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第18話 ホワイトクリスマス

 かつて、蔵田春樹が住んでいた家は『拡大家族』だった。

両親と妹、母方の祖父母。つまり6人が同じ家で暮らしていた。

今、生きているのは彼1人だ。遠縁の親戚も居るには居るらしいが、1度も会った事が無い。

今更連絡を取る手段は無いし、取る気も無い。

つまり、天涯孤独の身と言っても過言ではない。そんな彼は、深層心理にまで至る昏睡の中で夢を見ていた。


 『球』の事を自覚してから、家族には何度も打ち明けた。理解を求めた。

しかし、その都度両親には叱られてきた。

『そんなものは存在しない』『デタラメを言うな』『嘘を吐くな』

話を聞こうともせず、上から押さえつける言葉だけを返された。

両親は、俺に『普通の子』であって欲しかったらしい。

祖父は、俺が幼い頃から認知証を患っており、まともな意思疎通が出来なかった。

ただ1人、祖母だけが、俺の話を聞いてくれた。

「春くんは、特別な事を知ってるんだね」

この一言は、今でも覚えている。幼い俺の心を救ってくれた一言だ。


 祖母は俺の言う事を肯定してくれたが、俺の能力を否定する両親を、責める様な事も言わなかった。

優しく、事実だけを俺に説明したのだ。

「春くんの言う『球』は、春くんには見えるけど、お父さんとお母さんには見えないんだよ」

処世術の1つと言えなくもない。だが、祖母の言葉は俺の心を圧迫する重圧を取り除いてくれた。

俺が嘘を吐いていない事を、祖母だけが信じてくれたから。


 祖母が俺の能力を肯定してくれた事もあって、俺は自分の能力を知る努力を始めた。

まず、『球』にいくつか種類がある事。

『青』に『赤』に『点滅』

『赤球』の友達が突然肺炎で入院して、そのまま3日程で亡くなってしまった事。

『点滅球』の男の人が、見てる目の前で車に撥ねられた事。

自分の『球』だけは視えない事。

『球』が人間以外には見当たらない事。

当時、小学校に上がったばかりの俺は、画用紙にクレヨンを使って絵を描き、自分の知り得た事を1つずつ祖母に報告した。

祖母はそれを聞く度に、真摯な顔で頷いて見せた。時には、質問を投げ掛けてもきた。

祖母が気を遣って子どものままごとに付き合っていた訳では無い。少なくとも、俺と祖母は真剣に考察に取り組んでいた。


 能力を使って、人を助ける事にした。失敗もした。海水浴場では男の子を助けられず、それどころか、自分まで死にかけた。

それでも祖母は、考察を途中で投げ出す事を許さなかった。

春くんの能力には、きっと大切な意味があるから、と。

クラスメイトの女の子を無事助けられたと報告した時の、祖母の喜びようといったら凄かった。

自分の孫は人様の命を救ったのだと、近所中に自慢していた。流石に少し恥ずかしかった。

成功と失敗を繰り返す俺を、祖母はいつも暖かく見守っていた。

しかし、当の俺は、少しずつ人の生死に関わる事を避ける様になっていった。


 『球』が人の生き死にに密接に関わっている事を決定的に痛感したのは、皮肉にも両親・妹の死と引き換えだった。

その日は、家族旅行で飛行機に乗った日だった。

搭乗案内のアナウンスに従い、荷物検査を済ませ、飛行機へ。

その流れの中で、違和感に気付いた。

今日は、やけに『点滅』している人が多い……

飛行機に近付くに連れて、『点滅』の人の割合が増えていく。

何より、自分以外の家族全員が『点滅』だ。こんな事は初めてだった。

嫌な予感が確信に変わったのは、機内の座席に着いた時。

周りの乗客・乗務員に至るまで、全て『点滅球』で埋め尽くされている光景を目の当たりにしてからだった。

今までに、1度も見た事の無い景色。サイレンの様に、けたたましく明滅を繰り返す『球』は、俺に強烈な嫌悪感をもたらした。

