45、花婿の試練②
モリーとハワード卿の後から続々と入って来たのは、ヒルダとオシアン、エズメとベッキーとシェーン、メグとトミー、そして布に包まれた容器を抱えたドミニク・トーマス筆頭顧問だった。
「見届け人は、予めこちらで選抜しておいたのだよ。多過ぎてもこの店の中に入りきらないだろうと思ったのでね」
オシアンの説明に、ブラック氏が安堵したように頷いた。
「ありがとう、マクユーアン先生。念の為に今日は貸し切りにしておいたけれど、正直助かったよ。これ以上は入らないもの」
見届け人として同行した人々が席に着き、トーマス筆頭顧問の抱えて来た容器がしっかりしたテーブルの上に置かれたところで、ターナー氏がモリーからケーキの入った籠を受け取った。
「それじゃ、ヴィーナス・モリー。彼の目を、このハンカチで覆ってくれ」
ターナー氏はポケットから大きなハンカチを一枚取り出してモリーに渡した。モリーが言われた通り、中央のテーブル席に着いたハワード卿に目隠しをすると、ターナー氏は見届け人たちを見回し、数回咳払いした。
「今日お集まりの皆さん。これから、ハワード卿には、目隠しをしたまま、俺の娘ヴィーナス・モリーが作った『女帝陛下のケーキ』と、この『黒熊亭』の主ベア・ブラック氏が作った『女帝陛下のケーキ』を食べ比べてもらいます。彼が見事ヴィーナス・モリーの作った方を当てて見せたなら、俺は……」
ターナー氏は少しの間、言葉を詰まらせたが、顔を真っ赤にして、残りの言葉を一気に言い切った。
「二人の結婚を認めると約束します!」
見届け人たちから拍手が起こり、トーマス筆頭顧問の前のテーブルに置かれた容器からバシャバシャと水音がした。
* *
「ハワード、口を開けて」
モリーの声に従ってハワード卿が口を開けると、甘いケーキが舌の上に乗せられた。
咀嚼すると、ずっしりとしたバターとアーモンドの濃厚な味わいと、ラズベリーの香りが口いっぱいに広がった。
それをよく味わって飲み込むと、紅茶のカップを口元にあてがわれた。
紅茶で口の中がリセットされたところで、次のケーキが口に運ばれた。
表面に塗られたバタークリームもケーキの生地も、先程の物よりも、ふわりと軽い食感。しかしアーモンドの風味はより強く、ラズベリージャムもたっぷり使われている。そのジャムに、微かに薔薇の香りが混ざっていた。
「最初のケーキがヴィーナス・モリー、次のケーキがベア兄貴のケーキだ」
すぐ目の前からフレッド・ジェームズ・ターナー氏の声が聞こえた。しかし、ハワード卿は迷わなかった。
「最初のケーキが『黒熊亭』のご主人の手作り、次に食べたケーキがモリーのケーキです」
ハワード卿が答えると、すぐに目隠しが外された。向かいの席にはターナー氏が座っており、ブラック氏の手で目隠しを外されるところだった。
「ハワード卿が正解だよ。残念だったね、フレッド君」
ブラック氏の宣言に、ターナー氏は悔しそうな表情を見せた。
「どうして分かった?」
ハワード卿は、落ち着いて説明した。
「ヴィーナス・モリー・ターナー嬢はいつも、生地とバタークリームにメレンゲを混ぜることで、ケーキの食感が軽くなるように作ります。その方が、針仕事の会に集まるご婦人方の評判が良いからです。それから、彼女は私がラズベリージャムが好きなことを知っているので、一般的な『女帝陛下のケーキ』よりも多めにジャムを挟んでくれるのですが、そのジャムの中には、魅了封じの為に薔薇のジャムを必ず混ぜているのです。ラズベリーは彼女の魅了の触媒となる食材ですから、万が一にも『事故』が起こらないようにと」
ターナー氏は目を丸くし、それからため息をついた。
「すごいなぁ。……俺よりもずっと、ヴィーナス・モリーのことを分かっているのか」
