猫の手というか(5)
「夢魔はおおざっぱに2種類に分けられる。夢魔自身と、その夢魔が見せる夢のことを『ナイトメア』と言って、この悪魔が見せる夢は悪夢なんだ。つまり、恐怖を与える悪魔」
「ナイトメアね。なんか聞いたことあるな。たしかゲームとかに出てきた馬面なボスキャラだった気がする」
「そうかもね」
ナイトは夜、メアは古い英語で霊を意味する。だから、ナイトメアは元々『夜の霊』という意味だった。
それが、後世ではメアが牝馬を指す言葉とされるようになって、絵画とかで、炎に包まれた馬で表現されることが多くなった。だから、ゲームとかで出てくるナイトメアは馬の姿をしていることが多い。
「――実際のナイトメアが馬の姿をしているかどうかっていうのは……ちょっとね。僕もまだ会ったことがないから、分からないや。……そして、もう一方はインキュバスまたは、サッキュバスと言って、この悪魔は淫魔なんだ」
「いんま?」
兄がぽかんとした顔で首を傾げた。
「淫乱の『淫』で、悪魔の『魔』。分かる?」
「オーケー、オーケー。続けて」
「インキュバスは男性の夢魔で人間の女性を襲い、子どもを生ませる。サッキュバスは女性の夢魔で人間の男性と交わって精子を集めると言われている」
「うわっ。なんか、カズの口から、襲うとか、交わるとか、精子とか言われると、エロさ倍増だな」
和久は、じたばたと悶絶し始めた兄を一瞥し、話を続ける。
「サッキュバスが集めた精子をインキュバスが人間の女性の腹に受精させるらしいんだけど、インキュバスとサッキュバスは同じもので、時として変身して使い分けているのだとも言われているんだ。ともかく、この二つの悪魔はナイトメアと異なって快楽を与える夢魔なんだ。6歳の子どもをインキュバスが狙うとは思えないから、たぶんナイトメアだと思うけど」
「か、快楽っ!! どああああああああ」
突然絶叫した兄に、さすがにゆずるが本から顔を上げた。
「なんだ、うるさいぞ」
「ごめん。直ちゃん、なんか妄想入っちゃってでてこない。ほっといていいよ」
「当たり前だ」
ゆずるが一冊の本を手に持って、こっちへと歩いてきた。
「何か分かったの?」
「これに少し乗っていた。前回夢魔と一族が戦ったのは、記録によると百年前だ」
「退治法は?」
「載ってない。おそらく、今、優香に取り憑いてる夢魔は、九堂の結界を容易に敗れるような強力な魔物だ。過去の戦いでも、退治までは不可能だったのかもしれない」
「なるほど……追っ払うのが精いっぱいだったんだね、きっと」
「なんだよ。案外、使えないなー、ご先祖様も」
と、何事もなかったかのように兄が会話に入ってきた。
ゆずるも和久も、ちらりと直久に視線を送ったが、すぐに話を戻す。何も暗黙の了解で、聞かなかったことにしたのだ。
「まあ、でも。夢魔だって、悪魔なんだから、いつもみたいに憑かれている人から引き離して、退治するのがベストなんじゃない?」
「そうだな。優香から引き離す読経を試してみるか」
「でもさ?」
再び兄が口をはさんだ。が、無視してゆずるは続ける。
「だが、読経にそれほど効果があるとは思えないし、別の方法を考えた方がいいかもしれないな」
「そうだね……別の方法かぁ」
和久は、すっと目を伏せ、腕を組んで少し考えたが、すぐに一つの方法を思いつく。
「……例えば、夢に入って、中から優香ちゃんを起こす、とか?」
「それができれば、一番確実だし、楽だな。でも、どうやって夢に入る?」
「待って、たしかそんな呪文があった気がする。昔、別件で調べものをしてた時に、書庫で見かけたよ、僕」
希望の光を見つけたことで和久の顔が、ぱーっと輝やく。そして、呪文を探そうと本に手を伸ばした時、再び直久が口を開いた。
「あの~、発言してもよろしいでしょうか」
すぐさま、ゆずるの氷のような視線に、兄は身を縮みこませることなった。
「ひ、一言だけです。どうしても気になるんで」
「なんだ。くだらなかったら、瞬間移動で富士山の頂上に吹っ飛ばすぞ」
「ひ、ひいい。そんなお代官様、殺生な」
「早く言え!!」
「いや、あのですね。さっきから拝聴していますと、何やらカタカナが飛び交ってらっしゃいますよね」
兄は、わざとらしく間をおいた。
「そんな英語圏の悪魔に、日本語の読経とか……日本語、通じるわけ?」
「……」
「……」
「……あれ、僕ってば、やっぱり富士山行き?」
◆◇
「あったよ。これだ! 夢の中に入る呪文」
そう和久が歓喜の声を上げたのが、午後九時過ぎだった。
「それは、よかった、よかった。俺さすがにお腹すいたもん」
なんとか富士登頂を免れた直久は、ぼそりとつぶやいた。それで、和久も自分の空腹に気が付く。
見れば、和久の声にこちらへ歩み寄ってくるゆずるの顔にも、疲労が浮かんでいた。
(ここから先は夕飯の後かな……)
「呪文をこれに書きうつせ」
ゆずるから紙とペンを受け取ると、和久はさらさらと呪文を写していく。
「お、今度は俺にも読めるぞ」
和久の横から、本を覗きこんでいた兄が、声に出して読みだした。
「『夢ニ入ルニハ、夢ヲ見シ人物ノ傍ラニ立チ、其ノ者ノ耳ニ呪文ヲ囁ク』か。カタカナ、うぜえな。いつの時代の文章だよ」
「いつかなあ。明治初頭くらいだと思うけど」
和久は、そう答えながらも手を休めることはない。
眉をひそめ、さらに兄が音読を続けた。
「『ソノ時、香ヲ焚クベシ』」
「香?」
さすがの和久も顔を上げて、その一文を探した。
「ほんとだ。香を焚きながら呪文を唱えろって。あれだね、アロマテラピーみたいなものかな。香りは眠りを誘うから」
「何の香か書いてあるか?」
少し離れたところから、耳だけ傾けていたゆずるが話に加わった。
「えっと……」
「ん?」
双子の眉間に皺が寄る。
数秒の沈黙ののち、二人は顔を見つめ合わせた。ぱちくりぱちくりと、数回瞬きをしてから、再び同時に書物に目を落とす。
「ねえ、これどうしてここだけ、ひらがなで書いてあるんだろう」
「わかんねえ。めちゃめちゃ不自然だな」
「もしかして、書いたヒト、意味がわかなかったんじゃない?」
「だろうな。微妙に間違ってるもんな」
「まちがってるよね」
「どう考えてもアレだろ? トイレの芳香剤でよくあるやつ」
「そうだよね、紫色の花のアレだよね」
「おしいんだよな。ほんとおしい。順番が間違ってるだけだもん」
「そうだね。ご先祖様的には頑張ったんだね」
「そうだよ。言いたいことは分かるから、多めに見てやれよ。俺だったら、テストで丸あげるぜ」
「ええ、バツでしょう。さすがに、意味違うし。だって絶対、香りでないよ、これ焚いても」
「確かに! 煙くて目覚めるかも」
二人だけで盛り上がって、中々答えがかえってこないので、しびれをきらしたゆずるが再び問う。
「だから、なんて書いてあるんだよ」
再び顔を見合わせて、双子は同時にゆずるを振り返る。そしてみごとなまでのハモリを見せた。
「べらんだー」