32、モリーとハワード卿の秋と冬⑦
性犯罪目的の男たちから逃げようとした女性が殺害される場面があります、ご注意ください。
シェーンの歌が終わり、モリーの出番がやって来た。
少女だった頃、この舞台に上がれると決まった時には舞い上がるほど嬉しかった。マチルダがとびきり美しいドレスを縫ってくれたのも嬉しくて、毎日はりきって練習していた。それなのに、出番まであと少しという時に、祭りの終わりに振る舞うスープの鍋を運ぶように頼まれて、運んでいる途中で転んでしまった。無意識に水妖由来の魔法を使ったからか、やけどをせずに済んだのは幸いだったが、マチルダがリボンと一緒に編み込んでくれたおさげ髪はドロドロ、ドレスも取り返しのつかないほど台無しになって、舞台に上がれなくなってしまったのだ。
(でも、今日は大丈夫)
ドレスとメイクには、ベッキーの魔法がかかっているから。
見えないロビンが肩に乗ってくれているから。
そして何より、ハワード卿が、耳まで真っ赤にしながら、こう囁いてくれたから。
「もしも緊張しそうになったら、どうかこう思ってくれないだろうか。この町の人々に向かって歌うのではなく、故郷の森と、それから、その……、ハワードのために歌うのだ、と」
舞台に上がると、思いがけず温かな拍手がモリーを迎えてくれた。
モリーは歌い出した。故郷に昔から伝わる、秋の実りに感謝する歌を。次いで、戦闘終了後に歌う、浄化の歌を。そして、来年の実りが豊かであることを祈る歌を。
町長が、何やら感激したように赤い顔をしていた。年配の人々が、祈るように手を組み、潤んだ目をモリーに向けていた。しかし、モリーは人々を見てはいなかった。
故郷の森の木々と妖精たちに、既に亡くなってしまった優しい人々の魂に、舞台に立つ機会を作ってくれたシェーンとベッキーに、肩に止まっている見えないロビンに、そして誰よりも愛しい人――ハワード卿に向けて、モリーは歌っていたのだから。
* *
モリーの歌が終わった直後、この祭りの会場に、恐ろしい罪に手を染めた男たちがいることが判明した。
町の人々が男たちを取り押さえる中、ハワード卿とシェーンと共に、その騒ぎから少し離れたモリーは、誰もいないはずの場所に手を伸ばした。
彼女の目には、理不尽に殺された少女の霊の姿が、はっきりと映っていたのだ。少女の名はローズ・アレン。時々薔薇荘に来ていたアレン夫人の娘で、モリーより八歳年下だった。
「久し振りね、ローズ。六年前に貴女が亡くなったことは祖母からの手紙で知っていたけれど、恐ろしい犯罪に巻き込まれて亡くなったのだとは知らなかったの。だから、貴女を送るのが遅くなってしまってごめんなさい」
――良いの。気付いてくれて嬉しいわ、モリー。貴女の歌、とても素敵だった。
恨みと怒りによって、危うく悪霊化するところだったローズの霊は、モリーの歌によって落ち着きを取り戻したのだ。
シェーンが少女の霊に尋ねた。
「貴女の言葉で、あの男たちの罪を告発することは出来ますか?」
――絶対に、自分の口で告発してやりたい。どうすれば出来ますか?
