探しモノは何ですか(3)
「何をしている、早くしろっ!!」
祖父の声に焦りが滲む。
仕方なくゆずるは、ズルズルと直久の体を引きずりながら祖父の元へ一歩一歩、歩み寄っていく。
いったい何が起きているのだ。
山神に騙されたのだろうか?
いや、それとは種類も桁も違う妖気があの社から吹き出している。
何だ。
何なんだ。
全神経がぞわぞわ波立つように、危険を告げる。
何か嫌なものが近付いてくる。
逃げろ。
早く逃げろ。
そう全身が告げている。
ゆずるは、必死に足を前に進めた。
早く!
祖父の元へ!!
一歩。
また一歩。
祖父がこちらに伸ばす手が大きくなる。
自分も祖父に手を伸ばす。
もう少し――。
あと数センチ――。
祖父のシワくちゃな手に、自分の手が届きそうになった時だった。
――――ウオオオオオオオオオ……。
「――――!!」
ゆずるは思わず息を飲んだ。
突如、心臓が大きく脈打つ。
どくん。
どくん。
体中の毛が逆立つような、恐怖が押し寄せる。
心臓が体から飛び出してしまいそうなほど、音を立てる。
どっくん。
どっくん。
「くそう。何と言うことだ」
祖父が呆然として動けなくなったゆずるの腕をかろうじて掴み取り、無理やり二人を結界の中に引きずり込んだ。転がり込むように、地面に膝をつきながら祖父の足元に座り込んでも尚、激しい動悸は収まらない。
――――ウオオオオオオオオオ……。
まるで地鳴りのような。
地の底から唸るような。
再び、聞こえたその呻くような声に、ゆずるは身を縮める。
何かが。
何かが自分を喰らおうと、啼いている。
何者かの感情がゆずるの心を浸食していく。
悲しみ。
苦しみ。
痛み。
嫌悪。
憎悪。憎悪。憎悪。憎悪。
「ゆずる、心を強く持て!! 心を食われるぞっ!!」
祖父の声も、もうゆずるには届かない。
ガタガタと全身が震え、完全に恐怖に支配されたゆずるには、何も聞こえない。
何も見えていない。
「ゆずるっ!! しっかりしろっ!!」
もう、ゆずるの目は“今”を映していない――。
◇
――『直久と和久。お前はどっちがいい?』
そうだ。
思い出した。
こんなことが前にもあったのを。
この恐ろしい呻き声を、自分は前にも聞いた。
いつだ?
最近じゃない。
ずっと昔。
子供の頃だ。
あの時、双子と遊んでいた自分が、この奥宮に迷い込んだ。
封印を解いたのは自分だった。
異変を感じた祖父が、慌てて飛んできて、言ったんだ。
――『直久と和久。どちらにするか、お前が選べ』
◇
「うわあああああーーーーっ!!!!!」
突然泣き叫ぶ孫を見て、当主はちっと舌打ちをした。
どうやら、ヤツの術にハマったらしい。
相手の心の綻びにするすると侵入し、恐怖や憎悪を増大させ、心を壊す。
心を喰らう妖魔。心が空っぽになったヒト、発狂し泣き叫ぶヒト、その血肉をゆっくりと喰らう。
どんなに肉体を鍛えたとしても、何か一つは心に弱さを持つものだ。弱さを捨てられないヒトという生き物にとって、これ以上手ごわい相手はいない。
「くそう、ワシだけじゃ、手に負えん。ゆり、ゆり!!」
当主の声に答え、直ぐにゆずるの母がその場に姿を現した。
「これは……」
ゆりが呆然となるのも無理は無い。社の結界は破壊され、自分の子は泣き叫んでいるのだ。
「ワシ一人では、もうこの社に結界を張ることはできん。手伝ってくれ」
ゆりは、何も聞かない。
何も言わない。
ただ、静かに頷いた。
だから、当主もいつも彼女に甘えてしまう。
「頼んだぞ」
当主は目を閉じ呪文を唱え始めた。それに続き、一族でも指折りの結界師であるゆりも、すぐさま結界を作り始めた。
――――ウオオオオオオオオオ……。
怒りにも似た、うめき声。
悲しみに満ちた、鳴き声。
主を失った、絶望の淵から救いを求める声。
(お前は……いつまでそうしているつもりだ……)
額に汗をかきながら、当主は心の中で妖魔に問いかけた。
ほどなく。
風は収まり、奥宮に静寂が戻ってきた。
当主は、ふうと息をつくと、ゆりを振り返った。ゆりは額の汗を拭いながら、こちらに微笑みかけてくる。
「助かったぞ」
「やっとお役にたてました」
「何を言う。お前には、いつも頭が上がらない」
今度は、ゆりは返事をせずにさびしそうに笑っただけだった。
「ゆずるは気絶してしまいましたね」
「ヤツに何か干渉されたようだ。可哀想に……。すまないが、直久とゆずるを貴樹の所へ連れてってやってくれ」
「……はい」
ゆりは何か言いたそうに、こちらを見ている。だが、自分からは口を開かない。そういう女性だ。
「大丈夫じゃ。お前のおかげで、強力な結界が張れた。もうしばらくは大丈夫だろう」
「ですが……」
「なあに、心配はいらん。今回は、直久が結界に近づいたために、壊れてしまっただけだ。私に何かあったわけではないぞ」
「ならいいのですが」
「だが、次に何かあった時は、お前に頼みたい。ゆずるだけでは、まだ無理だ。ヤツを封印することは出来ないだろうよ」
「お義父さま!」
真っ青な顔をするゆりに、当主は笑った。
まだ、自分の身を案じてくれるのか。
こんなにひどい仕打ちをしたというのに。まだ、自分を慕ってくれるのか。
「まだ父と呼んでくれるなら、うん、と言ってくれないか? 私の可愛い孫たちのために」
「……わかりました。ですが、それはまだ先のことだと誓ってください。まだまだ、お元気でいてもらわなくては困ります」
「分かっておる。そう、簡単にくたばってたまるか」
からから、と当主が笑ってみせたので、やっとゆりに笑顔が戻った。
「さあ、行け」
ゆりは頷き、孫たちを連れて、その場から消えた。
ただ一人残された当主、九堂圭一郎は、しばらくの間、黙って社を見つめていた。