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白線の内側まで――

作者: をはち
掲載日:2026/11/07

白線の内側は、生存の境界線。


深夜の駅は、いつもより静まり返っていた。


初日となる銀行の業務を終えたサクラは、ホームの白線の内側に、他の乗客たちと同じように直立して立っていた。


誰もが床の白い線から一ミリもはみ出さぬよう、完璧な列を作っている。息を潜め、視線を足元に落とし、ただ待つ。


奇妙なほどの沈黙が、ホーム全体を覆っていた。


頭上から、ノイズ混じりのアナウンスが流れた。


『まもなく、電車が参ります。白線の内側におさがりください。守れなかった部位は、直ちに裁断されます』


悪戯か、と思った瞬間だった。隣に立っていた男が、後ろから軽く押された拍子に、靴の先をほんのわずか線の外へ出してしまった。


次の瞬間、目に見えない刃が通過したように、靴先が音もなくスパッと切り落とされる。


男は叫び声すら上げず、顔を歪めながら、血の滴る足を慌てて内側へ引っ込めた。周囲の乗客は誰一人動かない。


ただ、自分の足元を凝視し続けている。サクラは全身の毛が逆立つのを感じた。この駅は、異常だ。


やがて電車が滑り込む。ドアが開くと、降りる乗客がいるにもかかわらず、列の後方にいた一人が待ちきれずに乗り込もうとした。


その瞬間、天井から巨大な鋼鉄のアームが飛び出し、男の胸を真横から強打した。


ドンという衝撃音とともに、男はホームの壁まで吹っ飛び、吐血する。


『降りるお客様が先です』


冷淡な声が響く。誰も動かない。サクラは理解した。ここは、「完璧なマナー」を強制する場なのだと。


乗り込もうとしたとき、背後から首の不自然に曲がった老婆が近づいてくる。サクラは心臓を激しく鳴らしながら、咄嗟に弾かれたように道を譲った。


優先席に座る男は、スマホに夢中で気づかなかった。次の瞬間、座席がパカッと大穴を開け、男は悲鳴を上げて線路下の闇へ落ちていった。


乗客たちは互いに距離を保ち、完璧な乗車を維持する。サクラもまた、一歩も動かず、誰の邪魔もせず、ただルールに従い続けた。


老婆に道を譲り、降りる人を完全に待ち、指先一つ線の外へ出さない。


極限の緊張で精神が擦り切れそうになりながらも、彼女は毎日、この地獄のホームを生き延びていた。


数ヶ月後。サクラは、いつも通り銀行の受付窓口にいた。


あの駅を経験した彼女や同僚たちにとって、「完璧なルール遵守」と「過剰なまでの丁寧さ」は、もはや骨の髄まで染み付いた習性となっていた。


突然、怒号が響いた。


「動くな! 金をバッグに詰めろ!」


二人組の強盗だった。散弾銃を突きつけられたロビーは一瞬で静まり返る。


しかし、サクラをはじめとする銀行員たちの表情に、パニックも恐怖も浮かばなかった。


「いらっしゃいませ。かしこまりました。ただいまご用意いたします」


サクラは美しくお辞儀をした。奥の社員たちも、マニュアル通りのお客様対応をするかのように、手際よく、極めて丁寧に大金をバッグへ詰めていく。


「早くしろ!」と机を叩かれても、サクラは微笑みを絶やさなかった。


「お急ぎのところ恐れ入ります。あと三十秒ほどでお手続きが完了いたします」


バッグを渡すときも、両手でしっかりと持ち、相手の目を見て頭を下げた。


「お待たせいたしました。またのお越しを、心よりお待ち申し上げております」


強盗たちは完全に拍子抜けしていた。激しい抵抗や泣き叫ぶ人質を予想していたのに、不気味なほど丁寧にあっさりと目的を達成してしまったのだ。


「…おい、なんだこの店、気味が悪ぃな。早くずらかるぞ」


鳥肌を立てた二人は、逃げるように銀行を飛び出した。パトカーのサイレンが遠くから聞こえる中、路地裏へ逃げ込み、地下へ向かう。


「車は捨てて、地下から逃げるぞ!」


二人が駆け込んだのは、薄暗い地下鉄の入り口――サクラたちが毎日使う、あの駅のホームだった。


ちょうど、各駅停車が滑り込み、ドアが開く。中から乗客が降りようとしている。しかし、焦り狂った強盗たちは


「ラッキーだ、これに乗れば逃げ切れる!」と、並ぶ乗客を突き飛ばし、白線を踏み越えて、我先にとドアへ飛び込もうとした。


その瞬間、天井から巨大な鋼鉄の影が高速で振り下ろされた。


頭上から、パチパチとノイズ混じりのアナウンスが流れ始める。


『――降りるお客様が先です。白線の内側におさがりください』


――そして、ホームは再び、完璧な沈黙に包まれた。

読んで頂き有り難う御座います。

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― 新着の感想 ―
ホームに入って来る電車、怖いですよネ  たまにしか利用しませんが、その分 怖いのかな
面白かったです!(*゜▽゜*) ただのホラーじゃない!を見ました。 完璧なルールを強いる異様なホームで生き延びることで、思いもかけず身につけるものが出来ていたり、強盗達の末路──── 短い中でいつも…
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