モリーは、ローズが幼い頃から勝ち気だったことを思い出した。
「では、私の手を取ってください。そうすれば、ここにいる全ての人間に、貴女の姿が見え、貴女の声が聞こえるようになりますから」
ローズは強く決意した様子で、シェーンの手を取った。
生前のままの、ユリの花に喩えられた可憐なローズの姿を見て叫び声を上げたのは誰だったか。
「皆様。私は、この場をお借りして、レオナルド・マーティンとアラスター・ヤングの罪を告発いたします」
声を張り上げたわけではないのに、ローズの声は、この祭りのために集まった人々の耳に、はっきりと届いた。
ローズは自分が殺された日に、何があったのかを話した。
州都アストレアの学院で学んでいた彼女が冬至祭りの休暇の初日、帰郷するために駅に向かう途中で、何故か揃って不機嫌な様子で酒の臭いをさせたレオナルド・マーティンとアラスター・ヤングに遭遇したこと。
二人のただならぬ様子を見て逃げようとしたローズだったが、捕まって暗い路地裏の奥に引きずり込まれたこと。
それでも逃げようとしたローズが、自分の口を塞いでいたレオナルド・マーティンの親指の付け根を強く噛み、後ろから羽交い締めにしてきたアラスター・ヤングの足をブーツ履きの踵で勢いよく踏んだこと。
抵抗されて逆上した二人が、ローズを殺してしまったこと。
最後に、アラスター・ヤングがレオナルド・マーティンに対して「楽しむ前に殺してどうする」と言い、レオナルド・マーティンがローズの亡骸を蹴って、「女のくせに歯向かったのが悪い」と言ったこと。
「レオナルド・マーティンの親指の付け根には私が噛んだ時の傷痕が今も残っています。アラスター・ヤングは、私の恋人が贈ってくれた指輪を私の死体から盗み、母親であるヤング夫人に贈りました。彼女が今もはめている指輪です。裏には私のイニシャルが入っています」
嘘だと叫んで暴れだしたヤング夫人を町長が取り押さえ、彼女の右手にはめられた指輪をマープル嬢が外して、裏を確認した。
「確かに『R・Aに贈る』と刻印されています。これはおかしなことですわね、ヤング夫人。貴女のイニシャルはH・Yですもの」
ヤング夫人とマーティン夫人に向かい、マープル嬢は言った。
「ガートルード・マーティン。ヘプジバ・ヤング。ローズ・アレン嬢は、アレン夫人によく似た、賢くて家族想いの良い子でした。それからヴィーナス・モリー・ターナー嬢は、今では立派な聖女様です。かつて貴女たちは針仕事の会で、しばしばアレン夫人やターナー嬢に対して『悪い畑には悪い麦しか実らない』などと下品な言葉を投げつけたものですが、貴女たちこそ、なんと酷い毒麦を実らせたことでしょうね」
マーティン夫人とヤング夫人は、腐ったトマトのように顔を赤黒く染めて震えたが、その場にいた人々から怒りと軽蔑の目を向けられ、上手く言葉が出ないようだった。
「貴女たちの息子である二人が、私の甥のテッドをため池に突き落とした時、二人にはきちんと反省させなければいけないと言ったのに。『子どもを産んでもいない人が、差し出口をするものではない』でしたか。ええ、貴女たちの息子たちのような悪人を産まずに済んで、良うございましたわ」
マープル嬢の言葉に、幾人かの女性たちが拍手をした。
だが、ローズはもう、愚かな二組の親子を見てはいなかった。
「お母さん、帰って来られなくてごめんなさい。お兄ちゃん、私の亡骸の確認に来てくれてありがとう」
それまで、地に押さえ付けられたレオナルド・マーティンを半狂乱の様子で蹴り続けていたアレン夫人が、娘の声に気付いて、ふらふらしながら娘に歩み寄った。アラスター・ヤングの利き腕を折ったボブ・アレンも、妹の声を耳にして我に返った。
「……ローズ」
アレン夫人は慈母の顔に戻って、ローズを優しく抱きしめた。ボブも、泣きながら母と妹を腕の中に包み込んだ。
「……守ってやれなくて、ごめんな」
ボブの言葉に、ローズは首を振った。
「お母さんとお兄ちゃんがいてくれたから、私はいつも幸せだった。本当にありがとう。元気でいてね。二人のことを、いつまでも愛しているわ」
シェーンがローズの霊に声をかけた。
「アレン嬢。名残りは尽きないと思いますが、そろそろ行くべきところへと向かう頃合いです。翼持つ一角獣に、貴女の案内を頼みましょう」
やがて、一頭のユニコーンが、天から舞い降りてきた。その姿には、誰もが感嘆せざるをえなかった。
――なんと気高くて、美しい生き物だろう!
ユニコーンは恭しくローズをその背に乗せると、純白の翼を広げ、澄んだ天空へと羽ばたいていった。
少女時代のモリーにスープ鍋を運ぶように言い付けた人間には、絶対に悪意があったと思います。マープル嬢が「あの子にそんな危ないことを言い付けるなんて」と腹を立てたのですが、誰がそんなことを言い付けたのか、モリー本人もパニックになったので覚えていません。




