〈番外編〉モリーとハワード卿の秋と冬②
ベッキーの貸してくれた毛糸玉は、無限に使えるだけではなく、色や太さや質感が自在に変わる優れものだった。編み針も糸の太さに応じて太さを変えるし、本数も変わる。棒針からかぎ針にもなるし、ケーブル模様を編みたい時に必要な分だけ目を取っておくための針にもなる。
ベッキーは魔法の毛糸玉と魔法の編み針をモリーに貸すと間もなくシェーンを連れて旅行に行ってしまったが、モリーは次第に編み物をするのが楽しいと思えるようになってきた。
魔法の編み針は、メリヤス編みのマフラーを編んでいたと思ったら、次はケーブル模様の入ったガーター編みのベストを編み始めていた。こんなにも楽しいのなら、ヒルダの趣味が編み物だというのも納得出来る。自力で編み物が出来るようになったら、ヒルダにもマフラーを編んであげようと思うモリーだった。
「そうそう、なかなか上手ですよ」
その日はキルトの会が昼過ぎから始まり、パッチワークをオルソン夫人に褒められて、モリーは顔を綻ばせた。
どうやらベッキーはスカーレットタウンのバンガローの居心地とホテルマープルの食事が大いに気に入ったらしく、シェーンと共に秋祭り当日までそちらで過ごすことにしたらしい。キルトの会にベッキーがいないのは寂しいが、シェーンからは、ハワード卿とモリー宛てに「秋祭りには是非、私たちと一緒に参加しましょう」と誘いの手紙が来た。
それに、エズメやローラのように長く付き合ったわけでないが、モリーはオルソン夫人のことも好きになった。
オルソン夫人は誰に対しても嫌味や当てこすりを口にしないし、初心者のモリーの粗探しをすることもない。それに、彼女が針を持つ手を動かしながらする話からは、微塵も愚痴っぽさや意地悪さを感じない。むしろ、とても優しくて、いつもちょっとしたコツを教えてくれる。
モリーは、エズメやローラと一緒にオルソン夫人の家で裁縫をしているうちに気がついた。彼女は裁縫嫌いだったのではなく、故郷での、キルト作りや刺繍を名目に集まる針仕事の会が嫌いだったのだということに。祖母とマープル嬢、それに時々来るアレン夫人だけなら良かったのだが、針仕事の会に必ず出席するマーティン夫人とヤング夫人の二人は、いつも人の失敗や不幸を喜ぶ話ばかりしていた。しかも、夫を亡くしたばかりで二人の子どもを抱えて何かと多忙なアレン夫人が来ると、二人は決まって彼女の目の前でわざと顔を見合わせ、にやにやと思わせぶりに笑うのだった。さらにそこに愛想笑いをしながら叔母のアイリーンが加わると、もう最悪だった。アイリーンはさも姪を心配するようなふりをしながら、モリーの失敗談という、マーティン夫人とヤング夫人にとって格好の話題を提供するのだから。
それに祖母と同い年で未婚だったエリザベス・ハミルトン嬢は、モリーは母親がいないせいで出来が悪いのだから厳しく矯正すべきだという考えの持ち主で、時代後れの説教をくどくどとモリーに聞かせるのを使命だと思っている節があった。
祖母は、本来ならば会の主催者として出席者の人間関係に配慮すべきだったのではないかと思うが、あいにく、彼女には針仕事に熱中すると他のことは何も気にならなくなるようなところがあった。
嘲笑されたり小言を言われたりするほど、モリーの失敗する回数は増えてしまうから、マープル嬢がお使いを頼むという名目で、そこからさり気なく逃がしてくれるのが唯一の救いだった。
そういうわけで、エズメから繕い物とボタン付けを教わる頃には、モリーは針を持つだけで条件反射的に憂鬱になっていたのだ。
「針仕事がこんなに楽しいなんて知りませんでした」
思わずモリーの口からそんな言葉が出て来た時、オルソン夫人は嬉しそうに笑った。
「キルト作りが終わったら、ベビードレスを一緒に縫いましょうね。気が早いなんてことはないわ。赤ちゃんの服はどんなに用意してもいつも足りないくらいなのに、子どもを産んだら、少なくともひと月は針仕事なんて絶対にすべきではないのですもの」
「モリーに似た女の子なら、きっとピンクが似合うわね。たっぷりフリルも付けてあげたいわ。でも、ハワードに似た男の子だって、フリルたっぷりのベビードレスを着せてはいけないってことはないはずよね」
