エピローグ
エピローグ
「やっぱりお前か」
直久は、深々とため息をついた。
「なんじゃ、嬉しくないのか?」
「嬉しいわけないだろう! なんだこれは!!」
直久は、B5サイズの和紙を男に突き出した。そこには『裏庭にて待つ』の文字。
それを見た山神はカラカラと笑った。
「前は喜んでおったではないか」
「うるさいっ!! てか、こんなもんで、俺の体に入れると思ってたのかよ」
意識を取り戻した直久は、全てを和久から聞いていた。
自分の胸を刺したために、瀕死の状態であったこと。
それを貴樹が治癒するために、慌てて本家まで運ばれたこと。
そしたら、体の中に入っていた山神が体を乗っ取って、“本殿の祭壇から”何かを盗んで消えたということ。
「実際、お主もここに来ておるではないか?」
「やかましいっ!!」
今日もなぜか、学校の机の中に、例の手紙が入っていたので、仕方なく来てやっただけだ。それに、聞きたいこと、言ってやりたいことが山ほどある。
「だいたい! いつから俺の体にいたんだよ」
「お主があの結界から、歩いて出てくるのを見た時じゃ」
「俺が本家の結界から?」
ほとんど本家に近寄らない直久が、先日、確かに一度だけ自分の足で、あの黒鳥居をくぐった。本家の書庫に呼ばれて、夢魔について調べたあの時だ。
だが、帰りは和久に瞬間移動で優香の家に強制的に連れていかれたので、結界から歩いてでたわけじゃない。
(待てよ……そうか! ラベンダーだ!)
確かにあの時、自分は芳香剤を買いに、一度だけ、結界の境界である黒鳥居から外へ出た。
それに、黒鳥居をくぐった時に、違和感を覚えたような気がしないでもない。
「あの時か!」
「そうじゃ、それじゃよ。クックックッ」
「そうじゃ、それじゃよ、じゃねーよ! 何、勝手に人の体に入り込んでやがる」
「ほんの僅かな間だけではないか。固いことを申すな」
「てことは、お前のせいか!!」
「何のことじゃ?」
「お前が中に居たから、玄関でビビビっとかバチっとか!!」
直久はギロリと山神を睨むと、さも納得という顔で、深く頷いた。
だが、直久は気が付いていない。本家の玄関で結界に拒まれたのは、山神が体内に入り込む前のこと。だから、山神がきょとんとするのは無理もない。
「なるほどな。やっぱり俺は、可愛い孫だったってわけだ。よかったぁ~。――それで、お前は何を盗んで帰ったんだ?」
「盗むとは聞き捨てならぬ。返してもらっただけよ」
「だから、何を? 俺には聞く権利があるだろう? 勝手にヒトの体を使っておいて、説明もなしなんて、下等な妖怪がやることだぜ」
校舎の裏庭にある、大きな銀杏の木を背もたれにして、直久は腕を組みながら、さも偉そうに言った。が、すぐさま心の中で舌を出す。
(――実際、下等な妖怪の振る舞いなんて知らないけどな)
だが、山神は意外にも、直久の言葉に心を動かされたようだ。
「それもそうじゃな。――これじゃよ」
山神が両手で包みこむようにして、何かを見せてくれた。
「ん? 種か?」
親指の先ほどの大きさの、植物の種だった。
「何の種だ?」
「あのお方の種じゃよ」
山神は、意外なほど優しく微笑んだ。
「あのお方?」
「私のいた山には、それは美しい桃の木があったのじゃ。私は毎日、毎日、彼女との逢瀬を楽しんでいた。ある時、人間が山の全ての木を切ってしまった」
山神の顔が曇る。
「――私は、彼女を探した。幾度も幾度も、何日も探した。やっとこの種を見つけた。彼女は種の中で眠りについているのじゃよ」
「今も寝ているのか?」
「うむ。こうしていると、彼女の寝息が聞こえてくるぞ」
聞いてみるか? と山神が種をこちらに差し出した。
直久は受け取って右耳に種を当ててみたものの、何も聞こえてこない。
「だめだ、俺にはわかんねえ」
「そうか。残念だのう」
