37、モリーとハワード卿の秋と冬⑫
中級ヴァンパイアと、新種の千の口の魔物が襲い来る中、聖騎士団員たちは敵に向かって特製オイルをこれでもかと噴霧した。
既にロビンを使った通信で、赤い千の口の魔物が火に弱いという情報を聖騎士団員たちは共有していた。
千の口の魔物には銃弾も剣も鈍器も効かないが、オリーブオイルをベースにした特製オイルをたっぷりかけられたところに魔炎弾を撃ち込まれれば、ひとたまりもなく燃え尽きた。
「この一晩で片付けるぞ!」
ハワード卿の声に、聖騎士団員は皆、鬨の声を上げた。このところ新人守護者イー・リューの魔力が込められて威力が格段に強くなった魔炎弾は、全てシェーンによって、魔物だけが燃えるよう調整済み。しかも、それをオシアンとロビンがどんどん補充してくれるのだから、弾切れの心配もない。だから団員たちはエリザベスタウンで苦戦した中級ヴァンパイアが相手でも、もはや苦労せずに戦うことが出来た。
聖騎士団員たちは、半ば自分たちに言い聞かせるように、口々に叫び合っていた。
「死んだ仲間は、神聖な炎で弔うのが救済だ!」
「お前ら、仇は必ず討ち取ってやるからな!」
中級ヴァンパイアの「材料」が何かなど、聖騎士団員たちは最初から承知しているのだ。彼らの怒りはひたすら、仲間の亡骸を穢した上級ヴァンパイアに向けられた。そうでなければ、あまりにもやりきれなかったから。
「随分と威勢が良くて、生意気な者たちだこと」
女ヴァンパイアのイゾルデは、ぎりりと親指の爪を噛んだ。今夜の聖騎士団員どもは、これまでの聖騎士団員どもとは何かが違う。一体何故?
やがて、彼女は気が付いた。
――あの男だ。あの栗色の髪に翠玉の瞳の男が紅い剣を振るって先頭で戦っているだけで、聖騎士団員どもの士気が上がるのだ。
「それならばやはり、あの男から落とすべきよね」
イゾルデは邪な笑みを浮かべた。あの男を魅了し、自分のものにするのだ。あの男なら喜んで中級ヴァンパイアとして仲間に加えよう。あの男が中級ヴァンパイアになれば繁殖相手としても良い。生まれながらのヴァンパイア同士では子を為せないのだから。
「こんばんは、素敵な紳士さん」
イゾルデは男の前に姿を現した。彼女は美しい容貌と、妖艶な肢体、柘榴石のような瞳、そして人魚に勝るとも劣らない声で、これまで多くの者たちの心を絡め取って来た。相手が護り指輪を嵌めていても、何の障害にもならなかった。故に、今回も絶対の自信があったのだ。
しかし、男は少しも揺らぐ様子を見せなかった。
「妖精王子の銀箭」
男が一言そう口にしただけで、銀の矢の豪雨が、「アルデュイナの森」一帯に降り注いだ。
この程度で絶命するようなイゾルデではないが、身体中をちくちくと不快な痛みが襲い、それまで中級ヴァンパイアを統率していた集中力が途切れた。
「おい、イゾルデ。中級どもの統率が疎かになっているぞ!」
虚空から現れたアドルフが、やはり身体中に刺さる銀の矢に顔を顰めた。
「何だ、これは。保護膜が効かないじゃないか。……おい、逃げるぞ!」
アドルフが、呆然としているイゾルデの両肩を、後ろから掴んだ。
その刹那、男の手にしていた紅い剣が白炎を吹き、二体のヴァンパイアの心臓を貫いた。
* *
ハワード卿が一度に二体の上級ヴァンパイアを仕留めるのを目撃した団員たちは、歓声を上げた。
しかし、その歓声はやがて悲鳴に変わった。湿地帯の沼から、突如、巨大魔魚が現れたからだ。
「よくも、我が同胞を二人も手にかけたな!」
巨大魔魚の背の上に立つ初老の巨漢が、激しい憎悪の籠もった眼差しをハワード卿に向けた。だが、ハワード卿と聖騎士団員たちの怒りの方がもっと大きかった。
「我らの仲間を何十人と手にかけ、尊厳を踏み躙った者が、笑わせるな!」
