38、春を夢見る
女神の名前を間違えておりました。正しくは「アルデュイナ」です。
レグザゴーヌ北西部「アルデュイナの森」を穢した主犯と見られるヴァンパイアとその配下の魔物の討伐は一晩で終了したが、女神アルデュイナを付け狙うヴァンパイアどもの方は、まだ討伐完了とはいかなかった。
タレイアによる「いつ、どこで、どのように」という詳細な予知があるからといって、気を抜く訳にもいかない。
連夜の戦いで、ハワード卿たちにも疲労の色が濃くなって来た。
「守護神たるアルデュイナを葬り去ることで、列強国の一つに数えられるレグザゴーヌをいずれヴァンパイアによる傀儡国家にしようという狙いがあるのでしょう。――既に旧黒鷲帝国がそうであるように」
ドミニク・トーマス筆頭顧問がそう述べた。
上級ヴァンパイアは人間の世界で権力を得ては、巧みに、人と人とを分断していく。そして人々の心に憎悪を滾らせ、虐殺や戦争を引き起こし、その混乱に乗じて食糧を手に入れ、同族を増やすのだ。
「先の大戦争を防ぐには、我々はあまりに弱過ぎた」
ハワード卿が痛恨の面持ちでそう呟いた。九年前に勃発し、五年前に収束した大戦争は、聖騎士団にも大きな打撃を与えた。
モリーを含む守護者たちは女性であることを隠し、軍服姿で泥塗れになりながら戦場を浄化して回った。しかし戦場に潜むヴァンパイアにとって、守護者は最も邪魔な存在だ。優先的に守護者が狙われた結果、同世代の守護者の中で生き残ったのは、モリーただ一人。最後に残ったモリーが襲いかかってきたヴァンパイアを素手で殴り倒し、辛くも危機を脱したのはこの時の話だ。
一度は現役を引退したはずのヒルダがアーケイディア単科大学の実技教官から再び現役の隊長に戻ったのも、当時の聖騎士団長や、隊長たちの多くが戦死したから。
ドミニク・トーマス筆頭顧問は大戦争中に右足を失った。
トミーとミッキーは、皇国出身者の北部連邦における影響力を高めたいと考える勢力によって「皇国義勇兵」に入れられ、連合帝国軍の采配で最も過酷な戦場に送り込まれた。皇国では難しい立場にあるメグの待遇を「本来の血筋に相応しく」とはいかずとも高位貴族の令嬢相当に引き上げるという交換条件を提示されて、義勇兵になる話を断るほど二人は不忠ではなかったのだ。ハワード卿が駆けつけた時には、二人は酷い栄養失調で本当に危ないところだった。
「しかし、タレイアが言っています。ヴァンパイアどもが次に起こそうとする大戦争は防げる、と」
ドミニク・トーマス筆頭顧問が確信に満ちた声で告げた。
「そのためには、女神アルデュイナを復活させること、そしてコガ嬢、トミー小隊長、それから何よりハワード卿の、無事の帰還が必要最低条件です」
* *
左手の薬指に、熱を感じた。
モリーは自分が夢の中にいることは解っていた。
――聞こえますか、ヴィーナス・モリー・ターナー。
どこかで聞いたことのあるような、優しい声がした。
――私はタイタニア。ここ二百年ほどは、貴女が左手に嵌めている金の指輪に変身して、歴代のキャンベル家の夫人たちを見守ってきました。私の愛し子たちの結婚が幸せなものであるように、と。
「尊き御方にご挨拶を申し上げます。いつもお力添えを賜り、心から感謝しております」
モリーが相手に敬愛と感謝の意を表すべく膝折礼をすると、タイタニアの笑い声が聞こえた。
――良いのよ、私も貴女と共にいる時が、最も力を発揮しやすいのだから。それでね、お礼とは言えないかもしれないのだけれど、私の息子と話し合って、この夢の中で、貴女とハワードを会わせてあげようと思ったの。
モリーの目の前に、銀色に輝く大きな扉が現れた。
――彼に会って、是非とも元気付けてきてあげて。連日の戦いで、心が疲れているようだから。
