41、聖騎士団長の帰還③
翌朝、船内食堂の一角で、ハワード卿とメグとトミーは、再び自分の名前を忘れて「ウォルター氏」になってしまった男性から、身の上話を聞かされていた。
大筋は昨日男性が話した通りなのだが、ハワード卿が時折質問を挟んだり、メグとトミーが熱心に相槌をうったりするので、より詳細な内容となった。
* *
ウォルター氏と妻のヴィヴィアン・レイクが出会ったのは、十年前の、連合帝国西部の港町、スノウハーバーの浜辺だった。
早朝、波打ち際でずぶ濡れになって倒れていた彼を偶然発見し、自分の勤め先の病院に運んでくれたのが、後の妻、ヴィヴィアンだ。
病院で目覚めた彼は、全てを忘れていた。看護師だったヴィヴィアンが、そんな彼を献身的に支えてくれた。そうして退院する頃にはすっかり二人は恋仲になっていたのだ。
やがて二人は婚約し、無事に結婚することが出来た。
ウォルター氏は、当時まだ二十代だった彼女の初々しい花嫁姿を、昨日のことのように覚えている。
記憶を失ったウォルター氏だったが、読み書き計算には全く問題がなかった。いつまでも遊んでいる訳にもいかないと、街で仕事を探していると、妻の知人だという老女の紹介で、近くの古書店の老店主から店を格安で譲り受けることが出来た。港町のせいか良い書物が入ってくることが多く、船旅の伴にと書物を買い求める人々も多かったので、店はそこそこ繁盛した。
子どもには恵まれなかったものの、夫婦仲は睦まじく、その町での友人も幾人か出来て、それなりに穏やかな暮らしを送っていた。
しかし心配事がなかった訳ではない。いつの間にか妻の身体が弱くなっていたのだ。最初は近頃風邪を引き易くなったようだ、という程度だったが、月に一度は数日ほど寝込むようになり、それが二週間に一度寝込むようになって、晩年には寝台から下りることの方が少なくなってしまった。
ウォルター氏は評判の医師を呼び、妻の為に良いと思われることは何でもした。
だが、妻の衰弱の原因は分からず、医師も匙を投げた。そして二年前に妻は儚くなった。彼女はまだ五十歳になったばかりだったのに……。
「あまりに早すぎる死でしたから、心残りも大いにあるだろうと可哀想に思う一方、家内が長年抱え込んでいた大きな秘密が祟ったのではないかとも思ってしまうのです。天涯孤独の身の上だった家内は、私が彼女を捨てて故郷に帰ることを恐れていたそうです。彼女が死の間際に私にくれた手紙には、これが同封されていました。彼女はこれを、ずっと私の目に付かないように隠して来たのですよ」
ウォルター氏は、首からかけていたロケットペンダントを開き、中の肖像画をメグとトミーにも見せた。
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食後、ウォルター氏が軽い疲れを訴え、トミーの付き添いで部屋に戻った後、ハワード卿とメグはテーブルに残り、話し合った。
「何度も記憶を改竄されたような感じでしたね。モリーさんのお父様だけあって、海の女神の魔法を一度かけられただけでは効かなかったのかもしれません。話の中には明らかにおかしな点があるのに、本人が全くお気付きにならないなんて」
人の話を注意深く聴くことに長けたメグが、そう判断を下した。
「……それに、結婚に至るまでヴィヴィアンという女性にとって都合よく物事が進み過ぎていたことも気になる。何者かが手を貸していなければ、あのようにはいかないだろう。彼の話の中に老女が出て来たが、『海の女神の巫女』が裏にいる可能性もあるだろうか?」
ハワード卿は眉間に皺を寄せた。
そこへ、ガッガッと独特の足音が近付いて来て、頭の少し上辺りからもう一人の声がした。
「ハワード卿。コガ嬢。タレイアからの伝言です。『海の女神の巫女』が『妻に死に別れた夫』をも『対価』として狙っている、と」
声の主は、ドミニク・トーマス筆頭顧問だった。
* *
