43、聖騎士団長の帰還⑤
「奥津城」という古語を、今回は「墓」という意味で使っています。現代では神道式のお墓を指す言葉として限定的に使われる場合もありますが、文語表現ではポーの『アナベル・リー』のように、キリスト教式のお墓なども「奥津城」と訳されることがあります。
「この、この小娘が、女神様の御為に働いてきたこの私に、『不忠』とは聞き捨てならぬ!」
激昂して飛び掛かって来た海の女神の巫女を、ハワード卿の剣が阻んだ。トミーもヒメミコの前に立ち、手甲を装着した両手を構えた。
若いとはいえ女神であるヒメミコが、死せる女神の堕落した巫女如きに引くことなどあってはならない。だから、ハワード卿とトミーが彼女を護る壁となるのだ。
歯噛みする巫女に対し、ヒメミコは眉一つ動かすことなく宣告した。
「自覚がないのならば、もう一度言うてやろう。そちらの為してきたことは不忠の極みじゃ。海の女神のためと口にしながら、そちらは女神を諌むることもせずに道を踏み誤らせ、今は奥津城に眠る女神の御魂を徒に悩ますばかり。それもこれも全ては我欲のため。故に、既にそちらは女神の御魂から厭われておるのじゃ。もはや救いの手を差し伸べられることはないと知れ」
ヒメミコの眼差しが、老いたる巫女を貫いた。そして、若き女神のみずみずしい指先は、過ちを犯したものにまっすぐに向けられた。
「自らの罪過の数々を省みること能わぬ者よ。疾くこの場にてその正体を現し、うろくづどもの命を繋ぐ糧となれ」
老婆が苦痛の悲鳴を上げ、甲板の上に蹲ったかと思うと、その身体をどんどん縮ませていった。
――老婆の正体は、ちっぽけな赤い蝦だった。
「ハワード卿、ジロウ、決してその穢らわしき蝦に触れるでないぞ。まあ見ておれ、其奴が自ら海に飛び込む様を」
ヒメミコは言った。海の神の血をひく彼女の言葉に、海の生き物は決して逆らうことが出来ないと。
はたして赤い蝦は勢いよく甲板の上を飛び跳ねながら、船の縁を越えて、海へ飛び込んだ。すぐに魚たちがバシャバシャと波を立てたのは、蝦が飛び込むのを水面下で待っていたのだろう。
「彼奴の始末はこれで良かろう。うろくづどもは、穢れたものを食して海を浄めるものじゃからの」
ヒメミコは満足げに頷き、それから甲板の床――正確にはそのずっと下の船底を見据えた。
「モリー殿の分も、残しておかねばの」
* *
フレッド・ジェームズ・ターナー氏は、ヒメミコの鳴らす鈴の音色を聞いて、全てを思い出した。
「……リディア。ヴィーナス・モリー。親父、お袋。やっと、やっと帰れるよ」
彼はロケットペンダントを強く握りしめた。
魔法によって強いられた愛は、簡単に冷め、時には強い憎悪に反転することさえある。
ターナー氏の場合は憎悪とまではいかず、ヴィヴィアン・レイクという女性に対して少なからず同情してもいたが、今となっては彼女を妻として故郷に連れ帰らずに済んだことを良かったと思っていた。
何しろ、彼にはアイリーンという厄介過ぎる妹がいる。駆け落ちした彼女がもし薔薇荘に戻ってきてヴィヴィアンと出会ったなら、必ずや大きなトラブルが起こったに違いない。そして、そのトラブルには、ターナー氏の大切な一人娘も巻き込まれずにはいられなかっただろうから。
聖騎士団長のハワード・ブライアン・キャンベル卿が、魔物が現れたという甲板に出る前に、ヴィーナス・モリーに必ず会わせると約束してくれた。……きっと、その名に相応しく、美しく成長したことだろう。
魔物を退治して戻って来たハワード卿はとても凛々しく、男のターナー氏から見ても、惚れ惚れするほどだった。
「いやぁ、ハワード卿。貴方はすごい御仁なんですね。もし娘にまだ決まった相手がいないんだったら、是非婿になってほしいくらいですよ」
昨夜ヴィヴィアンの亡霊から助けてもらったこともあり、ターナー氏はすっかりハワード卿を気に入っていた。そのため、そのような発言も出たのだが。
ターナー氏の側にいたシェーンが無言になった。
ハワード卿と共に戻って来たメグとトミーも凍りついた。
三回ほど深呼吸したハワード卿が、徐ろに口を切った。
「その、ターナーさん、実は……」
