第 2話 『点滅球』から『青球』へ
能山沙羅の『球』は、依然として点滅したままだ。
腕時計を確認する。現在pm6:30。現状として護衛対象に変化ナシ。
彼女が操作する端末が突然爆発を起こすようなことも無いし、刃物を持った暴漢がオフィス内に侵入する気配も無い。
もちろん、心不全等の急病を発症する様子も無かった。
営業の春樹は、外回りの予定を全て新人に押し付け、代わりに他のメンバーの事務処理まで全てをこなしつつ、沙羅の様子を注意深く見守っていた。
時折視線がぶつかり、沙羅の方は恥ずかしそうに目を逸らすも、真剣な春樹は尚熱い眼差しを向け続けた。傍から見ればストーカーの類に見えなくも無い。
経理に所属する沙羅は、月末や年度末を除き基本的に残業をすることが少ない。定時を少し過ぎたあたりで仕事を終えた彼女は、ちらりと気になる男性へと顔を向けた。
春樹は、やたらとこちらを気に掛けていたにも関わらず、恐ろしいほどの速度でキーボードを叩いている。どうやら、彼も残業をする気は無いらしい。
今まで見たことも無いような仕事ぶりに、戸惑いつつも少しだけ期待を抱く。少しは自分のことを意識してくれているのだろうか?
会社を出てからも、春樹は周囲への警戒を怠らない。並んで歩く沙羅は決して車道側を歩かされる事は無かったし、車が走っていなくても、歩行者信号が青になっても用心深く横断した。おかげで、近くのファミリーレストランに着く頃には途方も無くくたびれていた。それでも彼女の『球』は点滅をやめてくれない。
時折周囲から失笑を買っていた春樹の行軍だったが、沙羅は実は彼のこうした行動を目にしたことがある。と言うか、彼に命を救われたことがある。
実は、沙羅と春樹はこの会社での出会いが初対面では無い。春樹は覚えていないが、小学5年生の頃、2人は同じ学校に通っていた。もっとも、1学年に10クラスもあったので、クラスメイトでもない沙羅を春樹が覚えていなくとも無理は無いが。
当時、自分の特異性を自覚したばかりの春樹は、純粋で未熟な正義感を胸に、しばしば人助けをおこなっていた。この頃には自身の能力の分析もほぼ完了していたので、点滅を始めた『球』を持つ人間を注視する癖がついていた。
救う事が出来た命もあったが、救えなかった命ももちろんたくさんあった。
死が間近に迫っていることがわかっても、対象に何が起こるかまではわからない。ホームの端から中央へ連れて行くだけで死神が離れた老婆もいたが、執拗につけまわす自分を恐れて車道に飛び出し、見ている前でトラックに跳ねられた小さな子どももいた。
死の危険に捉われている者を救おうとする事は、失敗すればその者を自分がそのまま看取るはめになる事を意味する。英雄的行為に憧れた少年は、救った命と同数の、或いはそれ以上の数の残酷な死を見届けたおくりびととなってしまった。
目の前で人間の命が失われる衝撃に、幼い精神が耐えるにはあまりにも苦痛が大き過ぎた。
何度目かの失敗の時、春樹は自身も死にかけた事がある。
夏休みに家族で海水浴に訪れた時、沖の方で浮き輪に捕まりながら気持ち良さそうに漂っている男の子を見かけた。頭上には点滅する『球』。
きっと何らかの理由で、あの子は溺れるに違いない。春樹は自分の浮き輪を持ってその子の元へ向かった。
案の定、その子の身に変化が起こった。捕まっていた浮き輪がみるみる内に小さくなり、そのままただのビニール袋に成り下がった。
幸い、溺れ始めてそれほど経たぬ内に春樹は彼の元へ到着し、救助を試みた。
が、そこで今まで感じた事の無い恐怖を味わうことになる。
溺れる者は藁をも掴むと誰かが言っていたが、まさにその通りだった。男の子は、差し出された浮き輪を払いのけ、あろうことか春樹自身にしがみついてきた。
自分より小さな子どもとは思えないほどの怪力。鬼のような形相で春樹を海底に引きずり込もうとする男の子は、春樹にとってまさに『死神』であった。
異変を察知した春樹の父や周囲の大人達のおかげで、春樹は助かった。
だが、男の子は助からなかった。目が覚めた時、隣りで心臓マッサージを受けている男の子の引きつった表情は、春樹にとって重いトラウマとなった。
既にこの子の頭上に『球』は無い。それなのに、彼の目はこちらを恨めしそうに見つめていた。最早焦点さえも合っていないというのに。
それから春樹は人助けをしなくなった。見知らぬ他人に『点滅球』が見えても関わらなくなった。いや、むしろ避けるようになっていた。遠く離れてしまえば、その人の無残な死に様を見なくて済む。彼なりの自己防衛の手段だったのかも知れない。
夏休みが明けて学校が始まった日。春樹はまたもや『点滅球』を視てしまった。それが同じ小学5年生だった能山沙羅である。
この時、沙羅はイジメを受けていた。周囲から無視され、時折教科書への落書きや、物を盗まれるという典型的なものだ。
『点滅球』を追いかける癖が無意識に出てしまった春樹は、すぐに彼女の身の上を理解したが、関わろうとはしなかった。
下手に関わって、彼女の死体を見るのは御免だった。イジメを苦に自殺でもするのか、何かの嫌がらせが命に関わるのか。
関わるのは嫌だった。それなのに、何故かあの子を追ってしまう。探してしまう。
その日の放課後、無我夢中で学校中を駆け回り、『点滅球』を見つけた。不自然だった。そこにあるのは学校の焼却炉。ゴミの搬入口はぴったりと閉じている。
この学校の焼却炉は、放課後の掃除で各クラスのゴミを集めた後、きっかりpm5:00に自動点火によって焼却を開始する。そして今はpm4:52。こんな時刻に。ましてやこんな所に。搬入口の閉じられた蓋の上に、点滅する『球』が半分はみ出していた。
焼却炉に駆け寄り、重い蓋を懸命に開く。あの女の子が縄跳びのロープでぐるぐる巻きにされて放り込まれていた。冗談だろう!?
