35、モリーとハワード卿の秋と冬⑩
途中、ベッキーが古代語(文語)を用いる箇所があります。古文単語と歴史的仮名遣いであり、誤字ではありません。
「何者の仕業かは知らないが、随分と手の込んだ嫌がらせだな。ラウルの施した封印を解き、この場所に刻まれた深い呪詛と無念を蘇らせ、魔物どもに取り込ませるとは。確かにこれは、人間の守護者ではどうにもなるまいよ」
ベッキーは石碑の根元に人差し指を向け、古代語で命じた。
「木々よ、いにしへよりの我が友どちよ。大地の穢れを吸ひとりて豊かなる実りと為す者らよ。ただ今よりはこの地に芽吹き、また深く根を張りて、枝葉を伸ばし広げ、これなる地を永久に清めたまへ」
禍々しい赤い泉の中から、一本の若木がすくっと芽吹いたかと思うと、乾燥した海綿が水を吸うようにどんどん赤い魔物たちを吸い込みながら成長し、古代文字の刻まれた石碑をもその中に取り込んで、樹齢数百年はあろうかという大木に成長した。
もはや、赤い千の口の魔物の姿はどこにも見当たらなかった。
「……出来ることなら、あの石碑は残しておきたかったのだけれどね。ラウルもそうしていたし」
ベッキーは少し寂しげに笑い、それから同行者たちに向かって明るく声を張り上げた。
「皆、御苦労様。これで、長い年月をかけて、この地は浄化されるはずだよ」
こうして、リオンソー男爵領における季節外れの魔物の大量発生事件は幕を下ろした。
「ドミニク・トーマス筆頭顧問の人選は今回の任務にぴったりでしたね」
アーケイディアに戻るガソリンエンジン式大型輸送車の中。モリーはベッキーに保温ポットからカップに注いだ紅茶を差し出しながら、そう声をかけた。
それまで物思いに沈んでいたベッキーは、くすっと微笑んだ。
「そうだね。彼はとても優秀だよ。あの、五つか六つの子どもみたいな言葉しか持たない使い魔の予言と、自分の持っている情報だけで、最上の組み合わせを考え付くんだから」
イー・リューのファイアフォックスの魔法は大量発生した魔物を駆除するのに最適だったが、森の木々に取り付いた魔物の幼体の駆除をするには火力が強過ぎた。一方、ユージーン小隊の隊員たちの小妖精の魔法は、川のように流れてくる魔物の駆除をするには火力が弱過ぎたが、森の木々を燃やさずに魔物の幼体を駆除するのにはちょうど良かった。
モリーの力は、魔物を駆除した後の広範囲の浄化には向いていたが、さすがに千年以上も凝り固まった死者の無念を浄化するのは無理だった。
ベッキーの浄化した後には必ず大木が生えるので、森から人里への道に沿って流れてきた魔物たちの痕跡を浄化するのには問題があった。
「ところで、大聖女様はご存知なのですか、トーマス筆頭顧問の使い魔が、どのような魔物なのか」
イー・リューが若者らしい好奇心からベッキーにそう尋ねた。だがベッキーは、思い出すだけで疲れると言わんばかりの顔で首を振った。
「リュー、覚えておくと良い。ヒルダ・フォスター第三隊長の使い魔が主に向ける愛以上に、ドミニク・トーマス筆頭顧問が自分の使い魔に向ける愛は重い。彼は自分の使い魔を誰にも見せようとはしないし、うっかり見たことを他言すれば、私でさえ御免被りたい地獄を見る羽目になるってことを」
「それは、ハワード卿がモリーさんに向ける愛よりも重い、ということですね」
訳知り顔に頷いたリューをモリーが小突きたくなったのは、無理からぬことではなかろうか。
* *
モリーたちがアーケイディアの聖騎士団本部に帰り着くと、オルソン夫人、エズメ、ローラ、事務部長のキム・バーバラ・マカリスターに、引退団員最年長のノア・ジョンソンといった人々が出迎えてくれた。
皆、モリーの大好きな人々だ。
モリーはその中に、一番逢いたかった人の姿を探した。
しかし、そこにハワード卿の姿はなかった。
何故なら、彼は、モリーが男爵領の森林地帯を浄化している間に、シェーン、メグ、トミー小隊そしてドミニク・トーマス筆頭顧問とその使い魔を率いて船に乗り、旧大陸に出発したからだ。
