公爵様に、「父親と歳が近い男は嫌だろう?」と言われましたが、私そんなに若くないですけど。
――この状況は、非常にまずいな。
大陸の北方。1年の大半を雪に覆われたノルマン公爵領。そこの主であるルークス・ノルマン公爵は雪の精霊の様な銀の髪と、その端正な顔立ちから氷のノルマンと称されていた。
十代、二十代は困らなかった。しかし今年ルークスは32歳になる。結婚適齢期もとうに過ぎ、ルークス含めノルマン公爵家は頭を抱えていた。
「ルークス。先日の成果はどうだったのです」
先代ノルマン公爵夫人は、執務室の扉を開けるなり口を開いた。
「母上。先日……というと、帝都で開かれた騎士団別の武闘大会のことでしょうか?お伝えした通り、もちろん我がノルマン騎士団の圧勝でした。やはり日々強大な魔獣を相手にしているので他の騎士団とは格が……」
「――違います。その後開かれた舞踏会のことです。良いご令嬢とは巡り合えたの?」
前公爵夫人はルークスの言葉をぴしゃりと遮った。
前公爵夫人とはいえ、若い頃は皇室騎士団の副団長を務めていた女傑である。並みの迫力ではなく、ルークスは気まずそうに視線を逸らした。
「……それは」
口籠るルークスに、夫人はため息を漏らす。
「――はあ、なんと情けない。旦那さまから引き継いだその風貌を持ちながら、その体たらく」
夫人が言う『旦那さま』とは前公爵――ルークスの父である。エルフを始祖とするノルマン公爵家の礎を体現するかのような美丈夫だった。
夫人と前公爵は、帝都の舞踏会で出会い、大恋愛の末に結ばれた。今でも演劇の題目として語り継がれているほどである。その経緯もあり、夫人は今までルークスの結婚相手に関して何も言わなかった。ルークスにも自然と出会い、好いた令嬢と結ばれて欲しかったからだ。しかし、それも30歳を過ぎるまでのこと。今では帝都で開かれる全ての夜会に、強制的に参加させられている。
「私としても、お前には恋愛婚をさせてやりたかったけれど、32にもなってお付き合いをした女性もおらず、そのように奥手では二百年以上続いたノルマンの血筋が途絶えてしまうではないの」
「夫人の仰る通りです。団長、今日の夜会はハッシュラー侯爵家で開かれます。そろそろ準備なさいませんと」
ノルマン騎士団の部下にも心配される始末。ルークスは重い腰をあげて従った。
「わかった……」
――そして現在。夜会会場で壁と同化している訳だが。
(今日も誰1人として、ご令嬢と会話すら出来ていない)
先ほどの部下オルドの妻、ラニアス夫人の見立てで、今日は落ち着いた深緑色の上着に、襟元を縁取るように金糸刺繍が施されたものを選んだ。
夜会のたびに、いつも世話になっているラニアス夫人も、部下たちも、母も、大絶賛するほど着飾るのだが、毎回壁の花である。
(そもそも男は壁の花とは言わないのか)
「ルークス。最近よくお会いしますね」
「アディラ伯爵夫人」
「相変わらずの美丈夫ですこと。本当にお父様そっくりね。夜会に来て一度も踊らないのはつまらないでしょう?わたくしと踊りませんか?」
「……」
アディラ伯爵夫人は昔からの顔見知りだ。幼馴染と言っても良い。アディラ伯爵邸に嫁ぐ前は、帝国の二大公爵家の令嬢であった。会うたびに話しかけてくれるが、既婚者と仲良くするわけにもいかず、アディラ伯爵とも親しい仲ではないので、ルークスはいつも対応に困っていた。
「いや、ダンスは好きじゃない。やめておこう」
(話せる淑女といえば彼女しかいないな。彼女が誰か紹介してくれればいいのだが)
とはいえ、それも情けない気がする。ルークスは持っていたグラスを置き、中庭へ向かった。
(…ふう。父と私は本当に似ているのか?私に気遣ってそう言っているだけでは?)
