33、モリーとハワード卿の秋と冬⑧
ローズを乗せたユニコーンの姿が遠ざかっていく中、モリーはローズからの最後の言葉を聞き取った。
シェーンとハワード卿には聞こえたようだが、他の人々にそれが聞こえた様子はない。
彼女はそれを今伝えるべきかどうか迷ったが、余人の耳には届かないように見えないロビンに頼んだ上で、伝えることにした。きっと、それがローズの最後の望みだから。
彼女は、ユニコーンに乗ったローズの姿を黙って見送る町長の側に歩み寄り、そっと伝えた。
「町長さん、ローズからの最後の伝言です。『母のことをよろしくお願いします、お父さん』と」
町長は、束の間呆然とした後、泣くまいと精一杯堪えてか、顔をぐしゃぐしゃに歪めた。
「……あの年の夏に四人で話し合ったんだ、新しい家族になろう、と。それで年が明けたら、ヴァイオレットと私は再婚する予定だった。本当なら、あの子は私の娘になるはずだったんだ」
「ローズは今でも、それを望んでいます」
モリーがそう告げると、町長は、のろのろと、しかし途中から足を速めて、ヴァイオレット・アレン夫人とボブの元に歩み寄って行った。これから三人の関係がどうなるのか、それはモリーにはわからなかった。それでも、彼らがこれから支え合い、いつか穏やかに暮らせるように、と心の中で祈らずにはいられなかった。
* *
「悪人たちは警察が連れて行ったし、これで一応は安心して暮らせますよ」
マープル嬢は手作りピクルスとパストラミビーフのサンドイッチをどっさり入れた籠を持って、ベッキーが借りているバンガローに来た時にそう話した。
「シェーンさんとモリーのおかげですよ。あのエリザベス・ハミルトン嬢だって、ローズに落ち度があったからだなんて言いがかりは、二度と言えやしないでしょう。あれほど綺麗なユニコーンがローズを迎えに来てくれたのですからね」
シェーンは頷いた。
「あの場にいた誰もが理解したことでしょう。一角獣がその背に乗せるのは、穢れなき乙女だけなのですから」
マープル嬢は、どこか遠くに目をやった。
「……それにしても、あの大戦争さえなければね。ローズの恋人だったチャーリー・バレットは、真っ先に兵士に志願したのですよ。出征前にローズに例の指輪を渡してね。彼がいれば、悪人たちからローズを守ってくれたでしょうに」
「チャーリー・バレットに会ったことはありませんが、新聞に彼の名前が載っているのを読んだことはありますよ。命と引き換えに敵の猛攻から重要拠点を守り抜いた英雄だと」
ハワード卿がそう言うと、マープル嬢は首を振った。
「確かに、彼は勇敢で真面目な人でした。でも、死んでしまったら、もう二度と大切な人を守ることは出来ないじゃありませんか」
彼女はハワード卿の目を見つめて言った。
「どうか年寄りの言うことだと思って、覚えておいてくださいね。……ハワード卿。貴方は決して、チャーリーのようになってはいけません」
* *
帰りの列車の中。列車内のラウンジで、ベッキーはマープル嬢から渡された手作りピクルスの小瓶を大事そうに抱えていた。
「これは本当に美味しいからね。マープル嬢がお土産に持たせてくれて、本当に良かった」
「それにしても、彼女に認識阻害の魔法が効かないとは恐れ入りました」
シェーンはスカーレットタウンに滞在中、女性たちの心をすっかり虜にしてしまったようだった。駅にも、彼を見送ろうと待ち構えている女性たちがいたので、ベッキーと自分、ハワード卿とモリーに認識阻害の魔法をかけたはずだったのだが、ピクルスの小瓶を入れたバスケットを抱えたマープル嬢だけはあっさり四人を見つけて、お土産に、とピクルスを渡してくれたのだった。
「精神に作用する魔法が効きにくいのだろうね。心正しくあろうとする人間には、彼女のような人間が時々いるものだよ」
ベッキーは、愛おしげにピクルスの小瓶に頬を擦り寄せた。