ローラがはしゃぐようにそう言い、エズメが苦笑した。
「洗濯しやすいシンプルなのが一番に決まっているわ。バズが生まれた頃、ここに何度かお手伝いに来た時のことを思い出してごらんなさい。赤ん坊というものは、それはもう一日に何度も服を汚すものだったじゃないの」
オルソン夫人が首を振った。
「言わせてもらいますけれどね、可愛らしいのも、シンプルなのも、どちらもたっぷりあるに越したことはないと思いますよ。お披露目の会やお客様のある時は可愛い服を着せておかないと、やかまし屋さんたちが煩いし、普段の生活には勿論、洗濯しやすい方が断然良いに決まっていますからね」
子どもを授からない可能性もあるかもしれない、とモリーはおずおずと口を挟んだが、その心配なら無用だ、とエズメが答えた。
「貴女の左手の指輪は、豊穣を司る妖精女王の指輪だもの。そうね、間違いなく三人は授かるわ。ハワードにも上に姉が二人いるのよ。かなり年齢が離れているし、どちらも帝都に嫁いだから、滅多に会う機会はないけれどね」
それは初めて知った、とモリーは思った。婚約しても、彼について知らないことがまだまだたくさんある。
「さ、あとニ時間もすればハワードが迎えに来るでしょうから、それまでにもう少し縫い進めましょうね」
オルソン夫人がそう言い、皆、針仕事に没頭し始めた。
ハワード卿は、予定時間ぴったりにオルソン夫人の家に迎えに来た。
「いらっしゃい、ハワード。これからお茶を如何?」
オルソン夫人にそう尋ねられたハワード卿は、穏やかな笑顔で頷いた。
「喜んで頂戴いたします」
もしかすると彼は、モリーが朝から焼いて持参した「女帝陛下のケーキ」の存在に気付いたのかもしれない。
昨日、何かケーキを焼いて持って来るとモリーが言った時、エズメが「チョコレートケーキ以外でね」と返答したのは、チョコレートケーキを見る度に、夏にアイリーンが毒入りのチョコミントケーキを焼いていたのを今でも思い出すかららしい。
「それなら、メープルウォルナッツケーキか、『女帝陛下のケーキ』が良いですね」
モリーがそう言うと、ローラが目を輝かせた。
「モリーはショートブレッド作りの名人だけれど、『女帝陛下のケーキ』も作れるのね。それなら断然『女帝陛下のケーキ』が良いわ。私は作れないし、お店で頼もうとしても、高くてなかなか手が出ないんですもの」
ローラがそう言うなら、大きめに焼いて、皆が何切れか持ち帰れるようにしようかとモリーは思った。ローラだけではない。一人暮らしをしているエズメも、自分のためだけにケーキを焼くことはないだろうから、と。
そこで彼女は張り切って大きなケーキを焼いたのだが、どうやら少々大き過ぎたらしい。ケーキを見たローラは歓声を上げたが、エズメの次の一言に我に返ったらしかった。
「皆で二日かけて食べ切れるかしらね?」
「それは無理かも……。」
悲しげなローラの肩をオルソン夫人がそっと叩いた。
「大丈夫よ、バズが――。……いえ駄目ね、今朝からクラウドピークに実習に行ったのだったわ」
そういうことがあったので、ハワード卿はたいそう歓迎されたのだった。
「これほど美味な『女帝陛下のケーキ』は、これまで食べたことがない……」
ケーキを口にしたハワード卿が目を瞠った後、しっかりと味わった後でそう呟いたので、このケーキにして良かった、とモリーは思った。
オルソン夫人の家でのキルトの会は、小姑がいっぱいいるようなものかもしれませんが、モリーにとっては居心地が良さそうです。
ちなみに、マープル嬢は、モリーを針仕事の会から逃がした後は、アレン夫人を庇い、マーティン夫人やヤング夫人を厳しく諌めていました。アイリーンの方を諌めなかったのは、表向き彼女が悪さをしていないのと、アイリーンの機嫌を損ねるとアイリーンがマチルダを言いくるめて、マープル嬢を薔薇荘に出入り出来ないように仕向けるおそれがあったからです。エリザベス・ハミルトン嬢に関しては「この人には何を言っても無駄」と解っていたのでそもそも相手にしませんでした。
故郷の針仕事の会は最初からギスギスしていたわけではなく、アレン夫人の夫が存命で、アイリーンが夫と死別して(というか夫を殺害して)薔薇荘に戻って来るまでは、まだ比較的和やかだったようです。