息子から見ても確かに父は見目が良い。子供心に、父と歩く際には周りの女性たちの視線が父を向いている事も分かっていた。
しかし自分はそうではない。交際一歩手前までいった令嬢も一人二人いるのだが、何度か二人で会うと会話も全く進まず、しまいには泣き出すので、いつも破談になってしまう。
噴水のある開けた場所に出ると、会話が聞こえた。数人の令嬢の話し声だ。
「――なのよ。貴方も……」
「うーん、私はよくわからないわ。気になる方なら、声をかけてもいいじゃない」
「まあ!なんてこと!貴方……!」
声が荒くなってきたので、ルークスは敢えて大きな音を立てて歩いた。近くの草木を足で揺らしてみたりする。
「あら?何?」
「猫じゃないかしら」
「ゴホン!ゴホン!」
咳払いも加えてみる。
「も、もう行きましょう」
人だと気付いた途端に、令嬢たちは散り散りになって立ち去った。ルークスは暗がりに一人残された令嬢に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
夜空に溶けそうな深い色の髪色だ。
(めずらしい髪色だな)
暗いので、藍色なのか黒なのか判別出来ない。暗闇の中、大きな薄いラベンダー色の瞳が際立って見えた。
(紫とはまた珍しい)
魔力を宿す色だと言われている。魔力持ちが生まれにくくなった昨今では貴重な色だ。
「……大丈夫とは?」
首を傾げてその令嬢は言った。
「いや、なにか揉めていたのではと」
「え?揉めていたのかしら?」
ルークスも首を傾げる。
「人の気配を感じて去ったので、少なくとも彼女たちはそう思っていたかと」
ラベンダーの瞳が見開き、すぐにふわりと笑みに変わった。
「まあ。ふふ!そうなのね。だから貴方、あんなわざとらしい咳ばらいを……!ふふふ」
そんなに笑うことだろうか。たしかにわざと咳ばらいをしたのは初めてのことだが。
善意でした行動を笑われ、不快に思っても良いのにルークスは不快に感じなかった。食い入るように少女を見つめる。少女はルークスの視線に気づき、笑うのを止めた。
「あ……助けてくださり感謝いたします。騎士様」
「何故、私を騎士だと?」
「そのように立派な体躯をお持ちで、騎士でないはずがありません」
言われてみればそのとおりだ。加えて北部の者は背も高い。
「正解です。おせっかいな事をしてしまったでしょうか?先ほどは何を揉めてらしたのです?」
「え?」
令嬢は驚いたように聞き返した。ルーカス自身も自分の問いに驚いた。初めて会った女性とここまで会話が続いたことにもそうだが、踏み込んだ事を聞くのも初めてだからだ。
その令嬢は不快な雰囲気も見せず、朗らかに言った。
「気になりますか?」
「ええ。時間を持て余しておりまして」
ラベンダーの瞳がまた笑みの形になる。
「ふふ。ではお話しましょう。私はシエナと申します。騎士様のお名前は?」
「……ルークスです」
シエナが噴水に腰かけようとしたので、ルークスは「お待ちを」と言い下にハンカチーフを敷いた。
「ありがとうございます。私は今日が社交デビューだったのですが、先ほどの令嬢達に社交界のルールを教えてあげると言われました」
「ほう」
デビューと言うと、16歳くらいの年頃だろうか。自分との歳の差を考え、何故か気分が少し下がる。。
「何でも帝都の社交界には、氷晶の貴公子と呼ばれる……高嶺の花のようなご令息がいるみたいなのですが、かの方にはどんなに心奪われようとも、決して近寄らず、声をかけず、皆が平等に愛するように。との暗黙のルールがあるそうなのです」
「……初めて聞きました」
「あら。やはり男性には精通していないルールなのですね」
そのような暗黙の掟があったとは。やはり社交界は恐ろしいところだ。
「誰だか分かりませんが、気の毒な事ですね」
ルークスが言うと、シエナは意外そうに口を開いた。
「そう思いますか」
「ええ。その令息も、レディとの交流を目的に……しいては婚姻のために、夜会に来ているはずでしょう?端からその枠に入れてもらえないなどと……気の毒でならないな」
顔をしかめて言うと、シエナが深く頷いた。
「なるほど。たしかに。私は女性からの目線で言うと、気になるのなら積極的にいかなければと思いまして。だって見ているだけでは、誰かに奪われたり、手が届かない所へ行かれたり……叶うものも叶わないではないですか」