ここに居てはいけない。一刻も早く、この飛行機を降りなければ。

心臓の鼓動が激しい。息切れがする。頭も痛い。

ぐらぐらと揺れる視界と、荒くなっていく呼吸。気持ち悪い。吐き気がする。

「どうしたの? 春くん、大丈夫?」

祖母が、俺の異変に気付いた。心配そうにこちらの顔を覗き込む。

「大丈夫よ、すぐ慣れるから。飛行機酔いなんて、最初だけなんだから」

隣りの母は、呑気な事を言っている。そうじゃない。そんな、軽いモノじゃない。

俺の不安を無視するかの様に、飛行機の離陸準備が着々と整っていく。

「間もなく、当機は滑走路へと移動致します。ご搭乗のお客様は、シートベルトをお締め下さい」

機内アナウンスが流れた刹那、それを合図に俺のストレスは行き場を失って体の外に溢れ出した。

突然、嘔吐してしまう俺。自分でも訳が分からなかったが、その場で泣き叫んだ。機内が騒然となる。

騒ぎを聞きつけて、乗務員が俺の座席へやって来た。

父や母は、大丈夫ですから、と説明していたが、一旦決壊してしまった俺の精神状態は、既に尋常なものではなかった。


 結局、収拾がつかなくなった俺は飛行機を降ろされ、祖母がそれに付き添った。

2人だけ、旅行を諦める事になった。妹や両親は落胆していたが、俺は安堵していた。

飛行機を降りてみると、周りの人間の『球』はいつもと同じ様な割合に戻っていたから。

ストレスから解放された俺は、そのまま空港で気を失ってしまった。

それが、家族との永遠の別れになるとも知らずに。

自宅に着いた後にあの飛行機が墜落した事を知った俺は、再び泣き叫んだ。妹と両親も、一緒に降りてもらうべきだったのに。俺が見殺しにしてしまった。『点滅』が何を意味するか、俺は知っていた筈なのに。

俺は、祖母だけしか、助けられなかった。


 それから1年も経たぬ内に、またもや俺は、家族との別れに直面させられた。

祖父が死んだのだ。

大分前から痴呆が進んでいた彼は、家族旅行のずっと前から老人介護施設に預けられていた。

そのお陰で飛行機事故からは難を逃れていたのだが、それでも別れはやってきた。

家族の大半を一度に亡くした俺と祖母は、頻繁に祖父を見舞うようになっていた。

寂しさを少しでも埋めるためだったと思う。

学校の無い週末は、必ず施設に訪れていた。

そんなある日、目の当たりにしてしまった。祖父の『点滅球』に。

すぐに祖母に知らせ、俺達はその日施設に宿泊する事になった。

注意深く祖父の様子を見守る俺と祖母。

その瞬間は、真夜中にやって来た。

「ばあちゃん! じいちゃんの『球』が、消えちゃった!」

俺が叫ぶのとほぼ同時に、祖母がナースコールを鳴らす。

すぐに医者が駆けつけたが、何もしてはくれなかった。

祖父は既に齢90を超えていて、高齢からくる、多臓器不全。つまり、老衰だった。

俺はまた、何も出来なかった。

泣いて謝ったら、祖母に叱られた。そんな事を言うもんじゃない、と。

「春くんが教えてくれたから、じいちゃんをきちんと見送る事が出来たんだよ。ありがとうね」

俺の手を取り、涙ながらに微笑んだ。俺も、涙が止まらなかった。


 それから後も、色々な事があった。年老いた祖母は、年金や貯金をやりくりして、俺を育ててくれた。

彼女の強い希望で、俺の能力に関する考察も、2人で一緒に進めていく。


 だが、俺は精神的に疲れていた。

人の生き死には、重い。その人との関わりが、深ければ深いほど。

身近な人を立て続けに失う苦痛は、ちっぽけな正義感を磨耗させるには十分だった。


 祖母の『球』が赤くなった。恐れていた懸念が現実のものとなった。

病院に連れて行っても、検査に何かが引っ掛かる事は無かった。

どうすれば良い? どうすれば『青』に戻せる?

