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九の末裔 ~春眠~  作者: 日向あおい
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6 鬼ごっこ

6 鬼ごっこ



 優香は出来うる限り息を殺した。

 けれど、走り通しの上、いつ見つかるかわからない緊張感が、鼓動を早くし、呼吸を荒くする。


 ――――ひゃーーひゃはははははっ。楽しいねえええ。鬼ごっこは、僕大好きなんだよおおおお。


 優香の小さな体がびくりとなった。

 声は近い。

 その不気味な笑い声の主を、優香は知っていた。

 アイツだ。

 まだ追ってくる。

 優香だけを。

 だって、“ここ”には優香とアイツしかいないから。

 アイツは優香がいずれ、捕まることを知っている。

 だから、焦りもしない。恐れもしない。

 ただ、ただ。

 獲物が疲れて、衰弱していくのを、楽しみながら待っている捕食者に過ぎない。

 それを優香は本能的に感じていた。

 あの不気味な人形に見つかったら、自分は死ぬのだ。

 あの人形に、生きたまま食べられてしまうのだ。

 あの大きな口で、自分のはらわたを食いちぎり、口元を真っ赤に濡らして自分の生き血をすするのだ。


(お兄ちゃん……助けて!!)


 優香は祈るような思いで、胸元から紐で下げられた小さな布袋を握りしめた。兄が自分のためにと作ってくれたお守りだった。

『何かあったら、そのお守りに祈りをささげろ』

 兄の声が頭の中でこだまする。

『怖がったらいけない。相手の思うツボだ。怖くなんかない。すぐに俺が助けに行く。だから、それまでの間、小さくなって隠れているんだ』

 そうだ。

 すぐに兄が助けにきてくれる。

 もう、すぐそばにいるかもしれない。

 それまで、自分は隠れていればいいんだ。

『まずは、深呼吸だ』

 記憶の中の兄に導かれるようにして、優香は、深く息を吐いた。

 落ち着け。

 落ち着くんだ。

『手の中のお守りに意識を集中して』

(集中……)

 優香はゆっくり目を閉じる。

 と、途端に、優香の小さな手の中の、数センチほどしかない布袋から、かすかな青白い淡い光が放たれだした。しかし、その光のあまりにその弱弱しさに、優香自身も気づかないほどであった。

『集中して……集中して……そして、俺の名を呼べ!!』

 優香の瞳が力強く開かれた。

(お兄ちゃんっ、助けてっ!!)

 その刹那、まるで爆発が起きたかのように、青白い光は一気に輝きを増した。





 プールの排水溝に飛び込んだ先は、小学校の校舎内であった。

 いったいどこに飛ばされたのだろう。

 最初の教室にもどった、ということはない、と信じたいが、夢の世界ではそれもあり得ないとは言い切れない。

 そんなことを考えながら、ゆずるは恐る恐る目を開けた。

『今度はどこに入口があるんだ?』

 狭苦しそうに頭をもたげて、妖狼が言った。

 体高が三メートル以上ある先詠には校舎の天井が低いようで、思うように身動きが取れないようだ。

 ゆずるは体を乗り出して、あたりを見渡そうとしたが、妖狼の体が邪魔でそれもかなわない。ここは自分たちの足で、次の空間へと続く、入口を探した方が早いかもしれない。

 ゆずるは自分の考えを、妖狼に伝えると、ゆずるが降りやすいようにと、妖狼が体を低くしてくれた。

「直、降りるぞ」

 そう声をかけながら背後の直久を振り返る。直久は、目をぎゅっと閉じたまま、声を出さずにゆっくりと頷いた。その体は小刻みに揺れている。

(直……)

 無理もない。

 宙に浮いたまま、高速で上に下にと振り回されれば、誰だって怖い。安全が保障されているジェットコースターとはわけが違う。自分の腕力で、ゆずるにしがみ付いてなければならないし、万一、振り落とされれば、自分には死が訪れる。そう言われて、普通でいられるはずはないのだ。

 ゆずるの瞳に、心配の色がちらりとのぞく。

 もう少し、気遣ってやればよかった。

 きっと、和久ならば何か気のきいた優しい言葉をかけてやれるのだろう。直久を安心させてやれるような、一言をあの陽だまりのような笑顔で。

 でも自分にはできない。また、そんな余裕もない。

「……掴まれ」

 ゆずるは低く唸るように言うと、自分のウエストに巻かれた直久の腕に手を添えて、妖狼の背を勢いよく蹴った。宙に浮いた二人の体を、すかさず妖狼の柔らかな尻尾が受け止める。そのまま、尻尾に運ばれるようにして難なく床に着地することができた。