ルークスは目を瞬いた。
(ずいぶんと、はっきりとした性格のご令嬢だな)
ルークスが動けば、その風圧で倒れてしまいそうなほど華奢な身体で、瞳には力強い意志が宿っている。
(面白い方だ)
シエナに言われたことは、ルークスの心に思いのほか響いた。今までの自分も、気になる女性はいなかったが、望みはあるのに見ているだけではなかったか?自分から努力もせずに、誰かに選んでもらおうなどと、傲慢も甚だしい。
(ノルマンの血を途絶えさせたくはない。努力しなければ)
◇
邸宅に戻り、シエナと話した事を前公爵夫人と執事のアーサーに話すと、二人ともあんぐりと口を開けた。
「なるほど……!そういうことね。私はほとんど帝都の社交界に顔を出さないから気付かなかったわ」
「ええ。私も納得がいきました」
ルークスも頷く。
「ええ。シエナ嬢の言うことに、私も自身を顧みました。自分から努力せねばならないと改めて思いました」
夫人とアーサーは呆れた表情でルークスを見た。夫人が額に手を当てて短く息を吐いた。
「そこではないけれど、そう思ったなら良い傾向です。それで、そのご令嬢はどちらのご令嬢なの?」
「あ、聞いておりませんでした。ファーストネームしか」
「本当に呆れた子ね。ここ3年、夜会に参加して、まともに会話したのはそのご令嬢くらいでしょう。その方を逃がしてはいけません」
ルークスは慌てた。
「そうは言っても、彼女は社交界デビューを果たしたばかりのご令嬢でした。私とは歳が離れすぎております」
ルークスの言葉に夫人が怯む。
「う……!そうなの?でも……諦められないわ。お名前だけでも確認しましょう。アーサー」
「畏まりました」
夫人の言葉にアーサーが一礼して部屋を出て言った。止める間もなかったが、なぜかルークスも夫人の『諦めきれない』という言葉に同意してしまったのだ。出来る事なら、シエナともう一度会って話がしてみたかった。
(なにも交際を申し込もうという訳ではない。もう一度会って、前向きになれたことのお礼が言えたら)
自分でも都合の良い考えをしていることに気付いていたが、ルークスはそれ以上考えるのをやめた。
◇
公爵家の力を持ってすれば、夜会に出席した令嬢の素性などすぐさま調べ上げる事が出来る。
母も相当焦っていたのか、次の日にはルークスはシエナと向き合ってお茶をしていた。
向かいに座るシエナは、昨日と違い緊張しているのか固まっている。
「……申し訳ありません。まさかノルマン公爵閣下とは知らず、昨日はとんだ失礼を」
シエナが頭をさげてそう言うので、ルークスは慌てて否定する。
「いや、君が謝ることは何もない。顔を上げてくれ」
むしろお礼が言いたい程なのだ。どういう招待の仕方をしたのかとアーサーを睨む。
「えっ、お叱りの為に呼んだのでは?」
大きなラベンダーの瞳が少し潤んでいる。シエナの髪色は、明るい場所で見ると美しい藍色だった。見惚れているとアーサーが咳払いをした。
「ゴホン。閣下は些細な事でお怒りになる方ではありませんのでご安心を」
アーサーが視線を受け取り、ルークスは口を開いた。
「あ、ああ。昨日の事は特に怒っていない。貴方は何も失礼な事などしていなかった」
「そ、そうでしたか。でしたら安心しました」
シエナは安堵の息を漏らす。
「ん?でしたら何故私を?」
「……君と、その、もう少し話がしてみたくてだな」
「……え、何故でしょう?」
それはそうだ。疑問に思うのも無理もない。アーサーも、お茶の支度をしているメイド達も内心ハラハラしながら見守っている。
「ええと、私は女性が苦手なんだ。その、話もまともに出来ぬほど。君とは普通に話せたから……」
言葉に詰まりながら言うルークスを見て、シエナがアーサーに視線を送った。公爵家の執事を何十年も勤めているアーサーは切れ者である。シエナの視線にすぐに気付いた。
『普通?これで普通なのですか?』
シエナが視線で訴えるので、アーサーは頷いた。
シエナが深刻そうにルークスに向き直る。
「それは……大変そうですね」
アーサーがルークスの斜め後ろから言った。
「ええ。ですのでお嬢様には、閣下の女性との会話の指南をしていただきたいのです」
「「えっ」」
シエナと共にルークスも声を上げた。
(いくら何でも、社交デビューを果たしたばかりの、一周りも歳の違うご令嬢にそれを頼むのは恰好がつかなくないか?)