再び種を手にした山神は、本当に大切そうに種を見つめている。
(好きなんだな……その彼女のことが)
直久は、山神の想いが伝染したように、自分の心まで温かくなってくるような気がした。不思議とこっちまで笑顔になってくる。
「良かったな、見つかって」
山神は、本当に、嬉しそうに笑った。
「でも、なんで朝霧神社にあったんだ?」
「あの娘じゃ」
「娘?」
「小夜じゃよ」
「はっ!?」
「小夜が、ワシと約束をしたのじゃ」
「待って待って。じゃあ、今のは平安時代の話か?」
「へいあんじだい?」
「つまり小夜の生きてた時のことだろう?」
「そうじゃ。小夜が、この種を植え、育ててくれると言ったのじゃ。そうすれば彼女は目を覚ます、と。だから小夜に種を預けた」
「まじかっ! でも、種がここにあるってことは……」
「いかにも。小夜はそれっきり、忽然と姿を消してしまった。理由は分からぬ。私は必死になって探した。探し続けた。そうこうしている間に、あの山に封印されてしまった」
「いやいや、ただ探してただけじゃ、封印されないだろう。お前、何したんだ」
「クックック。――そなたも、なかなかどうして、聡いのう」
「誤魔化すな! 暴れたんだろう?」
「覚えておらん。だいぶ、前後不覚に陥っていたようじゃ。封印されるまでの記憶も、封印されてからの記憶もないのじゃ。あるのは、そなたたちに出会ったあの時のことじゃのう」
つまり、そうとう暴れたんだな、と直久は顔をヒクつかせた。
「でも、おかげでこうして彼女と再会することができた。礼を申そう」
「そうかよ。それはよかったよかった」
そう言ってから、直久は山神に向き直った。
「でもさ、それで本当にいいのか?」
「うむ?」
「だってさ、彼女に会えてなくない?」
山神は、はっとしたように押し黙り、種に目を落とした。
「俺が植えてやるよ。その種、育ててやるよ」
目を見開いたまま、山神は何も言わない。
「まだまだ、何年も先かもしれないけどさ。彼女がまた笑ってる姿、見たいだろう?」
男なら誰だって、そう思うはずだ。
大切な人の笑顔を守りたい。
愛しい人には笑っていてほしい。
きっと、それは、妖怪だって神様だって、一緒じゃないのか?
直久は、そう語りかけるように、にっと笑って見せた。
「ほら、かしてみろよ」
差し出された手の平をじっと見つめたまま動かない山神に、直久はぷっと吹き出した。
「わかったよ。その代り条件を付けよう」
「取引かえ?」
「そうだ」
無条件で信じて、また裏切られるのが怖いのだろう。交換条件ならば、山神も種を自分に託しやすいと思ったのだ。
「条件を言うてみよ」
「お前の名前を教えてくれ。せっかくこうして話しをしているのに、その相手の名も知らないなんておかしいだろう?」
山神は驚いたように、目を見開いた。
「何だよ、そんなに驚くことかよ?」
「……名……?」
「そうだ。お前も俺の名前を呼べばいい。俺は直久だ。お前の名前も教えてくれ」
「そなた……意味が分かって、言っておるのか?」
「は?」
きょとんとした直久に、今度は山神の方が、ぷっと吹き出した。
「いいだろう。その取引に応じよう」
山神は、クックックと笑いながら種を差し出した。
直久はそれを受け取りながら、わけがわからんと、眉をしかめる。
「直久。これからはそう呼ぶとしようかのう」
「おうよ、呼んでくれ、呼んでくれ」
その時、遠くから直久を呼ぶ、聞きなれた声がした。その声の方を向くと、不機嫌そうな顔のゆずると、満面の笑みを浮かべてこちらに手をふる弟の姿が見えた。
「なんだ、ゆずるのやつ、また何か怒ってるぞ」
「おっと、私は失礼するとしようかのう。どうもあの娘は好かぬ」
間髪いれずに、直久の眉間に皺が寄る。
今、何か不思議なワードが聞こえたが、気のせいか?