「そのせいかな、彼女にどんな手管を使っても、このピクルスのレシピは教えてもらえなかったけれど、また食べに来れば良い。来年にはハワードとモリーの結婚式もあるし」
シェーンが表情に乏しい顔で言った。
「結婚式と言えば、まさかマープル嬢の甥御さんのご子息が、ターナー嬢と結婚すると言って泣き出すとは思いませんでした。ハワード卿の恋敵は、随分と可愛らしかったですね」
モリーは、ここ数日でようやく、シェーンが何かを面白がっている時の表情が、わかって来た。彼には昨日、マープル嬢の甥のテッドの妻が、一歳の娘と三歳の息子を連れて、マープル嬢を呼びに来た時の出来事がとても面白かったらしい。
「まさか恋敵だなんて。たったの三歳ですよ。私の子どもでもおかしくないくらいですし、そもそも、テッドの奥さんのサラは私よりも若いんですから」
モリーはハワード卿に相槌を求めようとして、彼が窓の外をぼんやり眺めていることに気付いた。
「ハワード?」
モリーの呼び掛けに、ハワード卿は、はっとしたようにこちらを向き、微笑んで見せた。
「いや、何でもないんだ」
「何でもなくはないだろう、どうせハワードのことだから、チャーリー・バレットという若者のことを考えていたに決まっている」
ベッキーの指摘に、ハワード卿は苦笑した。
「貴女には、お見通しですね」
「ハワードは強い子だ。モリーを置いて死にはしないだろう?」
ベッキーが幼児を窘めるようにそう言うと、ハワード卿は少し考え込む様子を見せた。
「……出来ればそうありたいと思いますが」
モリーは悲しくなってしまった。確かに聖騎士団長の殉職はあり得ない話ではない。現に、モリーの母方の祖父は聖騎士団長として州連合での巨大魔魚討伐任務中に殉職したと聞いている。
「そうありたい、ではなくて、きちんと生きて帰って来てくれなきゃ嫌よ」
ハワード卿の手を取って、モリーは言った。
「もし私を置いて死んだら、承知しないんだから」
ハワード卿は、少し言葉に詰まった様子でモリーを見つめ、それから優しく微笑んで、モリーの手を握り返した。
ベッキーも、真剣な顔でハワード卿に言い聞かせた。
「良いかい、ハワード。肝に銘じておくんだ。もし君がモリーを置いて死んだら、私はシェーンに命じて君の霊が勝手にあの世に飛んで行かないように捕まえさせる。それから激怒したオシアン公が、君の魂を説教部屋に閉じ込めるだろう。君ならモリーを幸せに出来ると信じていたのに、とね」
モリーの耳に、ベッキーの呟く声が届いた。
――モリーには、私と同じ思いをさせやしない。
* *
数日後。
アーケイディアに戻ったモリーが、ハワード卿に付き添われ、ピクルスの小瓶とたっぷりのパストラミビーフのサンドイッチを詰めたバスケットを持ってオルソン夫人の家を訪ねると、ベッキーとエズメ、そしてローラが既に来ていた。珍しくシェーンもいて、彼は近くのソファで本を読んでいたが、ハワード卿とモリーを見て、少し微笑んだように見えた。
「いらっしゃい、モリー、ハワード」
オルソン夫人に迎えられたモリーは慌てた。
「すみません、遅くなってしまいましたか?」
夫人は穏やかに笑って首を振った。
「エズメが、この近くの店で良いコーヒー豆を売っていると耳にして、その店でコーヒー豆を買って来たところだったのですよ」
ローラが笑顔で、モリーに大きな紙包みを見せた。
「胡桃のタルトも買ったのよ」
「それで、シェーンもここに残る気になったらしい」
ベッキーがにやりと笑うと、シェーンの頬が少し赤くなった。
ここは温かくて、何だか故郷よりもほっとする、とモリーはしみじみ思った。
マープル嬢の甥のテッドの安否を気遣ってくださった方々、ありがとうございます。彼は無事成長して結婚し、子どもも二人おります。
シェーンは大好物の胡桃タルトに釣られて、珍しくオルソン夫人の家にいました。胡桃の採れる地方の出身ではないのですが、胡桃タルトは故郷の味らしいです。