シエナがルークスを見ると、ルークスは顔を逸らす。
「あ、いや、その……君さえよければ、頼む」
もごもごと言うルークスにシエナは笑顔で答えた。
「私で良ければよろこんで」
◇
この日から、シエナはたびたびノルマン公爵邸を訪れるようになった。お茶をしたり、庭を散策したり、ひと月も経てば、ルークスは口籠らずにシエナと会話が出来るようになっていた。そして自然体で素直なシエナの事を好きになるには十分な時間だった。
「シエナ。先日言っていたディアナ通りのパイだが、ちょうど通りかかったので買って来たぞ」
ルークスは何でもない風を装い、テーブルに並べたベリーパイをシエナに差し出した。
(皇都で人気店だと聞いてはいたが、あのように並ぶとは思わなかった)
シエナはパイを受け取り、凝視している。パイを凝視した後はルークスを見てニヤニヤと口元を綻ばせた。
「ふふ。通りがかったって……ふふ」
「なんだ?」
鼻に着く笑い方をされても、まったく怒りが湧いてこない。
「いいえ何でも。ありがとうございます。閣下がわざわざ買ってきてくれたなんて嬉しいなぁ」
満足そうに笑みを浮かべ、パイを口に運ぶ姿をみて、ルークスの心は満たされる。思わず表情が緩むので引き締めた。
「敬語じゃなくても良いと言っただろう」
「そうはいきません。閣下は公爵様ですし、私はしがない子爵令嬢ですから」
「ふん……」
拗ねたような声を出してしまった。シエナは「仕方ないなあ」とでも言うように笑う。
距離を詰めようとすれば線を引かれる。
(歳の差もあるし、このくらいの距離感が良いのだろう。しつこく言って嫌われたくはないからな)
◇
さらにひと月ほど経った頃。頻繁に来ていたシエナに、時々予定があるからと訪問を断れるようになってしまった。
断る時はしょんぼりして、ひどく残念そうに言うので、来たくない訳ではないらしい。
「予定とは、何があるんだ?」
久しぶり……と言っても一週間ぶりなのだが、堪えかねて聞いてしまった。
シエナは大きなラベンダーの瞳を瞬かせる。
「……気になりますか?」
「質問返しをするんじゃない」
ルークスがぴしゃりと言うと、シエナは困ったように言った。
「うーん……何故か最近、よくお茶会に誘われるんです」
「なに?」
ルークスの目が鋭くなったのに気付いたのかシエナは慌てて言った。
「あ、閣下とのお茶会みたいな感じではなく、令嬢達だけで開かれるものなのですが」
「そうなのか。社交デビューを始めたらそういう機会が増えるとは言うが」
「やっぱりそうなのですね」
(なんだ。男がいないお茶会なのだな)
安堵のため息をシエナに勘づかれないように慎重に漏らす。
「友人は出来そうか?」
「ええと……」
シエナにしては珍しく歯切れが悪い。
「なんだ?楽しい会ではないのか」
「うーん」
シエナはなんとも言えない顔をする。
「まあでも、最初はこんな感じなのでしょう。じきに慣れるはずです」
シエナは明るい。邸宅に訪れる時も快活で、使用人にも評判がいい。慣れてしまえばすぐに仲の良い友人が出来るだろう。
(しかしその時には、自分はシエナにとって二の次の存在になってしまう)
32にもなって、なんて腑抜けた考え方なのか。心中で叱咤したものの、沈んだ気分はなかなか戻らなかった。
三日後。ルークスは前公爵夫人に頼まれ、ドレスショップに出向いてた。
(まったく母上は人使いが荒い)
お使いなど、普通は使用人に行かせるものだ。しかし今回はドレスショップだったので、令嬢に知り合う機会と見たのか無理やり使いに出された。
ソファーに座り品物が出てくるのを待っていると、数人の令嬢がこちらに視線を向けている。
「団長。もう少し笑顔を作ってはどうです?」
「なに?」
普段は気配を消しているオルドが珍しく声をかけて来る。
「急に笑いかけたらおかしいだろう。怖がらせてしまうぞ」
「団長の場合はそうなりません」
「いやしかし」
「ほら。いつもシエナ嬢と訓練しているでしょう」
(訓練?ああ、そうか。シエナ嬢と女性に慣れる為にと言う口実があったな)
シエナと過ごす時間が楽しくて忘れていた。
「さあ、あの令嬢達をシエナ嬢と思って」
「オルド。もう黙れ」
オルドは素直に黙った。
(こいつはまた面白がっているな)
オルドは一番付き合いの長い部下だ。ルークスに対し萎縮せず言いたいことを言う貴重な存在ではある。
(女性では母上を覗くとシエナ嬢くらいだ)
今日のお茶会も、先に予定があると言われ断られてしまった。
(次に会えるのはいつだろうか)
帰ったらまた誘いの手紙を送ろう。
