第17話 生存者との遭遇④
事の発端は、男達の不注意だった。
一言で言ってしまうと、強姦致死。囲っていた女性の1人が死亡したのだ。
過度なストレスが引き起こした不整脈。心筋梗塞のなれの果てだった。
突然起こったパンデミック。異常な状況下での避難所生活。男達の慰み者になってしまった不運。
彼女達に降り掛かった負荷は想像を絶するものであった。それこそ、人が死ぬほどに。
男達の身勝手な欲望に振り回され、明け方近くまで陵辱され続けた少女が、人知れず息を引き取った。
力尽きて寝ているものと勘違いされたその遺体は、冷たい床に放置されたまま。
一体この少女が何をしたというのか。
平凡で慎ましやかな人生。かけがえのない家族があっただろう。
たくさんの友人や知人も居たに違いない。もしかしたら、恋人も居たかも知れない。
その人生が、突然奪われた。無作為に、無造作に。あげく、命まで失う事になった。
彼女の無念たるや、それこそ筆舌に尽くし難いものであったに違いない。
次第に温もりを失っていく少女の身体。
その怨嗟の声に応えるものが、1つだけあった。パンデミックの元凶たる、未知の微生物である。
何らかの経路でキャリアとなっていた彼女が、死亡した事で動く屍として発症した。
小さな身体の隅々まで行き渡る怨念が、熱を失ったそれをゆっくりと動かす。
彼女はまず、同じ境遇に置かれた女性を仲間に引き入れるべく、その裸体に牙を突き立てる。
声無き声に応え、起き上がる女。
組み伏せられ、虐げられるだけだった2人の女性。変わり果てた彼女らは、静かに復讐の時を待つ。
その時は、存外に早く訪れた。一通り満足して出て行った筈の男達の一部が、部屋に戻ってきたのだ。
「ったくよぉ。健人のヤツ、無茶し過ぎだろ? 気持ち悪くて見てられねぇよ」
「……俺は、今の女達だけで、十分満足してるけど。死んでから補充を考えても、良いと思う」
自分勝手な都合のみを話題にしつつ、2人の男が部屋に入って来る。
女達は静かに彼らを見つめていた。
「あ~、悪いけど、また相手してよ。気分転換が必要になってさぁ」
いつもの様に、乱暴に押し倒す男達。既に全裸の女の様子をろくに見ようともしない。
それが、このモール内での日常だった。相手の都合を一切無視し、一方的に蹂躙する。
今日も明日も明後日も、男達は快楽の日々がずっと続くものだと信じて疑わなかった。
故に、異変に気付く事が致命的に遅れた。
女の身体が異様に冷たい事を不審に思った時。全ては手遅れだった。
ほぼ同時に女を組み敷いた男達は、同時に感染者の餌食となった。
満足に悲鳴すらあげる事が許されない。2人とも喉元に深く喰い付かれてしまったから。
自らの唇の端が裂けようと、歯が折れようと瑣末な事だ。一切の躊躇無く、女達は噛み砕いた。
大した時間も掛からずに絶命する男達。
女達が味わった、苦痛と屈辱に満ちた生に比べ、なんと安らかで恵まれた死であっただろうか。
だが、彼女達の復讐はこれで終わった訳では無い。
自分達に絶望をもたらした身勝手な獣は、まだ2匹も残っている。
仕留めた獲物を引き連れて、復讐者はゆらりと歩き出す。相応の報いを返すために。
尋問部屋。そこは静寂に包まれていた。
先程まで、健人達の怒声と打撃音、春樹達の苦悶の声で賑わっていたのだが、今は誰も喋らない。
2人の男と2人の女が、スポーツ刈りの男の体に群がり、その肉を貪っている。
「あ、ああ……」
健人は、呆然とその様子を眺めていた。腰が抜けたのか、その場に座り込んでしまっている。
程なくして、ぴたりと食事が中止される。発症したのだ。
どうやら、感染者同士が互いの肉を食欲の対象にする事は無いらしい。
今の今まで食事に夢中だった4人の感染者達。突然餌を取り上げられた彼らは、少しだけ視線を彷徨わせ、すぐに健人を見付けた。
「ひいいっ!」
一斉に健人に目を向ける4人。地を這う様な姿勢のままゆっくりと近付いてくる。口の周りは血に塗れている。
「く、来るなぁっ!」
うまく立ち上がれない彼は、後ろ手を床についたまま、怯える様に後退する。
が、すぐに障害物にぶつかり、これ以上後ろにさがる事が出来ない。
「て、てめぇ……!」
振り返った先には、同じ様に床に座り込んだまま、こちらを静かに見つめる春樹の姿があった。
その表情はどこまでも冷ややかだ。
「愛した女と親友達だろ? 最期まで側に居てやれよ」
春樹は、言葉と同時に健人の背中を渾身の力を込めて蹴りつけた。感染者達の居る方へ。
元々、2人の体格にはかなり差がある。
大柄な健人を蹴り飛ばすなど、今の春樹には不可能だ。体1つ分前に押し出すので精一杯。
だが、それで十分だった。健人の足首に、女の手が掛かったのだから。
「やめろ! 俺に触んじゃねぇよ……!!」
半狂乱になりながら、その手を振りほどこうともがく。
しかし、蹴ろうが床に叩きつけようが、掴んだ手は決して離れない。
