は、どちらかと言えば目立つ事を嫌う引っ込み思案で、それでいて弟には甘い穏やかな女の子だった筈だ。

「ああ、そうだ。死人が蘇る原因も、人を襲う理由も。何もわからない。そんな中で、俺は君のお父さんを一方的に突き放した。危険だと判断したからだ」

「ハルキ!」

「いいんだ。ここは事実のみを言うよ。『大切なモノ』の優先順位の問題だ。悪いけど、他人のために冒せるリスクには限りがある」

ギリッと、ここまで聞こえてきそうなほど歯を食いしばる茜。

反論したのは花梨だった。

「じゃあ、ウチと真人を助けてくれたのはどうして!? 冒しても大丈夫な範囲だったから?」

「……ああ。もっと分かりやすく言うと、まだ 噛まれていなかった・・・・・・・・・からだ」

「……!」

怒りと戸惑いを含んだ目で思わず春樹を睨む花梨。

本当は、春樹はそこまで冷徹に線を引ける人間ではない。

今まで、非情になれなかったがために引き込んだ苦労や危険がどれほどあったことか。

沙羅はそう主張したかったが、ぐっとそれを飲み込んだ。言葉にしてしまうと、茜の父を救わなかった行動が浮き彫りになり、彼女の神経を逆撫でする事になる。


 無論、あの場で他に方法が無かったのは茜自身が誰よりもよくわかっていた。

あのまま父と行動を共にしていたら、母だけでなく自分や幼い弟までも感染者となってモールの中をうろついていた事は間違いない。

モールから出て行く花梨達の事を気にして父から離れた所に居たからこそ、変異した父の標的になるのが遅れた。

さらに母が囮になってくれたからこそ、弟と2人で逃げ出す事が出来たのだ。

むしろ、あの状況で自分達を受け入れてくれた4人には感謝するべきであって、怒りをぶつけるのは筋違いだ。

「だけど、もしかしたら、助かるかもっ、知れなかったのに……!!」

頭では分かっているのだが、出てくるのは激しい憎悪と春樹を糾弾する言葉だけだった。目の前の景色が歪む。もはやその言葉すらうまく出てこない。

「俺の事は嫌いなままでいいよ。けれど、弟もいるんだろ? せめて生きる努力は続けてくれよ?こっちも余裕が無いんだ。おんぶに抱っこはしてやれない」

そんな茜に対して、春樹はあえて軽口を叩いて煽る。

涙で顔をくしゃくしゃにする茜は口喧嘩に応戦する事も出来なかったが、ありったけの憎しみを込めて運転席に居る男を睨みつけた。

花梨や真人も何かを言いたげだったが、悲しそうに自分達の目を見る沙羅にそれを封じられてしまう。

これで良い。怒りによって何も考えられない今の状態の方が、精神に対する負担は少ないはずだ。

心理学など修めてもいない春樹。自信などなく、今の行動が正しいかどうか知る由も無い。

それでも、茜に対して優しい言葉を掛ける様な事はしない。

落ち込ませるよりも憎しみのはけ口を与えた方が、今は彼女の為になると信じて。


 「見えてきましたよ。春樹さん、あれが久我丹くがに島です」

海沿いをひたすら北上する事1時間あまり。ようやく目的地が見えてきた。

目の前には2つに分岐する道。1つはこのまま本島の最北端を目指す国道。もう1つは、大きな橋を渡って小島へと至る県道。

一行が選ぶのは、県道の方だ。


 「本当に、橋一本だけで繋がっているんだな」

思った事をそのまま口にする春樹。小さな島と本島を繋ぐこの橋は、全長500メートルほど。

島と島を隔てる海は比較的浅い様で、干潮時には橋など無くても歩いて渡れそうなほどだ。

事実、この橋は病院建設のための資材や重機を運搬する目的で建設されたらしい。


 無事橋を渡り、久我丹島への上陸を果たすワンボックス。坂を上ってまっすぐ続く道の先には、一行が目指す施設がある。

コの字型に配置された3棟の建物はいずれも5階ほどの高さがあるが、それより目につくのは、それらを囲う高い塀に頑丈な正門。その威容は他を寄せ付けないというよりも、内に囲ったものを決して外に出すまいとする意図さえ邪推出来てしまう。

「さて、中の様子はどうなっているのかな?」

「ショッピングモールみたいな事にはなっていないと良いんだけど……」

「今回はどうします? 侵入出来そうな所を探しますか?」

「いや、正面からインターフォンを押して、中に入れてもらう方向で。車もあるし、堂々としていた方が不測の事態にも対応しやすいだろう。何より……」

「何より?」

「後ろから凶器で殴られるのは、もう嫌だ」

正門前に車を横付けし、4人がそんな会話を交わしていると、正面の建物から人影が現れた。

この病院の職員だろうか。白衣の様な、看護服の様な。どちらともとれる服装の女性が、こちらに向かって歩いてくる。

その女性に見覚えがあるのか、真人と花梨が前に出る。

声の届く位置まで女性が近付いたのを見計らって、おずおずと花梨が声を掛ける。

「あの、こんにちは。お久しぶり、ですね」



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