夫人に頼まれたリボンを受け取り、帰ろうとすると、入り口の扉が開きチリンチリンと小さな鐘が鳴った。
「シエナ嬢?」
ルークスの想いを具現化したのか、入店してきたのはシエナだった。
藍色の髪をゆるく編み込み、華やかな水色のドレスを着ている。シエナの瞳がルークスに気付くとパッと輝いた。
「閣下。どうしてこちらに?」
「私は母上の使いだ。君は……」
シエナの顔色が曇り、素早く手でお腹の近くを隠した。
「……?どうした」
見ると、手だけでは隠しきれない染みが付いている。一緒に入店したメイドが代わりに説明する。
「お召し物が汚れてしまったので、邸宅に帰るまでなにか羽織ものを見繕おうと……」
「飲み物をこぼしたのか?」
「はい……」
シエナが下を向く。
「熱くはなかったか?やけどは?」
ルークスは思わず肩を掴んでしまった。
「あ、すまない」
そう言い、手を離す。シエナは顔をあげ、ぽかんとルークスを見た。そしてはにかむ様に笑顔になった。
ルークスの咄嗟に離した手が、そのまま固まる。
ルークスは知らなかった。気になっている人の笑顔を至近距離で見てしまうと、時が止まると言うことを。
「お茶は冷めていたので大丈夫です。心配させてしまい、すみません……閣下?」
固まったルークスをシエナが訝し気に見つめる。
「団長」
オルドの声に我に返る。
「そろそろ行かねば。次のご予定に間に合いません」
「あ、ああ。そうだった」
今日と言う日に限って皇帝から登城するように言われていた。心中で思わず舌打ちをする。
「ジェイソン!」
ルークスは店の二階に向かって言った。
「はい!閣下、お忘れ物でしょうか?」
黒のタキソードを着崩した従業員が階段を降りて来た。他の店員とは制服が違う。
このドレスショップは昔からの馴染みだった。先ほどもルークスの相手をしていたのはオーナーのジェイソンだ。
「この女性にドレスを見繕ってくれ。支払いは私に」
「えっ!閣下、そんな……」
シエナは驚いて声をあげた。
「本当は一緒に選びたかったのだが、今日はもう行かねばならない。次に会う時にまた着て来てくれると嬉しい」
「でも……」
「きゃあ~!閣下!閣下がそんなことを……!おまかせください!どんな色のドレスが良いかしら~!」
シエナの戸惑いは興奮したジェイソンによってかき消された。
(彼はなぜか気が高ぶると女性的な話し方になるな)
ジェイソンにより、あっという間に奥へ連れて行かれたシエナを見送る。そして残されたメイドに向き直った。少し引っかかることがある。
「彼女は自分でお茶をこぼしてしまったのか?」
「あ……ええと」
威圧をしているつもりはないのだが、女性とまともに話せないのはルークスだけの責任ではない。女性側も萎縮しすぎてしまうらしい。
(とはいえ、この鋭い目つきも体格も、自然なものなのでどうしようもない)
オルドが代わった。
「では、今日はどちらのティーパーティーだったのですか?」
「ハインツ邸です」
「ふむ。ありがとうございます。では、我々はこれで」
店を出てオルドに視線を送ると、オルドは心得た顔をして頷いた。
「ティーパーティーの詳細と、出席者の名簿で良いですか?」
「ああ。今日中にあげてくれ」
オルドが一礼して下がり、ルークスは馬車に乗り皇城で向かった。
◇
二日後。オルドからの報告によると、ハインツ邸でのティーパーティーは年齢様々な令嬢や婦人たちが参加していたものだった。通常社交デビューしたばかりの令嬢は、近い年頃の令嬢達だけのお茶会が多いはずだ。参列者も多く、どのタイミングでお茶をこぼしたのかは不明だった。
「ん……?アディラ伯爵夫人の名があるな」
元、公爵令嬢だったアディラ夫人は家格を気にしている印象がある。
「そうですよね。アディラ夫人が子爵家のパーティーに参加するのは珍しい事です」
「ふむ」
特に何もなければいいが。令嬢たちの茶会に呼ばれるようになって、元気がなくなっているのは間違いない。
「今日も断られてしまったな」
思わず呟く。
「ええ。社交デビューしたばかりですから。シーズンが収まれば回数も落ち着き、また頻繁に会えるようになりますよ」
「そうだといいが……」
そこまで言ってオルドがルークスを凝視しているのに気付く。ものすごく不快な顔で。
「なんだ?」
半眼でオルドを睨む。
「いえ、団長にそういうお相手が出来て嬉しく思います」
「彼女はそういうのではない。言っただろう。年齢が――……」
「――ルークス!」
言い返しきらないうちに執務室のドアが乱暴に開いた。
