第10話 受け入れ
その日、春樹と沙羅の住む家に珍しく来客があった。
篭城を開始してから、1ヶ月が経とうとしていた。
体が鈍らない様、筋力トレーニングやストレッチをおこなっていた2人は、乱暴なノックの音に緊張を走らせた。
呼び鈴は、篭城初期の頃に配線を切断して静かにさせている。
余計な者達を呼び寄せかねないからだ。
来訪者は、ボタンを押しても反応が無い事にしびれを切らし、ノックに切り替えたらしい。
久方ぶりの生存者だったが、2人の基本方針に変更は無い。
非常時における異物は、極力受け入れるべきではない。
元々人間は群れをつくり共同体を組織する習性を持っているが、緊急事態の中で組織を構成する人員が増えると、ストレス等の環境要因によって様々な衝突やすれ違いが生じるリスクが大きくなっていく。
些細な不協和音でも、時間が経つにつれて致命的な亀裂に発展しかねない。
春樹と沙羅は、2人で生きていくのがベストという結論で合意している。
物資の消費速度、平常の精神状態の維持という観点から、2人きりの方が生存確率が最も高いと判断した。
今でもそれが誤りだとは思っていない。
マニュアルで予め決められているかの様に、所定の位置へ歩き出す2人。
すなわち、春樹は地下室へ、沙羅は玄関に近い窓の側へ。
申し訳ないが、今回も見捨てさせてもらおう。2人は無言で頷き合った。
春樹が折りたたみ式の階段を下りて地下室へ向かうのを横目で見送り、少しだけカーテンをめくって来訪者の様子を覗き見る沙羅。
そこで思わず目を見開く。
ドアを叩いているのは子どもだった。
中学生くらいの男女が2人。彼らには見覚えがある。
学校帰りに『パーラーはるら』によく来てくれた常連の子達だ。
上門真人に知花花梨。
2人とも近くの中学校に通う2年生だ。
初々しいカップルのように仲の良い2人は、少ないお小遣いをやり繰りするかの様に、互いの注文したメニューをいつも半分ずつ取替えっこして食べていた。
『はるら』の全種類のメニューを一番早く完食した客達でもある。
素直な子達で、春樹や沙羅とも仲が良かった。
そんな2人が、必死な形相で助けを求めている。
花梨の方は比較的冷静である様だが、真人は半狂乱と言っても良いほど取り乱している。
無理も無い。彼らの後ろには『向こう側』に回ってしまった『元』人間達が無数に迫ってきていた。
「花梨!あいつ等、すぐ近くまで来てるよ?ホントにここで良いのか!?」
「多分大丈夫。沙羅姉達、絶対この中に居るはずだから」
かつてここを建設した空軍将校には、門構えに対しては地下室ほどのこだわりが無かったらしい。
芝生が植えられた洋館の敷地内には門も塀も無く、遮る物が何も無いため、化け物達は悠然と外の2人に近付いてくる。
「ダメだ!他へ逃げよう!!」
扉から離れようとする真人の腕に、花梨がしがみつく。
「ううん。ここが一番安全なの。ここしか無いの!」
真人に代わり、花梨がノックを再開する。
「沙羅姉、お願い!迷惑は掛けないから、助けて……!」
悲痛な叫び声が静寂の街に響き渡る。
その間にも、扉に張り付いた2人の周りには化け物の数が増えていく。
「も、もうダメだ……」
真人が今にも泣き出しそうな声をあげた。事実、もはや外に逃げ出せる様なスペースすら無い。
彼らの目と鼻の先まで、伸ばされた手は迫っていた。外の2人が、思わず目を瞑る。
その、刹那。
扉が突然内側に開き、背を預けていた2人は、館の中へ倒れ込んだ。
続いて、開いた扉がほとんど間をおかずに再び閉ざされる。
中に入り損ねた化け物の内の数体が、真人らに代わってノックを引き継ぐ。
それを後押しするかの様に、化け物達が扉に向かって集まって来る。
2人を助けた沙羅が、盛大にため息を吐いた。
「ああ……やっちゃった……どうしよう」
「いや。これで良いんだよ。サラ、頑張ったね」
いつの間にか、騒ぎを聞きつけた春樹が沙羅の側まで来ていた。
「ごめん。ハルキ、ちょっとまずいかも……」
「……何とかなるよ、きっと」
ソファや家具を玄関のドアの前に次々と移動させ、バリケードを構築する春樹。
慌てて手伝う沙羅。
窮地を脱したばかりの真人と花梨はしばらく動けないでいた。
2人が落ち着いたのを見計らって、春樹が切り出した。
「2人とも、ごめん。今まで俺達は、街の人達を無視してここに篭ってた。君らの事も、ギリギリまで迷ってたんだ」
「ああ、良いんです。ウチらだって、似た様な事してきましたから」
沙羅が淹れてくれたコーヒーを啜りながら、花梨はあっけらかんと答える。
真人はしばらく不機嫌な様子だったが、結局花梨に倣ってコーヒーに口を付ける。
砂糖にミルクも忘れない。そこでようやく彼は一息ついた。
「それで、あなた達はどうしてここに?どこかに避難してたんじゃなかったの?」
