プロローグ
本作品は『九の末裔 ~寒椿~』の続編となっていますが、本作品からでも問題なく楽しんでいただけるよう執筆しています。本作がお気に召しましたら、『寒椿』の方もご覧頂けると幸いです。
プロローグ
───―……。
誰かに名前を呼ばれたような気がした。
少女は足を止め、ゆっくり後ろを振り返る。
「……」
誰もいない。
小首を傾げながら、前方に向き直った。
(気のせいかな)
正直、少女はそれどころではなかった。
西の空で、燃えるように赤く染まった太陽を睨みつけながら、少女は再び足を進める。
今日は、小学校の帰りに、初めてできた友達の家にお呼ばれして、遅くなってしまっていた。
(急がなきゃ! 日が沈んじゃう!)
自然と早足になる。
と、その時。
――――おーい……。
再び少女の足が止まる。
やっぱり聞こえた。自分を呼んでいる。
「…………」
嫌な予感がした。
それでも、勇気を出して、今度は勢いよく振り返った。右に左に首をひねり、素早く視線を動かして、声の主を探した。
少女の視線が、道路の端の一点にたどりついた瞬間、赤や白、緑に黄色のカラフルな色が少女の網膜に飛び込んできた。
(……なんだろう?)
無造作に道路の上に捨てられているソレが、気になって仕方がない。
思わず、そっちの方へ足を動かそうとした時、少女の脳裏に大好きな兄の顔が浮かんだ。
『いいか。知らない人に付いて行ったり、得体の知らないものに近寄ったりしちゃだめだ。誰かに呼ばれているような気がした時は、ダッシュで逃げろ。無視していい。全力で家まで帰れ。いいな』
(そうだ、ダッシュで逃げなきゃ!!)
少女はくるりと、華麗に踵を返し、一目散に走りだした。
背中のランドセルが、ガタガタと音を立てて左右に大きく揺れた。その音にまぎれて、声が追ってくる。
――――おーい……。
心なしか、声は大きくなっている気がする。
ついてきている。
何か、得体の知れないものが。
ヒトでない何かが!!
そう思った瞬間、背筋が凍りつくような恐怖を感じた。
足が震えだして、上手く走れない。
――――おーい……。
ドキリとした。
すぐ背後にいるかのように、声は大きくしっかりとしたものだった。
このままじゃ追いつかれてしまう。
少女は全力疾走に切り替えた。
すぐに息が上がる。
足がもつれて、転びそうになりながら、必死で走った。
もうすぐ家だ。
大丈夫、このまま走って家に飛び込めば、兄が何とかしてくれる。
それでも、どんどんと近づいてくる気配に比例して、恐怖は増大していく。
怖い。
怖い、怖いよ!!
助けて、お兄さま!!
家が見えた。
もうちょっと。
もうちょっと。
体力も限界だ。
息が苦しい。
横腹が痛い。
あと数歩。
もうすぐ、兄のもとへ。一番安全な、兄のそばにたどり着く。
喜びと安堵から、心が逸り、少女は思わず叫んだ。
「お兄さま――っ!!」
少女が手を伸ばし家門にその小さな指が触れる、まさにその時。
――――ねえ。僕と遊ぼうよ。
何かが少女の肩にズシリとのしかかった。同時に、少女の心臓は跳ね上がり、全身を恐怖の波が襲う。
ゆっくりと少女は、自分の肩に視線を動かした。
手だ。
白い手袋をはめた小さな手。
でもヒトじゃない。ヒトに似ているけど何か違う。体温も柔らかさも感じない。……そうだ、人形の手だ。
後ろを振り返りたい衝動に駆られる。
『絶対に振り返ったら駄目だ。とり憑かれるぞ!』
再び、兄の声が聞こえた気がした。
でももう遅い。
少女の目はしっかり捉えていた。
宙に浮く、ピエロの姿を――。