34、モリーとハワード卿の秋と冬⑨
蛭に似た魔物が出ます。苦手な方はご注意ください。
冬に入り、モリーの編むマフラーは、順調に完成に近付いていた。エラの家事六倍速の魔法のおかげで、パッチワークキルトも八枚目まで出来上がった。
しかし、運命の女神は油断がならない。
――全てが上手くいっている、そういう時に限って、落とし穴を用意するのだから。
* *
ハワード卿の元に、緊急の報告が入ったのは、冬至祭りの三日前のことだった。
今回は前代未聞の事態とあって、聖騎士団本部の対策室には、各部長だけではなく、各小隊長と、ドミニク・トーマス筆頭顧問、エズメ・ロイド次席顧問も召集された。
「第一沿海州のリオンソー男爵領で千の口の魔物が大量発生したとのことです」
情報部長ベンジャミン・パターソンの言葉に、平生もの静かな資料室長のモニカ・フィッシャーが声を上げた。
「まさか。この時期に千の口の魔物の大量発生だなんて聞いたことがないわ……」
しかし、ベンジャミンは首を振った。
「残念ながら情報は確かです。しかも恐ろしいことに、今回発生した千の口の魔物には、撒き菱の効果がないというのです」
漆黒のタールに似たコロイド状の肉体の表面に無数の口を持つ千の口の魔物は、時に窓や壁の隙間から民家に侵入することもあるが、通常は真夏の森林に多く発生する魔物だ。人間を襲って食い殺す上に、銃や矢といった遠距離武器も、剣のような斬撃系武器も、棍棒のような打撃系武器も効かない。ただ、薔薇の枝や撒き菱などの小さく鋭い棘が多い物や植物性オイルを嫌う性質を持つので、撒き菱を巻いて狭い場所に囲い込んだところで、オイルをかけて燃やすのが一般的な駆除方法だった。
「新種ということかしら……?」
エズメが眉を顰めた。
「その可能性は高いと思われます。色も、通常の漆黒ではなく、血のような暗紅色とのこと。オリーブオイルの香りは嫌がるので、オリーブオイルで封じ込んでいるそうですが……」
ベンジャミンは苦しげな顔で次のように答えた。
旧大陸南部で産するオリーブオイルは、新大陸では安価とは言い難い。領主リオンソー男爵が私財を投げうってオリーブオイルを買い集めて対処しているが、さほど猶予はないはずだ、と。
「ここは、二級守護者ヴィーナス・モリー・ターナーと、二級守護者イー・リュー、それから小妖精を使い魔とする、ユージーン・ブレナン小隊を派遣すべきです。ユージーンたちの小妖精の魔法は、ニューシャーウッドでの虎退治でも有効でしたからね。それから、今回は、大聖女様にも現地でお力添えを頂く必要があるでしょう」
ドミニク・トーマス筆頭顧問がそう進言した。彼は予見の能力を持つ使い魔との相性が非常に良く、本人自身も各地の状況を正確に読み取るのに長けていた。
「今回は、ハワード卿とトミー小隊、コガ嬢は本部に待機を。ハワード卿はシェーン殿と連絡をお取りになり、ここ数ヶ月は行動を共になさった方がよろしいでしょう。私のタレイアがそう告げています」
* *
「冬至祭りには戻って来られないかもしれないから、今のうちに渡しておくわね」
手早く荷造りを済ませたモリーは、ガソリンエンジン式大型輸送車に乗り込む前に、見送りに来たハワード卿に編み上がったマフラーの包みを手渡した。
ハワード卿は包みを抱きしめ、心配そうな顔でモリーの頬にそっと右手を伸ばした。
「ありがとう。だがどうか、一日も早く無事に帰って来てくれ」
「大丈夫。私を信じて待っていて」
モリーはハワード卿にそう微笑みかけた。
* *