かつて、多くの海の精の娘たちが『巫女』として海の女神に侍っていた。
彼女たちはそれぞれに見目麗しく、歌と舞いに秀で、老いることを知らず、無邪気に女神の周りを華やかに彩っていた。しかし、彼女たちはあまりに無邪気で無知で傲慢で、人間の心の痛みに鈍すぎた。
女神は他の神々から断罪されて英雄を解放した後、悲しみに耐えきれずに自害した。しかし、神々の怒りはそこで鎮まらなかった。神々は、今度は女神に仕えていた巫女たちに対しても怒りを向けたのだ。
神々が問題視したのは、巫女たちが、女神が道を踏み外すのを諌めなかったばかりか、その邪な恋を持て囃し、悪質な方法で協力したことだった。
英雄は、長い戦いと航海の途中で、多くの従者や部下を失っていた。それでも、女神の島に辿り着いた時には、まだ幾人か彼に付き従う者たちが残っていた。
彼らが主にかけられた魔法を解いたり、主を故郷に連れ帰ったりすることを巫女たちは懸念した。恋の夢に溺れた女神は、これまでになく機嫌が良く、巫女たちに対して優しくなったので、彼女たちはこの幸せな日々を少しでも長引かせたくなったのだ。
そこでまず、彼女たちは英雄に付き従う者たちをその色香で惑わして骨抜きにしようとした。しかし、その試みは完全には上手くいかなかった。英雄の従者や部下のほとんどは意志堅固な忠義者たちだったからだ。
巫女たちは、自慢の色香に靡かぬ者たちに腹を立てたこともあり、密かに海の怪物どもを呼び寄せて彼らを始末したのだった。
神々は罰として巫女たちから永遠の若さを取り上げ、女神の島に戻ることも、安住の地も見つけることも出来ずに彷徨う運命を負わせた。
老いた身体で、死ぬことも出来ずに彷徨い続ける歳月の辛さに、彼女たちは考えた。
――薨じた女神を、復活させよう。そうすれば、女神はこの苦境を救ってくださるはずだ。
彼女たちは各地に散り、女神復活のために動きだした。
彼女たちの計画は次のようなものだった。
女神が英雄を手に入れるために編み出した愛の魔法を餌とし、人間たちの中から魔法の使用者を募って「対価」を得る。その「対価」を、死したる女神への贄とするのだ。目立つのは好ましくないし、贄は人間千人分の「対価」で充分だろう。
とはいえ、一人の魔法の使用者からは、なるべく多くの「対価」を得たい。そのためには、時間をかけて何度も魔法を使わせた方が良い。
ある巫女は、浜辺を歩いていた女に目を付けた。加護なし、魔力なしの、しかも若いので生命力だけは溢れるほどある女。その女はうってつけの獲物だった。加護も魔力もない者が無理に魔法を使えば、そのたびに「対価」として、死せる女神に直接生命力を送り込むことになるのだから。
しかも絶望に打ちひしがれているらしく、付け入る隙も充分。
巫女は慈母を思わせる態度で、女に声をかけた。
女は滑稽なほど、巫女と、巫女が教えた魔法に縋った。
ある朝、女は浜辺で一人の男に出会った。船から落ちたので、やむなくここまで泳いで来た、とずぶ濡れの身体で豪快に笑う男は、その逞しい身体付きも、顔立ちの美しさも、格段に素晴らしかった。
一目で恋に落ちた女は、さっそく男に魔法をかけた。しかし、男は魔力持ちのようで、何かにつけて故郷に残した両親や我が子のことを思い出してしまうのだ。
記憶を取り戻すたび、男は女を故郷に連れ帰ろうとした。
「最初の妻との間に、娘が一人いるんだ。どうか、その子の母親になってくれないだろうか」
それが女には我慢ならないことだと気付きもせずに。
ヴィヴィアンは筋骨隆々たる男性が好みだったのでしょうね。
ターナー氏はあのモリーの父親ですし、水妖の血を引いていますからね、海に落ちたところで溺れるわけがなかったのですよ……。
聖騎士団員恒例、真夏の遠泳大会はイー・リューの優勝でしたが、もしモリーが参加出来たら間違いなく彼女が優勝していたと思います。
全く、モリーの水着姿を誰にも見せたくない誰かさんが「女子隊員の参加は禁止」などと言わなければ。