直久はゆっくりと山神を振り返った。
ぱちくりと瞬きをして、首を傾げる。
「娘? 今、娘って言ったか?」
「うむ」
「誰が?」
「あれじゃ」
山神はまっすぐ指をさす。その指の先にいるのは――どう見ても、何度、目を擦って見直してみても、ゆずるだ。
「……はっはっは」
「何がおかしいのじゃ?」
「いや、夢魔といい、アンタといい、強い奴らは冗談がヘタなんだなあと思って」
今度は眉をひそめたのは、山神の方だった。
「私が冗談を言って、何の得がある?」
「え?」
「まあ良い。私には、なぜあの娘を、直久が男だと思っているのか分からぬが、あの娘と鉢合わせするのは御免こうむる。失礼するぞ」
「…………え? え? え?」
山神は、ふわりと空高く舞い上がっていって、風に乗った。だんだんとその姿が薄くなって空気に溶けていくのを、直久は、ただただ、ぼーっと目で追った。
――――そうじゃ。私の名は萌葱。彼女が目を覚ますまで、この名を直久に預けよう。
そんな山神の声が、春風に乗って直久の元へ届けられたのとほぼ同時に、直久の絶叫があたりに響き渡ったのは言うまでも無い。
兄の絶叫を聞いた和久は、何事かと慌てて兄の元へと走り寄った。
「どうしたの!?」
まるでコイのように口をパクパクさせてこちらを振り返る直久。遅れてゆずるも、直久の元へと到着すると、なぜか兄はゆずるばかりを穴があくほど凝視している。
「いや、あの、ええ? だってさ?」
「日本語も忘れたのか?」
ゆずるが、面倒くさそうに言った。
「山神様と話してたんでしょ? なんだって?」
「……種預かった」
直久はゆずるから目を離すことなく、和久の問いに、ぽつんと答える。
明らかにおかしい。
「種? 何の?」
「アイツの彼女」
「彼女?」
「これ、育てる約束したんだ……それと、名前」
「名前?」
「アイツの名前を教えてもらった」
「えっ!?」
和久とゆずるは、同時にその言葉に反応した。
「名前、教えてくれたの!?」
「ああ。えっと確か――」
「駄目っ!!」
和久の制止に、直久はぎょっとする。
「名は、簡単に告げてはいけないんだ。人とちがって、妖怪や神と名を交わすのは、契約を意味するんだよ」
「契約?」
「式神になったということだ」
ゆずるが言った。
「なっ……」
何だって!? そう言おうとしたのだろう。直久は驚きに言葉を失っているようだった。
それもそのはず。
知らない間に、兄は山神を、自分の式神にしてしまったのだから。
「これから、直ちゃんが山神の名前を呼べば、山神は現れる。ただし、山神の気分にもよるんだけどね。気分がいい時に、助けを呼べは、ちゃんと助けに来てくれるはずだよ」
「マジか……」
信じられない。そういう顔だ。
「ははは。直ちゃん、すごいね! 僕もびっくりだよ」
「……お前には勿体ないな、山神ほどの式神とは。使いこなせるとは思えん」
「おまっ……」
ゆずるの憎まれ口に、何かを言いかけて、その言葉を飲み込み、直久は口を閉ざした。
(あれ?)
まだ何かある。和久は直感した。
「直ちゃん?」
直久は、じっとゆずるを見つめてから、口を開きかけ、やっぱりやめたというように、小さく息を吐く。
「ゆずるがどうかしたの?」
直久がぎくりと反応する。
「何だ。言え」
ゆずるが苛立ちをあらわにする。
「……その……山神がな……変なこと言ってて」
「早く言え」
しばし、迷ったように直久の視線が揺れた。だが、キッと顔を上げてまっすぐにゆずるを見た。
「お前、女なのか?」
和久とゆずるは、同時に目を見開いた。
山神の仕業か。
和久は慌てて説明しようと口を開きかけたが、それをゆずるが制止する。
「そうだ。俺は女だ」
直久が大きく息を飲む。
そんなまさか。嘘だ!