ノルマン前公爵夫人が勢いよく入室した。こめかみの血管が動いているのを見ると、大層お怒りの様子だ。
「母上?どうなさいましたか」
ルークスは思い当たる自身の失態を頭に浮かべながら声をかけた。
「ルークス。分かりましたよ。おかしな社交界の暗黙のルールを作った張本人が」
「――は?」
吐き捨てるように夫人は言ったが、ルークスはいまいちピンと来ていない。
(社交界の暗黙のルール?ああ。シエナと出会った夜会で聞いた話か)
「該当する令息がいたのですか?」
気の毒そうに言うと、夫人が食って掛かるように言う。
「該当する令息はどう考えても貴方です!そんな事は分かり切っていたからいいのよ。それを強制している人よ!」
「え?私?」
完全に寝耳に水である。オルドに意見を求めようと視線を送ると、呆れた様な顔で首を振っていた。
「それを帝都の令嬢達に広めたのはアディラ伯爵夫人だったの。――全く!たちが悪いわ。ノルマン公爵家を途絶えさせようとマティアス公爵家の差し金かしら?」
「いえ、おそらくそうではなく……」
後ろからアーサーが口を開いたが、すぐに口籠った。
「どうしたの」
夫人が訝し気にアーサーを見る。
「私から言っていいものか……」
「ノルマンが被害を被っているのよ。何かあるなら言ってちょうだい」
アーサーは思案しながら言った。
「アディラ夫人の思惑は、そのような大仰なものではないでしょう。おそらく閣下へ懸想しているからだと」
「私もそう思います」
アーサーの言葉にオルドも同意する。
「ええ……!確かに昔はそうだったかもしれないけど……!」
夫人も慌てている。
「アディラ伯爵夫人……元マティアス公爵令嬢は昔から閣下がお好きなようでした。子供の頃から見目麗しい姿だった閣下に女性が近寄らなかったのも、アディラ夫人の強めの牽制があったからこそです。帝国序列三位のマティアスの令嬢に逆らえる令嬢は当時いませんでしたから」
ルークスはどこか他人の事のように聞いていた。
「そ、そうだったのか?しかしそんなこと一言も言われたことがないぞ」
「それは……アディラ夫人はプライドの高い方でしたから…」
「そうですね……」
アーサーとオルドが互いに頷き合っている。
「はっ、団長。それだけ団長に執着されているアディラ夫人がシエナ嬢に気付いてはまずいのでは?」
「なぜだ?」
「何故って!団長が女性と親しくしているだけでも珍しいのに」
「閣下が特定の令嬢を邸宅に呼んでいる事は社交界にもひろがっております」
「そうなのか?!」
公爵夫人が呆れたように言った。
「アーサー。どうして私の息子はこんなに色事に疎いの?」
「我々の不徳に致すところでございます」
アーサーは頭を下げた。
「ルークス!早くシエナ嬢に求婚なさい!グズグズしているとアディラ夫人を調子に乗らせてしまいそうだわ」
「え、いやしかし…私ではシエナ嬢につりあいません……!」
母の勢いに狼狽えながら口を開くと、執務室の書類が宙を舞い始めた。
「しかしじゃないでしょう。何なの貴方はこの間から!つり合わないとは何ですか!シエナ嬢を侮辱しているの?」
怒号と共に、パリパリと夫人の周りに電気がはじけた。
母の深い紫色の瞳には魔力が宿っている。魔術を使う程の量ではないが、感情が高ぶると暴走するように溢れ出す。ルークスは母の出す圧に負けじと声を張った。
「侮辱などと!彼女に問題がある訳ではありません!ただ…、歳の差がありすぎることを言っているのです!」
夫人の声音が少し落ち着いた。
「なんですって?歳の差?」
「はい」
書類が床へ落ち、ルークス含め使用人たち皆が安堵する。
「歳の差……?アーサー、息子が言ってることがよく分からないわ」
「私にも分かりかねます」
粛々と頷くアーサーを睨むと、オルドが言った。
「団長、シエナ嬢の今日参加しているパーティーが開催されている場所がアディラ伯爵邸のようです」
ルークスは立ち上がり、すぐに部屋を出た。
「それをはやく言え」
「私も今、部下の報告で知りました」
◇
アディラ伯爵邸に馬で乗り付けたので、門番たちは動揺した。
「ノ、ノルマン公爵閣下?どうされました?」
「伯爵夫人に昔のよしみで用があるんだ」
「そ、そうでしたか。お取次ぎ致します」
「いや、結構だ。私が行こう。ティーパーティーが開かれていると聞いたが?」
「でしたら中庭の方へ」
伯爵邸の使用人がそう言うなり、ルークスは馬を預けて小走りで中庭へ急いだ。アディラ伯爵邸には公爵邸のような広大さはなく、中庭からの声が漏れているのですぐに場所が分かった。
「きゃあああ」
中庭から悲鳴が上がった。
「な、なんだ?」
