1 アナログVS非科学
1 アナログVS非科学
「結局、誰も来なかったわけ? じゃあ、ほんとにラブレターだったのかなあ?」
和久が地球最大の珍事を耳にしたような表情で、聞き返してきた。
「だからさ~、なんで信じないかねぇ。このイケメンな俺がラブレターもらったら、そんなに可笑しいってか?」
直久はがっくりと肩を落とした。
ことの始まりは、登校直後のことだった。
いつものように、始業チャイムぎりぎりに登校した直久の机の中に、差出人不明の封筒が入っていたのだ。
文面は以下の通り。
――『裏庭にて待つ』
誰もが口ぐちに言った。
「果たし状か?」
「だって裏庭だぞ? 絶対集団リンチだ」
「お前、そんなに金に困ってたのか? 誰にいくら借りたんだ?」
「ていうか、この字、達筆すぎねえ?」
「確かに、これは明らかに筆だな。炭だぜ、墨汁だぜ」
「いや筆ペンかもしんねぇよ」
「どっちにしても、やっぱ果たし状か?」
「果たし状だろう」
「いや、老人ホームの婆さんからのラブレターかもよ?」
クラスメイトたちは、真剣に、本気で、直久を心配した。この真剣さが余計に直久を憤慨させたのは言うまでもない。
即座に、直久は隣のクラスに駆け込み、双子の弟、和久の姿を探し出すと、大声で叫んだ。
「カズっ!! 俺、ラブレターもらった!!」
こうして、瞬く間に、学年中にこの話は広まった。
そうなれば、当然、今日の放課後の、この珍事を見のがす手はない。多くの者が固唾を飲んで、裏庭に現れるだろう手紙の差出し人が来るのを待った。
しかし、誰も現れない。
それもそうだ。ここで現れたら、いい晒し者。直久と一括りにされ、一生ネタにされるのは間違いない。
かくして、待ちぼうけをくらった直久は、ふてくされながら弟の部活に顔を出し、愚痴りに来たというわけである。
そんな兄をさすがに不憫に思ったのか、和久は、ごめんごめん、と笑いながら続けた。
「今時、ラブレターなんて出すヒトいるんだなぁ、と思って。普通、メールとかじゃないの?」
「しょうがねえだろう。俺、携帯持ってないんだから」
「あ、そうか。我が家には携帯は必要ないから忘れていたよ」
「たく、なんて家族だ。不便でしかたないね」
直久が独りごちると、弟がくすりと笑った。
直久たちの家族は、電波やケーブルを介すことなく、長距離通信、つまりテレパシーが使える、一風変わった、いや、とんでもなく変わった家族だった。家族だけではない、一族そろって、携帯を必要としない。携帯どころか、交通機関も必要としない親戚も多数いる。
つまり、普通ではないのである。色々な面で。
ただし、直久以外の家族に限る。直久だけは、“普通”であった。
だから、このデジタルな世の中の流れに逆らって、アナログな世界で生きる不自由な生活を一人だけ余儀なくされている、実に不憫な高校2年生だった。
「ていうか、まだ帰らないわけ?」
直久はそっと横目で弟を盗み見た。
弟は、珍しく眉を吊り上げ、きりっとした表情で弦を引いた。
ぎりぎりと弦の軋む音が、弓道場に響く。
周りを見回せば、そんな弟の横顔に見惚れ、目をハートにさせている女子弓道部員があちらこちらに居た。その気持ちもわからないではない。
直久と和久には、一卵性の双子とはいえ、良く見るとそれぞれに特徴がある。
バスケ部に在籍し、日々駆けずり回っている直久は、このところの筋トレ効果も助けて、ぐんぐんと筋肉質になっていた。対して和久は、相変わらず線が細く、儚げな印象を与える。
今だって、実に弓道着が似合う。爽やかで、カ弱そうな印象が、女性生徒たちには大人気なようで、影で『弓道王子』なんて呼ばれているとか、いないとか。
空気を引き裂くような音とともに、矢が的をめがけて放たれる。一秒後、矢は吸いこまれるようにして、的中した。
「…………ちょっとずれちゃった」
そう呟いた和久だったが、直久からすれば、矢は的のど真ん中に突き刺さっているようにしか見えない。
まったく、どんな視力をしているんだ。
直久が小さくため息をついた時だった。
和久の背中に、一瞬の緊張が走った。弓道場の誰もが気がつかない小さな動きだったが、直久にはそれで十分だった。
「何があった? 緊急か?」
和久は、流れるような動きで弓を片づけ始める。
「ゆずるの式神からだ」
「ゆずるの?」
「ゆずるが呼んでる。急いで帰る支度をして。瞬間移動で帰るから」
小声で言いながら、和久は男子便所に大股で向かう。
「わかった。荷物取ってくる」
「うん、よろしく。僕は先に行くね。あとから来てよ」
「ああ……」
返事をしてから、はたと気がつく。
「えっ!? あ、ちょっと待てっ!!」
慌てて弟を引き止めようと、男子便所に駆け込んだ。だが、時はすでに遅し。
眩しい光を放ちながら、弟は別の場所へと瞬間移動した後だった。
「お~い……おいてっちゃうし。ていうか、どこに行けばいいわけ?」
少しはアナログ生活の苦労を、いや、普通の人間の苦労を味あわせてやりたい。直久は深く深くため息をついた。