猫の手というか(3)
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九堂家には、それは膨大な書物を納めた書庫がある。膨大と一言であらわすのも恐れ多いほどの書物だ。内容は全て、一族が退治してきた妖魔や悪霊に関することばかり。
そう。九堂家が代々引き継いできたものは、血筋と能力と、そして、この書物であった。
いわば、この書庫に納められた膨大な書物は、一族の歴史に等しい。いわば、一族の生命線であり、家宝であった。
ヒトよりもはるかに長寿である妖怪たちを相手にするには、こうして情報を子孫に伝えていくしか身を守るすべがないのである。
そして、この書庫には誰でも入れるわけではない。よって、一族の中では透明人間的な扱いをされる直久は、もちろん今回が初めての入庫となる。
「すっげ~~~なぁ~~~。なんじゃこりゃっ!!」
開いた口がふさがらないとはこのことで。
「埃が入るよ、ここ、ほとんど掃除してないから」
「どんだけあんだよ。何々……」
兄は、手近にあった書に目を落とすと、ぱらぱらとめくった。が、すぐさま、無理、と読書を断念したようだ。
「その辺は、一番古い時代のだから無理だよ」
からからと和久は笑いながら、続ける。
「僕でも読めないもん」
「一番古いって……」
「そう、小夜様の手だと言われているけど、本当かどうかは、ね」
「あれか! 妖怪の娘っ!!」
兄は顔を引きつらせて、まるで汚いものでも触ったかのように、両手を払った。
「でも、僕らの御先祖様だよ……。彼女が生まれてなかったら、僕らは生まれてないし」
「ってことは、俺も妖怪の子孫かっ!!」
「……何をいまさら……」
「いや、読者を代表して発言してみました」
「読者? 何言ってんの?」
「いえ、こちらの話デス」
和久たち一族の子供たちは、物心がつく頃から、能力の使い方と同時に教え込まれてきたことがあった。それが、この小夜という娘の話である。
今からさかのぼること千百年。一人の少女から九堂一族の歴史は始まる。
彼女の名は小夜。
生まれは、平安初期の頃だと言われているが、確かな生年月日もその場所も、もはや調べるすべがない。
だが、唯一確かなことは、彼女の父のことであった。
父の名は、大伴泰成。当時、都でもそこそこ有名な陰陽師であった。
陰陽師とは、天文道・陰陽道・暦道といった学問に精通した官僚であり、吉凶を占ったり災害を祓うための祭祓を密かに執り行い、場合によっては敵対者の呪殺まで請け負うような職業であった。もっとも有名な人物は、残念なことに安部清明であろう。
なぜ、残念なのかというと。
この安部清明の台頭によって、都から追い出されたのが、和久たちの祖先、大伴泰成だったからだ。
流星のごとく現れた神童、安部清明に、大伴泰成は焦ったに違いない。しかも、その能力たるや桁違い、いや、段違い。ヒトならぬモノの子であるという噂さえ、まことしやかに囁かれだした。
完全に幼い子供に、自分の居場所を奪われた大伴泰成は、関東に落ちた。そこで一匹の美しい妖怪と出会う。銀色に輝く毛並みを持ち、丈が人間のニ倍は優にある大きな妖狼だった。
二人は恋という盟約を交わし、妖狼は一夜にして身ごもった。
十年後、妖狼は女子を出産する。そして、子の父親の言いつけ通り、『小夜』と名付けた。
その娘こそ、九堂家の一代目というわけである。
「第一、僕らのお祖母様はイタチの娘なんだよ。そんなに毛嫌いしなくてもいいじゃない?」
和久は、笑いながら兄をゆずるのもとへ案内する。
「でもさ~、そんな冗談、本気にしてんのかよ。イタチの血が俺に入ってるとか、わけわかんねぇし」
(ほんとなんだよな、これが)
心の中で兄に返事をし、和久は足を進めた。
二人の祖母は、イタチの妖怪を父親に持つ。これは一族では周知のことであり、このような妖怪の子供は、珍しいことではなかった。