ルークスの後ろを着いて来た門番が言った。
見ると、シエナがカップを持って立っている。カップの中身は空だ。そしてその目の前に、ドレスが濡れて呆然と立ちすくむアディラ伯爵夫人。
「あ、貴方、伯爵夫人に何てこと」
「謝りなさい!今すぐに!」
アディラ伯爵夫人を取り巻くように周りの令嬢達がシエナに叫ぶ。シエナはゆっくりと口を開いた。
「何てこと?先日、伯爵夫人がした事よりはマシだと思いますが」
その声はいつもと同じトーンだったか、冷たくその場に響いた。
「私がかけたのはただの水です。伯爵夫人のように、淹れたてのお茶ではありませんのでご心配なく」
シエナの言葉に、ルークスの頭のネジがひとつ飛んだ。
「――淹れたて?」
ぴりぴりと冷ややかな冷気を纏い、ルークスはシエナに歩み寄った。
「閣下?」
ラベンダーの瞳が見開く。すぐにでもドレスを破き、先日濡れていた腹部を確かめたかったがルークスは我慢した。そのいら立ちのままアディラ伯爵夫人を見据えた。
「ルークス……!」
伯爵夫人は熱の籠った瞳でルークスを見上げたが、冷ややかな視線と目が合うと引きつったような顔をした。
「夫人。シエナ嬢の言ったことは本当か?」
低く重くルークスの声が庭園に響く。
「そ、それは……」
「事実かと言っている」
震える夫人の声を遮る。夫人は奥歯を噛み締めて言った。
「い、いいえ!そのようなことしていません!彼女の虚言です!」
「ふむ……」
ルークスの瞳がさらに冷たくなったことに、伯爵夫人以外は気付いた。
「ではここにいる参加者にも聞こう、調べればわかることだが……どちらが虚言を言っている」
恐がらせてはいけないと、最近は常に気を付けている。怒りに満ちているが、口元だけは歪ませた。一部から悲鳴が上がった。
悲鳴を上げた幼い令嬢が伯爵夫人を見た。すると、ほかの令嬢達も伯爵夫人に軽蔑の目を向けている。
「なっ……!貴方たち!誰に向かってそんな目を向けているか分かっているの!」
甲高い声でアディラ夫人が叫んだ。
「ル、ルークス。誤解です。私は何も……」
夫人は膝を付いたまま、縋るようにルークスに手を伸ばした。
嫌悪感が走った。しかしその途端、目の前に藍色の髪がふわりと広がった。
ルークスの前に、庇うようにシエナが立った。
「な、なによ貴方!そこをどきなさい!」
アディラ夫人が叫ぶ。
「――夫人、これ以上この方に執着するのは止めてください」
凛とした声だった。華奢な肩が少し震えている。抱きすくめてしまいたいのをルークスはもう一度耐えた。
(何の苦行だ……!)
「なっ……!私とルークスは……」
「――夫人」
もう一度アディラ夫人の言葉を遮る。
「ファーストネームで呼ぶのは今後おやめください。夫人の私を気遣う気持ちは理解致しました。だが我々もいい歳だ。これからはその熱意を自分の家族に向けて欲しい」
淡々と言った。ルークスは一刻も早く二人きりになりたかった。
シエナの腰に慎重に手を回し、エスコートするように促す。後ろに控えていたオルドに言う。
「馬車を回せ」
「準備しております」
そのまま立ち去ろうとしたが、ルークスは振り返り吐き捨てるように言った。
「それと、彼女の身体に傷が残ろうものならば、それ相応の対応を我が公爵家から要求する。通達を待つように」
◇
ルークスはエスコートをしながらゆっくりと馬車へ向かう。
「閣下、お歳はいくつなんですか?」
「え?」
「いい歳と言ってらしたので……」
「ああ。私は32だ」
「えええ。見えませんでした。てっきり十……いえ、二十代前半かと」
「そのように若くては公爵位はまだ継げないだろう。ノルマンの血筋は童顔だからな」
「いえ、童顔で済まされる範囲内ではないような……」
シエナは納得できない顔をしている。
ルークスははたと気付いて、エスコートの手を外した。
「すまない、近すぎたな。君にとって父親に近い歳だろう?そのような男に言い寄られても気味が悪いと思うんだが……」
思わずうつむいてしまう。言っておきながら虚しくなる。それでもルークスは伝えようと勇気を出した。
前を向くと、シエナはぽかんと口を開けている。
「え……?いえそんなに私のお父様は若くないですし……え?言い寄る?誰が…誰に……」
混乱しているシエナに、人差し指で指ながら説明した。
「私が、君にだ」
「へっ」
可愛らしい声を出したと思うと、シエナの頬はみるみる夕焼け色に染まった。
「ちょ、ちょっと待ってください!状況を整理しましょう?」
顔を真っ赤にして慌てるシエナの可愛さに動揺しながら、ルークスも頷く。