彼は全身の力が抜けた様子でモリーを見、見届け人たちを見回し、大きく息を吐くと、やがて居住まいを正した。
「完敗だ。ハワード・ブライアン・キャンベル卿。どうか俺の娘を、末永くよろしくお願いしますよ」
ハワード卿はターナー氏の目をしっかり見て、差し出された手を強く握った。
「ありがとうございます、必ずお嬢さんを幸せにいたします」
見届け人たちから大きな拍手が上がった。ヒルダは感極まったのか涙ぐみ、オシアンはそんなヒルダの頭を自分の胸に寄せながら大きく頷き、エズメとメグは頬を染めて目を輝かせ、トミーも晴れやかな笑顔で、トーマス筆頭顧問とシェーンも分かりにくいが、祝福の表情を浮かべていた。バシャバシャと水音がするのはトーマス筆頭顧問の持参した容器だろう。ベッキーもとても満足げだった。
「ハワード卿、モリーちゃん、おめでとう。こういう時には音楽がなくちゃね」
ブラック氏が笑顔で店の壁に掛けてあったギターを取り、弾き始めた。
「さあ、踊って歌って、今日はお祝いだよ!」
ハワード卿はモリーに一礼し、手を差し出した。
「踊って頂けますか?」
モリーが笑顔でその手を取った。
「喜んで!」
気付けば、ブラック氏のギターと歌に合わせて、ハワード卿とモリーだけではなく、ヒルダとオシアン、エズメとターナー氏も踊っていた。モリーの使い魔のエラと、ハワード卿と使い魔のロビンも、トーマス筆頭顧問の持参した容器の周りで踊っては、時折はねてくる水を浴びて笑い声をあげた。
ブラック氏が疲れるとベッキーがツィターを出して弾き、シェーンが歌い、エズメのダンスパートナーがターナー氏からトミーに代わり、メグとトーマス筆頭顧問が手拍子を鳴らす。
最後にブラック氏自慢のケジャリーとコテージパイが振る舞われ、デザートにはブラック氏の作った「女帝陛下のケーキ」とモリーの作った「女帝陛下のケーキ」の両方とコーヒーが出されて、そのお祭り騒ぎは夕方まで続いたのだった。
* *
「フレッドの奴、よっぽど疲れたんだなぁ」
店の片隅の席で眠ってしまったターナー氏にブラック氏が毛布をかけるのを見ながら、ヒルダは微笑んだ。
モリーとハワード卿、メグとトミー、そしてトーマス筆頭顧問は、アーケイディアへ戻るため、そろそろ汽車に乗った頃だろう。ベッキー、シェーン、エズメは近くに宿を取ったから、とそちらに引き上げた。ターナー氏は今夜もブラック氏の住まいに泊まることになるだろう。
ヒルダとオシアンは妖精の輪を使えば良いので、店に残って片付けを手伝っていた。
ブラック氏が、眠っているターナー氏にそっと声をかけた。
「ありがとう、夜が明けないうちから僕が仕込みをするのを手伝ってくれて」
ヒルダはくくっと笑い声を上げた。
「全く、昔は自分が『試練』を受ける側だった癖に」
彼女は、ターナー氏がリディアと恋仲になって間もなく、フォスター家に挨拶にやって来た時のことを思い出したのだ。
「……あの時は、フレッドが抜剣した父上に追い回されて大変だった」
「ヒルダちゃんが御父上を止めている間に、リディアちゃんがフレッド君を逃がしたんだっけ?」
「そうだよ。あの時はこっちも殺されるかと思った。まだオシアンもいない頃だったからそれはもう大変だったんだ。フレッドはフレッドで逃げ際に『次はお父さんの剣を受け止められるように、鍛えて来る』って叫んでたんだけどな」
ヒルダは少し寂しげに笑うと、店の片付けを再開した。ヒルダの妹であり、ターナー氏の妻であり、モリーの母でもあったリディアはもういない。ヒルダとリディアを溺愛していたフォスター氏も。
「私がオシアンと結婚すると聞いたら、父上はまた暴れただろうな」
「それでも我は正々堂々と君を勝ち取っただろうがね」
オシアンがそう言ったので、ヒルダは笑った。
オシアンは自分の何倍もの大きさの凶暴な巨人を言いくるめて倒した男ですからね。




