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九の末裔 ~春眠~  作者: 日向あおい
21/26

  最高に使いたくない最後の手段(4)

◆◇




 まるで、生まれ出た瞬間の赤子のように、ゆずるは一度に大量の息を吸い込んだ。急激に入ってきた空気に体がびっくりしたのか、ベッドの上で転げまわるようにして、咳き込んでしまう。

 涙目になり、呼吸を整えながら、生きている自分を実感した。

 空気ですら、体や目に沁みるのが初めてなら、こんなに死を意識した戦いも初めてだった。

 自分は死んでいてもおかしくなかった。それなのに、こうして生きている。

 ――まだ、生きている。

 しかし本能的に、体は警戒を解こうとしない。自分の置かれた状況を把握しようと勝手に体が反応した。

 なんとか頭を動かしてあたりに視線を送る。

 最初に目に飛び込んできたのは、可愛らしいピンク色のカーテン――優香の部屋だ!

(――帰って来たのか?)

 にわかには信じられない。

 頭の中で、『どうやって?』という言葉が答えを求めてさまよう。

 夢魔に捉えられた自分は、なんの抵抗も出来なかった。

 どうすることも出来ず、朦朧とする意識の中で、優香と直久に逃げろと叫んだ所まで覚えている。

(そうだ、優香――)

 なんとか半身を起して、優香の存在を確認しようとした。

「――……」

 声が出ない。

 体も重い。

 霊力の消耗を嫌でも思い知らされる。

 確かに、ゆずるが出会った妖魔の中で、間違いなくあの夢魔は最強であった。だからこそ、一族の者は皆、退治できずにやり過ごしてきたのだろう。それには同意せずにはいられない。

 どうすることもできないのだ。

 逃げる以外には、生きて戻ってくる方法はなかった。

 だがどうやって逃げてきたのだろうか。

 優香か?

 あの子に、それほどの力があるということだろうか?

 潜在的に、強い力を持っていることは分かっていたが、あの夢魔から逃げられるほどの力があるとは思えない。

 と、その時、混乱したゆずるの頭の機能を一瞬で停止させるような悲鳴が聞こえてきた。

「直ちゃんっ!!」

 はっと、声の方へ反射的に首を回す。和久の声だ。

「直ちゃんっ!! しっかりしてっ!!」

「直久っ!!」

 自分が寝かされていた優香のベッドのすぐ下に和久と優香の姿があった。

 和久は強ばった顔で何かを叫んでいた。和久の陰から、だらりと垂れ下がって揺れる誰かの腕が見える。

 その横で、優香が大粒の涙をこぼしながら、誰かを揺すっていた。

 ゆずるは、ぼーっとする頭のまま、その二人を眺めやることしかできない。

 あれは誰だ?

 何が起きている?

 なんで優香は泣いているんだ?

 疲労のためか、ひどい頭痛のする中、必死に海馬をフル稼働させる。

 そうだ。

 あの時、確かに自分は聞いた。

 直久の魂から出たような叫び声を――。

「……な……お……?」

 かすれた声が零れた。

 なぜあの夢魔から逃げられたのか?

 答えは一つしかない。

 優香の能力が爆発的に開花したわけじゃない。

 そんな万に一つの可能性より、確実に逃げられる方法は――……。

「直っ!」

 何かに駆り立てられたように、ゆずるは直久に駆け寄った。

 真っ青な顔で微かに息をする直久が、和久の腕の中にいた。

「くっ…………」

 優香が揺する振動に、顔を歪めながら直久が呻いた。

 その間も、直久の胸から、ドクドクと鮮血が流れ出てくる。その赤い色にゆずるの視界も染まっていくような感覚を覚えた。

 刺したのか!?

 自分で胸を、こんなに深く――刺したのか!?

「この、バカっ!! 手加減しろよっ!!」

 ゆずるは思わず叫んだ。

 確かに他に方法はなかった。一緒に居たのが優香なのだから、拳銃か刃物か何かを具現化して、自傷行為に及ぶのは至極簡単に思いつくだろう。その痛みが和久に届くと知っているのだから。

 だけど――!!

「足を刺すとか、腕を折るとか! 方法はいくらでもあっただろう! 胸を一突きするバカがいるかっ!!」

 声の限り叫びながら、ゆずるは直久の患部に手を押し当てた。

 傷穴など判別できないほど鮮血が次々に溢れてくる。

「駄目だ! 俺のために死ぬなんて許さない!!」

 懸命に両手で傷穴を押さえているのに。吹き出す血の量はいっこうに減らない。

(止まれ!!)

 とっさに心の中で叫び、霊力で治癒しようと、両手に意識を集中する。

 しかし、血だらけになった手のひらからは、今にも消えそうな弱い発光しか起こらない。

(くそっ!!)