急いで焼却炉の中から引きずり出し、ロープを解いてやる。いくらなんでもやり過ぎだ。本当に殺す気だったのか?
思わず泣きそうになりながらも、彼女の方を見る。女の子は命が助かった事に安堵したのか、泣きながらこちらにすがり付いてくる。
しかし、頭上の『球』は未だ点滅したままだ。
春樹は、女の子を家まで送り届けることにした。危険は未だ去っていない。これから何が起こるのかわからないのだ。彼女の『球』が点滅する赤色である限り、一瞬たりとも気を抜くことは出来ない。
実は、『点滅球』を持つ人間は、点滅を始めてからきっちり24時間後に死亡するわけでは無い。放って置いたら『最長で24時間後には死亡する』というだけなのだ。春樹の知る限り、最短では2時間後に死が訪れた事もある。
だから、目の前の女の子がいつ死ぬのか、その時が来るまで本当にわからない。
ここまで関わってしまった以上、春樹はこの子を死なせたく無かった。どうしても、まとわりつく『死神』を追い払ってやりたかった。
というか、意地でも助けてやるつもりだった。
春樹のあまりに慎重な歩き方を、沙羅は不審に思ったが、彼の真剣な表情が疑問や質問を挟む余地を与えなかった。何よりも、彼は自分を救ってくれたヒーローだ。大人しくつき従う以外の選択はあり得ない。
20分ほどかけてようやく校門にたどり着いた時、沙羅が突然バランスを崩した。
車が来ないことを念入りに春樹が確認し、先に門を通過し沙羅がそれに続いたその瞬間、足元に隠されていたワイヤーがピンと引っ張られた。
ワイヤーに足を取られ、前方に倒れこむ沙羅。その頭がぶつかる先であろう地面に、五寸釘が生えていた。
咄嗟に右手で沙羅を抱きかかえるが、倒れこむ彼女を支えきれずに、春樹まで一緒に倒れてしまう。反射的に地面に左手を突き出した。釘が手の甲を貫通する。
鋭い痛みが走り、沙羅が小さく悲鳴をあげた。釘は沙羅には届かなかった。本当に良かった。
校門のところから歓声があがる。ワイヤーを引っ張った男の子達だ。
沙羅をいじめていたクラスメイトか。お前達が、コレをやったのか。
見事転倒させることに成功したとみるや、沙羅のクラスメイトの3人の男子達は、無様に転んだターゲットの、間抜けな顔を一目見ようと駆け寄った。
そして、左手からどくどくと血を流す春樹を見て思わず硬直した。
結論から言えば、あの釘はクラスメイト達の仕業では無い。たまたま落ちていた釘が、何かの拍子で起き上がったものだった。
男の子達のいたずらは、沙羅を転ばせてやるところまで。
縄跳びは簡単に解けるようにしておいたし、焼却炉には細工を施しており、自動で点火することは無かった。
それでも、怒りに我を忘れた春樹は、彼らを思いっきり殴った。殺す気で人を殴ったのは、生まれて初めてだった。
結局、彼らにはすぐに逃げられてしまい、本当に殺すことは叶わなかったわけだが。ふと我に返り、沙羅の顔を見たとき、彼女の頭上には何事も無かったかのように青い『球』が乗っていた。
それを見た時、春樹は泣きそうになりながらも、思わず沙羅に向けて呟いた。
「無事でいてくれて、ありがとう」
春樹は既に忘れてしまったみたいだが、沙羅にとっては何よりも大切な思い出だ。大人になり、運命とも言える再会を果たした。成長して容姿が変化していても、沙羅にはすぐにわかった。自分のヒーローにまた逢えた。
そして今日、どうやら自分にはあの時と同様に危険が迫っているらしい。鷹の様な用心深さでエスコートする春樹の後姿を見て、何故か沙羅は安心感に包まれていた。
沙羅の身に迫る危機は、レストランの店内で突如現れた。
どうやら、居眠り運転のトラックが店内に突っ込んできたらしい。轟音とともに店の半分ほどが滅茶苦茶に破壊された。
ドリンクバーがあり、メニューも豊富なこのレストランは、沙羅が仕事帰りによく利用する行きつけの店だった。そして、沙羅がいつも座る席が一番入り口に近い、窓際の席だった。
それが今日は、春樹が店員の勧めるその席を無視し、一番奥の壁際の席に座っていた。
それでも、ガラス片やコンクリートの礫がこちら側に多数飛んできたが、春樹はその身を挺して沙羅を守り切った。
何が起こったのかもわからず、沙羅はしばらく目をつぶっていたが、目の前には、あの日、あの時とまったく変わらない言葉を呟く春樹の姿があった。
「無事でいてくれて、ありがとう」
申し訳ありません。今回まで導入部となります。
どうしても書きたかった前置きだったんです……
次の話から、少しずつ動き出していきますので、どうか、見捨てずにお付き合い下さい。宜しくお願いします。