探しモノは何ですか(2)
◇◆
ゆずるがたどり着いたのは、見覚えのある場所だった。
「ここは……奥宮か」
朝霧神社の本堂より、さらに奥にある禁足地。木々で隠された奥宮の境内だ。
「おや、もう追いつかれたか。さすがに早いのう」
ゆずるは、目の前の“直久”を睨みつける。
「しかし、すぐにこの体は返すと言うたではないか。心配性じゃのう。そんなにこの体が大事かえ?」
妖魔は、実におかしそうに直久の声で、直久の顔で笑う。だが、不思議なもので、まったく直久に見えない。和久とも違う。同じ顔、同じ声の別人がしゃべっているようにしか思えない。
(どうして妖魔がここに?)
ますます、直久の体の中にいる妖魔の正体がわからない。また、その意図も皆目見当がつかない。
だが、ゆずるたちにとっては好都合。
この奥宮は、ゆずるたち一族の聖地と言うべき場所。力を爆発的に強める触媒であり、霊力を増大させ、あるいは、回復させる機能も持ち合わせる。
すでにゆずるは、この場にたどり着いた時から、ジワジワと霊力が回復していくのを肌で感じていた。
とにかく今は、時間を稼いで当主である祖父の到着を待つ。その間に、ゆずる自身も霊力がある程度回復できるはずだ。そう、ゆずるは心を決めた。
「ここに何の用だ」
「そうよのう。探しモノじゃ」
「探しモノ? こんなところにか?」
ゆずるは眉を寄せる。
この奥宮は、昔の本堂。つまり、ここには、九堂家の一代目、小夜を祀った社しかない。
妖魔がこの社に、何を探しに来たと言うのか。
ゆずる自身、当主の許し無く、この社には近づくなと言われて育ったので、社の中に何が祀られているのか知らされていない。そもそも、何か形あるものが安置されているのだろうか?
「そうじゃ。ずっと探していたのよ。ずっとずっと。――まさかこんな所にあるとは思いもしなんだ」
妖魔は、社を振り返り、ふわりと笑った。その笑顔に、ゆずるは違和感を覚えた。
(……?)
その笑顔は、たしかに嬉しそうだった。だが、その目の奥には、明らかにそれとは別の暖かさが含まれている。決して直久が見せることのないその表情に、なぜかゆずるは自分の胸がチクリと痛むのを感じた。
いったい、何を探しているのだろう。
そんな優しい笑顔で、切なそうな瞳で――何を手に入れようとしているのだろう。
ゆずるが生まれて初めて社の中に興味を持った瞬間だった。
同時に、本当に少しの間だけ、直久の体を借りるだけのつもりだという、妖魔の言葉が嘘ではないような気がしてきた。
不意に風が吹いて、直久の短髪を揺らす。と、微かな甘い香りがした。直久の中にいる妖魔が放つ霊力の香りだ。
何かがゆずるの記憶の断片に引っかかる。
(この香り……)
おそらく花の香りだ。そして、以前どこかで“感じた”ことがある。
「お前……どっかで?」
「ふふふ」
妖魔は、いよいよ面白くなってきたというように、笑って見せた。
「そなたたちから、小夜の臭いがした。だから、あの時、この者にちょいと細工をしておいたのよ。そうしておいて、春が来るのを待った」
(あの時? ――やはり、一度、出会ったことがある妖魔か?)