雪深い男爵領の森林地帯付近。男爵配下の護衛団に案内され、モリー、ベッキー、イー・リュー、そしてユージーン小隊が十数台の雪橇に分乗して向かったのは、大量発生した千の口の魔物の群れが、人里を目指して雪原の上をドロドロと流れて来る、その先端部だった。通常の千の口の魔物とは異なる暗紅色だと聞いていたが、想像していた以上に禍々しい。
その赤い川の先端に、男爵領警邏隊員たちがオリーブオイルを混ぜた植物油をかけて、それ以上進まないように食い止めていた。
その光景を見たイー・リューが、少女と言っても通用するような可愛らしい顔を、思いきり顰めた。
「これは本当に千の口の魔物なのでしょうか?」
ベッキーが魔物に少し近付き、それから慎重に答えた。
「気配は間違いなく千の口の魔物だ。しかし何かおかしなものが混ざっている感じがする。リュー、君の使い魔に、これを少し燃やすように頼んでくれないか?」
「承知しました」
リューが「フオイェンフー(とモリーには聞こえた)」と呼ぶと、狐の姿をした真っ赤な炎が現れた。
リューが早口で炎の狐に命じると、千の口の魔物の群れの先端が少し燃えた。
嫌な臭いが辺りに漂う中、ベッキーが鼻を鳴らした。
「なるほど、毒はないな。リュー、遠慮は要らない。浄化の分の魔力も使って本気で燃やせるだけ燃やしてくれ。浄化はモリーに任せれば良い」
「仰せのままに。皆さん、危険ですので、魔物から五十歩は離れてくださいね。」
その場にいた人々が指示に従って充分に距離を取ったことを確認すると、リューが不敵な笑みを浮かべて炎の狐をひと撫でした。
途端に、千の口の魔物の川が、高い紅蓮の炎の壁に変わった。
「すごいですね、これが聖騎士様のお力なのですね」
感嘆の声を上げる男爵領警邏隊員や護衛団員たちに、ユージーン小隊長はじめ聖騎士団の団員たちは苦笑した。
「いいえ、あれはあの方が特殊な守護者だからですよ。我々一般の騎士では、ああはいきませんからね」
「大聖女様、私の力では、一度に燃やせるのは二マイルが限界のようです」
「上出来だよ。モリー、浄化を頼む」
「了解!」
モリーが二マイルに及ぶ焼け跡を容易く浄化して見せると、ベッキーは満足げに頷いた。
「それじゃ、燃やして浄化するのを繰り返しながら、森に入って、この流れの源まで行こう」
すると、護衛団の団長の表情が翳った。
「この橇で、森の中の細い道を走れるでしょうか」
ベッキーはくすっと笑った。
「心配ないよ。森の木々が橇を避けてくれるからね」
禍々しい赤い川を燃やし、浄化しながら一団は森の奥へと分け入った。森の中を進むのは、彼らにとっても楽ではなかった。
何故なら、森の木々の枝から時折、蛭のように千の口の魔物の幼体がバラバラと落ちて来たからだ。
「小妖精の火花!」
あわや一団の身体や橇の上に魔物が降り注ぐところを、ユージーン小隊長が咄嗟に魔法で防いだ。
その働きに、ベッキーが、笑みを見せた。
「良くやってくれた。それじゃ、そのままユージーン小隊は、各々の使い魔に、千の口の魔物の幼体を見つけ次第燃やすか、電撃で倒すように頼んでほしい」
ユージーン小隊の隊員たちが、一斉に「了解!」と叫んだ。
森を進むこと半日。一団は、元は集落ではなかったかと思われる、円形の広場に辿り着いた。
「ここは?」
モリーの呟きにベッキーが答えた。
「極北の民の入植跡だよ」
広場の中央に建つ、古代文字の彫られた石碑。その根元からゴボゴボと赤い泉のように千の口の魔物が湧いていた。
「ここはね、千年以上前、魔法侯爵ラウル・イドロメルの父君が海を越えて長い旅の果てに辿り着き、理想郷を築こうとして果たせなかった場所なんだ」
そう説明しながら、ベッキーは眉を顰めた。
イー・リューのモデルが誰なのかバレてしまいそうですね。
森の木々が避けてくれるのは、一行の中にベッキーがいるからです。