それどころか、体格差をものともせず、女は伸ばしていた手をゆっくりと引き寄せた。
華奢な女の身体からは想像も出来ないほどの膂力をもって、なす術も無く引き摺られていく健人。他の感染者たちも次々とその体に手を掛ける。
「あっ! ぎぃやあああああぁぁぁ……!!」
噛まれた。否、喰われている。健人の足に噛み付いた感染者達は、そのまま食事へと移った。
健人にとって、最悪な姿勢だった。ネコ科の肉食獣と違い、彼らは最初に獲物の息の根を止める事に拘ったりはしない。
捕食可能であるなら、部位など気にしていない様だった。
文字通り、足から順に喰われていく。地獄の苦しみである事は間違い無い。
「ああ、あああぁぁぁ……!」
泣き叫びながら、春樹に向かって必死に手を伸ばす健人。その手は、あと少しというところで、春樹には届かない。
身をよじる度に、それを妨げるかの様に手元へ引き寄せる感染者達。足の肉を噛み千切り、咀嚼していく。
健人の悲痛な呻き声は、感染者達の食事が下腹部へと到達しても尚、室内に響き渡った。
「……個人差が、あるんですよ……」
春樹の後ろで、真人が消え入りそうな声で呟いた。
「……何に?」
「感染から発症までに、掛かる時間です。噛まれてすぐに奴らの仲間入りをする人も居れば、時間が掛かる人も居ます」
……さっきからずっと苦しんでる健人は、後者か。静かに春樹は観察する。
「ま、死んでしまえば、必ず『動く』んですけどね……」
長くあがり続けた呻き声だったが、いつの間にか止み、部屋に再度静寂が訪れた。
下半身をほとんど食べ尽くされてしまった健人が、ぎょろりとこちらに目を向けた。
「ようやく、お仲間になれたのか。よかったな」
皮肉を込めて、春樹が言う。
「……でも、コレって、かなりやばいですよね?」
真人の声にも緊張の色が隠せない。確かに、この部屋に生存者は彼と春樹のみ。
次なる標的として、彼らに感染者達の関心が集まるのは避けられない展開だった。
事実、スポーツ刈りの男が、先程からこちらを見ている。
「真人、動けるか?」
「……いえ、全く。せめて、手錠なんかされてなければ……!」
手を動かしてみるが、じゃらりという無機質な音が、無常な現実を思い知らせてくれる。
そうこうしている内に、感染者達が春樹に向かって動き始める。
さっきまで喰われる側だった健人も、ほとんど骨だけになった下半身を引き摺ってそれに倣う。
「……くそっ! 後ろ手に縛られると、立つ事も出来ないんだな……」
無論、それもあるだろう。しかし、彼らが動けない現状は、まる1日に渡って水も食事も摂れていない事と、度重なる暴行による負傷が致命的な要因だった。
何とか距離を稼ごうと、2人はぎこちない動きで後ろにさがる。が、すぐに部屋の壁に突き当たってしまう。
「くそぉっ!! こんな所で死ぬなんて……!」
いよいよ真人が取り乱し始めた。足をばたつかせ、壁や椅子を蹴りつける。
押し黙っている春樹も、決して冷静な訳では無い。
周りを見渡してみても、使えそうな道具もアイディアも見当たらない。
せめて、真人を自分の背中に隠す様に、感染者達に身体の正面を向ける。それくらいしか出来なかった。
「……死んだらおれ、天国に行けるのかな……それとも、親孝行も満足にしてないから、地獄行きかな? 地獄は、嫌だな……」
涙声で呟く真人。感染者達はゆっくりと、確実に近付いて来る。絶望の瞬間はすぐそこまで迫っていた。
「……向こう側には何も無いよ? 天国も地獄も、いつだって全部この世にあるんだから」
その声が2人の耳に届いたのは、彼我の距離が1メートルにも満たなくなった頃だろうか。
何の前触れも無く、部屋のドアが開け放たれる。
さも当然といった足取りで、沙羅が室内に入って来る。その手には、前日春樹の後頭部を襲った金属バットが握られていた。
バットで部屋のドアを思い切り叩くと、一際甲高い音が室内に響き、感染者達の注意が沙羅の方に集まる。
振り返った感染者達はゆっくりと立ち上がり、にじり寄っていく。
そこからはあっという間だった。手を伸ばす感染者を、手前から順に殴打していく。
まずは邪魔な手を。次に横に回り足の脛を。転んで位置が低くなった頭に向かって上段から振り下ろす。
一連の作業が淀み無く繰り返される。彼女は、一番高い威力の出るバットの先端部分のみを対象に当てている。
熟練さえ感じさせる様な、容赦の無い打撃が加えられていく。
そうして全ての感染者達が動かなくなるまで、それほど時間は掛からなかった。
助かった事に全身の筋肉が弛緩する。その一方で、目の前の殺戮の光景に春樹達は若干の戦慄を覚えていた。
「あんまり遅いから、迎えに来たんだけど。何なのコレ?」
少なくない量の返り血を浴びながら、それでもしれっと言い放つ沙羅は、もしかしなくても怒っている。
その事を肌で感じている春樹は、たった一言を返すのが精一杯だった。
「……ゴメン」