ゆずるは必死に記憶をたどる。
「やっと春が来たと、喜び勇んでこの者の気配を追ってここまで来たはものの、この地には強力な結界が張ってあってのう。入ることは愚か、触ることもできなんだ」
「……それで直を憑代に」
「そうじゃ。この者は結界の中に入れる。だが、隙だらけじゃ。実に、使いやすい」
クックックと笑い声をたて、妖魔は続けた。
「だがのう、こやつには、いつもいつも弟が目を光らせ、実に巧く“守って”おるでのう。一人になるのを、ずっと待っておった」
「そうしたら、運よく、直は意識を失ったまま、俺に結界の中へと運ばれてきた。何も知らない俺たちは、直の体を治癒した。回復した直の体を、お前がまんまと乗っ取ったというわけか」
言いながらゆずるは、思案する。
冬の間は息をひそめ。
春に力が回復するのを待って、ことを起こした。
自分を含め、一族に気づかれることなく、やり過ごせるほどの力をもった妖魔。
さらに、妖魔は“あの時”と言った。
直久が自分と一緒にいた時に、出会った妖魔。
自分が直久と一緒に行動することは、ほとんどない。すぐに思い当たるのは、つい最近のこと。
雪深き山里で、悪霊退治の依頼を受けた。その時は、確かに直久が同行していた。
(なるほど……)
ゆずるの脳裏に、その条件に該当する妖魔、いや、神の顔が思い出される。
「クックック……。ほんに、お前さんは賢いのう」
「山神か?」
返事をする代わりに、山神は笑う。
「あの寒椿の雪山に封印されていた、山神だな」
山神は、相変わらず面白そうに笑っている。それをゆずるは肯定ととった。
「そうまでして、探しているものは何だ?」
「預けていたモノを返してもらいにきたのよ」
「預けていた?」
「小夜にのう」
(小夜に!?)
千年以上も前貸し借りに、直久が巻き込まれてるというのか。
少しだけ、直久に同情の念が湧いたが、日ごろの行いが悪いからだ、とすぐにそれを一蹴する。
相手が特定できたということもあり、いつのまにか、ゆずるに表情が戻ってきていた。
「ならば、それが見つかれば、大人しく直の体を返すか?」
「ほう? そなたが探してくれるというのか? それはありがたいのう。あの社の結界は、なぜかこの者も入ることができそうになくて、困っておったところじゃ」
山神は小さな社を指さして肩をすくめて見せた。
「探しモノを手に入れたら、直の体から出て行くと約束しろ」
「初めからそう言ってるではないか。体は返すと」
「……分かった。あの社の中にあるんだな?」
山神の言葉を待つことなく、ゆずるは体の向きを社の方に向けた。
この社には、一歩も近づいてはいけない。そう言われて育った。
この中に何があるのか。何を祀っているのか、正確なことは知らない。
だが、聖地たるこの地に、自分たちの生命を脅かすものが安置されているとは思えない。
(きっと――今より悪くなることは無いはずだ)
ゆずるは、パンッと胸の前で手を合わせ、呪文を唱えた。そして、自分の体の周りに薄い結界を張る。社に張り巡らされてた結界をすり抜けるためだ。
そのまま社に近づき、社の木戸に手を伸ばすと、一気に引き開いた。
「だめだっ、ゆずるっ!!」
祖父の声がした気がした。
その瞬間、ゆずるの脇をすり抜けて、社の中に手を伸ばす直久の姿が、残像のように見えた。
(――!)
山神に何かを奪われた。がばりと体を反転させ、振り返った。
一秒後、大きな破裂音があたりを引き裂く。間髪いれずに、社からすさまじい量の空気が流れ出す。
(結界が――)
戸を開けたことで自分が社の結界を壊してしまった。そう思った。
耳元を通り過ぎる風がゴウゴウと啼く。
目が開けられないほどの、風圧を全身に感じ、よろめくように二歩後退させられる。
――おお、有ったぞ。これじゃこれじゃ……。
山神が手の中の何かを、大切そうに眺め、呟いたと思えば、すっと直久の体から抜け出ていった。
天高く昇って行く山神の姿を目で追っていると、直久の体が、ぐらりと揺れたのが目の端に映った。
「直っ!」
その場で崩れ落ちる直久の体を、慌てて抱きとめる。
「ゆずる! その場から離れろ!!」
再び祖父の声がした。最初に祖父の声を聞いてから、数秒しか経っていないというのに、ひどく長い時間が過ぎたように感じる。
暴風は、止まる気配はおろか、強まる一方だ。
舞い上がる土埃や落ち葉が、刃のようになって襲ってくる。目が開けていられない。
「お祖父様ーっ!!」
なんとか薄め目を開けて声の主を探した。
「ゆずる、早くこっちへ来いっ!!」
祖父はそう言いながら、自分の周りに強力な結果を張った。その結界の中にゆずるたちも逃げ込めと言うのだ。
だが、直久の体は意外と重く、思うように動けない。
仕方なく、瞬間移動を試みる。
「――!!」
出来ない!!
なぜだ、瞬間移動が出来ない!!