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九の末裔 ~春眠~  作者: 日向あおい
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8 探しモノは何ですか

 

 8 探しモノは何ですか





 数秒後、ゆずるたちは薄暗い朝霧神社の本堂に現れた。照明を付けなくても、貴樹の放つ青白い光で、隅々まで見渡すことができた。

 貴樹の両手から放たれるその輝きは、明らかに優香の家にいた時よりも強さが増しており、ほんのりとした暖かさまで感じられた。

 この朝霧神社の、ある一角は、一族の者の霊力を増幅させる触媒の役割をはたしている。だからゆずるは、この地へ移動してきたのだ。

「よし、もう少しだ。がんばれ、直久!」

 クールな貴樹には珍しくその顔に興奮をのぞかせている。貴樹の声に誘われるように直久の顔をのぞきこめば、確かに赤みがさしてきていた。

(よかった……)

 ゆずるは、小さく息を吐く。

 もう大丈夫だ。

 そう思ったら、急に、どっしりとした重力を全身に感じた。同時にすーっと頭から血の気が引いていく。ふらふらとなって、尻もちをついてしまった。

「ゆずる!?」

 何事かと心配した貴樹が、反射的に腰を浮かせた。

「……大丈夫。俺はなんともないから……」

 くらくらする頭を片手で支えながら、やっとの思いでそう言ったものの、座っているのが精いっぱいだった。一瞬でも気を抜くと意識を手放してしまいそうな、気だるさと眠気が洪水のように押し寄せてくる。

「直久のことは俺に任せて、お前はそこで大人しくしていろ」

 貴樹の落ちついた低い声が、ざわざわと波立つゆずるの心をすうっと撫でていくように響いてきた。だから、静かに首を縦に動かした。

(疲れた……)

 ゆっくりと上半身を、冷たい床に横たえる。

 体が重い。

 もう二度と立ち上がれない。

 そんな気さえした。


 本当に限界だった――――。


(でも……帰ってきたんだ……)

 ゆずるは一言一言を噛みしめるように、口の中でつぶやいた。

 夢魔と対峙した時は、もうダメだと思った。

 自分の死を意識した。

 同時に、自分が死んでも優香だけは生きて帰してやりたいと思った。

 直久がいたから。直久なら自分に何かがあっても優香を連れて帰ってくれると思った。

 信じていた――――いつのまにか。

 なんの力もない、無能(タダビト)の直久を頼りにしていた。

 悔しいけれど。

 いつの間にか、心の底から……信じていた。

 きっと、和久もそれを見込んで、直久を連れていけと言ったのだろう。

 夢魔の興味は自分にだけ注がれ、直久は無視される。ノーマークな直久は自由がきくだろうし、バカじゃないから、優香や妖狼たちと一緒になって、脱出方法を見出すはずだ。それに賭けたのだ。

 そして、和久が賭けに負けたことはない。彼には一族の誰よりも鋭い“カン”がある。そもそも『先詠』神社の跡取り息子と勝負しようという輩はまず居ない。

 だが、ひとつ和久にも誤算があったようだ。

 確かに、直久はバカではなかった。バカではなくて、地上最強の大バカだったのだ。

(たく……何てやつだ。心臓を一突きするなんて、大バカ以外の何者でもない。貴樹兄さんが居てくれたからいいものの。別件で手が離せなかったら、今頃とっくにあの世に行ってるぞ……)

 こみ上げる苛立ちに、舌打ちしたくなったが、疲労でそれすらもままならない。

(……いや、待てよ)

 それすらも和久の計算済みだったのだろか。よくよく考えてみれば、直久の傷を見てから貴樹を呼んだにしては、貴樹は事情を把握しすぎている。

 つまり、和久はあらかじめ、直久が深手を負うことを想定して、貴樹を優香の自宅に待機させていたに違いないのだ。

(……カズ……お前は……)

 ゆずるは、ふうと小さく息を吐き、天井を仰ぎ見た。

 全てを見越して、その命までも危険にさらして……当たり前のように自分を助ける従兄弟たち。

 一人は、自分の命を投げ出し。

 一人は、兄の命を差し出す。


 自分は――――生かされている。


 一つ大きく息を吸った。

 冷たい空気が肺を膨らませたとたん、消え去っていたはずの漠然とした黒い不安が満ちてくる。

 じわじわと、自分の体が闇と同化していくように、不安に塗りつぶされていく。

 目頭が勝手に熱くなる。

(……結局……俺は誰も守れない)

 自分は、妹一人、妖魔から救うこともできない。

 それどころか、自分一人では、生きていくこともできない。

 誰かに助けられ、誰かに守られ、誰かの命を犠牲にしてまでも――生かされていく。

(……後継者が聞いてあきれる……)

 無力な自分が情けなかった。

 そう思ったら、泉のように溢れてくる悔しさと一緒に、涙がこぼれそうになった。

 必死に顔を上げて震える瞼を閉じ、弱音を飲み込む。飲み込めきれなくて、胸がつまる。うまく息ができない。

 泣いたら負けるような気がした。

 今、泣いたら、弱い自分に……逃げそうな気がした。

 もっと力が欲しい。

 誰も傷つけることのないような、強大な力が。

 こんな今にも折れそうな心でなく、強い心が――。


「直久っ!?」


 驚きの混じった貴樹の声で、ゆずるは我に返った。

 あれほど鉛のように重たかった体を反射的に跳ね起こし、直久のもとへと詰め寄る。何事かと見れば、直久の傷は随分小さくなっていて、完治までもう少しというところだった。

(なんだ、治ってる……よかった)

 貴樹が慌てた声を上げるから、直久の容態が悪化したのかと思ったのだ。すっかり顔色が良くなっているじゃないか。そう思って、ほっと肩の力を抜いた時だった。


 ――――クク……。


 ゆずるの眉が詰められる。

 今、直久が笑ったような気がした。

 聞き間違えではない。直久の声だ。

 息を潜めて直久の顔を覗き込むも、貴樹の治癒の甲斐あって痛みが引いたのだろう、穏やかに眠る直久がそこに居るだけだった。

「直?」

 ゆずるは直久の肩を叩く。

 その瞬間、冷や水をかけられたような激しい悪寒がゆずるの背中を駆けあがった。

(――!?)


