36、モリーとハワード卿の秋と冬⑪
ヒルダの台詞の中に流産についての話が、後半に残酷なシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
聖騎士団本部の対策室。モリーは自分も旧大陸に渡りたいと懇願したが、次席顧問にして現在、団長代行を務めるエズメは首を振った。
「トーマス筆頭顧問の進言した最強の人選に、貴女ほど優秀な人が入っていなかった。そこには必ず意味があるはずよ」
「ですが、先生――!」
エズメは厳しかった。彼女は真っ直ぐにモリーの目を見据えた。
「貴女は、リオンソー男爵領に行く前に、ハワードにこう言ったはずよね。『私を信じて待っていて』と。だから、今度は貴女がハワードを信じて待つ番。そうではない?」
モリーは言葉を失った。……確かに、その通りだった。けれども、どうしても心のどこかでは納得がいかなかった。
彼女はすごすごと対策室を出て、あてどなく聖騎士団本部の建物内を歩き出した。
そして、魔法玄関の辺りで、伯母のヒルダと、彼女に寄り添う男性に会った。背の高い五十代半ばで、芸術作品のように顔立ちが整った男性だ。見慣れない相手ではあったが、モリーには彼の纏うの王者の風格と魔力で、その正体がすぐに判った。
「ヒルダ伯母さん、オシアン伯父上……」
モリーは、ほんの子どもの頃の呼び方で伯母を呼び、その胸に飛び込んだ。
「どうしよう。彼が、旧大陸に行ってしまったの」
ヒルダは、モリーを優しく抱き止め、赤ん坊をあやすように、その背中を優しく叩いた。
「ああ、知っているよ、ヴィーナス。今回はオシアンも物資の運搬に関わることになったからね。私もヴィーナスと同じ、留守番組だ」
「もしもモリー嬢がハワード卿に手紙を送りたいと望むなら、我がこの手で必ず届けよう」
先頃ヒルダと結婚したオシアンが、伯父らしく優しくウインクしてくれた。
二人とも優しい。だからだろうか、モリーは思わず、泣き出してしまった。
「どうした、私のヴィーナス」
落ち着いた様子で、ヒルダがモリーの顔を覗き込んだ。
「だって、彼が戦いに行く時は、いつだって私も一緒だったのに」
そう言いながら、モリーは自分で自分の子どもっぽさが嫌になった。もう三十歳になろうかという「最年長の守護者」だというのに。
しかし、ヒルダは優しい眼差しを向けたまま、モリーの背をゆっくりと撫でてくれた。
「そういえば、この十年、ハワードが本部に残ることは何度かあったが、その逆はなかったな。団長のハワードが遠征に行く時は、それだけ状況が切羽詰まっている時だものな」
オシアンが穏やかな声で教えてくれた。
「ハワード卿は君に言わないだろうがね、彼も、モリー嬢が家もどきに呑まれた時には、ここで祈っていたものだ。あの時は君の生存を危ぶむ声もあったと聞く。あの頃既に君を愛していた彼のことだ、どれほどスカーレットウッズに駆けつけたいと思っていたことだろう。だが、彼は自分が駆けつけても状況を悪化させるだけだと理解していた。だから君が無事に戻って来ることを信じて、ひたすら待っていたのだよ」
モリーは、聖騎士団本部に帰還した時のことを思い出した。モリーの顔を見た時の、とても嬉しそうな、それでいて寂しげなハワード卿の笑顔。思い出すだけで胸が痛くなる。
出来ることなら今すぐ、あの日のハワードごと、彼を抱きしめたい――。
モリーがそう言うと、ヒルダがモリーの髪を撫でた。
「大丈夫。モリーはずっと、ハワードを抱きしめているも同じだ。だって、彼に渡したんだろう、初めて自分で編んだマフラーを。あいつのことだ、ずっと首に巻いているのは間違いないんだから」
愛する相手のために編んだ物は別格なのだ。祈りと愛情が形になった物なのだから。
「だから、お前もエズメも、冬に酷い風邪なんか引いたことないだろう?」
言われてみればそうだった。毎年、ヒルダの編んだセーターを来ていたモリーとエズメは流感とは無縁だった。
