人の振り見て我が振り直せ
普段ほとんど弱音を吐かない兄の一言に私は頷いた。
「好きな人には素直でいろよ」
私には2つ上に兄が一人と年の離れた小学生の弟が一人、その真ん中に私の三人兄弟だ。
長男である兄は非常に優秀な人だ。何でも卒なくこなして外見も良い。
老若男女問わずに人気がある。
対して妹の自分はどうか? こちらがどれだけ頑張っても兄の凄さの前では霞む。
中学校くらいまではその状態がひどく辛かった。
どうしても兄を知っている人は、私と比べて見てその差にびっくりする。
兄妹と言われてもあまり似た部分のない私は醜いアヒルの子のような目で見られるのが多い。
そんな環境で育ったために、兄が目立つ人だからその妹である自分をいかに目立たせないようにするかを徹底してきた。
両親も期待は全て兄で自分はおまけ。一番下の弟は無条件に可愛がられる。
女だというので父には興味も抱いてもらえない。
母は私を他人の子のように扱う。
鬱屈した気持ちを持て余していても、いかにもな悪さをするようなことはしなかった。
家庭に居場所もなく学校では兄目当ての同級生が多い中で、幼稚園から続く幼馴染みの友人3人がいつだっていてくれたからだ。
泣きたいときには誰かの家にお泊まりして側にいてくれる人がいた。
彼女たちのお陰で、兄も優秀すぎるがために苦悩する子供なんだって分かった。
その切欠は兄が高校を卒業した日だった。
「……あれ? もう帰ってきたの?」
「ああ」
打ち上げから珍しく早々と帰宅した兄に驚いた。
いつもは周囲に気を配って面倒がりながらも場が白けない程度には付き合いを大事にしている兄が、今日は1時間も経たずに帰宅したのだ。
これは何かがあったな。
普段通りに冷静にしているように見せていたが家族なら兄のおかしさに気付いた。
年の離れた末っ子の弟も気付いて質問したが、兄ははぐらかした。
そんな兄が珍しくていつも自分を馬鹿にした目で見る兄に仕返しがしたくて兄の部屋に入る。
「……なんだ」
「どうしたの?」
兄の顔を見て仕返しなんて考えは消えた。
いつも自信満々で周囲を冷たい目で見ていた兄がひどく弱っている。
自分のベッドで着替えもそのままに暗い部屋の中で寝ている兄は、いつもの兄ではなかった。
兄に対して複雑な心境を持っているが、決して嫌ってはいない。
いつだって兄として妹の自分や弟のことをしっかりと見てくれているからだ。
両親の子供への愛情というのは一般的な親のそれとは違う。
自分たちに有利なら可愛がるし不利なら見捨てる。
兄はよく褒められるが、それは「よくできた息子」という存在であるからこそであって純粋に思っているわけではない。
そんな親とはお金を出せば親だと思っている両親に代わって、自分たち妹弟をしっかりと面倒を見てくれている兄を尊敬している。
苦しんでいる部分など一切見せたことのない兄にこんな顔をさせるようなことを誰がしたのか。
見知らぬ他人への憎悪が一瞬にして湧き上がった。
「……失恋したんだ」
よっぽどな仕打ちがあったに違いないと怒り心頭になった私に、兄がぽつりと言った。
「……は? 失恋?」
まさか、それだけ?
口に出しそうになったのを慌てて押さえ込んだ。
兄の異性関係は詳しいところは知らない。
でも部活の傍らに異性関係がそれなりにあったのを知っている。
兄に相手にされなくなった女の子たちが私に寄ってくるからだ。
「ねえ、お兄さんにまた会いたいの」
なんて可愛らしく媚びてくるのはまだ良い。
「あんた本当に妹? あの人の新しい女じゃないよね? こんな趣味悪くないか」
などと言われるのも日常的風景になりつつあった。
この手の不快な言い回しには耐久性があるから女の子たちには適当に言って放置した。
何度も異性関係にはしっかりしろと言い聞かせてきても改善しなかった兄。
その兄に好きな人?