 何だ!?

 何かがおかしい!!


 そう思った瞬間、直久の口端がゆっくりと引き上げられ、不気味な笑みに変わった。


 ――――ククク……。


 ゆずるは、ざざっと飛び退き、身構えながら叫んだ。

「貴樹兄さん、離れて!!」

 すごい剣幕で直久を睨みつけるゆずるの横顔から、貴樹は何かを察知したのだろう、すぐさま治癒をやめ、直久から目を離さないようにして、さっと後退した。

 途端、貴樹の治癒光という光源を失った室内を暗闇が覆った。

 いつだって闇は心まで黒く染めていく。

「お前は、誰だ」

 ゆずるは、唸るように言った。


 ――――ククク……。


 ソレは直久の声で笑う。

 もう、笑いが止まらないという顔で、大きく肩を震わせながら――笑う。

 その仕草を射るように見つめながら、ゆずるは素早く脳を回転させる。

 あれは直久ではない!

 直久は直久なのだが、体をナニモノかが操っているのだ。

 すぐに、先ほど死闘を繰り広げた相手を思い浮かべた。

(夢魔か? 追ってきたのか!?)

 だが何かがひっかかる。

 夢魔はあんな、高飛車な笑い方はしなかった。

 では、いったい誰が!?

 いつ、直久の体に入り込んだというのか!

「言え、誰だ!!」

 全然気がつかなかった。

 ずっと一緒にいたのに。

 この次期当主たる自分が、直久の中で身を潜めていた妖魔に気がつかなかったっ!!


 ――――ククク……この時を待っておったわ


 “直久”は、そう言いながら流れるような動きで体を起こし、ゆずるたちに向き直った。そしてふわりと、宙に浮く。その間も気味の悪い笑みは消えない。


 ――――この体、しばし借りるぞ


 ソレが、直久の声でそう言い終えると――――一瞬で姿を消した!

「なっ!! 直っ!!」

 思わず直久のいた場所へと駆け寄りそうになったゆずるを、大きな優しい手が止める。

「落ち着け、ゆずる。消えたわけじゃない、瞬間移動だ」

「追います!!」

「待て!」

 慌てて瞬間移動をしようとしたゆずるを、貴樹が止めた。ゆずるの両肩に手を置いて、強い力で自分の方へゆずるの体を向かせる。

「落ち着け。相手が誰かもわからないのに、頭に血が昇りつめた状態で追いかけて、直久を助けられるのか? 霊力だって残ってないだろう?」

 いつになく雄弁な貴樹が、強い口調で続ける。一言一言、言い聞かせるように。

「しっかりしろ」

 ゆずるはすうっと目をつぶった。そして、一つ大きく息を吸って、深く深く――――吐く。

 貴樹の言うことは、もっともだった。

 自分に残された霊力はほとんどない。

 自分が追いついたところで、直久を奪い返すことはできないだろう。

 それどころか、今の自分には、この身を守る力すら残っていない。

 追いかけたところで、犬死にするだけかもしれない。

(それでも――)

 再び瞼を開け、まっすぐに貴樹の顔を見上げた。優しい、深い色の瞳に、全ての不安が吸い込まれていくような不思議な感覚。

 貴樹の治癒能力は、肉体だけではなく、心までも癒していく力を持っているのかもしれない。

「もう大丈夫です。落ちつきました。でも俺は、直久を追います。貴樹兄さんは、お祖父様――当主に連絡を」

「追って、どうする気だ」

「俺は戦わない。当主がくるまで、なんとか引き延ばします。だから急いで事の次第を当主に伝えてください」

「どうやって引き延ばす。お前が食われるかもしれない」

「大丈夫」

 ゆずるはまっすぐに貴樹を見据えた。

「直久は、この神社の敷地内にいる。感じるんです。結界から出られないのか、それとは別の理由があるのかわからないが、どちらにしても、敷地内にいる限り、勝算はある」

「……わかった。だが――……」

 貴樹の大きな手が、ゆずるの頭を撫でた。

「お前が一人で戦う必要はない。一族全員をお前一人で守れるはずがないんだ。お前だけじゃない、それは当主も同じこと。いくら当主に強い力があっても、妖魔は掃いて捨てるほどいるんだ。手に負えるわけがない」

 貴樹の表情はいつもと変わらない。でも、その瞳に宿す光は、どことなく優しく暖かみのある色に感じた。

「当主の役目は、皆を上手く使うこと。冷静に適材適所を見極めることだ。わかるか?」

 ゆずるの中で何かが波紋のように、重なり合って広がっていく。

(一人で……戦う必要はない……)


 本当に?

 俺は、無力でもいいのか?

 みんなを守る力をもってなくてもいいのか?


(……皆を上手く使えればいい……)

 口の中で貴樹の言葉を、何度も反芻する。そうするうちに、ゆずるの心に、長い間ずっと圧し掛かっていた深い闇色の重しが、コトン、と微かな音を立てて、動いたような気がした。 ゆずるは、すっと顔を上げる。その瞳が、黒々と光り輝きはじめた。

「行きます!」

 静かに頭を縦に動かす貴樹を残し、ゆずるは直久の気配を追って瞬間移動した。


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