そんな兄の心の声が聞こえてくるようだった。
「俺は、男として育てられた。だから、これからも男として生きていく」
「……嘘だろう?」
救いを求めるように、兄がこちらを見ている。和久は、黙って頷いた。
「九堂家に必要なのは女子じゃない。後を継ぐことのできる男子だ。だから、俺は本家の後継者として、生まれた時から男児として育てられた」
ゆずるは淡々と告げる。
ゆずるが生まれた時、すでに現当主、九堂圭一郎の息子は出奔した後だった。ゆずる以外に、圭一郎の後を告げる者がいない。だから、圭一郎は誕生した子を男児と公表し、ゆずるを後継者として育ててきた。
ゆずるが女児であることを知る者は、一族でも数えるほどしかいない。本家の祖父母、ゆずるの母、和久の両親、そして姉夫婦。……そう、和久たちの家族は、兄以外、その事実を知っていた。
「お前、知ってたのか?」
兄が険しい表情で、こちらを見た。
「僕は、いつだったか……気づいてしまったんだ。誰かに聞いたわけじゃないよ」
「知ってて黙ってたんだな」
「だって、僕もゆずるの口から聞いたわけでもないのに、僕の口からそんなデリケートなことバラせると思う?」
何かを言おうとした直久から、ゆずるは目を逸らし、その言葉を封じた。
「俺が女だと、お前に何か迷惑をかけるのか?」
和久ははっとしてゆずるを見た。その表情に苦悶の色が滲んでいる。
「俺が女であろうと、男であろうと、お前には関係のないことだろう。それを、なぜわざわざ報告しなきゃいけない?」
「……ゆずる。もういい。直ちゃんは、ただ、驚いただけだから」
「カズは黙ってろ」
冷たい矢のような瞳で、ギロリと睨まれた。仕方なく、和久は言葉を飲み込む。
再びゆずるは直久に向き直った。
「お前が、もう俺を男として見られないと言うのなら、金輪際、俺の前に姿を現すな。本家への出入りも禁じる。祭儀にも出席するな」
「なっ……」
「ゆずるっ!!」
ゆずるは二人に背を向け、もと来た道を歩き始めた。
遠ざかる小さな背中に、直久が動揺したように和久に助けを求めてくる。
ゆずるの考えていることは分かる。
女である自分を一番受け入れられないのは、ゆずる自身だ。
なぜ自分は男として生まれてこなかったのか、そう思って何度も涙しているはずだ。
直久も、女である自分を否定するのか。
女に生まれてきてしまった自分を否定するのか。
そうやって、自分を責めているのだ。
女として生まれてきたのは、ゆずるのせいではないのに……。
だけど、違う。
兄はただ、驚いてるだけなんだ。
男だと思ってずっと接してきた人物が、女だったなんて言われたら、驚くのは当然だ。すんなり受け入れられないのが普通というものだ。 和久は、深くため息をついた。
「大丈夫。いつも通りに接してよ。そうすれば、ゆずるの機嫌は直るから」
怖いだけなのだ。
自分が受け入れられないことが。
脅えているだけなのだ。
直久の態度が変わってしまうのではないかと。
(僕には、どう見ても女の子にしか見えないけどね……)
ふっ、と和久は笑顔になった。
「ほら、追いかけて、直ちゃん。ほらほら」
シッシ、と追い払うように、手を振った。
不安そうな顔で、何度かこちらを振り返りながらも、渋々、兄はゆずるの後を足早に追っていった。
兄とゆずるの姿が豆粒ほどのサイズ見えるようになった時、和久はすっと笑顔を消し去った。
そして振り向かずに、どんな炎も凍りつきそうな冷たい声を吐き捨てた。
「それでも隠れているつもりか? そこにいるのは分かってる。出てこい――夢魔」
『うひゃひゃひゃひゃ。見つかっちゃったのかぁ、残念だなぁ。本当にボクはドジだよ。あんなにいい器はないっていうのに、気がつかなかったなんて』
「兄の体を狙ってるなら諦めろ」
和久は首だけを少し動かし、背後にいるソレを射抜くように見やる。
≪兄ニ 手ヲ ダスナ≫
声ではない≪声≫が、あたりを静寂に誘う。あたりの草木さえもが、息を飲んだように、音が消えた。
空気が、時間が、何もかもが凍りついたように動きを止める。
ソレも、まるで雷に打たれたように動けなくなっていた。
「まさか……君もあの子と同じ術を……!?」
和久は答える代わりに口端を引き上げた。
≪二度ト オレノ 前ニ 現レルナ≫
「……」
いつのまにか戻ってきた木々くの葉音が妖しく鳴き、和久の顔に葉陰が落ちる。
ソレは数秒黙って和久を見つめていたが、おもむろに体を回転させ和久に背を向けた。
『ボクはまた来る。ボクは君よりずっと長生きだから、ね』
そういいながら、だんだんと薄くなって消えていくソレを、和久は最後まで見送ると、ふっと笑った。
「オレの娘が、お前を殺しに行くから首洗って待ってろ」
それだけ言うと、和久は兄やゆずるのところへと、かけ戻って行った。その顔はいつもの暖かな笑顔に戻っていた。
――それは楽しみだ。うん、楽しみだなぁ~~! ……待ってるよ、ずっと、ボクは……待ってるよ。うひゃひゃひゃひゃ……。
完
シリーズは『蛍狩り』に続く