44、花婿の試練①
モリーの拳を受けたヴィヴィアンの霊は、蝋燭の火のように儚く消え去った。
それと同時にオシアンが指を鳴らし、辺りに小さなつむじ風が起こった。
その時、聖騎士団関係者たちの耳には微かに猫の鳴き声が聞こえた。そこで彼らは亡霊の魂が妖精の国に連れ去られたことを了解したのだった。
「これで良し」
モリーは改めてハワード卿と父親の方を振り返り、そして急に心配になった。……父が、自分のことを乱暴な娘だと思いはしないかと。
しかし――。
「いやぁ、驚いた。すっかり強くなったんだな、ヴィーナス・モリー!」
ターナー氏は頬を上気させ、目を輝かせてモリーを見ていた。
彼は娘に駆け寄ると、そのがっしりした腕で、娘の両脇に手を入れ、モリーの両足が拳一つ分浮くくらいまで持ち上げた。
「父さんは誇らしいよ。流石、父さんと母さんの子だ!」
ターナー氏がそのままくるりと一回転したので、モリーは幼い頃のように笑い声を上げ、父親に抱き着いた。
「お父さん、大好き!」
モリーに抱き着かれたまま、ターナー氏は出迎えに来ていた人々を見た。
「ヒルダ。君がヴィーナス・モリーをここまで育ててくれたのかい?」
ヒルダはくすっと笑って首を振った。
「いや、育てたのはターナーご夫妻だし、こんなに強い子に鍛えてくれたのは、ここにいるエズメだ。……それから、今後私のことは『マクユーアン夫人』と呼んでくれ」
ターナー氏はその言葉で事情を察したのだろう。一層目を輝かせてオシアンを見た。
「おめでとうございます、マクユーアン先生。俺もベア兄貴もエズメちゃんも、先生とヒルダがくっついたら良いとずっと思っていたんですよ!」
それから、ターナー氏はエズメに対しては深々と頭を下げた。
「エズメちゃん、うちの可愛いお転婆姫をこんなに強くて美しい、素敵なレディに育ててくれてありがとう。本当に、ありがとう……」
感極まったのか、彼は頭を下げたまま、モリーを抱き締めて泣いた。
「フレッド・ジェームズ・ターナー。そろそろアーケイディア行きの汽車が来る頃だ。感動の再会に水を差すようで悪いが、早く駅まで移動しなければ」
ベッキーがターナー氏にそう声をかけた。
ターナー氏は顔を上げ、不思議そうにベッキーを見た。
「お嬢さんは一体?」
モリーが紹介した。
「お父さん、こちらの方は『黒き森の大聖女』様よ。私たちは『ベッキー』と呼ばせて頂いているけれど」
ターナー氏は涙を拭うと、ベッキーに頭を下げた。
「曾祖母と祖父母、そして親父から、お話は伺っております。ターナー家が生き延びられたのは、『黒き森の大聖女』様がお知恵を授けてくださったおかげだと」
ベッキーは面倒くさそうに返事をした。
「君の曾祖母のメリッサは私の名付け子の一人だ。だから彼女の子孫にもなるべく長生きしてほしいと思っただけだよ。……まぁ、アイリーンだけは長生きすべきではない子だったけれど」
「……私も、あれを殺しておけば良かったと、何度思ったことか」
ターナー氏が心底悔しそうにそう言ったので、モリーはぎょっとした。
「フレッド・ジェームズ。あの女は君が手を汚すまでもなく自滅した。事情通によれば、魂さえ残ってはいないそうだから、亡霊になって君たちに手出しをする心配もないよ」
ベッキーはそう言い、にやりと笑った。
「それよりもめでたい話をしようじゃないか。私の名付け子のメリッサの玄孫が、ここにいる私のもう一人の名付け子のハワードと、この春ついに結婚するのだから」
ターナー氏はハワード卿の顔を見て、嫌そうな顔をした。
「そうですか、ハワード卿は大聖女様の名付け子でもあるんですね。……参ったな、ケチの付けようがないってのが腹立たしい」
モリーは心配になってターナー氏の顔を見上げた。
「お父さん、私たちの結婚を認めてくれないの?」
