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九の末裔 ~春眠~  作者: 日向あおい
20/26

  最高に使いたくない最後の手段(3)

 ◆◇




『みーつけた』

 少女はぎくりとなって体を震わせた。

『おい、兄貴。こんなとこに優香いたよ』

 その聞き覚えのある声に、優香はがばっと顔を上げる。その拍子に、隠れていた机に頭を勢いよくぶつけた。

「いたっ」

『……何してんだ?』

 後頭部をさすりながら姿を現した優香に、声の主はカラカラと笑い声を上げた。

「炎刈っ!!」

『あん?』

 燃えるような赤い毛並みの大きな犬が、優香を見上げていた。

「良かった……助かった……」

 そう思った瞬間、体中の力が抜け、優香はへなへなとその場にへたれこんでしまった。

『おい、大丈夫か?』

 別の方から声が聞こえた。先詠の声だ。

『無事だったか。よくもまあ、喰われずに逃げ切ったなぁ~。あっぱれ、あっぱれ』

 今度は風酔の声が、酒気と一緒に漂ってきた。

 あれよあれよという間に、三匹の妖狼に囲まれた優香は、はたと顔を引き締めた。

(まさか……)

 ここは夢の中。

 あの夢魔が作った夢の中。

「あんたたち……本物でしょうね」

 あの夢魔が作りだした偽物なのではないかと思ったのだ。優香を油断させて、喜ばせたあと、絶望を再び植え付けるために。悪趣味な服を着た、悪趣味な顔の夢魔がやりそうなことだ。

「いいわ、本物かどうかテストよ!」

『ああん?』

 小娘が何を言うか、というように大型犬サイズの妖狼たちは顔を見合わせた。

「いいから、質問に答えなさい!」

『なんだよ』

 炎刈が渋々答えた。

「この世で一番怖いものは何だ!」

 すると間髪いれず、三匹は同時に答えた。

『生意気な金髪の小娘』

『うちの姫さん』

『鈴香嬢』

 優香は深々と頷いてみせた。

「……本物みたいね」

 と、その時だった。

 優香の持っている小さな布袋が赤く光り始めたのだ。

「お兄さま!」

 優香が悲鳴にも似た声を上げたのと、三匹の妖狼が何かを感じ取ったように硬直するのが同時だった。

『ゆずるが危ないっ!』

『夢魔に出会っちまったか』

『行こう。優香、居場所が分かるか?』

 口ぐちに妖狼たちは言うと、大型犬サイズから本来の大きさへと変身を遂げた。そのうちの、先詠の背に乗ると、優香は叫んだ。

「あっち! 急いで!」

 優香の指さした方向へと妖狼たちはいっせいに走り出した。




 ◆◇



「お兄さまっ!!」

 直久ははっとした。

 突然、少女の声が聞こえたかと思うと、頭上から優香が文字通り降ってきたのだ。

「優香っ!!」

「え? 直久!?」

「呼び捨てかよっ!」

「うるさいっ、ていうか、そこで何遊んでるのよ!」

 叫びながら優香が、直久の方へと駆け寄ってきた。

「おあ? 何だ? 猫がっ」

 直久が驚いたのも無理はない。優香を恐れてなのか、優香と一緒に戻ってきているはずの妖狼を恐れてなのか、黒猫たちが一斉に退いていったのだ。

「何しに来たのよ、直久が来ても意味ないじゃない!」

「好きで来たわけじゃねえよ! ていうか、あれ何とかしろっ!」

 直久はゆずるを指さした。と、夢魔も優香に気がついたようで、こっちを見ていた。

「あれ? 君も食べられに来たの?」

 そう言った夢魔の口元が怪しく歪み、ニタリとしか表現できないような不気味な笑顔になっていく。

 しかし幼くても、優香は立派に九堂一族の娘であった。

「ばっっっっかじゃないのっ!」

 両手を腰にあて、ふんぞり返った姿勢で、そういい放った小学1年生に圧倒されたのは、すぐとなりにいた直久の方だ。思わず少女から一歩退いてしまう。

「うちのお兄さまが、あんたなんかに喰われるわけないでしょうっ!! だいたい、このでっかい犬が見えないわけっ!!」

 見えないよ、と思わず直久は突っ込みそうになった。

 それにしても……。

 この威勢の良すぎる少女に、とある凶暴な金髪女性が重なって、急激に頭が痛くなってきた。

(……どうしてこう、うちの一族の女性陣は……。だって、コイツはあのゆり叔母さんの娘なはずなのに……)