早速とばかりに、沙羅が本題に入る。
答えたのは、真人だった。
「おれらの学校は、もうダメです。『感染者』が中から出て、収拾つかなくなった」
「……『感染者』?」
思わず聞き返してしまった春樹に、今度は花梨が答える。
「アレに噛まれると、必ず向こうの仲間になっちゃうんです。伝染病の一種みたいなんで、一応、そう呼んでます」
なるほど、『化け物』より現実的な呼称かも知れない。
避難所の1つだった彼らの中学校は、その『感染者』の拡大によって崩壊してしまったとの事だ。
この2人は、着の身着のまま逃げ出して来たらしい。
その際、家族とも離れ離れになった。恐らく、生存は絶望的だろう。
「で、春兄達が、随分前から色々準備してたのは知ってたから、お世話になろうと思って」
「……え?」
「……は?」
男2人が間の抜けた声をあげる。
「……やっぱり、バレてた?」
イタズラが発覚した子どもの様に、軽快に質問を投げかける沙羅。
「そりゃあ、2人で暮らすには多すぎるくらいの買い物、あれだけ毎日やってれば目立ちますって」
「うーん、まあね。詳しくは言えないけど、うん。準備はしてた」
「何でもお手伝いします。だから、ウチらもここに置いて下さい。お願いします」
「うん、良いよ」
「やたっ!」
女性陣だけで話がどんどん進んでいく。
どうやら、中学生カップルにおいても、男女の立場は春樹・沙羅のそれと似た様なものらしい。
こうして、2人の拠点に新入りが2人加わり、4人での篭城が開始される事になった。
外から2人の人間がやってきたため、春樹と沙羅はマスコミが機能しなくなってから今日に至るまで手に入らなかった情報を仕入れる事が出来た。
当初の予想通り、未知の病原菌によるパンデミックだった。
幸いな事に、空気感染による発症は今のところ確認されていない。
『噛まれる』事による接触感染が主な感染経路となっている。
怪我をした箇所が『感染者』の手に触れられる事も危険。
未だ治療法どころか有効な対症療法も無く、ワクチンの類も全く開発の目処が立っていない。
発生源は不明。日本中の様々な地域で、ほぼ同時に発生。爆発的に拡大した模様。
日本だけでなく、世界中で同じ事が起こっているらしい。
現在、自衛隊と米軍が共同で事態の収拾にあたっているが、『感染』が拡大し過ぎていて、状況は絶望的。
救助活動の開始予定日時も現状未定。
体制が整い次第、広域無線・及びマイクでの避難指示が出される事になっている。
真人と花梨が持っていた情報は以上である。
ため息しか出てこない。
1年前の死神によってもたらされてた『死の宣告』。それは、正しく人類を追い詰めていた。
種の絶滅に王手を掛けられている。いや、詰みかけてると言っても良い。
深刻な顔で俯く春樹に、慌てて真人がフォローする様に言う。
「春樹さん、きっと大丈夫ですよ。今に特効薬とかワクチンが出来上がりますよ。天然痘だって、研究を重ねて撲滅に成功したんですから」
しかし、春樹の顔色は優れない。
「天然痘に、特効薬は無いよ。アレがどうやって撲滅されたか、知ってる?」
「……い、いいえ」
「ワクチンを普及させて、新たな感染に予防線を張った後、既に発症した患者を徹底的に隔離したんだ」
「……え?それって……」
「ああ。最後の患者が死亡して、遺体を火葬して滅菌した後、撲滅宣言が出されたんだ。患者が1人残らずいなくなれば、それで撲滅した事になる。それしか方法が無かったんだ」
「それに、今回は隔離する事自体が難しいよね。『感染者』は皆積極的に動き回って、一生懸命感染拡大に努めているんだから」
花梨が追い討ちをかける。真人はそれ以上言葉を紡ぐ事が出来ずに黙り込んでしまう。
しばらく場が沈黙に包まれたが、いきなり沙羅が立ち上がった。
「とにかく、新入り君、新入りちゃん。あなた達2人に、早速やるべき事を指示します」
場の雰囲気に似つかわしくない明るい声をあげ、2人に向き直る。
「順番にお風呂に入りなさい。着替えはこっちで用意するから」
呆気にとられて立ちすくむ真人・ぱあっと顔を輝かせる花梨。
「お風呂、使えるんですかっ!?」
「お湯出ないから、水風呂になるけどね。シャンプーとボディーソープはあるよ?」
「十分です!先、お借りしますねーっ!」
脱兎のごとく風呂場へと走り去る花梨。取り残される真人。
思わず春樹は彼の肩に手を乗せた。
「なあ、この島の女の子って、皆あんな風に逞しいの?」
「……人にもよると思います」
頭を抱える男2人をよそに、頑丈な玄関の鉄扉に挑み続ける『感染者』達のドアをノックする音が、やけに虚しくリビングに響くのだった。
日曜日の間に無事投稿出来ました。
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