夜も眠れぬほど深く悩み、あれこれと手立てを考え、実行していくが、色は変わらぬまま、時間だけが過ぎていく。


 1年が経つ頃、ついに『球』は点滅を始める。

今度も、守れないのか。

簡単に変えられる運命もあるのに、次々と身近な人を失い続けてきた俺は、どこまで間抜けなのか。

自分を責めて、憔悴していく俺に向かって、祖母は静かに言った。

「春くんが、本当に守りたいものを、心に留めておけば、それで良いんだよ」

「……え?」

「春くんが、今までにたくさん傷ついてきた事は知ってる。でもそれは、あんたがそれだけ真剣に命を守ろうと頑張った結果なんだろう?」

「父さんも、母さんも。誰も守れなかったよ。今だって、どうすれば良いかわからない」

「確かに、どうやっても救えない命もあるかも知れない。でも、あんたは運命と戦う事は出来ただろう?」

「戦う? いつだって、弄ばれてきただけだよ! もう、嫌なんだ。ばあちゃん、頼むから死なないでくれよ……!」

「甘えるんじゃない!」

ぴしゃりと強く言い放つ祖母。反射的に、俺の体が跳ねる。怒鳴られたのは初めてだった。

いつだって温厚だった祖母が、大声をあげるなんて。

「世の中には、お別れも出来ずに大事な人を亡くす人の方が多いんだよ。同じ様に、何も残せずに、死んでしまう人もね」

いつになく真剣な表情で、祖母が俺の顔を正面から見据える。

「ばあちゃんは、幸せなんだよ。こうして春くんと、話す時間を与えられた」

俺の頭を撫でながら、顔を綻ばせる。

「いいかい? これからの人生で、今よりつらい事なんかいくらでもある。逃げ出すか、向き合うか。全部あんたの好きな様にして良いよ。でもね、投げ出す事だけは、絶対に許さない」

「ばあちゃん……?」

逃げても良いけど、投げる事は許さない……?