タイタニアの声に背中を押されるように扉を開けると、そこは、ラベンダーと色とりどりの薔薇が咲き誇る、薔薇荘の庭だった。
そして、その中心には、今、一番逢いたかった人がいた。
「ハワード!」
「モリー、なのか?」
モリーがハワード卿に駆け寄って抱きつくと、彼はしっかりと抱きしめ返してくれた。
「……ロビンが、モリーに会わせると言っていたのは、このことだったんだな」
ハワード卿はモリーの頬に手を添えて少し上を向かせると、優しい眼差しでモリーの瞳を見つめた。
それから右手の人差し指でモリーの唇をそっとなぞり、もう一度、モリーの身体を力いっぱい抱きしめた。
「君が無事に本部に帰還したことはロビンから知らされていたが、帰って来た君をこうして抱きしめられなかったのが残念だったんだ」
モリーは抱きしめられながら、その指先で、ハワード卿のコートの襟の内側に巻かれている、緑のマフラーを撫でた。
「マフラー、首に巻いてくれているのね」
モリーがそう囁くと、ハワード卿の囁く声が彼女の耳をくすぐった。
「勿論だ。君が魔法も使わずに心を込めて編んでくれたのだから。……それに、これを巻いていると、君がずっと抱きしめてくれているように感じられるんだ」
モリーはそのくすぐったさに、ふふっと笑いながらハワード卿を見上げ、そのまま身動きすることも声を出すことも出来なくなってしまった。自分を見つめるハワード卿の翠玉の瞳に、常にないほどの熱が込められていたから。
「済まない、君を怖がらせるつもりではなかったんだ」
モリーの様子が変わったことに気付いたのだろう、ハワード卿は、急に叱られた子犬のような表情を見せた。
「私に魅了は効かないが、君とこうしていると、理性が揺らぎそうになる……」
力なくそう口にする彼の首の後ろに、モリーは思い切って手を回し、精一杯背伸びすると、その頬に短くキスをした。
それから、一言一言区切るように言い聞かせた。
「大好きよ、ハワード。早く結婚したいから、私の誕生日の前には、必ず帰って来てね」
ハワード卿は顔を真っ赤にしながら、大きく頷いた。
「必ずや、早く帰ると約束する」
* *
ある朝から、ハワード卿の剣の冴えがそれまでよりも格段に凄まじくなった、と、トミーとメグは帰国後、何年経っても語り草にした。
シェーンなどは、そのハワード卿の鬼気迫る様子に刺激され、わざと逃がした中級ヴァンパイア数体に、アジトに帰ってから発動する小型魔法陣を仕込むというアイデアを実行したほどだ。
翌朝、レグザゴーヌ新聞各社が、とある政治家の邸宅が未明に全焼したと報道した。ハワード卿が到着する前日に骨折で戦線離脱したアレクサンドル・ルノー第二隊長は第二隊駐屯地の医務室で新聞を読み、「意外な人物が加担していたんだな」と呟いた。
それに対してドミニク・トーマス筆頭顧問は重々しく返事をした。
「慈悲深い聖人を装う悪人は多いものだ。タレイアもそう言っている」
ヴァンパイアが襲って来なくなったことでメグが女神アルデュイナを癒やすために割く力が大幅に増えた。そしてひと月の治療を経て、アルデュイナはようやく力を取り戻した。
メグによって浄化された森は、アルデュイナの加護の上にメグたち守護者による魔法障壁まで重ねがけされて、上級ヴァンパイアも戦車も立ち入ることの出来ない聖域に戻った。
――いざ礼を申さむ、東海より出づる日輪の女神の姫御子よ。
快癒したアルデュイナがメグにそう語りかけた時、メグは唇の前に人差し指を立てて、そのことはどうぞご内密に、と声に出さずに言った。
* *
「モリー、よく頑張ったわね。とても素敵な『花嫁のキルト』だわ」
オルソン夫人の声に、モリーは目の下に隈の出来た顔で笑った。十三枚目のキルトが、ようやく完成したのだ。
「これで、いつでも結婚出来るわね」
感慨深げにエズメとローラも頷いた。