 と、その時、優香に気を取られた夢魔の隙をついて、ゆずるが叫んだ。

「直っ……逃げろっ! 優香を連れてっ――ぐふっ」

 しかし、再びきつく首をしめられ、最後まで言葉を紡げなくなってしまう。

「ゆずるっ!」

「お兄さま!」

 反射的に叫んだが、ゆずるは苦しそうに顔を歪めただけだった。

 そのゆずるを舐め回すように見つめ、舌舐めずりをしてから、夢魔が言った。

「君ね、うるさいんだよ。逃がさないから。君もあの子もボクのお腹の中に収まるんだ。もう、決まったことだよ」

 直久は、あれっと思った。

 さっきまでの余裕な声とは違い、明らかに苛立ちが夢魔の声に含まれているのを感じたからだ。

 もしかして、夢魔は焦っているのではないだろうか。直久はそう直感した。

 自分たち優香を取り戻した。

 あとは夢魔から逃げるだけだ。倒す必要はない。ただ、全員で逃げ帰ればいい。


 ――『今のボクに、出来ないことはないんだよ。君にはできないことだらけだろうけどね』


 夢魔は確かにそう言っていた。

 つまり、この夢の世界から出て、現実世界に戻れば、夢魔だって、易々とは手を出せないということではないか。それに、向こうには和久をはじめ、多くの味方がいる。次期当主の危機とあらば、一族指折りの者が集まって、夢魔と対峙するだろう。

 この場から逃げれば、自分たちは助かる。逃げることだけを考えればいいだけだ。

 夢魔もそのことに気がついているのだ。

 言葉や態度では優越感たっぷりに見せているが、“逃げられてしまうかもしれない”そんな焦りを必死に隠そうとしているのではないだろうか!?

(帰れるぞっ!! 大丈夫だ、きっと帰れる!!)

 直久の瞳がみるみるうちに輝きを取り戻していく。しかし、対照的にその横で優香の目はキッとつり上がっていった。

「いい加減にしなさいよっ!! あんたたちが、くっっっだらないこと言ってる間に、どんどんお兄さまの霊力が、あのピエロ野郎に吸い取られてるじゃないのっ!!」

 明らかに、直久には見えない、妖狼に話しかけているのは確かだが、様子がおかしい。 

 しかも、“クダラナイ”に最大級の怒りがこもっている。直久は、若干6歳の少女の顔をビクビクしながら覗き込んだ。

「……ど、どうした?」

「狼たちが、動けないって言ってる。猫が嫌だって」

「なんだそれっ! 狼のくせに猫が怖いのかよっ!?」

「ほんと、情けないっ!! でっかいだけの役立たずっ!! モップにしてやるっ!」  

(……なんか、狼たちがかわいそうになってきた……。いやいや、そんなことを言ってる場合じゃない。ゆずるをなんとかして助けなきゃっ!)

 それまで必死に抵抗をしていたゆずるの腕から力が抜けた。まるでスローモーションのようにだらりと垂れさがる。

 ついにゆずるは全ての霊力を夢魔に吸い取られ、ぐったりとしてしまっていた。

 夢魔は意識がないことを確認するように、ゆずるの首を掴んだ手を左右に揺すった。まるで人形のように、ブラン、ブランとゆずるの体が揺れる。

「どうしよう! このままじゃお兄さまがっ!」

 優香の声が震え、大きな目が揺れはじめる。

「考えなきゃ……考えなきゃ……」

 震える唇に左手を当てて思案しはじめる6才のいとこにちらりと視線を送る。

 直久にはその答えが一つしかないような気がしていた。

 優香が今隣にいることが、何よりもの救いだった。

(今なら、逃げられる……けど)