「たとえ誰かの事を、守ると決めたのに守れなかったとしても、そこに至るまでの過程を、無駄だったと切り捨てるのは駄目。

次に活かせなかったとしても、その先の自分を否定する事も駄目。

最後に、春くんの言う『球』が、視えなければ良かったのにと思う事。これも駄目。

きっと、全てに意味がある。志を諦める事はあっても、境遇を嘆いて放り出す事だけは、しないでね?」


 翌朝、祖母は起きてこなかった。布団に入ったまま、冷たくなっていた。

身の周りを綺麗に整え、安らかな寝顔で。

予め用意されていた遺書には、身辺整理の事だけで、俺への言葉は何も書かれていなかった。

伝えるべき事は、全てあの夜に語りつくしたのだろう。


 幼い俺には、よくわからなかった。いや、きっと今も、祖母が伝えたかった事を何もわかっていないと思う。

現に、相変わらず俺は他人の生き死にに関わる事を忌避しているし、誇りを持って誰かを助ける様な、崇高な人生など歩んじゃいない。

だが祖母は、俺に『投げ出すな』と言った。

だから、せめて決めた事はやり遂げようと思う。あの3人を助ける。危険を避けて、安全な場所へ。

『青球』に戻るまでは、多少無理をしてでもヒーローごっこを演じよう。

所詮一般人の1人でしかない俺は、多くの場面で仲間に迷惑を掛けるだろう。

でも、途中で『投げ出す』訳にはいかない。約束してしまったからな。


 夜中に春樹は目を覚ます。

重傷を負った彼はここのところ、昼夜を問わず眠ってばかりいた。

そのせいで、体内時計がすっかり狂ってしまったのだ。

沙羅によって間一髪のところで救われてから、もうすぐ3週間になる。

最近は大分動けるようになってきたのだが、女性陣からの病人扱いが解かれる事は無く、真人共々だらだらと過ごしている。


 寝ている仲間達を起こさぬ様細心の注意を払いつつ、寝床を抜け出し屋上の駐車場へと向かう。

駐車してある車はまばらで、それがより一層この場所を広く感じさせていた。

吹き抜ける風が冷たい。

この島に来て1年。最近になって気付いた事がある。

こんな南の地だが、冬は寒い。あまりにも寒いので、温度計を確認してみた。13℃もある。

ここに来る前は、暖かいとすら感じていた筈の気温が、ここでは身震いするほどの寒さだ。

以前、店に訪れた客が話してくれた事がある。

2年目の冬は、とても寒かったと。

壮年に差し掛かる礼儀正しいその男性は、北海道から移住してきたと言っていた。

氷点下の厳冬を経験してきた人間が、この島の冬に震えている姿は、妙に滑稽に映ったものだった。

これも、環境への適応と解釈しても良いのだろうか?

そんな事を考えながら、春樹は駐車場の隅へと歩を進める。


 壁の縁から下を覗き込むと、モールの入り口に感染者達が集まっていた。

ここに来た当初より、確実に数が増えている。

彼らなりに、人が多く居そうな場所を探しているのだろうか?

高い屋上からは、それなりに遠くまで見渡す事が出来る。

モールの周りを、広範囲に渡ってまばらに包囲している感染者達。

彼らの頭上には、等しく白い『球』が輝いている。

ここに来て初めて気付いたのだが、白い『球』は暗闇の中だと光って見える。

蛍光灯の様に周りを明るく照らす事は無いが、闇に乗じて奇襲される心配も無さそうだった。

月明かりも無い曇天の夜空の下、ぼんやりと光る無数の白。それはさながら、雪景色の様に見えなくもない。

温暖なこの島に、雪が降る事は無い。それでも、彼は目の前の雪化粧に、しばし心を奪われるのであった。

「綺麗、だな……」

「え~っ? ゴメンねハルキ。わたし、その趣味はちょっと理解できないかも」

独り言への返事に、振り返る春樹。ゆっくりと近付いてくる恋人もまた、夜の冷気に身を震わせていた。

「……サラ」

「ちょっと、捜しちゃったじゃない。怪我人なんだから、あまり勝手に出歩かないでよ」

「ごめん。ちょっと、外の空気を吸いたくなってさ」

「別に良いけど。それより、こんな終末のショッピングモールからの景色が綺麗って、どういう事?」

すぐ隣りにやって来て、ちゃっかり腕まで組みながら沙羅が尋ねる。

「ああ。感染者の『白球』がさ、たくさん集まると雪みたいに見えるなって思ってさ……」

「そっか。ハルキにしか見えない景色だね。ホワイトクリスマス、か……」

「……そんな時期だったか。ごめん、プレゼントとか全然用意出来てないや」

「別に良いけど。そんな事よりも。勝手に危ない目に遭って散々心配掛けた恋人に、何か言う事はある?」

「……ごめん」

「さっきからごめんしか言ってないよ? そんな言葉で誤魔化されると……っ!?」

言い終わる前に沙羅を正面から抱き締める春樹。シャイな彼は、普段は積極的にこういう事をしない。

意外な行動に沙羅が面食らっていると、少しだけ顔を離し、額と額をくっつけながら春樹が呟いた。

「昔の夢を見たんだ。少しだけ、落ち込む様な夢。次はもっと上手くやるから、見捨てないで傍に居てくれる?」

縋る様な目で、こちらの瞳を見つめてくる春樹に、沙羅も言葉ではなく行動で答える事にした。

春樹の首に腕を回し、強く抱き締める。続いて、キス。いつもより少しだけ、長い時間を掛けた。

名残惜しく体を離すと、顔を赤くした春樹がたった一言、搾り出す様に口にした。

「……メリー、クリスマス」


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