ベッドで枕に顔をつけて横になる兄を思わず凝視する。
「兄、失恋て誰に?」
そこで聞かされた話にはどうにも頭を抱えた。
「……そりゃ兄が悪いじゃん」
罰ゲームで真面目そうな子に告白して付き合ってその話を運悪く彼女に聞かれてしまった。
どう考えても非は兄にある。
実は彼女のことが気になってるのに自分の気持ちが分からなかった。
おまけに卒業式の日に待ち伏せまでしておいて、結局最後まで素直に自分の心も言えないなんて。
「兄、ヘタレだったんだ」
思わず呟いた独り言は兄に聞かれてしまった。
ぴくりと両肩がかすかに震えたのがその証拠だ。
でも自分でもそう思っていたのか反論はない。
「……それでどうするの?」
兄は一度興味を持つとその対象を手に入れるまでとことんこだわる。
もちろん手に入れても飽きたりはせずそのまま大事にする。
好きな相手ができたらどうなるのかと思っていたけど、自分の兄ながら少し恐ろしい。
「今は何もしない」
「……今は?」
ベッドから顔だけあげて私を見る兄の目は生き生きとしていた。
「一度は俺に嵌ったんだ。今度は絶対逃がさない」
「反省してたんじゃなかったの?」
私の言葉に兄はにやりと笑んだ。
「俺が彼女をしっかりと見なかったんだから失恋は自業自得。でも諦めるなんて冗談じゃない。俺は彼女を手に入れる」
それからふと顔を真剣に戻して忠告してきた。
「……こんな結果になった俺だから言うが、お前は間違うなよ」
どきりとした。
兄が私の恋愛など興味を持っているわけがない。
「お前は俺と同じように頑固だからな。でも俺みたいになるな。好きな奴には好きだとちゃんと言え。相手は自分じゃないんだ。思っていることが行動で伝わるなんて過信は駄目だ。……いるんだろ? 好きな奴が?」
真剣に問われて反抗せずに小さく頷いた。
その私の様子に兄は満足したのか、また顔を枕につけて部屋から出るように促された。
「……好きな人かあ。やっぱり彼が好きなのかな」
自室に戻って兄に言われた言葉を考えて思い出すのはたった一人のこと。
彼は最初兄のライバルとして知り合いになった。
兄と同じ陸上でそれなりに速くて同タイムを出す選手だった。
同じ学年で兄とは学校が違うけど私と同じ学校の先輩。
声をかけてきたのは兄の妹だからというよくある話だ。
最初は面倒に思って逃げ回っていたけど、少しずつ話す回数が増えていく間に彼のことが気になってきた。
それが怖かった。
兄のことを知りたくて話していただけの私が、告白なんてしても笑われないだろうか。
彼はそんな人ではないと分かっていても今までの経験が、私を躊躇させていた。
彼も私に多少は好意を持っていてくれているような気がした。
でもそれが本当かどうかなんて確かめたくなかった。
そうして気がついたら卒業式になってしまった。
「兄は辛そうだったな」
罰ゲームで付き合った彼女は自分をしっかり見てくれていたのに、それが信じられなくて結果的に彼女も兄も傷ついた。
話ぶりから彼女はもう兄に見向きもしないだろう。
私が彼女の立場ならそうする。
兄みたいに後悔したくない。
制服のポケットにしまいっぱなしの携帯電話を手にすると彼からの着信があった。
こうして彼は私と話そうとしてくれている。
これで連絡を取らなかったら最後になってしまう。
ゴクッと唾を飲み込んで携帯電話を震える指でボタン操作する。
これでどうなるにせよ、決めたのは私だ。
「人の振り見て我が振り直せは、私にはまだ遅くはないはず」
恋する乙女に後悔は似合わない。
兄が感心するような素敵な女になる第一歩は、兄みたいにはならないことだ。
いつも目立たないことを目標にしてきたけど、たまには兄みたいに目立ってみせよう!
好きな人に好きと言うのは恥かしいことじゃないんだから。
兄の振りみて私は自分の未来を変えてみせるんだ。
「……もしもし、先輩? 私です。……会って話したいことがあります」
妹視点だと兄はちょっとあれ? ってなりました。「身から出た錆」の続きはしばらくないのでかわりですがいかがでしたでしょうか。感想お待ちしています。