目的地は、レグザゴーヌ北東部。旧大陸に駐屯する、第二隊長アレクサンドル・ルノーからの援軍要請に応じてのことだった。
* *
朱色のロビンがアレクサンドル・ルノーからの救援要請を伝えて来た日、聖騎士団本部の対策室では、またしても会議が開かれた。
レグザゴーヌの北東部の国境付近から低地諸国の東部の国境まで広がる広大な森林湿地帯、「女神アルデュイナの森」。この森の東部は旧黒鷲帝国との国境に接しているのだが、そこから複数のヴァンパイアが入り込み、森を穢し続けているというのだ。
「あろうことか、ヴァンパイアどもは森の女王にして守護神でもある女神アルデュイナの暗殺まで目論んでいるようですな。現在、アルデュイナは聖騎士団第二隊駐屯地で保護されていますが、その神力が弱っている、とのこと。これは由々しき事態。彼の場所はアルデュンヌの守護あらばこそ、上級ヴァンパイアどもの影響下にある旧黒鷲帝国軍の侵攻から低地諸国及びレグザゴーヌを守る要地となっているのですから」
情報部長ベンジャミンが険しい顔になった。
「旧黒鷲帝国では、先の大戦争からこちら、キャタピラ付き大型戦車を大量生産しているそうです。幾ら森林湿地帯とはいえ、アルデュイナの守護が消えれば大型戦車での踏破は容易いのではないかと愚考いたします」
ミッキーこと、ゴスケ・ミキ技術部長が頷いた。
「パターソン殿の仰るとおり、技術的には何も難しいことではありませんな」
ドミニク・トーマス筆頭顧問は、表情に乏しい顔で次のように述べた。
「事態を看過すれば二十年以内に『アルデュイナの森』の守護が消失し、そこから旧黒鷲帝国の軍が侵入して、容易く低地諸国とレグザゴーヌを支配下に収めるでしょう。低地諸国及びレグザゴーヌの軍は、彼の地の防衛はアルデュイナ任せにして、他の場所の防衛に力を入れがちですからな」
エズメが眉間を指で押さえながら発言した。
「レグザゴーヌを制圧されたら、連合帝国までの侵攻もすぐですよ。何しろ陸続きなのですもの。そうなると、急ぎすべきことは二つ。ヴァンパイア討伐とアルデュイナの治癒ですわ。森を穢しているというヴァンパイアはおそらく知能の高い上級ヴァンパイアでしょう。大量に特製オイルが必要になるでしょうね。リオンソー男爵領での新種の千の口の魔物の大量発生は、その影響でオリーブオイルの価格が跳ね上がることを狙ったヴァンパイアの策だったのかもしれませんよ」
だが、キム・バーバラ・マカリスター事務長が不敵に笑った。
「ご心配なく、エズメ先生。既に貯蓄プール二杯分のオリーブオイルを確保しております」
「キムの仕事の早さは聖騎士団の宝ですよ」
エズメは満足げに頷き、それからトーマス筆頭顧問を見た。
「さてトーマス筆頭顧問、今回は貴方と『彼女』も現地に赴く必要があるでしょう」
「『彼女』だけ旧大陸に送るのは問題だが、私も同行させてもらえるのなら問題ない。すぐに移動用の水槽を用意する。ミッキー君、ついて来てくれたまえ」
トーマス筆頭顧問がミキ技術部長を伴い、義足とは思えないほど俊敏に席を立った。
ハワード卿はメグに視線を合わせた。
「神々を癒やせるのはメグ、君だけだ。同行してもらえるだろうか?」
「勿論参ります」
一級守護者メグシコ・コガは間髪入れずに返答した。
「無論、姫様がおいでになる所には我々も」
トミーことジロウ・トミタ小隊長が手を挙げた。
「シェーン、ハワードには貴方の助けが必要ですよ。ベッキーのことなら心配要らないわ、私とローラが側につくから」
エズメがシェーンにそう頼むと、シェーンが頬を薄っすら染めて頷いた。
――こうして、旧大陸への遠征が決まったのだ。
YouTubeで音楽を流しながら編み物をしていたら、某ヴァイキング漫画の初期エンディング曲と松任谷由実の「春よ、来い」が流れてきまして……。
上級ヴァンパイアは生まれながらのヴァンパイアで、「キシャー!」としか言えなかったエリザベスタウンのヴァンパイアと違って、知能が高いのです。