ハワード卿の説明を聞いたターナー氏は、衝撃でしばらく口が利けなくなった。彼とヴィヴィアンとの生活は十年どころか二十年にも渡っていたこと。ターナー氏の一人娘は現在、二十九歳となっており、十年近く勤めて来た聖騎士団の守護者を間もなく引退すること。春には結婚すること。そして、目の前のハワード卿が、その結婚相手であること。
たっぷり二分は沈黙した後、数回口をはくはくと動かしてからようやくターナー氏が発した言葉といえば。
「……申し訳ないが、とりあえず色々と考えさせてください」
* *
何とも気まずい雰囲気のまま過ごすこと数日間。船はようやく、アーケイディアに最も近い港町、セント・リチャードに着いた。
港には、既にモリー、ヒルダ、オシアン、エズメ、そしてベッキーが出迎えに来ていた。
「ハワード……!」
モリーが船から降りて来たハワード卿に駆け寄り、その手を取った。
「ロビンさんから聞いたの、父が見つかったかもしれないんですって?」
ハワード卿は頷き、隣に立っているターナー氏を見た。
「ああ、私の隣にいる方がそうだ」
モリーはターナー氏をよく見て、目を見開いた。
「……お父さん。今までずっと、何処にいたのよ!」
彼女はターナー氏に飛び付いた。
「でも、無事だったのね?」
モリーは顔を上げ、潤んだ目で父親にそう尋ねた。
ターナー氏の代わりにハワード卿が答えた。
「いや、モリー。実は御父上は長年、魔法で記憶を奪われ、囚われていらしたんだ。そして今も、その魔法をかけた者の亡霊が御父上を狙い、追って来ている」
「……ふむ、なるほど。モリー嬢、来るぞ」
オシアンの目が、船の下から港の岸に痩せた手をかけて上がって来る者を捉えた。
――ソノ人カラ離レナサイヨ……。ソノ人は、私ノモノ……。ダレニモ、ワタサナイ……!
「……あいつが、お父さんを?」
モリーは拳を握りしめた。
岸から上がり、ゆらゆらとこちらへ進んで来る亡霊。一目見ただけで身が竦むほど悍ましい姿に成り果てたそれから、モリーは一瞬たりとも目を逸らさなかった。
そのまま一切躊躇わずに助走を付け、それに向かって拳を突き出す。
かつてヴァンパイアを殴り倒したその拳が、亡霊の顔面にめり込んだ。
だが、亡霊は少し仰け反っただけで持ち堪えた。
――オマエニ、ナニガワカル……!
亡霊は、漆黒の長い爪を振り上げた。その爪に当たる者は、死に至る呪いを受けるだろう。
「そんなの、お前の卑劣さが分かっていれば充分よ!」
モリーは難なく亡霊の爪を避け、今度は亡霊の顎の部分を拳で突き上げた。
「相手に魔法をかけて自分のものにするだなんて、そんな卑劣極まりない奴に、二度と私の父を奪わせない!」
――……シカタナイ、ソウデモシナケレバ、彼ニ近ヅケナカッタ!
苦しげに膝をついた亡霊に、モリーは冷ややかに言った。
「お前は『ドラクールの怪物』の同類よ」
モリーが挙げた「ドラクールの怪物」とは、幼少期に顔に強酸を浴びて「醜悪な顔」になったというドラクール伯爵の三男を指す。四年前、彼は美しい女優に恋をしたものの、醜い自分では愛されまいと考え、彼女を拉致監禁して阿片漬けにした挙げ句、衰弱死させるという凄惨な事件を起こしたのだ。この上ない醜聞として新聞各社が書き立てたので、連合帝国どころか、この北部連邦やメガラニカでも広く知られた事件だった。
「違いは魔法か阿片かという点だけね」
――チガウ、ソンナハズハ……。
「幼い子どもから、たった一人の父親を取り上げて満足だった?」
亡霊の姿が薄くなった。モリーの言葉に動揺したのだ。
モリーの拳が強い光を纏い、亡霊に最後の打撃を与えた。
「うろくづ」とは魚のことですので、本文中のヒメミコの言葉をヒルダの言葉に翻訳すると「さっさと魚の餌になっちまえ!」となります。
ヴィヴィアンに関しては、「とても気の毒だけれど、あまりにその所業が酷くて同情出来ない」というイメージで書いておりました。
実際、幼かったモリーから父親を取り上げて悦に入っていたわけですから。
さて、次回は皆様にお馴染みの「あの方」がゲスト出演してくださいます。番外編ではなく、本編になりました。