「さあ、もう大丈夫だろう? 目を開けてみろ」

 かたくなに目を閉じたままだった直久に、ゆずるは声をかける。

 直久は、おそるおそる重たい瞼を開けていき、見えた風景にほっとしたように息を吐いた。

「ここは……音楽室?」

 直久のかすれた声で、ゆずるは初めて視線を室内へと向けた。妖獣の背からでは、ふさふさの獣毛が邪魔をして何も見えなかったのに、自分の背丈の目線になったとたんに色々なものが見えてきた。

 まず、目に飛び込んできたのは、妖狼の脇の間からちらりとのぞくようにして見えた、黒光りする物体だった。――ピアノだ。

 その一部しか見えていなくとも、立派なグランドピアノがすぐに想像できた。妖狼が少しよろければ踏み潰してしまいそうなほど妖狼のすぐ真下にあったため、妖狼の背中から目視できなかったのだろう。

 視線をピアノから少し上部にスライドさせると、眠そうにあくびをする妖狼の顔越しに、黒板が見えた。黒板は上下にスライドできる型のもので、確かに音楽室にでしかありえないように、五線が引かれていた。

 ゆずるは、さらに視線を背後へと移動させていく。

 ふと、ある一転でゆずるの目の動きが止まった。

「見つけた」

 ゆずるが呟くと、妖狼は耳をぴくりと起こして反応する。

『どれだ?』

 ゆずるは、音楽室の後ろの隅にある、縦長の掃除用具入れを指さした。

「あれだ」

『なるほど。なれば早くおさらばするとしよう。ここは狭くてかなわん』

「お前、小さくなれるだろう?」

 ほふく前進をしながら、掃除用具入れに近づいていく妖狼に、ゆずるは当然の疑問をぶつける。

『おほ! その手があった』

「……」

 とその時だった。


 ――――………っ!!


 ゆずると妖狼は、同時に動きを止めた。

 顔をこわばらせ、妖狼を振り返ったゆずるの声が、喜びに震える。

「……今のは……優香だ」

 間違えるわけない。

 優香の思念が、確かに“聞こえた”。

 生きてる!

 確かに、まだこの世界に生きている!!

 ゆずるは、わけのわかっていない直久を振り返り、思わず歓喜の声を上げた。

「直! 優香の声だ! 今、優香の声が聞こえたんだ!」

「まじかっ!」

「優香はまだ無事だっ、生きてる!」

「そうだな。早く見つけてやらないと!」

 直久の顔にも、久しぶりに笑顔が戻っていた。だから、ゆずるも自然に笑顔を返した。

 優香はきっとまだ無事だ、そう信じていた。でも、どこかで、もう駄目かもしれない。夢魔に食べられてしまったかもしれない。そう思う時もあった。

 これで、生きていることは分かった。あとは、優香を夢魔よりも早く保護して、この薄気味悪い夢の世界から抜け出すだけだ。

 ゆずるの瞳に、みるみるうちに希望の光が灯って、力強く光り出した。

「先詠。優香の保護が優先だ。優香を探しに行け。他の狼たちと協力して、何がなんでも探し出せ」

『わかった。でもどっちから“声”が聞こえたんだ? 俺には方向までは分からなかった』

 妖狼は優香の気配を探ろうと、首を右に左にひねりながら、鼻をひくひく動かした。

「一瞬だったから、俺にも分からない。でも、近くにいるのは間違えない」

『さすが、ゆずるの妹だ。よく生きてたな。こんなところでたった一人で逃げ回ってるとは、見上げたものだ』

「だが、時間の問題だぞ。今の“声”は夢魔にも聞こえたはずだ」

『そうだな。兄たちと一度集合してから、手分けして探すことにする。何かあったらすぐに呼べ』

「頼んだぞ」

 妖狼は、風を巻き上げ、一瞬で姿を消してしまった。瞬間移動だ。

 ゆずるが、静かに直久を振り返った。不安そうな直久の瞳とぶつかる。

「……先詠は、もう、いないのか」

「大丈夫だ。俺が、誰も死なせやしない」

 本当は、そんな自信も、保障もない。

 ここからは、ゆずるが自身の命と、そして直久の命を守らなければならない。

 だが、恐怖に負けたら相手の思うつぼだ。

 不安に喰われたら、全てを失ってしまうんだ。

 ゆずるは、自分の動揺を落ち着けるため、自分の神経を研ぎ澄ますため、一度だけ大きく深呼吸をした。

(大丈夫。夢魔に出会わなければいいだけだ)

 自分に言い聞かせるように、ゆずるは心の中でつぶやいた。

「行こう」

 二人は、音楽室の隅にある掃除用具入れの中へと足を踏み入れた。



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