ハワード卿はそう吐き捨て、団員たちに声をかけた。
「歌える者はアンセムを!」
「了解!」
トミー小隊所属の、肌の色も瞳の色も信仰も異なる者たちが肩を組み、大声で古大陸由来のアンセムを歌い始めた。やがて、第二隊の隊員たちの幾人かもそれに唱和し、手拍子を合わせ始めた。
すると巨大魔魚が急に苦しみはじめた。そして当然ながら、その背に立っていた初老のヴァンパイアは立っていられずに、無様に尻餅をつくことになった。
「……何故だ。如何に聖騎士団の団長と言えども巨大魔魚に対抗する術はなかったはずだ。此奴は私の子飼いで、州連合の海岸で聖騎士団長さえも屠った個体だというのに!」
醜く喚きながら巨大な背びれにしがみつくばかりのヴァンパイアにハワード卿は剣を向け、巨大魔魚に向かっては、歌えない聖騎士団員たちが銃口を向けた。
「不死鳥の流星嵐」
ハワード卿の言葉と、天から無数に降り注ぐ白炎弾、そして聖騎士団員たちによる一斉射撃は同時だった。
初老のヴァンパイアは心臓を貫かれて息絶えた。
鱗が魔城の壁に匹敵するほど丈夫な巨大魔魚も、一斉射撃と不死鳥の流星嵐の両方を受けてはさすがに持ち堪えることは出来なかったのだろう。その巨体から青い炎が噴き上がった。
「……何とか出来た、か?」
ハワード卿がそう呟いた時、瀕死の巨大魔魚が、彼らに向けて口を開けた。
その口の奥には不吉な玉虫色の光の塊が見えた。……それこそ、巨大魔魚の真の脅威。死に際に放つ、無数の呪詛の塊だった。
「魔法障壁!」
第二隊の守護者たちが慌てて魔法障壁を展開するが、術の安定までは数分かかる。
巨大魔魚の口から、一気に無数の呪詛の塊が噴出した。
* *
その夜。モリーはヒルダと同じ部屋で眠っていたが、突然、悲鳴を上げて跳ね起きた。
「大丈夫か、ヴィーナス?」
つられて起きたヒルダが、慌ててモリーの顔を覗き込んだ。
「……大丈夫。驚いたけれど、何とかなった、気がする。でも、何故かしら、とても疲れたの」
ヒルダが訳も分からず、寝ぼけている様子のモリーの背中をさすっていると、この家の主であるベッキーが、二人が泊まっていた客室に、エズメと共に入って来た。
「モリー、今、何か大きな術を使っただろう。大丈夫か?」
ベッキーがモリーの額に手を当てたが、モリーは再び眠り込んでしまった。ヒルダがやれやれと言いながら、モリーを寝かせてもう一度布団をかけ直した時、モリーの左手薬指に嵌めた指輪が、いつもより強く輝いたように見えた。
* *
モリーは、いつもの起床時間になっても目覚めなかった。やむなく、聖騎士団本部に出勤したエズメが、キム・バーバラ・マカリスター事務長に、モリーが有給休暇を取ることを伝えた。
「……ふむ、それならば、ハワード卿が首に巻いていたモリー嬢の手編みマフラーと、モリー嬢の指に嵌められた妖精女王の指輪が共鳴したのだろう。そのおかげであの場にいた全員が、巨大魔魚が絶命の瞬間に吐き出した呪詛の塊を浴びることを免れたに違いない。今はタイタニア女王も眠っているので、詳しい確認は出来ないがね」
ベッキーに意見を求められたオシアンが人間の姿で手際良くオムレツとトマトを焼きながら、そのように推測を述べた。彼は昨夜「アルデュイナの森」で、いるはずのないモリーの魔力を感じたことから、「淑女たち」の食事情が心配で一旦戻って来たのだ。
「命にも魂にも別状はない。夕方には起きるはずだ」
果たして、オシアンの予測の通りとなった。
一斉射撃の後の「……やったか?」は死亡フラグですよね。ハワード卿は今回もタイトルを回収しました。
オシアンの心配とは「モリー嬢の強い魔力の気配。これでは明日の淑女たちの食事をモリー嬢が用意することは難しいだろうな」ということです。




