39、聖騎士団長の帰還①
北部連邦行きの船が、ハワード卿率いる聖騎士団員たちを乗せて出港したのは、二月の半ばのことだった。
興味本位に甲板に出て寒い思いをしたロビンが、慌てて船内のサロンにいたハワード卿のマフラーの中に潜り込んで来た。
「寒い寒い。でもさ、三月になる前で良かったよ。三月になったら『嵐の王の春狩り』(注︰春の嵐のこと)が始まって、海を渡れないもんな」
「そうだな」
「ともあれ、これでもうすぐモリーちゃんとエラに会えるな」
ハワード卿は一瞬、ロビンの言葉に何やら不吉なものを感じたが、黙っていた。
返事代わりに彼が紅茶と共に供されたチーズ風味のショートブレッドをロビンに差し出すと、ロビンはマフラーから出て、それをツンツンと突いた。
「よく慣れたコマドリですね。雛の頃から飼っていらっしゃるのですか?」
見知らぬ初老の男性にそう聞かれ、ハワード卿は「まぁ、そんなところです」と答えた。
実際はハワード卿の方が幼い頃からロビンたち妖精の王族から世話をされて育ったようなものだが、流石にそのようなことを正直に口にする訳にもいかない。
彼は男性に向かいの席を勧めた。
普段人と話をする機会があまりないのか、或いは人懐っこい性格なのか、青い瞳をしたその男性は、問わず語りに自身の身の上を聞かせてくれた。
* *
私のことはウォルターとお呼びください。元の名前は分かりませんが、現在はそう名乗っています。もう十年以上昔、連合帝国の西海岸に打ち上げられたところを、去年亡くした家内に発見されたのです。その時に、私は自分の名前も何もすっかり忘れていました。
家内は献身的な婦人でした。当時の私が、彼女という存在をどれほどありがたく思っていたか、言葉では語り尽くせません。――けれども、家内はその死の間際まで、私に隠し事をしていたのですよ。
こちらの銀のペンダントをご覧ください。これはロケットになっていて、ほら、こんなふうに左右に開くのですが……。
ええ、左側の、この若い婦人の肖像は家内のものではありませんし、右側の女の子も私と家内の子ではありません。……私と家内の間に子は生まれませんでしたからね。
家内の遺した手紙によれば、この銀のペンダントは私を見つけた時に、私の首にかかっていたものだそうです。私には、私の帰りを待つ家族がいる。それを知りながら……。家内は罪悪感を抱えながら、それでも私との日常を続けることを選んだのです。
私は家内の遺した手紙を見て、どうしたら良いのか分からなくなりました。この十年間、家内を愛して連れ添った私は、彼女を許してやりたいと思うのです。
しかし、心の中でもう一人の私が叫ぶのです。もし彼女が正直にもっと早く知らせてくれれば、私は元の家族のところへ帰ることが出来たはずだと。
おそらく、元の家族は私を死んだものと思っているでしょう。もしかすると新たな家庭を築いていて、そこに私が現れることは不和と混乱をもたらすかもしれないとも思いました。
しかし、私は、このロケットに納められた肖像の二人の安否だけでも知りたい。自分が本当は何者だったのかを知りたい。
それで以前、向こうで出来た友人が、私の言葉に北部連邦独特の訛りがあると言っていたことを思い出しましてね。思い切って、この船に乗り込んだという次第なのです。
* *
「……あのじいさん、微妙に水妖の魔力の気配がするんだけどさ、そういう人間って多くはないよな?」
男性が去った後、ロビンがハワード卿にそう言った。
「……純血の水妖が人間の相手と子どもを儲けた場合、相手との関係が破綻した時点で、同族の水妖たちが相手と子どもを殺害する掟がある上、純血の水妖と添い遂げられる人間の男は稀だからな」
ハワード卿は努めて冷静に、と注意深く口を開いたものの、発言が的外れになったような気がした。
「それにさ、あのロケットの女の人と女の子、すごく誰かに似てると思うんだよな」
「ロビン、君が何が言いたいのかは分かるが、少し待ってくれ。頭が追いつかない」
「いや、分かるだろう」
二人がそのような会話をしていると、メグとトミーがやって来た。
「どうなさったのですか?」
メグの問いに答えたのはロビンだった。ハワード卿は難しい顔で黙っていたので。
「ハワード卿は危惧しておいでなのですね。その男性が本当にモリー嬢の御父上かどうか」
心得顔のトミーにそう言われ、ハワード卿は頷いた。
「鑑定眼を持つ団員に彼女の個人的事情を明かして頼むことは出来ない。オシアン公は事情をよくご存知だが、既に先生の元にお帰りになった後だ」
「船の上や水の上では妖精の輪は使えないもんなぁ。割と眼が良いシェーンもあいにく船酔いしてるし……」
行きもそうだったのだが、帰りの船でもシェーンは自室でぐったり横になっていた。三半規管が強いはずの聖なる鳥の一族が船酔いというのもおかしな話だが、火の魔力が主体の魔物は水の魔力の塊といえる海の上では不調になりやすいから、とロビンが説明すれば。
「リュー君も不調になるのかしら?」
新人守護者イー・リューの教育係でもあるメグが心配そうにそう呟いたので、トミーが笑った。
「リューは人間ですし、一昨年の海での遠泳の時には、この私をうち負かしたほど、泳ぎも達者ですから大丈夫ですよ」
「良かった、それなら安心ね」
メグが明るい表情で頷いた。
ちなみに、ロビンは人間の気持ちや魔力の僅かな違いを感じ取ることには長けているが、真偽や本質を見抜く鑑定眼までは持っていない。
「ともかく、その方の身柄を確保した方が良さそうですね。港に着いたらオシアン公に鑑定して頂きましょう」
しかし、決して失礼にはならない態度で、とメグが付け加えた。
何しろその男性は、海に落ちて行方不明になっていたモリーの父親かもしれないのだから。
* *
モリーはハワード卿のマフラーを編んだ残りの毛糸で、自分用のマフラーを編んでいた。
二人で揃いのマフラーを巻いて出掛けることを考えるだけでも心が躍った。完成した薔薇荘に置く家具や壁紙を二人で選びたかったし、結婚式直後のパーティーで振る舞う「花婿のケーキ」についても相談したかった。
――もうすぐ、会える。
彼女は考えもしなかった。まさか帰りの船の中で一騒動起こっているなどと。まして、その騒動の当事者の一人が、自分と関わりのあった人間だということも。
* *
「助けてください、『彼女』が追いかけて来るのです!」
半狂乱になりながら、夜の船内の廊下を走り回る男性は、昼間、ハワード卿に身の上話をしたウォルター氏だった。
「『彼女』?」
夕食を食べることさえ出来なかったシェーンのため、搾りたての林檎の果汁を入れたピッチャーを彼の部屋に運んでいたハワード卿は、こちらへ駆けて来るウォルター氏の背後に、明らかに生者ではないモノが追って来るのを目撃した。
「ハワード、流石に船内で『妖精王子の銀箭』は使えないぞ」
肩に乗っていたロビンの言葉に、ハワード卿は頷いた。
「わかっている。とにかく一旦引き離して、シェーンの部屋に逃げ込もう。シェーンとメグ、そしてトミーに知らせてくれ」
「わかった!」
ロビンが三羽になって飛び去ると、ハワード卿はウォルター氏に声をかけた。
「こちらへおいでなさい、私の後ろに!」
必死の形相で走って来たウォルター氏をハワード卿は背後に庇った。そして日頃から携帯しているラベンダーの小袋を、亡霊に向かって投げつけた。




