鬼ごっこ(2)
◇
掃除用具入れの中は、直久が思わず息を飲むほどの広さだった。
入口こそ狭いのだが、箒を取り出してしまうと、その奥はトンネルのように真っ暗な闇が続いている。
今度はこんな所を歩いていくのかと、一瞬にして足が重くなるのを感じる。これではまるでお化け屋敷だ。
だが、ゆずるは迷う様子もなく、確かな足取りで掃除用具入れへと足を進めるので、直久もゆずるの手に引っ張られるようにして、と片足を踏み込んでしまった。
途端、埃とカビの臭いが鼻に付いた。思わず顔をしかめる。
だがそれも一時のことで、すぐに慣れた。正直それどころではなかった。
奥は暗闇で何がどうなっているのか見当もつかない。その恐怖と不安といったら、勝手に足が震えだすほどだ。
それを何とかゆずるに気づかれないようにするのに必死になりながら、直久は、ゆずるの手に導かれるままに、暗闇に続く掃除用具入れの奥へと歩き始めた。
すぐに、不思議なことに気づいた。
真っ暗闇で、照明も無いのに、なぜかゆずるの姿がはっきりと浮かび上がって見えるのだ。
夢の世界は何でもアリかよ、と思いながら直久は一歩一歩、足を繰り出す。
暗闇には地面も空もない。
空中を歩かされている感覚に襲われた。
進んでいるのかどうかもわからない。
戻りたくても、来た道すら見当たらない。
ゆずると繋いだ手だけが、今は唯一の救いであり、命綱だった。自然にその握りしめた手に視線が行ってしまう。
この手が離れたら――。
一瞬、それを想像して、直久は頭から冷水をかけられたような、すさまじい恐怖が生じた。
気が狂う。
こんな所に置き去りにされたら、正気ではいられない。それだけは確かだ。
途端に足がすくんだ。
かくかくと膝が笑う。
どうしよう。
一人ぼっちにされたら――――どうしようっ!!
頭の中が、後から後からわき上がる恐怖で今にもパンクしそうになる。
怖い。
嫌だ。
もう無理だ!
怖い怖い怖い!
暗闇に押しつぶされそうで、叫びそうになったその時だった。
「もうすぐだ」
まるでどん底にいる直久の心に一筋の光が差し込むようだった。
「もうすぐ出口だから」
ゆずるが、自分を安心させようと言ってるのがわかった。同時に、その時初めて、自分が息を止めて歩いていたことに気づかされる。
大丈夫。
心配するな。
笑顔こそ見せないが、振り返ったゆずるの瞳がいつになく優しくて。
ほっとした。
ほっとしたら、強ばっていた自分の体から力が抜けた。
涙がでそうになった。
よかった。
ゆずるが一緒でよかった。
大丈夫。
俺は一人じゃない。
大丈夫――。
「絶対……」
直久は思わずつぶやいた。
「絶対、三人で帰ろう」
優香を見つけて、誰も欠けることなく。
無事に、皆で帰ろう。
――帰るんだ。
自然と、ゆずるの手を握る右手に力がこもる。するとゆずるがその手を握り返してくれた。
「ああ。皆で帰ろう」
ゆずるは、柔らかな笑顔になった。
その瞬間、直久は自分の胸が跳ね上がるのを感じた。
ゆずるが笑ってる。
自分に笑いかけてる。
直久の記憶をいくら遡っても、ゆずるのこんな花のような笑顔にぶち当たることはない。
初めてかもしれない。
なんだか、よくわからないが、すごく嬉しくなった。
初めて、あの恐ろしい姉に褒められた時のような。
クラス中の女子に「直久くんてカッコいい!」とか言われた(妄想)時のような。
胸の中が、ぽかぽかと暖かくなるような、そんな気持ちだった。
だから、直久も満面の笑みになった。
「よおしっ! この直久様に任せておけっ!! みんなで帰るぞおーーっ!!」
繋いでいた手を突き上げて叫んだ。
何でもできるような気がした。
今なら、何も怖くない気がした。
「ば、ばか! でかい声を出したら、夢魔に見つかるだろう!」
後から、ゆずるのそんな小言が聞こえてきたが、気にしない。
大丈夫。帰れる。
帰るぞっ!!
「優香、待ってろ! 直兄ちゃんが今、迎えに行ってやるぞっ!」
直久が勢い余って走り出した。
今度は直久に引っ張られるようにしてゆずるが走り出した。
「待て、そっちじゃない! こっちだ!」
「なぬっ! 早く言えよ」
「お前が勝手に走りだしたんだろうが」
この時の直久には、分かっていなかった。
直久のその笑顔が、ゆずるにどれほどの力を与えていたのか。
今の直久の存在が、どれほどゆずるに勇気を与えているのか。
直久がそれを知るには、まだまだ時間を要するようだ。