 直久は静かにこぶしを握り締めた。

 そうだ。ためらっている時間などない。

 一刻も早くゆずるを助けられる方法は――これしかない。

「優香」

「何?」

「お前の能力はなんだ?」

「具現化よ」

「はは、おあつらえ向きだ」

 やっぱりそういう運命なんだ。

 これを見越して、和久は自分をゆずるに同行させたんだろう。

 ならば、きっとその後のことは、考えておいてくれてるはずだ。

 大丈夫。

 あとは、和久にまかせればいい。

 やるしか――ないっ!

 直久は、ぐっと拳を作った。

「ナイフ、作れるか?」

「ナイフ? まさか、ナイフで夢魔と戦う気?」

 何をバカなことを言いだしたのかという顔で優香がさらに口を開こうとした。すぐさま直久はそれを封じる。

「いいから、作れ」

 優香の大きな目が直久が何を考えているのか、そもそも考えがあるのかを悟ろうと、射抜かれそうなほど鋭い視線を送ってくる。直久も、目を反らさずに優香を見つめ返した。

「……分かったわ」

 何かを察したのか、優香はすっと目を伏せ、胸の前で両手を打ち鳴らした。そして、その両手を広げていくと、その手の中が眩しく光り、そして見る見るうちに光は刃物へと姿を変えていく。

「今の私の力では、具現化が三分も持たないわ」

「三分もいらない。すぐに片を付けるよ」

 直久は、舌舐めずりをしながらゆずるをご馳走のように見つめている夢魔を睨みつけたまま、手渡された刃物を手に取った。

 ズシリと重みを右手に感じて、手元に視線を落とす。

「――って、おい! これ包丁じゃねえかっ!!」

「戦うなら大きな包丁のがいいかなっとか思って」

「俺を殺す気かっ!?」

「え?」

「いや、待て、いいんだ、死にそうにならなきゃなんないんだった」

 わけがわからないという顔の優香を置き去りにして、直久は包丁に映り込んだ自分の顔を静かに見つめた。

 刃渡り20センチ。見るからに新品で、切れ味もよさそうだ。

 まったくなんて立派なものを出してくれたんだ、我が従姉妹殿は。

 直久は諦めという小さなため息をついて、不安そうに自分を覗き込む優香の小さな手を取った。

「いいか。何があっても、俺の手を離すな」

「待って。何をする気なの?」

 妖魔退治では、大先輩である優香は、訝しげに眉を詰めている。無能な直久が、いったい何をしようというのか。何ができるというのか。そういう目だ。

 それでも直久は、まっすぐに優香の目を見て言った。

「俺とゆずるは、カズが起こしてくれる。俺と一緒に、お前も引き戻してもらうんだ。だから、何があっても、俺の手を離すな。いいな?」

 和久の名前が出た途端、優香の顔付きが変わった。そして深く頷く。

「……わかったわ」

 直久は、左手で小さな優香の手をしっかり掴むと、右手で手渡された包丁を強く握り直した。

(ぜってー、いてぇぞ。こんなでっかい包丁で刺したら、めっちゃ痛いって)

 恐怖で勝手にが膝が笑ってきた。

 嫌な汗が噴き出してくる。

(……やるっきゃない)

 わかってる。わかってるが……。

 ちらりとゆずるに目をやる。

 力なくうなだれている。躊躇してる時間は微塵もない。

 自分の心臓の音が、どんどん大きくなってくる。


 ドックン。

 ドックン。


 まるで時を刻むように。

 自分の心臓の音と、荒く息をする音しか聞こえなくなってくる。

(くそうっ!! ビビってる場合じゃねえっつうのっ!)

 直久は、ぎゅっと目をつぶった。額は、いつしか汗でびっしょりになっていた。


 大丈夫。

 大丈夫。


 カズが何とかしてくれる。

 あとは、カズが――っ。


「こんちきしょおおおおおおおお」


 直久は、勢いよく自分の胸を包丁で突き刺した。





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