 もう、力がほとんど残ってないのだ。

 刻一刻と直久に歩み寄る“死”の影に、焦りが募る。

(止まれっ! 止まれ、止まれっ!!)

 残る霊力を絞りだそうと、全神経を集中させた。

 死ぬのは自分だったはずだ。直久じゃない。

 直久が死ぬなんて駄目だ!!

 誰かっ!

 直久を――誰か助けてっ!!

「ゆずる」

 誰かがゆずるの肩に手を置いた。反射的に振り返る。

「どきなさい」

 柔らかな色を宿す、静かな瞳に捉えられた。

貴樹(たかき)兄さん……」

 直久たち双子の実姉の夫、貴樹がゆずるを見下ろしていた。

「俺に任せろ」

 落ちついた低音が、ゆずるの耳を通して、しみわたってくるのを感じる。

 きっと和久が彼を呼んでくれたのだ。

 貴樹には、強力な治癒能力がある。その能力は、一族の誰もが足元にも及ばないほど、桁違いに強力だった。

 ゆずる自身や、当主であるゆずるの祖父、他の一族の者も、多少の治癒はできる。

 が、自分にしか使えなかったり、切り傷を直す程度だったりと、その強弱はまちまちだ。彼のように、完璧に治癒できるものは、三百年に一度の逸材だった。

「心配するな。必ず治す。直久を殺したら、俺が鈴香に殺されるからな」

 ほほ笑んでるわけではない。淡々と、呟くように言葉を繰り出す貴樹の背中は、本当に広くて大きくて。

 ゆずるは徐々に自分の凍りついた心が解かされていくのを感じた。

 大丈夫。

 貴樹に癒せない傷はない。

 自分を落ちつかせるために、深く息を吐く。

(しっかりしろ。そんなんで自分に当主が務まると思っているのか。皆を守り導く当主になれると思っているのか!)

 ゆずるは自分に言い聞かせるように心の中でつぶやくと、すっと顔を上げた。

 貴樹の手元は、眩しいほどの青白い光を放っている。だが、直久の傷は思ったより深いようで貴樹は額に汗をかき始めていた。

 ここではダメだ。ゆずるはそう直感した。

「貴樹兄さん、直を本堂に運びましょう。ここより治癒が早くなる」

 貴樹は静かに頷いて見せた。

「貴樹兄さんはそのまま治癒を続けて。俺が兄さんと直を、瞬間移動で飛ばします。そのくらいの力は俺にもまだあるはずだ」

 再び貴樹が頷く。それを確認してから、ゆずるは和久に向き直った。

「鈴香ちゃんは?」

「リビングにいるよ。ゆり叔母さんと結界を強化してる」

「わかった。カズも母さんたちと一緒に、優香とこの家の結界を。優香に俺が張った結界は完全に破壊されてる。まだ夢魔が追ってくるかもしれないから」

 和久が深く頷いた。その横で、夢魔が追ってくる可能性を指摘されて、優香が不安そうにこちらを見上げている。

「優香。母さんに元気な顔を見せてあげるんだ」

 言いながら微笑んだつもりだった。でも、もともと笑うのが得意でないのに、優香の心情を思うとうまく笑えるわけがない。

 しばらく寝られない夜が続くほど、怖い思いをしたはずだ。

 賢いし、しっかりした子供だが、優香はまだ六歳の女の子だ。

 確かに一族の子供は、他の子供とは比べられないほど危険な目には合っているが、死を意識したのは初めてに違いない。

(優香……)

 このまま優香を置いて、この場を離れるのは気が引けた。

 いっそ優香も本家につれて行くべきか?

 いや、それをしたら、本家からこの家に戻ってきた時に、待ち伏せされて命を奪われる。

 それよりも、この家ごと結界を張って、夢魔の目から隠す方がいい。

 結界師である母と、攻撃型の和久や鈴香が居れば、なんとか夢魔に邪魔されずに結界を張ることが出来るだろう。

 わかっている。わかっているが、今にも自分の胸に飛び込んで泣きだしたいのを我慢している妹を思うと、居ても立ってもいられなくなる。

 そんな直久を気遣ってか、六歳の妹の方がふんわりと笑った。

「直久を元気にしてあげてね」

 胸が痛かった。

 瞼が熱くなるのが分かった。


 ごめん、優香。

 頼りない後継者で、ごめん。

 怖い思いをさせて――ごめん。


「……わかってる」 

 優香の頭をそっと撫でてやった。

 歯を食いしばると、ゆずるは顔を上げた。

「行こう」

 数秒後、あたりを眩しい光が包み込み、ゆずると貴樹、そして直久の体がその場から消えた。





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