「大丈夫だ。あいつの強さと、モリー自身を信じて待てば良い。お前はそれが出来る子だよ、私とは違う」
「それは、どういうこと?」
モリーが顔を上げると、物資が揃ったか確認して来よう、と言いながら、オシアンが離れて行った。
ヒルダと二人きりになると、彼女はモリーに明かしてくれた。
若い頃に、エズメの兄と結婚したこと。夫が旧大陸に遠征に出た時に、無理やりヒルダもついて行ったこと。任務中に夫が殺されてヴァンパイアとなり、ヒルダが、元は夫だったヴァンパイアに止めをさしたこと。その時負った怪我が元で、二度と子どもを望めなくなったこと。
ヒルダは自身の腹部を寂しげに撫でた。
「本当なら、お前には従兄がいるはずだった。あの時大人しく待っていれば、確かにここにいたはずの、彼の子どもだけでも守れたかもしれない、と今でも思うよ」
そもそも知っていれば、そのような無茶もしなかっただろう、とヒルダは言った。そういうことに気付いて教えてくれるはずの母親を早くに亡くし、初めての妊娠だったこともあって、全く分からなかったのだ。
「だから、オルソン夫人が親身になって、リディアやターナー夫人の代わりに、色々とお前に教えてくださることを、どれほどありがたく思っているか。私はどうしても、誰の母親にも相応しくないからね」
そんなことはない、とモリーは首を振った。自分がこうして甘えて本音をさらけ出せる大人の女性は、ヒルダだけなのだから。
「ありがとう、ヴィーナス。お前がめそめそ泣いてるだろうと思って、元気付けてやろうとしたんだが、どうやら逆になってしまったな」
ヒルダ伯母さんったら。モリーがそう言って微笑むと、ヒルダはにっこりと笑い、モリーが苦しい、と悲鳴を上げるまで、ぎゅうっと抱きしめた。
* *
「アルデュンヌの森」の防衛は厳しいものだった。新種の赤い千の口の魔物を使って森を穢した上級ヴァンパイアは全部で三体。その内の一体は妖艶な美女で、しかも聖騎士団第二隊の守護者が用意した護り指輪を無効化するほどの強い魅了の力を持っていたのだ。
「見目麗しくない者を魅了しても、ちっとも楽しくなんかないわ。もっと背が高くて、ほっそりしているようでしっかり筋肉が付いていて、明る過ぎない髪色で、翠玉のような瞳をしている男とかいないのかしらね」
魅了した後で容赦なく殺した聖騎士団第二隊員たちの亡骸を深紅の靴の爪先で蹴飛ばしながら、女ヴァンパイアは不満を洩らした。
「イゾルデは好みが厳しいな。此奴なんか金髪碧眼で、見られる顔をしているじゃないか」
若い男の姿をしたヴァンパイアが、積み上げられた亡骸の一体の頭を掴んで見せた。
イゾルデは眉を顰め、その亡骸の顔からすぐに目を逸らした。
「筋肉がつき過ぎていて嫌よ。髪色が明るいのも気に入らない。アドルフ、本当に此奴らをヴァンパイアにするつもり?」
「そりゃ、此奴ら聖騎士団員の死体は、中級ヴァンパイアの良い材料だからな。しかもまだイゾルデの魅了の影響下にある。これ以上ない手駒になるぞ」
「それなら仕方ないわね」
イゾルデは不本意そうに腕を組んだ。
「ところでヨーゼフ、さっきから機嫌が悪そうだけれど、どうしたの?」
ヨーゼフと呼ばれた、初老の巨漢が不機嫌に答えた。
「……新大陸の遺跡に仕込んだ魔物どもが、浄化された」
イゾルデが目を瞠った。その紅い瞳が、妖しく輝く。
「嘘よね、どうやって?」
アドルフが短い口髭に手を当てた。
「新大陸に潜む高位妖精か、人間に与する魔物の仕業だな。魔女を送り込んだ効果も芳しくなかった」
イゾルデは気乗りしない顔で言った。
「ここを早く制圧しないとね」
数日後。新たに聖騎士の軍団を率いて来た男に、イゾルデは目を留めた。
栗色の髪に、緑の瞳。細身だが貧弱ではない体格。
――理想の男が、そこにいた。
ここでハワード卿が「長身細マッチョのイケメン」だということを強調しておきます。主人公なのに、どうもオシアン(スパダリイケオジ)に比べて影が薄いので。