一族はその血が薄まることを嫌った。血が薄まることで、能力が弱まることを懼れたのだ。
そのため、定期的にヒトと妖怪の混血児を設けて、その能力を維持してきた。ちょうど祖母がその時期であっただけ、というのが一族の全体の見解である。
そして、その祖母は、直久のことをひどく嫌っていた。弟の和久の目から見ても、あからさまなほどに。
それは、単純に相性が合わないからという理由ではないようだが、その本当の理由を双子が知るわけがない。だが、時折見せる祖母の視線に、恐怖が入り混じっていることを和久は感じ取っていた。
脅えているのだ。強大なイタチ妖怪の娘である祖母が、“無能”な兄に。
いつからか、自分を毛嫌いする祖母を当然のように兄も嫌うようになり、お互いになるべく避けるようになってしまった。
が、和久には、兄よりも祖母の避け様の方が極端であるように思えてならない。
今日だって、兄が本家に近づいてくる気配を悟ったのか、祖母はいつの間にか自室の分厚い扉の中に引っこんでしまっていた。
何か自分たちには知らされていない秘密があるのではないか。
最近、和久にはそう思えて仕方がない。
二人は、天井まで届く本棚の間を、なんとかすり抜けて書庫の奥へとたどりついた。いとこの背中が視界に入る。
「ゆずる。直ちゃんが来たよ」
一応、声をかけたが、案の定返事はない。すでに、文献に没頭しているらしい。
「それで、俺はなんでこんな紙ばっかりの、ほこり臭いとこに呼ばれたわけ?」
兄は、やれやれ、と言いながら、手近にある書物を数冊いっぺんに抱え上げては、床の上にドサドサっと置くという動作を数回繰り返し、あっという間に腰ほどの高さに積んでしまう。
まさか、とは思って見守っていたのだが、やっぱり兄はその上に座った。
(……お祖父さまが見たら、卒倒しそうだなぁ……)
ははは、と小さく笑いながら、和久は心の中でつぶやいたが、古文書学の権威だって平安初期の貴重な資料がこんな乱雑な扱いを受けていると知ったら、顔を真っ青にして悲鳴を上げるに違いない。
この書庫にある書物は平安初期から現代のものまで、まるで新品のように保存されていた。千年以上も前の古文書も、時を止めたように、当時の姿のまま現存するというだけで、学者たちは奇跡だと叫び、興奮のあまり発狂かもしれない。きっと手をぷるぷる震わせて、夢中になってページをめくり、一年は書庫から出てこないのではないだろうか。
こんな湿気の多い日本で、こんな無造作な扱いをしていたら、千年たった紙などボロボロになっていて、まともに読めないのが普通だからだ。
だが、この書庫の古文書には、劣化しないように術がかけられていた。ちょっとやそっとでは赤茶けたり、汚れたりすることはないし、破けたり、水で滲んだり、燃えたりすることもないのである。他言無用、門外不出であるのは言うまでもない。
この書庫に出入りする資格を得たものは、まず頭にたたき込めと言われていたから、和久もゆずるも、そのことは重々承知していた。
でも、直久は違う。たぶん、書物の貴重さも、術がかかっていることも全く知らないし、気にも留めていないし、興味すらないのだろう。そうでなければ、このような扱いができるはずがない。兄らしいと言えば兄らしい。だから和久はあえて何も言わないことにした。
「夢魔、についての本を探してほしいんだ」
「夢魔? なんだそりゃ。あ、わかった。夢を食う、カバみたいな――」
「それはバク。夢魔は魔物」
「わ、分かってたよ。分かっててわざとボケたんじゃん。やだわ、和くんたら~、ほほほ」
「さ、手を動かして。『夢魔』または『ナイトメア』、それから『夢』に関する情報を何でもいいからピックアップしてね」
「へいへい」
面倒くさそうに、兄が書物に目を落とすのを見届けると、和久も情報収集を始めた。