「あ、ああ」
シエナは深呼吸して言った。
「まず、閣下は私を幾つとお思いで?私は32の父がいるような歳ではありません!」
シエナの迫力に押されながらしどろもどろにルークスが答える。
「十五、十六くらいでは?」
今度はシエナの顔が怒りで赤くなった。
「わ、私のどこを見てそのような?」
声が震えている。母の逆鱗に触れた時と同じ感覚になり、ルークスの肝は冷えた。
「ち、違うんだな?すまない。社交デビューしたばかりと聞いたから」
そうは言っても、ルークスに女性の年齢など分からない。二十~四十辺りまでの女性は皆、年齢不詳だと思っている。
シエナは短く息を吐いた。
「なるほど。確かに言いましたね。閣下と出会った夜会が私の社交デビューの場でした」
シエナの怒りが落ち着いたようで、ルークスはほっとして大きく頷いた。
「そうだろう?」
「で、す、が!私はどうみても成人前の女性ではないはずです!」
帝国の成人は17歳だ。多くの貴族は成人する一年前に社交界デビューを果たす。シエナにじろりと睨まれ、ルークスは口を閉じた。
「わ、私は今年で25になります。社交界デビューが遅くなったのは、隣国へ魔術勉強で留学していたからなのです」
恥ずかしそうに口を尖らせている姿に、ルークスは悶えそうになるのを押さえた。シエナは「淑女の口から年齢を言わすなんて……」と呟いている。
ルークスはシエナの左手にキスをした。シエナが固まる。
「では堂々と交際を申し込めるな」
「16歳だったら申し込まなかったのですか?」
真っ赤な顔で、睨むように見据えられ、シエナを持つ手に力が入る。
「こんな往来でそのような顔をしないでくれ」
「……?!ご、ごまかさないでください」
ごまかす気などないのだが。
「もちろん申し込むつもりだった。成人するのを待ってな」
◇
手を差し出してシエナを馬車に乗せた。自分も向かいに座り、扉が閉まると真剣な顔で言った。
「さあ。みせてみなさい」
シエナは目をぱちぱちと瞬いた。
「何をでしょう?」
「腹だ」
「えっ」
「やましい気持ちはない。他は見ないようにする」
「えっちょ、こら!」
手を伸ばすと叩かれた。
「なんですか急に!」
瞳に涙を浮かべ、真っ赤な顔で見上げるシエナに、やましい気持ちはないと言い切った自分を恥じた。
(無理だ。やましい気持ちをなくすことなんて出来ない)
「……やけどだ。医者には診せたのか?」
「え?ああ。やけどは大丈夫です」
「淹れたてだったのだろう?数日経って痛みは薄らいでいるかもしれないが、大丈夫な訳ががない」
シエナは気まずそうに口を濁す。
「えっと……」
「心配なんだ。少しでいいから見せてくれないか?」
懇願するように見上げると、シエナの表情が変わった。ラベンダーの瞳は変わらず潤んでいるが、熱が籠っている。艶のある赤い唇が震えながら開く。
「――……は…」
口を開きかけて、シエナは飛びのいた。
「――あ、あぶない!見せません!閣下の色気に絆されるところだった……!閣下……!その色気しまってください!」
慌てながら言うシエナにルークスも狼狽える。
「え?」
(あぶない?なにが危なかったんだ……?しかしもう少しで見せてくれるところだったということか?)
「……残念だ」
ルークスはがくりと項垂れた。
「何故そんなに残念がるのですか」
じとりと睨まれる。やましい気持ちが半分以上もあったので、ルークスは顔をあげられなかった。
「しかし、本当に大丈夫なのか?痛みはもうないのか?」
ルークスが言うと、シエナはドレスの裾をはたきながらきちんと座りなおした。そして膝のうえで両手を開いた。
「閣下、見てください」
ルークスが顔を上げると、シエナの手のひらから柔らかい光が溢れた。溢れた光が集まり、やさしい輝きを放つ球体に変わった。
「魔法か……!それも治癒魔法だな」
ルークスも思わず感嘆の声を漏らす。母からも話には聞いた事があるが、実際に見るのは初めてだ。
「長く騎士団を勤めているが、魔術師に会ったのは初めてだ」
「帝国では珍しいですからね」
光の球体は徐々に消えていく。
「なるほど。それでやけども治癒したのか」
「ええ。お茶をかけられてすぐに」
「すごいな。しかし痛かっただろう?」
「え?それはまあ……」
ルークスの眼がサッと冷たく光る。
「ふむ。やはりアディラ伯爵家は帝都から追い出そう」
「い、いえ。一瞬でしたから」
シエナは冷や汗をかきながら撤回した。
しかしルークスがシエナを害したものを許すはずもなく、それ以降帝都でアディラ伯爵家の者を見かけることはなかった。