モリーに上目遣いで見つめられたターナー氏は、困ったように笑った。
「そうだなぁ……。お前に目一杯幸せになってもらいたいのは、やまやまなんだが。正直言って、まだ手放したくないよ」
ヒルダが真顔で頷いた。
「お前の気持ちはものすごく分かるぞ、フレッド・ジェームズ。私だって、ヴィーナスにはハワード以上の婿はいないと思うが、出来ればヴィーナスをずっと手元に置いて置きたいとも思ってしまうからな」
ターナー氏とヒルダは顔を見合わせ、再び頷きあった。
……モリーはエズメに、次いでオシアンに目で助けを求めたが、二人からそっと目を逸らされた。
「お父さん、ヒルダ伯母さん……」
心細くなったモリーがターナー氏とヒルダに声をかけると、二人はやっと我に返った。
「済まない。お前の結婚と幸せは私の望みでもあるからな、邪魔する気はないよ」
ヒルダが慌ててそう弁解した。
「ごめんな、ヴィーナス・モリー。やっぱり、可愛い娘を攫って行こうとする若造に試練を課すのが父親の役目だと思うんだ」
ターナー氏はモリーから離れると、今度はハワード卿をしっかりと見据えた。
「ハワード卿。俺は今夜はこの町の『黒熊亭』って店に泊まる。もし俺の娘と本気で結婚したいと言うなら、明日、モリーを連れて『黒熊亭』に来てくれ」
次に彼は愛娘を優しく見つめた。
「ヴィーナス・モリー。彼と絶対に結婚したいのなら、『女帝陛下のケーキ』を焼いて、彼と一緒に『黒熊亭』に持っておいで」
最後に、彼は良く通る声で宣言した。
「俺は明日、このハワード卿が娘婿に相応しいか試練を課す。見届けたい者は、『黒熊亭』に来てくれ!」
聖騎士団員たちが雄叫びを上げたのは言うまでもない。メグでさえ慎ましやかに手を挙げ、トーマス筆頭顧問が左腕で大事に抱えていた黒塗りの容器からも、ポチャンと水音がした。
* *
港町セント・リチャードの一角に店を構える「黒熊亭」。
その主人であるベア・ブラック氏は、齢は五十代後半ほど、筋肉質だが不思議と穏やかそうな印象の男性である。彼は大量に買い込んだ玉葱の袋を軽々と抱えて、自分の店へと歩いていた。
「何だか大事な友だちが帰って来るような気がするから沢山買ったつもりなんだけど、足りるかな?」
そう独りごちながら歩いていた彼は、自分の店の前に、懐かしい人物が立っていることに気付いた。
「フレッド君!」
ブラック氏は二十年振りに再会した友の元に駆け寄った。
「今日は、大事な友だちが帰って来る気がしたんだ。君だったんだね!」
フレッド・ジェームズ・ターナー氏は、それなりに歳を取り、少し窶れてはいたが、その目の輝きは変わっていなかった。
ブラック氏は思わず涙ぐみそうになった。
「ずっと会いたいと思っていたんだよ、今まで何処にいたんだい?」
ブラック氏の問いに、ターナー氏は何故かきまり悪そうに笑った。
「それを話せば長くなるんだが、聞いてくれるかい、ベア兄貴」
「もちろんだよ。さあ、店に入って」
三十分後。ターナー氏をカウンター席に座らせてこれまでの事情を聞いたブラック氏は、親友の複雑な胸中を思いやった。
「せっかくモリーちゃんに会えたと思ったのに、残念だったね。でも、エズメちゃんとヒルダちゃん、それからマクユーアン先生が揃って良いお婿さんだと言っている相手なんだろう?」
「だから嫌になるんだよ。止めようがないじゃないか」
ブラック氏は苦笑した。
「それで、このお店で、彼がモリーちゃんに相応しいかどうか試練を課すことにしたんだ。それじゃあ、明日はお客様がいっぱいだね。フレッド君も仕込みを手伝ってよ」
* *
翌日。ハワード卿がモリーと共に緊張した顔で「黒熊亭」にやって来た。指定通り、モリーの手作りの「女帝陛下のケーキ」の入った籠を手に。




